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冒険者たちの英雄譚  作者: 桜の灯籠
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最深層

 『最深層』



 ドーンバルド城……国の象徴であるこの城は、建物そのものが芸術作品のようである、と称される程に美しかったそうだ。しかし、霧の軍勢に支配された今は、黒き霧より放たれる瘴気によって毒されており、城の中は、かつての面影など残さない程に禍々しかったのだ。

 そんな黒き霧に囚われた城内に入ったアルベルトたちは、謁見の間へと向かう階段を上っていた。恐らく、この先では、霧の軍勢の将が待ち構えているのだろう。

 決戦を前にして、カタリナは、こんな話を始める。

 「アル、そなたには、敵将について、詳しく話しておく必要があるな」

 「僕も気になっていたんだ。軍勢を率いているのは、一体、誰なんだい?」

 カタリナは、一呼吸置くと、その名を口にした。

 「アンネ・ナイトレイ……かつて、私が剣を捧げた、この国の統治者だ」

 「なんだって?」

 アルベルトは、驚いてしまう。ドーンバルドの女王が、霧の軍勢の将だって? 確か、この国は、霧の軍勢に滅ぼされたんだよね。じゃあ、なんで自らの国を滅ぼすような真似を? それに、ナイトレイってことは、つまり……

 「陛下は、熟練の魔法使いでもある。かつて、海の向こうより帝国軍の艦隊が攻めてきたこともあったそうだが、陛下は、海の神獣の力を身に宿し、その魔力で波を操ることで、海の底へと沈めてしまわれたそうだ。一隻も残さずにな。ドーンバルドが小国でありながら大国と渡り合えたのも、陛下の存在あってのものだったのだ」

 なんとも恐ろしい力だ。この先に行けば、それ程までに強力な存在と対峙しなければならないのだ。そんな相手に果たして自分の魔法が通じるのだろうか……という心配はあったが、それよりも、気になることがあったのだ。

 「その、アンネという人は、キミのかあさんなんだろう? どうして霧の軍勢の将なんてやってるんだい?」

 その問いに対して、カタリナは、言葉を選ぶようにこう言う。

 「あの人は、黒き霧に囚われているのだ。それをお救いするのが、我が使命でもある」

 ところが、しばらく間をおいてから、こんな本音を漏らす。

 「……正直な所、私にも分らんのだ。あの人の考えがな」

 実の母親であるにもかかわらず、アンネの本心が未だに分からないでいるようだ。そんな彼女に対して、なんて言葉を掛ければいいのか……

 「そういえば……」

 この時、アルベルトは、あることを思い出したのである。

 さいあいのむすめへ

 そう、アルベルトが封印の神殿の棺を開ける際に入力した暗号である。もし、これが娘に宛てたメッセージなのだとしたら?

 「少なくとも、あんたのかあさんは、娘のことを大事に思っていたんじゃないかな」

 「アル、私に気を遣わなくても……」

 「そんなんじゃないよ。あんたを封印から解き放つ際に暗号が求められたんだ。さいあいのむすめへ、それが暗号だったんだ」

 「あ……」

 真実を聞かされた時、カタリナは、ハッとさせられたように口を開いていたが、その頬に一筋の涙が流れていく。そんな彼女に対して、アルベルトは、こう声を掛ける。

 「だからさ、助けてあげようよ。そのつもりでここに来たんだろう?」

 アルベルトの前向きな発言に後押しされたのか、カタリナの表情が少し明るくなる。

 「うむ。私は、陛下をお救いしたい。その思いに偽りなど無い」

 「うん、その意気だよ」

 カタリナの中で覚悟が決まったようだ。

 話をしているうちに、謁見の間へと辿り着く。しかし、二人は、そこで思わぬものを目にしたのであった。

 「アル、あれは?」

 カタリナが指差す先には、光り輝く球体が浮かび上がっていた。それは、人の頭くらいの大きさであり、その内側では、古代文字が流れては消え、を繰り返している。なんとも神秘的な秘宝であった。

 アルベルトは、昔、ダンジョンに関する書物を読んだ際に見た挿絵のことを思い出す。あの球体は、ダンジョンの最深層に眠る究極の秘宝として紹介されていたのだ。つまり……

 あれこそが、ダンジョンの要石、『グリモワール』なのだ。

 かつて、それを手にすることを何度も夢見たものの、いずれも先を越されてしまい、目にすることすら敵わなかった。そんな憧れの秘宝が、今、目の前にあるのだ。アルベルトの心臓の鼓動は、否が応でも高まっていく。

