第 116 話 消えた法術士
「あんたま~!」
ミルカは娘の声に反応し、 湖畔での洗濯の手を休め立ち上がった。森の中から数人の人影が集落の中へ入って来ている。その集団の後方にエグザルレイの姿を見つけた。
「あ……エルー! お帰りー!」
ミルカは大きく手を振り弟の帰還を迎える。まだ100m以上離れた集団に向かい、2歳になったばかりの娘トルパがトテトテと駆けて行く背中を見守った。エグザルレイは笑顔で一生懸命駆け寄って来た 姪っ子を片膝をついて 愛おしそうに抱き、そのまま片腕で抱え上げる。
「ただいま、トッパ。いい子にしてたかい?」
「おかえい、あんたま。いい子にしてましたか?」
エグザルレイの問いかけにトルパも同じ口調で尋ねる。
「おお、トッパ! まるで『姉様』みたいだなぁ」
一緒に村に戻って来た戦士が、笑いながらトルパの頭を 撫で声をかける。
「コイツは相変わらず『いい子』にしてたぜー! 北部方面からの敵はほとんど壊滅状態にして来たぜ!」
別の戦士も入れ替わりにトルパの頭を撫でながら過ぎていく。ミルカが洗濯物を抱えて近づいて来た。
「また無茶をしたの?」
「無茶と思う事はしていませんよ。イケる確信がある戦いだけです」
半ば諦めたように問いかけるミルカに、エグザルレイもいい加減に慣れた調子で笑顔で答える。
「今回は 義兄さんがくれた薬草のお世話にもなりませんでしたし……」
エグザルレイは胸に下げている小袋を持ち上げミルカに見せた。トルパはそれをエグザルレイの手から 奪い取るように握ると、両手でモミモミして遊ぶ。
「……まあ、多少の怪我は仕方ないにせよ……死なないでよね! 私より先に……」
ミルカは心配そうにグラディー 屈指の戦士となった弟を見る。
「で、バロウは?」
「え? 義兄さん達……まだですか?」
ミルカの問いかけにエグザルレイは驚いて聞き返した。その様子にミルカもただ事ならない雰囲気を感じ取る。
「まだって……バロウ達は一緒じゃ無かったの?」
「いや……義兄さん達の部隊とは4日前に分かれたっきりで……。その後、私達は最前線に出ましたし義兄さん達は後方隊と合流し、補給を済ませたらすぐに集落に戻ると言ってましたけど……」
「おい! エル! ちょっと……」
2人の会話を遮るように、今しがたエグザルレイと一緒に戻って来た集団の年長の戦士ブルムが声を掛ける。エグザルレイはゆっくり 屈んでトルパを道に下ろしながらミルカに目配せをした。
「すぐ行きます!」
声を掛けた戦士の他数名が、戻って来た森のほうに移動していく。エグザルレイはトルパの頭にそっと手を載せ、ミルカを見つめる。
「……義兄さん達の事かも……とにかく聞いてきます」
そう言い残し、男達の後を追って駆け出した。
「……おう、エル……バロウ達の件……聞いたか? まだ戻ってないって……」
ブルムが尋ねる。エグザルレイはコクリと頷いた。
「2日前には戻ったはずだぜ? 遅くても昨日には帰り着いてるはずだろ?……あいつらどこで道草食ってやがんだ……」
心配そうに悪態をつく若い戦士。その横に立つ別の男も口を開く。
「……後方隊には補給物資が届いてたから、そこまではいつも通りにいってたはずだ……補給路は確保出来てるし、敵に襲われる危険は無いはずだが……」
「……補給路はグラディー領内……私達の支配域ですから問題は無いはずです……でも、それならなぜ帰還予定よりも1日以上時間がかかっているのか……。どの隊にも連絡は入っていないんですよね?」
エグザルレイも状況確認に気持ちが 焦る。補給部隊は安全経路を 辿って移動しているが、戦闘部隊はそれぞれが毎回別々のルートで移動しているため途中で何が起こったのかを誰も分からない。
「……とにかく…… 捜索隊を出そう。補給ルートを辿って行けばどこかであいつらと出会えるか……何かの 痕跡を見つけられるかも知らん」
ブルムの提案に全員が了解の意を表して頷く。
「しっかた無ぇなぁ……追加任務かぁ……あいつら、見つけたら薬草じゃなく鹿肉くらいは 振舞ってもらわねぇとな!」
若い戦士が両手を後頭部に組みながら森へ歩き出した。エグザルレイもその後に続き歩き出す。
「あんたまー!どっこー」
背後から、ミルカに片手を握られているトルパが呼びかける声が聞こえ振り返る。心配そうに見つめるミルカと目が合った。
「お父さんを迎えに行ってくるから、また良い子で待ってるんだよー!」
