第 121 話 目の前の勝利
エグラシス大陸南西部に位置するグラディー領———その空に浮かぶ人影……フィルフェリーに背後から抱きかかえられる形で、エグザルレイは地上の森を見下ろした。
「……まさか……エルフが空を飛ぶ魔法まで使われるとは……知りませんでした……」
エグザルレイは驚きを素直に伝える。
「私だけです……多分……知っている限りでは……」
フィルフェリーが 謙遜とも、恥ずかしいとも取れる口調で答えた。
「……フィリー……ホントに大丈夫なのかぁ……なんか……怖ぇぞ……。 賢鼠種の悪い予感がビンビンこの 髭に感じるんだけどよぉ……」
エグザルレイの胸に下がる薬草袋から顔を出すピスガが、小刻みに身体を震わせながら尋ねる。
「すみません……イメージは出来ていたんですけど……一度も試したことが無い術なので…… 初法の緊張が……」
初法の緊張……?
ピスガとエグザルレイは「今、フィリーに話しかけるのはやめておこう」と同時に思った。集中させてやらなければ……
「……『飛ぶ』というイメージは 翼の無い種族には出来ないそうです……イメージ出来なければ 具現化は出来ないと……でも……私は出来る気がずっとしていました……」
フィリーは何を言ってるんだ? ピスガもエグザルレイも口を 挟みたいが、とにかく今は彼女の集中を 妨げないようにしなければ……術が 解けたら、垂直に上昇して来た数百メートルの高さから全員地上に叩きつけられてしまう……
「……ケパ様に……『空を飛ぶ』感覚を教えていただいたので……」
えっ? ケパ様……師匠に?
エグザルレイは背後から自分を抱きしめているフィルフェリーに顔を向けようとした。
「行きます!」
しかし振り返る暇も無く、垂直に上昇して来たフィルフェリーは予定の高さに達したと判断したのか宣言をすると、煙幕に 覆われた最前線の森の切れ目へと向かい、かなり 鋭角な角度で急降下を始めた。
―・―・―・―・―・―
「反乱軍が後退を始めた 模様です!」
連合軍の陣営に戦況報告の兵が駆け込んできた。連合軍とは言え、今はもう「新エグデン王国軍」と呼ばれる事が普通になっている。
反乱軍制圧作戦南西部担当指揮官の男を中心に、サルカスとグラディーの戦略担当者の他3人、合計6名の作戦会議が始められた。
「反乱軍とは言え、元はグラディーの戦士達……戦略無き後退は有り得ないと思われます」
グラディー族の戦略担当者、フン族の族長カクウは即座に疑念を 呈した。しかし、すぐに横から口を挟まれる。
「 所詮は野合の反乱軍に成り下がった連中でしょ? オーガの巨大投石と最大多数の戦闘兵を前に、奴らも戦略の建て直しを必要と判断したものと思われますが?」
エグデン将官の軍服を着た男が意見を述べる。
「……この戦線には、元グラディーの人属戦士とエルフ属の戦士が混成して防衛線を 護っています。特にエルフ属の支配領は目と鼻の先……これまでは『退く』という選択肢はありませんでしたが……」
サルカスの軍服を着た男も戦線の前進……反乱軍の後退には 懐疑的だ。しかし、その意見にもすぐに他の意見が被せられる。
「それはエルフの領域を護るという目的があったからこそ……しかし今回、我々はヤツラが護り続けて来たエルフ領を直接攻撃出来る『オーガ巨石弾』を導入しましたから……連中も 慌てふためいているのではないでしょうか?」
共和国制施行以前から、長年この国境での 睨み合いを続けて来たサルカス軍担当者の意見に頷く者は多い。
「しかし…… 腐ってもグラディー戦士の 気質としては……」
カクウはこの戦況変化にどうしても懐疑的になる。しかし、そのネガティブとも言える懸念に賛同する声は得られなかった。
「カクウ殿はグラディー族戦士としての『誇り』を持って意見しておられるのでしょうが……ヤツラは所詮、ただの反乱軍。新たな 脅威を目の当たりにし、恐れ 臆しただけでしょう。オーガ9体に巨石投石機3基などを見せ付けられれば、ヤツラも 度肝を抜かれて浮き足立つのも当然のことかと」