 「僕もこの目で見るのは、初めてなんだけど……あれがグリモワールだよ! 思ったよりも大きいみたいだね。それに、ああ、なんて綺麗なんだ。やっぱり、冒険の締めくくりは、こうじゃないとね」

 そう語るアルベルトは、少し興奮気味だった。

 「確か、グリモワールは、ダンジョンの要石だと言っていたな?」

 「うん。あれを手に入れれば、このダンジョンは消滅する。だから、それで霧の軍勢を封印することが出来ると思うんだ」

 そう言ってアルベルトは、グリモワールに近づこうとした。

 あれさえ手に入れば、この戦いを終わらせることが出来る。後は、約束通り、メルセデスにグリモワールを引き渡せば、今回の冒険は、お仕舞だ。これで冒険も終わりかと思うと、少し名残惜しくもあったが、今は、皆が無事に帰れるように、やるべきことをやるまでだ。そう思いながら、アルベルトは、グリモワールに向かって手を伸ばしていくが……

 「待て……何かおかしいぞ?」

 カタリナが妙な違和感を覚えたようだが……

 「アルッ! 逃げろッ!」

 突然、カタリナが叫ぶ! 逃げろって、一体、何から?

 「え?」

 次の瞬間、腹部に鋭い痛みが走る!

 痛みを感じたのは、ほんの一瞬だったが、この時、腹部の感覚が無くなっていることに気付く。何が起こったのかと下を見てみると……

 床には、赤い血の池が!

 なんと、氷の槍がアルベルトの体を貫いていたのだ。その絶対零度の凶刃は、痛みすらも感じさせない程に鋭く、冷たかったのだろうか。そんなことを思っているうちに、アルベルトの意識が徐々に遠のいていく。

 「ウソ……だろ……ついてない……ね……」

 アルベルトは、膝から崩れ、うつ伏せに倒れてしまった。それからは……動かない。

 「アルーーーッッッ!!!???」

 カタリナが慌ててアルベルトの傍に駆けつけようとするが、この時、何者かの殺気を感じ取り、素早く剣と盾を構えた。間もなくして、アルベルトを殺害した張本人が物陰から姿を現わす。

 ドーンバルドの女王、アンネ・ナイトレイだ!

 アンネは、冷笑しながらこう話し掛けてくる。

 「何か騒がしいと思えばあなたでしたか」

 「アルに何をしたぁッ!!」

 カタリナは、怒りの感情をぶつけるように叫ぶ!

 「そこに倒れているネズミのことですか? ええ、目障りなので、殺しました。何とも哀れな、フフフ」

 「貴様ァッ!!」

 カタリナは、大切な者を嘲る女王をキッと睨み付ける。

 「私に刃向かわんとするその眼差し……あなたは、自らに課せられた使命を拒んだ、ということですか」

 「我が使命は、民の命を奪うことではない! 守ることだ!」

 カタリナは、そう言い放つ。しかし、アンネは、そんな彼女に対して、淡々とした口調でこう返したのだ。

 「では、使命を放棄したあなたに暁の聖剣を持つ資格はありません。返して貰えますか?」

 「断るッ!」

 即座に拒否した。カタリナは、女王の命に従う気など無かった。忠誠心とは、決して、主君のいいなりになることではないと知っていたからだ。

 「私は、この剣を持ってして、陛下の目を覚まし、過ちを正してみせます!」

 カタリナは、暁の聖剣を構える。ところが、アンネは、そんなカタリナのことを鼻で笑ってみせるとこう言ったのだ。

 「まあいいでしょう。大いなる門が開かれた今となっては、あなたは、もう用済みです。霧の軍勢は、私が指揮することにしましょう。ですが、その前に……」

 そして、怒りで表情を歪ませつつ……

 「邪魔者には、消えて貰いませんとね!」

 と、いつになく強い口調で言い放ち、アンネは、開いた右手を前に出す!

 何か仕掛けてくる気だ!

 アンネは魔法の達人である。その気になれば、この辺り一帯を吹き飛ばすことだって出来るのだ。ならば、魔法が放たれる前に、先手を打つべきだ。そう考えたカタリナは、素早い足捌きで一気に加速し、その場から消えたと錯覚するような速度で距離を詰める。そして、正面にアンネを捉えた所で、得意技の光速烈斬を仕掛けようとするが……

 「え!? これは……」

 ところが、アンネに斬り掛かろうとした所で、全身に重圧が掛かり、動きが鈍くなってしまったのだ。まるで、両手両足に鉄球を括りつけられたような感覚だ。カタリナは、その重みに耐え切れず、その場で膝を着いてしまう。

 これは、あの時と一緒の魔法か!?

