第9話 臓器提供
第9話 臓器提供
「えっ…ギースのやつ、入院してたの?」
俺は驚いて、スマホを利き耳に当て直した。
「庸ちゃん、ずっと仕事忙しかったでしょ?
それで身体壊してしまって、良い病院が東京にあるって言うから…。
本人はてっちゃんには知られたくなかったみたいだけど、
…もうそんなに長くはないの、庸ちゃんに会いに行って欲しいの」
ギースは小柄な男で太ってもいなかったけれど、
骨太のがっちりした身体をしていたから、
俺よりずっと丈夫で、病気しているところなんか見た事なかったし、
ずっと健康なまま、歳を取って行くんだと思っていた。
そのギースが入院した、しかももうそんなに長くはないと言う。
俺は仕事帰りのその足で、美菜子さんに教わった住所を訪ねた。
そうして訪ねた部屋では、青っぽい寝間着姿のギースがベッドの上に座って、
ぼんやりと窓の外を眺めていた。
「…なんだ、もうバレてしまったのか」
ギースは拗ねたような、困ったような顔をした。
夏休みの居酒屋で会った時から、さらに痩せてはいるが、
まだ元気はあるようだ。
「なんでずっと黙ってた?」
俺は見舞いのプリペイドカードを彼の前に置いた。
ギースはしばらく黙り込んで、それからやっと口を開いた。
「お前だから…お前にだけはこんな情けない姿を見られたくなかったよ。
お前もおんなじ男ならわかれよ、それがどんなに屈辱的かって」
「むう…それもそうだな、確かに俺もお前には見られたくない」
「だろ? ところでさ…」
ギースはそう言って、テレビの下の引き出しから一通の書類を取り出し、
満面の笑顔で俺に見せびらかした。
「臓器提供?」
「俺さ、もうそんな長くないから、今のうちにな」
「らしくもない」
ギースは狡猾で嫉妬深い男だ。
高校時代だって、たまたま俺の方がテストの点数が良かったりしただけでも、
嫉妬して、次のテストで抜き返して来るし、
今も彼の束縛にうんざりした美菜子さんが、時々俺にこぼすほどだ。
そんな男に臓器提供とか、慈善の心があるなんて驚きでしかない。
「遅かれ早かれ俺は死ぬけど、死ぬって一気に全部が死ぬって訳じゃないだろ?
意識がなくなって、俺って言う心が死んでも、
心臓が止まって、呼吸がなくなっても、まだ生きている組織はあるんじゃないかな?
だから俺は臓器を提供して、別の誰かを宿主にして、
臓器や組織だけでも生き続けたいんだよ」
…だめだ、あまりにもギースらし過ぎる。
俺は苦笑を隠せなかった。
「ペルソナ、お前は?」
「いや…俺は命は心とか魂派だからそうは思わないね」
サーニャが自分の苗字を名乗るたびに、奥さんがそこによみがえるように。
らめーんさんに医師という立場を超えさせたように。
そして俺が今、「島左近」であるように。
あんただってそうだろ?
「でも、いっぺんぐらい、ゲームの誰かに会ってみたかったかな…」
「今会ってるじゃん、『ペルソナ』に」
「そうじゃなくてさ、兼光さんとか、島さんとか、かにさんとか。
『INTERSECTION』だとらめーんさんとか、ケイさんとか、サーニャとか。
お前、あのゲームの誰かに会った事ある?」
「…ないな」
まさかあるとは言えまい。
「島左近」だって、「ケミー」さんだって、タブー中のタブーなんだから。
「だよな、そもそも『謎のソシャゲ』てぐらいだもんな。
リアル関係者じゃなきゃ、あのゲームやってるやつなんか見たこともない」
「俺はあるよ」
「えっ、マジ? どこで?」
「横浜駅で、俺らと同年代ぐらいの人がやってた」
横浜駅で、俺とあんたは初めて出会った。
あんたは先に来ていて、クエイベを走ってた。
その時、俺たちはもうすでにおじさんとおばさんだった。
近くのファミレスで、ただただ昔語りばかりした。
俺がスマホを忘れたまま、帰りの新幹線に乗ってしまった事から、
俺たちはリアルでも友達になった。
ふたりの間に恋や愛が流れるには、俺たちは歳を取り過ぎていた。
俺はぴたりと凪いでいて、あんたは熟し切っていた。
転職で俺が東京に来て、頻繁に会うようになってからも、
俺たちは夜をふざけて、騒ぎ通し、昔の事だけを語り合って、
意味や未来のある夜なんて、ひと晩たりとも過ごした事はなかった。
「島さんはどんな人なんだろうな…お前、一時期連合に島さんと2人だったし、
島さんについてなんか知ってる?」
「…少し。『Sakura Breeze』に来る前は、ちょっと上の連合にいたって事、」
それから当時の俺らが知ってた戦力やスキルは、ほんの一部だったてぐらいだけど」
ちょうど今のギースのように。
金の使い道なんて、課金する他にほとんどないギースのように。
「いちど会ってみたかったなあ…」
ムリだよ、あんたはもう二度と俺の目の前には現れない。
もう会っているよ、だって今は俺が「島左近」なんだから。
ギースはベッドに寝転がると、足を組んで爪先をぷらぷらさせた。
「そうだ。ペルソナお前さあ、このゲームがいよいよ危ないて、
来年には終わるかも知れないて噂知ってる?」