第19話 新雪
第19話 新雪
「へえ…らめーんさんも転職? な訳ないよな、医師は貴い仕事だ」
「転職どころかもっと医師? ハードコア医師やな。
子供とか老人とかのための医療はようさんあるけど、
10代後半から40代ぐらいの、ちょうど人生の大事なところにある人ら、
そういう人らを支える医療やりたいなて…ほんで医師仲間とそういう集まりを作ろうて。
若い人多いて言うたら、大阪より東京かなて」
らめーんさんはふとんの中でそう言いながら、うふうふ笑った。
「彼女がきっかけ?」
「大学病院で最初に出会った時、あの人はまだ20代やってん。
たまたま手の空いとった俺が主治医になってん。
40代で亡くなるまで、彼女は仕事にも就けず、結婚を経験する事もなく、
ましてや子供を産むこともなかってん。
あの人は病気で、人生の大事な時期を空白にしてん…そやから俺は」
残り物のパンと卵の簡単な朝食を出して、長靴を貸してやった。
俺にはぶかぶかだったが、足も大きいらめーんさんには少しきついらしい。
素足を押し込んでなんとかぎりぎり履けたほどだ。
雪は止んでおり、らめーんさんは新雪を踏んでホテルへと帰って行った。
彼にはアルバムの写真のあんたがうらやましく思えただろう。
らめーんさんの亡くなった患者には、ただただ空白の時間しかなかった。
でもあんたには、写真で見る限りだけど、病気になる前の時期があって、
花見や家族旅行にも行っていたし、普通の会社員らしいが就職も経験していた。
病気になって、残りの時間が少なくなってからも、俺という友達だっていた。
彼女の死はらめーんさんに新しい道を与えた。
彼はきっと、大きな身体を揺らしながら、その道を歩いていくのだろう。
転んでも新雪の上には大きな跡が残るだけだ。
俺はアパートの前から、彼が大通りへと出る角を曲がるまで見送った。
「えー、マジ?」
らめーんさんが大阪へ帰った日の夜、サーニャが店の方にやってきた。
誰がどう見ても外国人なサーニャの、訛りも間違いもないネイティブな日本語は、
いつ聞いても違和感たっぷりだ。
「うん、大阪のクリニック閉めて来るってさ。
いつになるかはまだわからないけど…」
「大変、これはうちで歓迎会しないと!
今度こそらめーんさんの限界を見てやるぜ、島さんも協力よろ」
「まかせろ」
俺はそう言うと、さっそく新作のカクテルを出した。
このカクテルのために、黒の蓋付きの平たい器をわざわざ探して来た。
本来は茶碗蒸しなどに使う物らしい。
カクテルは焼酎と強い炭酸をベースに、スパイスで香りをつけてある。
「暴欲」、前にいた店「ユニティ」で俺にカクテルを教えた、
店長の和田さんなら、きっとそう命名するだろう。
「…あ、でもちょっと待って。歓迎会出来るかわからない」
サーニャはスマホのリマインダを呼び出して言った。
「仕事、忙しいのか?」
「今ね、会社で新プロジェクト立ち上げの話があるんだ。
うちの会社はもともと、日本の製品をロシアやその周辺国に販売してるんだけど、
日本観光も扱ってみようかなって」
「ふうん?」
「それでプロジェクト始動が近づいたら、さすがにいっぺんロシアに行かないと。
俺、ロシア語あんまり話せないから、嫌なんだけどね」
サーニャは仕事の事をいろいろ話してくれた。
会社はサーニャの父親が、同じ在日ロシア人の仲間と作ったものだった事。
普段はロシア語の出来る社員に、やりとりを任せている事。
そういう社員も彼と同じ2世や3世になり、少なくなって行っている事…。
「俺見た目完全外人じゃん? 髪は金髪だし、目も青灰色だし。
でも亡くなった妻が、結婚で俺に『山中』って苗字をくれて、俺は日本人になった。
妻は亡くなったけど、その両親や親戚たちは生きていて、
今も俺を一族の者として扱ってくれてる。
そんな彼らにちょっとでも恩返し? みたいなもんしたいんよ…」
サーニャはその金髪のように、らめーんさんは帰り道の新雪のように、
いつだってきらきらと眩しく輝く男たちだ。
でも俺はそれを羨ましくは思わない。
街のあちこちに植えられてある桜の木が赤を孕んで、
つぼみもいよいよ膨らんで来た日の夜だった。
「戦国☆もえもえダンシング」は、サービスの終了を全プレイヤーに発表した。
「最近、やけにSSR出るなて思ってたら…やっぱり」
「確定ガチャも毎月だったし」
「INTERSECTION」の連合員らも、薄々は予感していたらしい。
今さら驚く者はなかった。
補佐のあぇるぅすさんが言った。
「ね、みんなはこのゲーム終わったらどうする?」