 アンネは、カタリナが動き出す前に、先程の戦いでカタリナの右腕を封印した、あの魔法を仕掛けていたのだ。

 「貴女の手の内は、既に把握済みです」

 アンネは、右手を前に出したまま、動けなくなったカタリナに近づいて来る。

 「貴女の得意とする光速烈斬は、光の英雄バルドルの力。如何なる者でも、その動きを捉えることは出来ない。しかし、所詮は、魔装に頼った偽りの力。ならば、力の源であるマナの流れを制御してしまえば、このように、魔装を封じることも可能なのですよ」

 アンネは、カタリナの魔装を封印することで、動きを封じ込めてしまったのだ。このままでは、まともに戦うことすら出来ない。そう判断したカタリナは、ある賭けに出たのだ。

 「お忘れですか? 私は、幼き頃より、騎士としての鍛錬を積んできた身。魔装などなくとも、戦うことは出来ます!」

 そう言ってカタリナは、なんと、魔装を解いたのだ。そして、ほぼ生身の状態であるにもかかわらず、アンネに斬り掛かったのだ。間合いは、一歩前に踏み込めば剣が届く距離だ。

 避けられるものか!

 カタリナは、アンネに向かって剣を振り下ろすが、その刃が相手に触れる前に、ひらりと躱されてしまったのだ。

 見切られた?

 それでもカタリナは、攻撃を仕掛けていくが、悉く避けられてしまったのだ。何故、攻撃が当たらない? 何故、こうも躱され続けるのだ? カタリナは、次第に、得体の知れない相手と戦っているような恐ろしさを感じ始める。

 「私の剣が当たらない? どうなっている?」

 「なるほど、鍛錬を積んだというだけあって、見事な剣技ですが、私に触れることは、かなわないでしょう」

 「そんな……」

 そう言われた時、カタリナは、無意識のうちに後退していたが……

 この人に対しては、何をやっても無駄なのか? やはり、敵わない存在なのか? いや、そんなはずはない。それに、これまでに失った、かけがえのない者たちのことを思えば、ここで諦めることなど許されるはずがない。カタリナは、再び剣の柄を握り締め、立ち向かうべき敵に目を向ける。

 「まだだ……」

 そして、剣を構えて走り出す!

 「まだ、諦めるものかぁッ!」

 相手の力の正体は、不明だが……可能な限り近づいたところで魔装化し、そこから一気に光速烈斬で攻め立てれば、さすがの陛下でも躱すことは不可能なはずだ。ところが……

 「良い策だと思いますが、失敗に終わるでしょう」

 そう言ってアンネは、右手を前に出す。この時、人差し指が、カタリナの心臓を狙っていることに気が付く。

 策が読まれている!?

 この時、カタリナは、ハッとあることに気が付く。アンネには、未来を見通す力があったということだ。これまでは、見通せるのは遠い未来のみだと思っていたが、もし、身近に起こり得ることも知ることが出来るとしたら?

 陛下には、全ての行動を見透かされているということだ。

 カタリナがそのことに気が付いた時、アンネは、不敵な笑みを浮かべたのだ。

 「気が付いたようですね。ですが、もう遅い」

 危険を感じたカタリナは、すぐさま魔装化し、盾を構えて攻撃に備えようとした。バルドルのもう一つの力は、あらゆる攻撃を弾き返す、盾の防御力にある。貫かれたことは、一度もない。

 「無駄ですよ。黒き力の前には、ね」

 そう言い放った時、アンネの指先から一閃の光が放たれる。それは、カタリナの構えた盾に直撃するが……なんと、無敵の防壁を容易く貫き、魔装さえも無効化し、カタリナの心臓に達したのである。

 「うわあっ!?」

 カタリナは、矢で射抜かれたかのように、勢い余って後ろに倒れ込む。その後、慌てて貫かれた胸部の出血具合を確かめるが、おかしなことに、攻撃を受けた跡が無かったのである。それどころか、痛みすら感じなかったのだ。

 私は、何をされたのだ?

 カタリナが疑問に感じていると、アンネがゆっくりとした足取りで近づいて来る。

 「貴女は、暁の聖剣に選ばれし者であり、暁の騎士団を率いる団長。幾多もの魔物を討ち果たし、その名声は、隣国にも轟く程のものでした。しかし……」

 アンネは、これまでに見せたことのない程に歪んだ笑みを浮かべ、こう言った。

 「所詮は、人間……その命を奪うことなど、容易いものです」

 次の瞬間、胸部に違和感を覚える。まるで、誰かが体の中に入り込んだような、そんな気持ちの悪い感覚を覚えたのだ。

 「貴女の心臓は、今、私の掌の上にあります。これがどういう意味か、お分かりですか?」

 そう口にするアンネの右手には、赤く光る何かが乗せられていたのだ。それは、脈を打っているかのように伸縮と膨張を繰り返しているが……

 あれが、私の心臓だというのか?