場の空気は、完全に作戦成功を確信する勝利の空気に変わった。
「ボルサ指令、前線を進めましょう!」
誰とも無く進言する。
「ふ……ん……そうだな……押し込むノルマは2日間で15キロって言われてるしな……。よし! まずは前線を森の中まで進めろ。そうだな……まずは1キロまで兵を進めろ。ヤツラに変わった動きが無く、ただ恐れを成しての敗走なら、さらに5キロ地点まで進め! その段階でオーガ達を森際ギリギリまで進ませろ!」
「ボルサ指令……」
カクウが口を挟む。
「なんだ? まだ何か?」
「……前線と後方の間に、せめて我が隊を置きたいのですが……」
カクウはもはや発言権を失っている事を自覚しつつ、やはりどうしても納得出来ない様子で提案をする。
「戦略の分からんヤツだなぁ……。後退して行く連中には総力で追撃を加えたほうがより遠くまで後退させられるってのは 戦の定石。お前らグラディー隊も前線で奴らを追い立てろ!」
ボルサが不機嫌な声で指示を出す。しかしカクウは尚も食い下がった。
「前線とオーガの間が開き過ぎるのはマズイと感じます……もしかするとヤツラもそれを狙ってるかも……」
「うるさい! もう黙れ! 総力追撃で行く! 準備にかかれ!」
ボルサはもう、カクウの一切の発言を禁じ、他の戦略担当者に指示を出した。
―・―・―・―・―・―
煙幕が森の中に立ち込め、深い 霧に包まれた様相となっている。伏兵として最前線の森の木々や下草の中に身を隠したグラディー戦士達は、布を顔に巻き口鼻を保護したまま、ジッと息を潜めていた。
森の前線を防衛していた数百人のグラディー戦士達が後退を開始してから、10分ほどが経っている。
「……ヤツラ……乗ってきますかねぇ?」
枝葉が 生い茂る大きな樹上で身を隠しているエルフの弓手がボソリと呟いた。
「伝心を使え……」
剣を抜き、臨戦態勢で身を潜めているフィルロンニが小声で応じる。
「俺もいますんで……」
こちらも大振りの刀を手に握り、身を潜めているブルムがささやく。
「……異種間共闘ってのはこれだから……まあいい……。こちらが後退の動きを見せて後……ヤツラの動きも止まってるという事は対応戦略を練っているということ。投石も止んでるって事は前進してくる可能性が高い……静まって時を待て」
3人は再び木の一部に同化するように押し黙り、森と平野の 境に目を凝らす。煙幕の中に薄っすらと人影が映った。
エグデン軍の 斥候と見られる3人の兵士が、辺りを警戒しながら森へ分け入って来る。恐らく数十m 間隔で同じような斥候隊が森に入って来たのだろう。フィルロンニ達が潜む巨木の下を、斥候隊が通り過ぎて行く。
……かかったな……
ブルムはエグザルレイの伏兵作戦に、エグデン軍が引っ掛かったと確信した。
斥候隊が過ぎて数分後、今度は明らかに多数の行軍音を響かせながらエグデンの追撃本隊が、ほぼ横一列に並んで森の中へと分け入って来た。斥候が無事に進んでいるという安心感なのか、こちらはそれほど周囲を警戒していない。今、急襲すれば相当数の戦果を上げられるだろうが、この戦略ではただ黙ってやり過ごす事だけに集中する。
エグデンの追撃本隊……数からすれば間違いなく総力での追撃だ、とブルムは確信した。
投石機は……
ブルムは木々の隙間から見えるオーガと投石機を確認する。森の切れ目から1キロほど離れた場所にいるヤツラがどこまで森に近付いて来るか……その距離こそが今回の作戦の成功を左右する。
弓が届かない距離であればお手上げだ。強行しても反撃に 遭い、伏兵は全て殺されるだろう。森の中までとは言わないが、せめて森まで20m以内に進んで来い! ブルムは高鳴る心臓を左手で押さえながら祈る。
ガコン!
何の前触れも無く大きな音が響いた。
ゴン……ゴン……ゴン
鈍く低い音が聞こえる。ブルムはオーガと投石機をジッと見つめた。
動き出した!