エグザルレイは笑顔でトルパに声をかけ手を振る。ミルカも事情を了解した様子だ。心配そうにジッとエグザルレイを見つめながら頷いてみせる。
エグザルレイ達グラディー戦士隊は、こうして集落に戻ったばかりの道を引き返し、バロウ達補給隊が使うはずの道を補給路を通って再び北部前線へ捜索を始めた。
―・―・―・―・―・―
「……もうすぐ後方部隊の宿営に着いちまうぜ」
ほぼ 垂直にそびえる岩山を右手に見ながら、捜索隊は森の中に続く 獣道を北進している。戦闘部隊として移動する時は岩山の 尾根に沿うように移動する道を使うが、補給部隊は万が一にも上空に侵入する敵に発見されないよう、森の中に補給路を 築いていた。
しかし森の中の補給路ももうすぐ終わる。その先の開けた場所に後方部隊の宿営が張られていた。エグザルレイ達は先ほど、その宿営で小休止をとって集落に戻ったのだ。補給路は残り1キロもない。後方宿営地から残りの補給路で補給隊を発見出来なければ、全くの無駄足となってしまう。若い戦士の呟きは捜索隊全員の心の焦りを代弁するものだった。
「……これだけの目で注意しながら進んで来たんだ……見落としは考えられない……。残りの道……とにかく何一つ異常を見落とすなよ!」
ブルムが声をかける。全員が息をするのも抑えるように周囲を注意しながら 歩を進めた。
「おい! これ……」
左手を注意しながら進んでいた男が声を上げた。全員がその男が立ち止まった草むらに集まる。男が指さす下草に、わずかだが血が固まったような黒い 跡が付着していた。
即座にエグザルレイともう1人の戦士はその先の森へ踏み込む。
「こっちにも!」
右手に踏み入った男が声をあげた。
「よし! 全員索敵陣形で中に入るぞ!」
ブルムの指示のもと、8名の捜索隊は 森中索敵陣形を組み、痕跡を辿り始めた。出血というには極微量の血痕……傷としては大したものではないと誰もが確信していた。しかし、たとえ微量ではあってもなぜ出血する者が出たのか? そしてどうして補給路から外れた森の中に向かって進んでいったのか? そもそもこの血痕はバロウ達補給隊のものなのか? 疑念と謎を抱えたまま、しかし、ようやく見つけた「異常」の先に何かの答えが見つかることを期待し、捜索隊は森の中を進み続けた。
「…… ちっ! 途切れた……か……」
ブルムが悔しそうに呟く。補給路から 逸れて森の中へ分け入り、数キロは進んだと思われる場所まで血痕が付着した草を辿る事が出来た。しかし、もう15分以上次の痕跡を探したが、血痕付きの草を見つける事が出来なかった。
「……こっちに川があります」
エグザルレイは今まで進んで来た進路の延長上に、水の流れる音を聞き分けた。もしも補給隊の誰かが怪我をしたのであれば、もしかすると川の水を必要としたのかも知れない。……しかし、あの程度の出血ならわざわざ森の奥まで入ることも無いだろう。だが、今は 僅かな痕跡でも新たに見つけられる事を願いつつ、人の習性から水辺を目指して移動していたとの仮定にすがる他なかった。
捜索隊はエグザルレイが指さした方向へと進み始める。ほどなく木々の 間隔が開き、細い川が流れる川辺に出た。異常は目の前に突然現れた。
「クソッ! 誰が……」
先頭を進んでいた戦士が声を上げる。目の前を流れる細い川の河原……ゴツゴツとした岩場が多くを占めるその河原には、明らかにすでに命を失っている2人の戦士の姿が有った。
「ギルガとボッシュです……」
遺体を確認した男が、全員に聞こえるように2人の 素性を伝えた。
「こっちにも1人!……ジャスラです!」
河原の大きな岩の裏に倒れている死体を発見した戦士の声が響く。
「周囲を 警戒しろ! 他に何か無いか探せ! 離れすぎるなよ!」
ブルムが指示を出す。3体の遺体はそのままに、8人は辺りを警戒しつつ河原に痕跡をしばらく探す。
「……よし。……遺体をこっちへ運ぶぞ……クソッ!」
8人はそれぞれ手分けをし、3体の遺体を森と河原の 境まで運び並べ置いた。
「3人か……補給隊は7人構成だった。残りの4人は……どこだ?」
ブルムが誰にとも無く 尋ねるように 呟く。しかし当然誰もその答えを持ち合わせてはいない。全員が押し黙り、目の前にある3人の戦士の遺体を見下ろす。エグザルレイはギルガの右足のズボンに水滴ではない 染みがあることに気付いた。そのまま視線を横に並ぶ2つの遺体にも移す。同じような染みがボッシュの左太ももとジャスラの右腕にもあることに気付く。
