第8話 驚異の新人
第8話 驚異の新人
まさかと思ったが、あのケミカルな猫の前にスマートフォンを置いてみたら、
興味深そうに画面を触り始めた。
肉球でもタッチパネルは十分反応する。
そこで今度は「戦国☆もえもえダンシング」を起動して、
「ペルソナ」のアカウントで参戦させてみる。
目やにでくっつき気味の青い目がかっと見開いた…。
連合では固定の連合員の他に、イベント期間のみの短期連合員も存在する。
彼らはイベントが終われば、別の連合へと移動して行く。
そして別の短期連合員、運が良ければ長期の連合員と入れ替わる。
「戦国☆もえもえダンシング」では、またひとつの合戦イベントを終えようとしていた。
あれから3週間が経った。
「INTERSECTION」でも短期の人たちが移動を表明し、
それに合わせて次の合戦イベントに向けた勧誘を開始する。
「ケイさん、空き枠にひとり紹介したい人がいる」
22時終わり、外部チャットで軍師のケイさんに話しかけた。
「ほう?」
「私とらめーんさん、サーニャの知り合いで、『ケミー』さんと言って、
まだ初心者なんだけど、そこそこ課金力はある」
「ケミーは戦力はまだ低いけど、弓と後衛攻撃がめっちゃ強いねや。
HP1からの大技がやっぱり主流の今、そういう後衛がおってもええんやないかな」
あれから、心に折り合いをつけたのか、
すっかり立ち直ったらめーんさんが後押しした。
彼はあの夜の後もまだしばらく東京にいて、サーニャと一緒に俺の部屋に押しかけた。
「いやもう、あれは『見敵必殺』とかってレベルじゃないね。
『作敵必殺』…ケミーは敵を作ってでも殺しに行くよ」
サーニャもそれに同意した。
そんな彼らの露出した皮膚と皮膚には無数の傷がある事を、俺は知っている。
俺もそうだったから。
「へえ、そんなすごい新人なんだ?」
ケイさんが嬉しそうにそう言うと、俺たち『ケミー』さんの知り合い3人は、
揃って「うん」と力ない顔文字を添えて返事した。
「あれは間違いなく全体ダメージランキング覇者になるね」
「…前衛とかもう要らんやろ、あれは」
「てか、あれひとりで『天下統一フェス』優勝でいいよ…」
こうして新たに加入した連合員、「ケミー」さんは実際、
その通りに弓と後衛攻撃で、凄まじい得点を叩き出した。
「はあ?」
合戦終わりの連合掲示板は当然、揺れに揺れた。
「ちょっ…! ダメ1位が後衛って!」
「らめーん王国崩壊? いや、ケミー帝国の建国?」
「てか、応援効果も1位?」
彼らが騒ぐその裏側では、
「よし」
「おっしゃあ!」
「イエス!」
俺とらめーんさん、サーニャの傷だらけの男3人は、
LINEグループで同時に喜びの投稿を送っていた。
「ただし『ケミー』さん(あのケミカルな猫)」
「しかし『ケミー』さん(あのケミカルな猫)」
「そこは『ケミー』さん(あのケミカルな猫)」
そんなケミカルな猫はと言うと、俺のベッドのど真ん中にでんと陣取って、
まだタブレットの画面を必死に叩いていた。
らめーんさんとサーニャが俺の部屋に押しかけて、
あのケミカルな猫が鬼の形相で、スマホの画面を必死に叩いているのを見て、
驚異の新人『ケミー』さんは生まれたのだった。
サーニャが使い古しの大型タブレットと最速のルータを提供し、
らめーんさんが専用のデッキを組んで、戦い方とトレーニング法を指導し、
俺が合戦前のセットと奥義の設置、それから連合内でのやりとりをし、
3人でクエイベを走り、資金を出し合ってガチャを引いた。
あのケミカルな猫もまた、嫌な猫なだけに凶暴ではあるがムダに頭が良く、
あっという間に戦い方を覚えてしまった。
「ケミー」さんの加入で、連合の勝率は大幅に上昇し、
次の合戦イベントで、なんと100位以内に入賞する事が出来た。
「くそ…後衛には負けらんねえ」
ギースは嫉妬深いから、連合掲示板でそんな彼女に悔しさを露にしていた。
彼はもう東京に来ているのだろうか。
新生活でまだごたごたしているのだろうか。
ゲーム内ではやりとりはあるものの、一向に連絡はない。
すっかり寒くなって、晴れた夜空がいよいよ澄んで来た頃だった。
仕事が終わるのを待ちかねていたかのように、
マナーモードを解除すると同時に、スマホが鳴り出した。
意外な人の名前が画面に表示された。
末次美菜子、やはり高校時代の同級生でギースの奥さんだった。
「…おう、珍しいじゃん。もう東京には来てるの?」
「もうとっくに、8月の終わりに来てる」
「なんだよ、住所ぐらい教えてよ、水臭い」
「てっちゃん、庸ちゃん本人が言わない事を、私の口から言うのもなんだけど…」
美菜子さんはそう前置きして、ギースの新しい住所を教えてくれた。
でもそれは都内にある大学病院の住所だった…。