 そのことが意味するのは、カタリナの命運は、既に女王の掌の上にある、ということだ!

 「死になさい、常命なる者よ」

 アンネの掌から黒き炎が噴き上がる! 次の瞬間、焼かれる様な激痛がカタリナに襲い掛かる! その苦痛に耐えきれなくなったカタリナは、思わず悲鳴を上げる。だが、もがけどその苦しみから逃れることは出来ない。あの心臓が燃え尽きるその時まで……

 もはや命運は尽きたように思えた。しかし、その時のことだ!

 「うおおおォォォッッッ!!!」

 勇ましい掛け声と共に、アンネの背後に何者かの影が浮かぶ。その者は、手に持った武器を振るって一撃をお見舞いしようとするが……あと一歩のところで避けられてしまう。

 この時、アンネの掌から心臓が落ちるが、それが地面に着く前に、カタリナの中に戻ったのだ。カタリナは、慌てて胸に手を当てるが、心臓がトクン、トクンと正常に脈を打っていることを確認し、安堵するが……

 陛下を襲ったのは、一体、誰だ?

 「何事ですか!?」

 アンネは、不測の事態に驚きつつも、突然乱入してきた邪魔者に目を向ける。しかし、その者の正体を知った時、まるで亡霊でも見たかのように驚きの表情を浮かべたのだ。

 「貴方は!? 死んだはずでは?」

 そこに立っていたのは、なんと、殺されたはずのアルベルトだったのだ。

 「そ、そなた!? よく無事で……」

 一方、アルベルトが生きていることを知ったカタリナは、目に涙を浮かべる。

 「貴方は、この手で確かに殺したはずですが……」

 アンネは、疑っているようだったが、それに対して、アルベルトは、鼻で笑ってこう言ったのだ。

 「人間ってのは、しぶとい生き物なんでね」

 それから心臓から少し離れた位置をポンポンと叩く。どうやら、カタリナが咄嗟に警告してくれたおかげで、急所に当たらずに済んだようだ。あとは、回復魔法で傷を癒し、死の淵から生還したのだろう。

 「生き永らえたのであれば、尻尾を巻いて逃げ出せばよかったものを……愚かですね。貴方如きが私に敵うとでもお思いですか?」

 アンネは、怒りで表情を歪ませながら、近づいて来る。

 「へえ? それってつまり、伝説の勇者様以外は、用ナシってことかい? はっ、僕も舐められたものだね。だったら、敵うかどうか、試してみようかな?」

 そう言ってアルベルトは、左腕に黒マナを纏い、杖を手放したのだ。すると、杖が床に着くと同時にサラマンダーの炎が放たれ、やがて黒マナと合わさって黒き炎となり、激しく燃え盛ったのだ。

 「黒き魔装、ダークサラマンダーッ!」

 アルベルトがそう叫ぶと、全身が黒き炎に覆われていく。すると、真っ赤な法衣が次第に暗くなっていき、やがて黒衣を纏った魔術師が姿を現わしたのだ。

 なんと、アルベルトは、黒マナを自ら取り込んでしまったのだ。

 その目は、黒き霧に取り憑かれた者たちと同様に赤々としていたが、眼差しは、虚ろなものではなく、むしろ、そこから強い意思が感じられたのだ。

 「力が漲って来るのを感じるねぇ……この力で、あんたをブッ飛ばしてやるよ」

 アルベルトがそう宣言すると、アンネは、鼻で笑ってこう返す。

 「黒マナを取り込んだということですか。ですが、黒き力を使えるのは、こちらも同様。貴方に勝ち目はありませんよ」

 「どうかな?」

 そう言ってアルベルトは、両腕に黒き炎を纏い、アンネに立ち向かう。対するアンネは、右腕を前に出し、マナを制御することで動きを封じようとするが……

 「まさか、効いていないのですか!?」

 動きが鈍る様子はない! アルベルトは、アンネが動揺している隙に、両手に纏う黒き炎を次から次へと投げつけていく! マナの法則を読み取ることで、敵の攻撃を全て予測することの出来るアンネには、通じないと思われたが……

 「馬鹿な!? 予測が出来ない?」

 なんと、予測すら出来なかったらしく、彼女は、咄嗟に結界を張って防ごうとしたのだ。しかし、次々と放たれる爆炎の前では、脆いガラスのようなものだったらしく、やがてひびが入ってしまったのだ。

