第 12 話 思いがけない決闘
「アッ…キー……?」
「『 渡橋の証し』じゃ……」
エシャーの 呟きにシャルロが答えた。
「え?」
「アツキが 湖神様の元から戻って来たタイミングと、ガザルが橋に足をかけたタイミングが重なった結果……互いの半身も……重なってしまったんじゃろう……。アツキは『渡橋の証し』を持ったままじゃったから……一体となった2人が、再び橋に足を 踏み入れた事で……また湖神様の 臨会の地へ行ってしまったか……。何にしても……おかげでワシらは助かった……」
エシャーは 篤樹とガザルが消えた空間を凝視する。
「……じゃあ……アッキーは……アッキーは1人であのサーガと? アッキーはアイツと1人で戦うってことなの?!」
「それは……分からん……」
シャルロはヨロヨロと立ち上がり答えた。
「なぜあのような姿になってしまったのか…… 偶然なのか、それとも湖神様の力なのか……とにかく、あの2人が『一体化』したおかげで、ガザルの力を 封じて『あちら』に連れて行くことが出来た……のかも知らん。『臨会の地』で2人がどのような状態になっておるのかは……ワシにも……全く分からん」
シャルロも 混乱していた。今まで見たことも聞いたこともない 奇妙な出来事。いやこれもきっと湖神様の計画じゃろう……「時が来た」という事なのか……
シャルロは「戻された記憶」と今の状況から、世界が大きな 激動の流れに入ったことを予感した。
「エシャー! 父上!」
ルロエが橋の上に 駆け寄って来る。
「早くこの場から立ち去りましょう! ガザルがいつ戻るやも知れません。それにあれを……」
ルロエは 湖を 挟んだ 対岸の奥、南の森を指差した。黒い雲の 塊……サーガの群れが段々と増えている。その時、ガザルによって湖に「落とされた」光球、湖神様がゆっくり湖上に浮き上がった。
「はっ?!」
「 伝心?」
湖神様からの「伝心」が、ルエルフの村人へ 一斉に送られる。
『ルエルフの住民たち、よく聞きなさい。ガザルによって開かれた穴は、段々広がっています。もはや私の力で 塞ぎ続けることは出来ません。すでに数十体のサーガが 侵入してきました。もう、ひと時も 猶予はありません! すぐにこの村を捨て、森から外界へ逃げなさい!』
伝心が終わると同時に、湖上の光球は南の森へ飛び去って行った。
「お父さん!」
エシャーはルロエの胸に飛び込む。
「アッキーがまだ戻って来ないの! 湖神様は私に、アッキーを連れて外界へ逃げるようにってお願いされたわ! どうしよう!」
「とにかく……とにかくここから移動しよう! 父さんは母さんを連れに行く! 父上!」
ルロエは娘を 託すようにシャルロに告げると、西の森に続く道、湖を周回する道へ駆け出した。他の村人たちも混乱しているようで、あちこちから家族の名を呼ぶ声が 響いている。
「おじいさま、どうすれば……」
エシャーはシャルロの左腕を取り、体を支えながら 尋ねた。
「とにかく、奴らは南の森から来る。皆に北の森へ逃げるように伝えねば……」
シャルロは右手の指を合わせ目を閉じ、村人全体への伝心を 試みた。
「ダメじゃ……届かぬ……」
しかし、伝心が上手く操れない。シャルロは南の森、今は湖神様の光球に包まれている方角を見ながら、 悔しそうに呟いた。
「エシャー、村人たちに北の森から逃げるよう伝えておくれ……グ……ン……伝心は……使えぬ。奴らの開いた『穴』のせいで……村の空気が変わってしまったよう……グボッ!」
シャルロは右手で腹部を押さえた。そのまま口から大量の血を 吐き出す。
「おじいさま!」
「ウグ……だ……大丈夫じゃ……早く!……大声で……皆に呼びかけてくれ!」
エシャーは 吐血したシャルロを心配に思いながらも、とにかく 周りで動揺し騒いでいる村人たちに向かい叫ぶ。
「みんなー! 北よ! 北の森に逃げてー! 北の森から 抜けて外界へ! みんなに伝えて! 北の森から逃げてー!」
エシャーの声を聞いた村人たちが、一斉に伝心を使おうと試みる。