「ブルムさん……これは……」
エグザルレイは年長の戦士に声を掛けながら、3つの遺体それぞれに見つけた不審な染みを指さし、 その裾や袖をまくった。
「針……? 吹き矢か……」
それぞれの足や腕には何か 尖ったもので刺されたような跡がある。
「吹き矢にしちゃ穴が大きいな……太目の針……って感じか?」
覗き込む別の戦士が所見を述べる。傷跡からの出血はとっくに乾いて固まっているが、傷の周囲が青黒いあざの様になっている。
「何かの毒を打ち込まれたか?」
年長の戦士ブルムがエグザルレイに確認を促す。エグザルレイは 屈みこんでジャスラの右腕を持ち上げると、注意深く傷跡を確かめた。
「……何かは……分かりません。でも、明らかに何かの異物を体内に打ち込まれています」
「とは言え、死因はこれだろ?」
エグザルレイの確認報告を打ち切るように、若い戦士がギルガの 首筋に自分の剣先を向けた。3つの遺体全て、首筋に剣を突き立てられたと思われる深い刺し傷があった。
「……補給隊は補給路で何者かに襲われ、ここまで移動させられ、この3人は殺害された……って事か……」
ブルムが状況を整理し始める。エグザルレイはジャスラの腕の傷跡を見つめたまま立ち上がった。
「後方部隊のすぐ近くで、誰にも異変に気付かれること無く補給隊を 拉致した……恐らくこの手足の小さな刺し傷がそのトリックでしょう……。何らかの毒を打ち込み、意識を支配してここへ連れ去った……と思われます」
「じゃあ何で全員ではなく、こいつら3人だけをここで殺したんだ?」
若い戦士がエグザルレイに尋ねる。謎解きを語り出したからと言って全てを理解しているはずもないエグザルレイは、しばらく3人の遺体に目を移す。
何にせよ……バロウさんじゃなくて良かった。……この内の1人が、もしもバロウさんだったら……姉様とトルパがどんなに悲しむ事か……。バロウさん……一体何があったんですか……
エグザルレイは心の中で義兄に問いかけながら状況をジッと考える。
「……補給隊は7人構成……でしたよね?」
何かを確認するようにエグザルレイは呟いた。集まっている戦士達はこの呟きが答えを求めるものではなく、考えをまとめている独り言だと理解し、黙って次の発言を待つ。
「……今回の補給隊は……バロウさんをリーダーとする7人……目的は食料の他、怪我人の治療……治癒魔法が使える4人の法術士と 警護の戦士3人……ここで殺されていた3人は全員が戦士で……法術士4人が全て行方不明……」
「『敵』の狙いは法術士の拉致……ってことか……」
ブルムがエグザルレイの 推測を受け、状況をまとめる。
「何にせよ、『敵』の本当の目的が何なのかは分かんねぇ。こっからどこに連れ去られて行ったのかも分かんねぇ。お手上げですよ!……とにかく、一旦こいつらを家に帰らせてやりましょう」
若い戦士が悔しそうに悪態をつきながらブルムに提案する。確かにこのまま 闇雲にこの森の中を捜索しても時間の無駄になるだけでなく、捜索隊全員に危険が及ぶ可能性もある。
「よし。それじゃ……」
ブルムが 撤収を呼びかけようとした時、1人の戦士が「静かに!」との合図を全員に送った。瞬時に全員が静まり 臨戦態勢をとる。
ガサガサガサ……
何かが森の中を駆け抜ける音……大きくは無い……小動物か?
エグザルレイは集中して音源位置を確かめ、その方向を注視した。
ガサガサ……
音はかなり近くまで来て止まる。
「おっとぉ!」
音が止まった辺りから動物の鳴き声ではない、明らかに人語トーンでの驚きの声が聞こえた。動物ではない! 戦士達に緊張が走る。
「なぁんだ。誰かと思ったら……よっ!」
下草から飛び出し、大きめの石の上に小さな動物が2足で着地した。
「ピスガさん!」
エグザルレイが叫ぶ。
「ピスガ……お前……なんで……」
ブルムも旧知の戦士が突然登場したことに驚きを隠せない。ピスガは嬉しそうに目を細めた。
「ちょっと待ってな、説明は後だ。……おーい! 大丈夫だ! 俺の仲間達だ!」
ピスガは森の中に向かい声を上げる。ピスガが呼びかけた方向に、捜索隊全員の目が注がれる。まるで、森の草や木の 幹枝が突然所々切り取られたように動き、やがてハッキリと人の形として認識出来る姿となって歩み寄ってくる。
戦士達の前に人の形となって森の中から現れた5つの影は、北東の山域を治めているエルフの戦士達だった。