 「こいつで、お仕舞だァッ!」

 アルベルトは、特大の炎を腕に纏うと、それを思いっきり振り被って投げつける。勢いよく放たれた黒き業炎は、結界を粉々に粉砕し、アンネに直撃した瞬間、爆炎が辺り一帯にあるもの全てを巻き上げながら、天井目掛けて勢いよく噴き上がったのだ。

 怒涛の連撃からの最大級の破壊魔法……これらをまともに受けた者は、立っていられずはずもなく、それどころか、塵も残さず、跡形もなく消え去っているだろう。アルベルト自身も少しやり過ぎだったかと反省するが……

 「え? そんな……」

 煙が晴れた時、そこには、信じられない光景があった。

 なんと、アンネが立っていたのである。さすがに無傷というわけではなったが、与えられたダメージは、せいぜい、彼女の纏う黒き法衣に『亀裂』を入れた程度だったのだ。

 「なるほど、見事です。黒マナをここまで使いこなすとは、素晴らしい才能ですね」

 アンネは、そう称賛した後、こう続ける。

 「私の力は、あくまでも『マナを制御』することであって、黒マナに対しては、有効ではありません。つまり、貴方の力を封じられなかったことや、動きがまるで読めなかったのは、貴方の魔装が完全に黒マナに頼り切ったものだったから、というわけですか。ですが、過ぎたる力には、代償が付き物です」

 そんなことを話しながら、アンネは、こちらに歩み寄って来る。代償? そんなの、ただのはったりだ。そう思ったアルベルトは、もう一度攻撃を仕掛けようとするが……

 「ぐあああぁぁぁッッッ!!!???」

 この時、アルベルトの体に異変が起き始める。彼の全身を巡る血が沸騰したかのように暴れ出し、体が張り裂ける様な激痛に襲われたのである。どうやら、ただでさえ制御不能な黒マナを全身に取り込んだことで、その負荷が一気に襲い掛かって来たようだ。

 「フフフ、苦しいのですか? ならば、その苦しみから解放して差し上げましょう」

 アンネは、指先を苦痛にもがくアルベルトに向けると、魔力を溜め始める……が、何を思ったのか、急に手を閉じたのであった。

 「しかし、このまま殺すのも惜しいですね……フフ、いいことを思いつきましたよ」

 不気味な笑みを浮かべるアンネは、赤々と光る目を向けてきたのだ。

 「さあ、私の目を見なさい」

 「誰があんたに……」

 アルベルトは、アンネの命に逆らうように目を逸らそうとするが……

 その瞳は、まるで全てを見透かすような不思議な魅力を持っており、アルベルトは、吸い込まれるようにその瞳を見つめていたのだ。

 「さあ、貴方の願いを、言って御覧なさい?」

 「僕の願いは……」

 既に意識を支配されてしまったアルベルトは、うわ言のようにそう呟いた後、小さな声で何か喋り出す。唯一、アンネのみ聞き取れたようだが……

 「そうでしたか……貴方がここに居るのは、外で戦う仲間たちのためでもなければ、そこに倒れている愚かな騎士のためでもない。貴方が求めているのは、名声……それは、果てしなく強い願いのようですね」

 陛下は、一体何を企んでおられる? 見ているだけしか出来なかったカタリナは、一つの結論に至る。

 アルを霧の軍勢に取り込む気だ!

 黒マナを使った催眠術は、人が持つ負の感情を増長する効果を持つ。それは、例え賢者と言われる者ですら堕落させることの出来る強力な術だ。つまり……

 富や名声を強く求める傾向にあるアルベルトに抗う術など無い。

 何としてでも阻止しなくては。カタリナは、暁の聖剣を握り締め、這ってでも彼の元に向かおうとするが、思うように体が動かせないでいた。どうやら、心臓を燃やされそうになった際に、黒マナに体を蝕まれてしまったようだ。

 「では、貴方の望みを叶えて差し上げましょう」

 「僕の……望み……」

 「ええ、貴方は、この国の王となるのです。貴方のために、千をも超える兵を用意いたしましょう」

 「王に? 本当に、なれるのかい?」

 「ええ、貴方にとっては、これ以上にない名声でしょう?」

 「……うん」

 アルベルトは、完全にアンネの言いなりになってしまったのだ。

 「ダメだ! アル! 聞いてはいけない! 目を覚ませぇッ!」

 カタリナが叫ぶが、その声は、アルベルトに届くことはなかった。

 「では、我らと契約を……我が霧の軍勢の一員となるのです」

 アンネの瞳が怪しく光り出す。術が発動してしまった! アンネの指先から黒き霧が噴き出し、それがアルベルトの体内へと流れ込んでいくのだ。森の賢者の時と同じく、アルベルトの瞳が虚ろなものへと変わろうとするが……