「伝心は使えなくなってるわ! みんなで直接声を 掛け合って北の森へ! 急いでー!」
エシャーは再び叫んだ。
「さあ……お前も行きなさい……」
苦しそうに息をしながら、シャルロがエシャーに語りかける。
「いや! おじい様も一緒に!」
エシャーは首を横に振りながらシャルロを抱きしめた。シャルロは自分を抱きしめる孫の手を、トントンと 優しく指先で叩く。
「ウグッ……この状態では……ワシは走ることも出来ん……一刻を争う。とにかく行くのじゃ。皆が……逃げ切れれば……奴らもここから出て行くじゃろう。それまで、ワシは……近くの家に隠れてヤツラをやり過ごす。じゃから……もう行くのじゃ……」
シャルロはそう言うと、エシャーの腕から 崩れ落ち、地べたに座り込んだ。
「おじいさま!」
「行くのじゃ!」
エシャーは南の森に目を向けた。湖神様の光球がいくつかの球に 分裂している。その球と球の隙間から、サーガの群れがこぼれるように村の方へ次々入って来るのが見えた。
涙を 拭うとエシャーは、北の 斜面に向かい駆け出した……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うわっ!」「ぬおっ!」
篤樹はまるで、運動会の 二人三脚で転ぶように、橋の上に転がった。すぐ横に誰かの 気配を感じる。
「 貴様ぁ……」
先に起き上がったのはガザルだった。ガザルは篤樹から数歩離れた場所に立ち、まだ橋の上に 尻もちをついて座っている篤樹に、右手を伸ばし 睨みつけた。
「死ね!」
「あっ!」
篤樹はエシャーが森の中で腐れトロルを倒した光景を思い出す。殺される! 反射的に両腕を顔の前に合わせ「何かの攻撃」から身を守る 態勢をとり目を閉じた。
「ん? 何だ! クソッ、クソッ!」
しかし攻撃を受けることなく、ガザルの 悪態をつく声だけが聞こえる。なんだ? 篤樹は腕の 隙間から様子を確認した。ガザルの右腕は篤樹に向かい伸ばされたままだが、その顔には明らかな動揺の色が見て取れる。助かった……のか?
「貴様! 何をしやがった!」
ガザルはズカズカと篤樹に近づくと、いきなり顔を 蹴り飛ばした。
痛い! え? なんで?……ってか、痛い!
篤樹は突然の「暴力」に対し、痛みよりも先に驚く。
なんで? こいつはなんでいきなり俺を蹴ったんだ? 俺が何をしたっていうんだ!
「痛ッ! クソ! 何するんですか!」
篤樹は突然目の前に現れた「若者」、エシャーや自分よりは年上だろうが、二十歳そこそこにしか見えないその「若者」を 睨みつけ抗議した。血の気の無い 薄紫色の肌、怒りに満ちた目、そして……
「あ、耳……その耳って……エルフ? あの……村の方ですか?」
「はぁ?」
ガザルは再び篤樹に近づくと、今度は立ち上がったばかりの篤樹の腹に思いっきり右の拳を当てた。堪らず篤樹は膝を橋の上につく。
息が……出来ない!
「おい、貴様! 俺をあんな 囚人共と一緒にするんじゃねえよ。クソがッ!」
膝をついている篤樹の上半身に、 容赦の無いガザルの蹴りが加えられる。篤樹は橋の上に転がった。
痛い! くそ! なんで俺がこんな目に! 篤樹はふと考えた。そう言えば「リアル」で 殴られたり蹴られたりっていつ以来だろう? 小学生の時? いや、幼稚園で誰かにやられた時以来? でも……あの時こんなに痛かったけ?
「クソッ! どうなってんだ……ん?」
ガザルは辺りを見渡し、自分が「どこ」にいるのかを理解した。
「ここは…… 湖神の巣……か? なんで……」
お腹を押さえ、ゲホゲホと 咳き込みながら立ち上がった篤樹に目を向ける。
「そうか……おい! 貴様!『例の首飾り』を出せ!」
え? 何? こいつ、俺に何を要求してんの?
「持ってんだろうが! 湖神の首輪っかをよぉ!」
ガザルが 掴み 掛かって来た。なんかヤバイ! 篤樹は、今度はしっかりと相手の動きを見て身をかわす。さっきは状況が分からなかったから突然の攻撃を 避けられなかったけど、コイツは俺に 喧嘩を売って来ている。敵だ! だったら……逃げなきゃ!