樹上の3人は同じ光景を見ていた。そして、同じように緊張している。弓兵とフィルロンニは伝心で作戦の確認をしている様子だが、ブルムには伝わらない。2人に目を向けるとフィルロンニが手指合図を送って来た。
ヤツラが矢の届く場所まで来て止まったら攻撃を仕掛ける。届かない距離であれば待機……か。ブルムは了解を伝えた。
2体のオーガに引っ張られながら、投石機が森に近づいて来る。護衛のエグデン兵達の姿もチラホラ見えるが、1機辺りに5人程度しか付いていないようだ。
ガコン!
ジワジワと森に近付いて来ていた投石機が動きを止めた。まだ遠い気がする。ブルムはフィルロンニに顔を向けた。フィルロンニは首を横に振る。弓手のエルフ戦士が一旦弓を構えるがすぐに下ろし首を横に振った。しかしすぐに2人のエルフはハッとした表情でお互いを見つめる。
……どうした?
ブルムは2人に他から伝心が来たのだと分かったが、その内容が分からない。
フィルロンニは手指サインでブルムに伝えようとしたが、すぐにクッと歯を食いしばり樹上の枝を伝ってブルムの傍にまで近づいて来た。
「ここ以外の2機は予定通り森の際で止まった。それぞれの伏兵が直接狙える距離だ。計画は実行に移す。……2機への攻撃は同時だが、こちらはその攻撃後に一気に距離を詰めて攻撃する事になる……。俺とお前が飛び出し、投石機周りの戦闘兵を襲う。その間に距離を詰めた弓手がエグデンの法術士を撃つ……。こっち担当の他の2隊も同時に飛び出す予定だ。タイミング良く行くぞ!」
投石機3機同時攻撃の予定が変更になった……という事は伏兵の急襲タイミングが違う「ここの1機」に付いている連中に、警戒する間を与える事になる。襲撃する側はそれだけ危険度が上がるってことか……
ブルムは変更された作戦に思わず苦笑いをした。
でも行くしか無ぇべな!
3人は辺りを警戒しつつ、樹上から森の中に降り立つ。フィルロンニが伝心に集中している。カウントダウンが始まった緊張感に包まれた。
「……2・1・行くぞ!」
フィルロンニの掛け声で、ブルムは森の切れ目に向かい駆け出した。だが、すぐにフィルロンニに追い抜かれる。投石機まではおよそ30m……手前には剣を抜いたエグデンの戦闘兵が2人、投石機の傍に3人立っている。
投石機を引いていた2体のオーガが左右に立ち、投石機後方に岩弾を転がし進めて来たオーガが1体立っている。そして、投石機の上に3人の操作法術士の姿が……
「 敵襲―!」
先頭にいたエグデンの戦闘兵が、ブルムとフィルロンニの姿を見つけ大声で叫んだ。この投石機を目標にしていた他の2組の伏兵達も、少し遅れて合流する。敵戦闘兵5人に対してこっちは6人…… 獲れる!
ブルムは変更された作戦が無事に成功するという確信をもち、目の前のエグデン兵に 斬りかかった。相手は自分の剣でその一撃を受けようとしたが、ブルムの刀はその剣ごと押し下げ、切っ先で敵兵の頭部深くを切り裂く。
叩き斬った敵兵をそのまま押し倒したブルムの目の前に、何かが飛んで来たのが見えた。しかし、彼はそれが何であるかを確認することも出来ないまま、突然、この地上での戦いの日々を終えた。
「グアー!」
森から駆け出して来た3隊の伏兵……6人のグラディー戦士達が最前列のエグデン兵を襲撃するとほぼ同時に、1体のオーガが太いロープを 鞭のように振り回した。突如仕掛けられたその一撃が、6人のグラディー戦士たちを襲ったのだ。
直撃を受けたブルムともう1人の戦士は頭部を 弾き飛ばされ即死だった。フィルロンニは両足の骨を 砕かれ、前のめりに転がり倒れる。残る3人も吹き飛ばされ、地に投げ倒された。
オーガが振り抜いたロープの一撃は、敵と戦っていた周りのエグデン兵の命までも共に奪い去っていた。