 「ハッ……ははは……あっはっはっはっ!」

 突然、アルベルトが笑い出す。その様子を見ていたカタリナは、思わず戸惑ってしまう。洗脳が完了し、気が狂ってしまったのだろうか? ところが、アンネは、こんなことを言い出したのだ。

 「どういうことですか? 術が効いていない!?」

 効いていない? 一体、どういうことなのだろうか? いずれにせよ、アンネは、この得体の知れない男に対して焦りを感じているようだ。

 「馬鹿だねぇ」

 そう口にするアルベルトは、悪戯な笑みを浮かべる。それから、さっきまでのやり取りは、演技だったと言わんばかりに、ハッキリとした口調でこう言ったのだ。

 「僕に効き目が薄いのは、あんたの術が、人の『欲望』を強くするものだからさ」

 「何が言いたいのですか?」

 「確かに、あんたの言う通り、僕は、名声を求めてこのダンジョンにやって来た。否定はしないよ。だけどね、僕の野望は、王になることなんかよりも、ずっと大きなものなんだ」

 この時、アルベルトは、床に落ちている杖に向かって手を伸ばす。杖の先端には、炎が燻っていたが……

 「ここであんたを倒して英雄になる! それが僕の野望だッ!」

 「貴様ッ!? 一体、何者だ!?」

 この男は、今すぐに始末しなければならない。そんな危機を感じ取ったアンネは、指先をアルベルトに向けて、死の魔法を放とうとした。一方、アルベルトは、杖を引き寄せ、その先端をアンネに向ける。この時、アルベルトは、無意識のうちに黒マナを杖に取り込んでいたのだが、そこに宿っていたのは、禍々しい邪気などではなく、強い意思の力……

 『光』だったのだ!

 次の瞬間、両者の魔法がぶつかり合い、術者を含め、辺り一帯を吹き飛ばす! この時、アンネは、壁に叩きつけられ、その衝撃で発生した崩落に巻き込まれてしまったのだ。

 一方、アルベルトは、地面に叩きつけられつつも、何とか体を起こす。それからカタリナの姿を探すが……未だに立ち上がれないでいる彼女を見つけ出す。

 「おい、姫さん、大丈夫かい?」

 アルベルトは、カタリナの元に駆け寄り、そう声を掛ける。

 「そなたこそ、大事ないのか?」

 「これくらいなんともないさ」

 そう言ったものの、さすがに限界だったらしく、そのまま倒れてしまったのだ。

 「アルッ!」

 カタリナは、アルベルトの方に手を伸ばそうとするが……

 「大丈夫、まだ生きているよ」

 そう言ってアルベルトは、カタリナの方を見て笑ってみせ、その身をゆっくりと起こす。しかし、息も絶え絶えの状態であり、大丈夫とは言い難い。

 「ちょっと無理し過ぎたかな……ごめん、僕は、もう……でも、あんたなら……」

 アルベルトは、カタリナの手を取ると、呪文を唱え始めたのだ。

 「アル? そなた、何を?」

 「僕は、姫さんを信じている。だから、ここから先は、あんたに全てを託すよ」

 すると、彼の魔装が解けてしまったが、その魔力は、カタリナへと流れていったのだ。全身に力が漲っていくのを感じる。

 「姫さん、あの女王様には、言いたいことがあるんだろう? だからさ、あんたの思いをありったけぶつけて来なよ!」

 そう言ってアルベルトは、力を使い果たしたかのようにその場で膝を着く。力を授かったカタリナは、その身をゆっくりと起こす。それから、右手の甲に目を向けた。深淵の呪印は、相変わらず、禍々しい程にドス黒いものであったが……

 「かつての私は、この呪われた力を持つが故に、化け物と呼ばれていた。でも、今は、それでも構わない。この力でそなたを救えるのならば、私は、喜んで化け物になろう」

 カタリナは、顔を上げて、アンネの方を見る。その眼差しは、真っ直ぐで揺るぎないものであった。

 「そなたの力、そなたの思い、確かに受け取った。あとは、私に任せておけ」

 そして、自らの呪われた運命と再び向き合うことを決意し、剣の柄を握り締める。

 一方、アンネは、あの程度で倒せるはずもなく、崩れた瓦礫の中から這い出て来たのだ。しかも、その表情は、怒りで歪み切っており、まるで別人のようになっていたのだ。

 遂に、霧の軍勢の将が、その本性を現したのだ!