篤樹は自分が立っている場所を確認した。さっきまでいた橋の上、湖神様の橋にまた戻ってしまったのか……「 端」は……あっちか!
ガザルの背後に見える、橋の「先端ステージ」を篤樹は見つめた。さっきまで先生と話をしていたあそこまで行けば……
「よう、人間のクソガキ。なに生意気に俺の手をかわしてやがんだ? 殺さねぇように 身体を端から切り 刻んでやろうか!」
アイツとの 距離は3mくらいか……篤樹はその場にしゃがみ込む。
「なんだ? その格好は? 情け無ぇ人間のガキが。 片膝ついて詫びを入れたって、許しゃしねえよ!」
篤樹は 襲い掛かろうとするガザルの言葉を聞きながら、タイミングを 計る。
位置について……
心の中で呟く。両手を橋の上に乗せ、橋につけていた片膝を上げる。
ヨーイ……
スターティングブロックが無いのは不安だが、大丈夫だろう……篤樹はクラウチングスタートの格好で「合図」を待った。
「……許しゃしねえよ!」 ドン!
ガザルが篤樹目がけて 殴りかかってきた。そのタイミングで、篤樹はガザルの 脇下をかすめるようにスタートする。
拳を当てるべき目標を見失ったガザルは、思いがけず脇の下をくぐり抜けた篤樹の 衝撃も加わり、足をもつれさせ橋の上に倒れてしまった。
「なっ! クソがッ!」
すぐにガザルは起き上がって態勢を 整え、篤樹を追いかけ駆け出した……が、すぐに足をゆるめる。
「ああ? おいおい、テメェは一体、何がしたいんだ?」
橋端の「ステージ」の上で行き場を失い、キョロキョロと辺りを見渡す篤樹の姿をみて、ガザルは 呆れたように声をかけ、ゆっくり近づいて行く。
「先生ー! 先生ー!」
篤樹は湖神様……クラス担任の小宮直子に助けを求めて叫ぶ。しかし湖面には何も変化は起こらない。ガザルが橋端までやってきた。
「おい、人間。湖神を呼んでるのか? 無駄だよ。愚かなガキだなぁ……」
篤樹はビクッと肩をすくめる。また殴られる! また蹴られる! 痛いのは もう嫌だ!
「な、なんで……」
「湖神はさっき俺がぶっ飛ばした。しばらくは湖の上でお 寝んねしてるさ。それより……」
ガザルは、まるで 瞬間移動のように篤樹の背後に回り込んだ。
「 首輪を 渡せ。こんな所にいつまでも居られるか!」
ガザルは左腕で篤樹の首を 締め上げる。
「グッ!」
「どこだぁ?」
篤樹の 胸板をガザルが右手で探る。
バンッ!
「グワッ!」
渡橋の証しにガザルの右手が 触れた瞬間、まるで電気のブレーカーが落ちるような音がした。ガザルは叫び声をあげ、篤樹を突き飛ばす。
何だ? どうした? 篤樹は咳き込みながら右手で渡橋の証しを探った。大丈夫、取られてはいない。
「クソ! あの 女ぁ……」
ステージの端まで 退いたガザルが、左手で右手を押さえながら 睨みつけた。右手からは 蒸気のようなものが上がっている。よく見ると手首から先が、真っ黒な 炭の塊になっていた。
「もう……もう、絶対に許さねぇ……永遠の苦しみにテメェをつないでやる!」
恐ろしい 形相でゆっくりと近づいてくるガザルに篤樹は恐怖を覚える。
ダメだ、殺される! 逃げなきゃ! でも、どこに……
チラッと後ろを確認する。橋がどこまでもどこまでも続いている。どこまで走っても……いつかは 捕まる。
篤樹は正面に向き直った。ガザルを 見据えながら後ずさりを始める。
「どうした、人間? 怖いのか? 震えてるなぁ……」
ガザルはニヤニヤとした 余裕の笑いを浮かべ近づいて来る。篤樹は距離を 保ちながら橋の上を後退し続けた。
「あ、あなたは……あなたは一体誰なんですか!」
篤樹は勇気を振り 絞ってガザルに問いかけた。
「はぁ? テメェに教えてやる義理は無ぇよ。それより、早くその 忌々しい首飾りをこっちによこしな!」
まだだ……まだダメだ。
「で、でも、さっきこれを 触ったから、手が吹き飛んだんでしょ? 触らないほうが良いと思いますよ」
「うるせぇ!」
ガザルの口元から 薄笑いが消えた。やばい。あと…… あと3歩!