 「おのれぇ、人間どもめぇ……」

 アンネは、魔力を全身に纏うと、勢いよく跳躍し、部屋の中央に降り立つ。そして……

 「皆殺しだぁッ、皆殺しにしてやるわぁッ!」

 狂気を含んだ不気味な笑みを浮かべると、右手を天井に掲げる。すると、辺りに漂っていた黒き霧が集まり始め、それは、大きな渦を描きながら天井へと昇って行く!

 「メイルシュトローム! すべてを飲み込み、引き裂けぇッ!」

 メイルシュトローム……かつて、帝国の艦隊を沈めたとされるアンネが操る数多の魔法の中で最強のものが発動したのだ!

 黒き渦潮は、徐々に広がりながら、竜巻の如く勢いで周囲にあるもの全てを巻き込もうとする。やがて、黒き渦潮は、城の壁や天井すらも凄まじい力で圧し潰し、瓦礫を奔流の中に飲み込み、跡形も残らない程に粉々に砕いてしまったのだ。

 城が崩壊する! そんな状況下にあっても、カタリナの精神は、意外にも静かであった。

 「かつての私は、民の剣となり、盾となろうとした。しかし、騎士として生きる道は、半ば強制されたものであると、心の中では、疎ましく思っている自分がいた。だからこそ、あの時の私は、民に剣を向けようなどと、一瞬でも思ってしまったのだろう」

 カタリナは、かつての未熟な自分を振り返ってそう口にする。

 「なにが伝説の騎士団長だ! 私は、民も国も守ることが出来なかったのだ。挙句、己の弱さに付け込まれ、霧の軍勢に取り込まれるなどという失態を演じてしまった。そんな私には、団長として、いや、騎士としての資格すら微塵もないのであろう。しかし、それでも私は、ここに立っている。貴様らには、言いたいことがあるのでな……」

 カタリナは、天井に渦巻く黒マナの奔流に、キッと鋭い眼差しを向ける。

 「もう、うんざりだッ! 何もかもがッ!」

 カタリナは、叫んだ。己に纏わり付く、この忌々しい呪われた運命に対して、怒りの感情をぶつけたのだ。この時、カタリナの思いに呼応するかのように、握り締めていた聖剣の日輪の柄が光を帯び始める……

 「貴様らは、私から何もかもを奪った! 何もかもッ!!  貴様らは、それでも飽き足らぬというのか!?」

 カタリナは、アンネに取り憑く霧の軍勢の将と向き合い、剣を構える。

 「運命からは、逃れられんぞぉッ!」

 アンネが腕を振り下ろす! すると、黒き渦潮が触れるもの全てを破壊しながら、滝の如く勢いで落ちてきたのだ! たった二人の人間を殺すために。

 「これ以上、奪わせはしない! 今度こそ、私の大切な者たちを守ってみせよう!」

 カタリナは、黒マナを自身に取り込むのと同時に、聖剣に魔力を送り込む。しかし、聖剣の刃は、赤く染まることなく、淡い光を放ち始めたのだ。そう、彼女は、アルベルトの『光』を見て知ったのだ。黒マナは、身を滅ぼす力であるが、時として、未来を切り開く、大きな力となることを知ったのだ。

 呪われた運命を変えてみせる!

 そんな宿命に立ち向かう意思、そして、未来への思いを聖剣へと込めると、聖剣は、強い光を放ち始めるが……

 次の瞬間、黒き渦潮が二人を飲み込んでしまったのだ!

 「ハハハ! 我らに逆らおうとせん愚かな人間どもめ! 跡形もなく消え去れいッ!」

 この究極の魔法は、二人を飲み込んでも勢いをとどめることなく、なお破壊をし続ける。城は、既に半壊状態であり、何もかもが闇に飲み込まれようとしていたのだ。しかし……

 そんな闇の中から一筋の光が放たれる!

 「何!? ま、まさかぁッ!?」

 光は、闇を切り裂くように伸びていき、遂には、嵐のように暴れる黒き渦潮を霧散させてしまったのだ。そして、全てが晴れた時、そこには、カタリナとアルベルトの姿が……聖剣から放たれる柔らかな光のヴェールが、彼らを黒き渦潮から守ってくれていたのだ。聖剣が新たな力に目覚めたのである。しかも、それに伴って、聖剣の姿も新たなものへと変わっていた。

 それは、担い手と同じくらいの刀身を持ち、巨大な魔物すらぶった切れる程の剣幅を持つ両手剣である。また、日輪の柄より伸びる刃は、太陽の如く眩い黄昏色の光を放っており、その刃が周囲の黒マナに触れるだけで浄化してしまう程であった。

 これこそが、暁の聖剣の真の姿なのだ!