「ガキが!」
ガザルが一瞬目を閉じる。だが、次に開いた時、ガザルの右目は「小人の 咆眼」に変わっていた。あ、あの眼は! 篤樹はシャルロの眼を思い出した。しまった! 殺される!
しかし、小人の咆眼で篤樹を 睨みつけたガザルの表情が、見る見る驚きと怒りと絶望に満ちていく。
「あの女ぁーー……!」
篤樹の胸、首から下げていた「渡橋の証し」から何本もの白い光の線が、まるで無数の矢のようにガザル目がけて飛び出し突き刺さっていく。篤樹はそのまま後ずさった。
13…14…15!
ガザルの叫び声が不意に消え、篤樹の目の前が急に明るくなる。
目の前に……アイツはいない! 湖へ続く橋があるだけだ。良かった! 成功だ! でも……
篤樹は足が橋から「地面」に着いたのを感じつつ、湖の対岸、村の南方に見える景色を見つめた。なんだ? あれは……
すり 鉢状の村を囲んでいるルエルフの森…… 斜面に点在している村人の家々から 煙が立ち上っている。
煙突からではなく、まるで戦争映画で見るような「 砲撃を受けた家」のように 崩れ、真っ黒な煙を上げている。丘の斜面には「黒い点々」がまるで 蟻のように動き回っているのが見えた。 時折り、所々から虹色に輝く「光の粒」が立ち上っている。
最初に橋を渡る前に見た村の光景から一変したその姿に目が 釘付けになった。後を追うように、周囲の 喧騒が耳に飛び込んでくる。
「急げ! 北の森へ!」
「男たちは残って戦え! みんなが逃げる時間を 稼ぐんだ!」
な、何が……一体……
篤樹は自分が立っている湖岸側に 視線を移した。遠くから何人もの村人が……女の人、小さな子ども、老人、男の人……全ての村人が走り寄せ、丘の斜面を駆け上がり、北の森を目指していく。
篤樹はゆっくりと 反転し、丘の上に向けていた視線を斜面の下へと落とした。
「あ!」
湖岸の道の脇に座り込んでいる「小人のルエルフの姿」が篤樹の視界に入る。
「 長……シャルロさん!」
「……お、おお! アッキー……戻ったか……ヤツは?……ガザルは?」
シャルロは、息も絶え絶えになりながらも、篤樹に 微笑んでみせた。口元から、泡混じりの黒く変色した血が胸元に広がっている。
「ヤツは橋の上……湖神様の臨会の地に置き去りにして来ました。あ、あの、大丈夫ですか?」
大丈夫なワケがない! こんなに血を吐き出しているなんて……絶対に「命にかかわる大怪我」に違いない! 篤樹はどうすれば良いのか分からなかった。こんな重傷者を目の前にする経験なんか生まれて一度もない。
テレビや映画でしか見たことの無い「大量出血・吐血の場面」だ。どうすりゃいいんだ? とりあえず救急車……いやいや、だからこの世界にそんなのないだろ? お医者さん……お医者さんとか病院は? とにかく誰か……誰かに助けてもらわないと……
「誰か……誰かー! 助けてくださーい!」
篤樹は周囲に大声で叫んだ。しかし、 侵入してきたサーガの群れから逃れるため、必死で斜面を駆け上がっていく村人たちの耳に篤樹の声は届かない。
「誰かー! 大怪我なんです! 助けてくださーい! 村の長が大怪我でーす!」
もう一度、篤樹は声の限りに叫んだ。喉が痛い……声帯に何かが激しく当たって擦り傷を作ったような痛み……でも、逃げ 惑う人々の足は止まらない。もう一度叫ぼうとしたが喉の痛みでむせ返ってしまう。
ヒーッ……
シャルロから 奇妙な音が聞こえた。篤樹の足元に座っていたシャルロがゆっくりと横に倒れる。死……死んだ……? 篤樹はしゃがみ込み、状態を確認した。シャルロの口からは泡混じりの血がドロリとこぼれている。呼吸が……止まっている。眼は 虚ろに開いたまま動かない。死……?
篤樹は 呆然とシャルロを見下ろし、立ち尽くした。