 カタリナは、聖剣の柄を両手で握り締めると、騎士団長の象徴である白く高潔なコートの裾を翻し、その剣先をアンネに向ける。そして……

 「ご覚悟を!」

 キッと睨み付けると、大きく振り被った!

 「今こそ、我が呪われた運命を断ち斬らん!」

 この一撃で、運命を変えてみせる! カタリナは、ありったけの思いを乗せ、聖剣を振り下ろしたのだ! 次の瞬間、聖剣の刃から眩いばかりの光が放たれ、それは、全てを飲み込むほどの大きな光の刃となって、アンネに襲い掛かったのだ。

 アンネは、咄嗟に魔法を放ったものの、眩いばかりの暁光の前では、闇の力も蠅のようなものであり、意図も容易く潰されてしまう。

 「馬鹿な!? 我らが人間如きに、敗れるはずがあああアアアァァァッッッ……!!!」

 霧の軍勢、その将は、なす術もなく、光に飲み込まれていった。その瞬間、城内に甲高く、幾重にも重なったおぞましい悲鳴が鳴り響く。それは、苦痛に満ちた霧の軍勢たちの断末魔であったが、その声も徐々に消えてなくなっていった。そして、アンネに取り憑いた黒き衣が光に包まれ、徐々に消え去って行く。その中から呪いに囚われていた女王が姿を現わすが、その表情は、とても穏やかなものに見えた。

 全ての決着がついた時、城を覆い尽していた黒き霧は、少しずつ晴れていく。役割を終えた聖剣も元の姿へと戻っていた。呪いに打ち勝ったカタリナは、目をそっと閉じ、天を仰ぐ。

 「これで、私は、呪いから解き放たれたのだな……なんだか、清々しい気持ちだ」

 そう口にする彼女の右手には、黒き呪印などではなく、金色に輝く紋様、太陽の聖印が浮かび上がっていた。

 これで、ようやく使命から解放されるな……

 カタリナは、自らの体が少しだけ軽くなったような感覚を覚える。それから、向こうで待っている彼らは、なんて言ってくれるだろうか? なんてことを思いつつ、崩壊した天井から覗く、空を見上げてみた。そこには、相変わらず暗雲が立ち込めていたが、その隙間から光が溢れ出そうとしていたのだ。

 「やったじゃないか! 姫さん!」

 「ひゃぁっ!?」

 唐突に後ろからボンと押されたので、カタリナは、変な声を出してしまう。

 「あ、アル? 急に脅かさないでくれ」

 「ごめん、つい興奮しちゃってさ。でも、あんたならやってくれると信じていたよ。やっぱり、姫さんは、凄いよね」

 そう言ってアルベルトは、ボンボンとカタリナの肩を叩き、豪快に笑い始めるが……まだ傷が治っていないらしく、一瞬、よろけてしまったのだ。

 「そ、そなた、大丈夫なのか?」

 「ちょっとはしゃぎ過ぎたみたいだね、はは……でも、まあ僕なんかよりも、あの人の心配をしてあげたらどうだい?」

 そう言ってアルベルトが指差した先では、誰かが床に伏しているようだが……それが女王アンネであることを知った、カタリナは、慌てて彼女の元に駆け寄る。

 「陛下!」

 カタリナが声を掛けると、アンネは、ゆっくりと目を開くが……

 「よくやりましたね……ですが、どうやら、私は、もう長くはないようです」

 どうやら、その時が迫っているようだ。

 「そんな……お救い出来ず、申し訳ありません」

 カタリナは、力が及ばなかったことに対して、自分を責め始めるが……それでもアンネは、微笑んでくれたのだった。

 「よいのです。私の命運は、霧の軍勢に取り込まれた時から、いえ、あの者たちがやって来ると知った、あの時から決まっていたのですから……それよりも、あなたに最期のお願いがあります」

 そう言ってアンネは、グリモワールの方を指差す。

 「あれは、ダンジョンの要石……霧の軍勢の将は討たれましたが、それで全てが終わったわけではありません。グリモワールを手にし、ダンジョンを消滅させるのです」

 大いなる門を閉じ、霧の軍勢を封印するためには、やはりダンジョンを消滅させるしかないようである。もちろん、そのことに躊躇いはなく、そのためにここまで来たのだが……カタリナの胸中では、何かが突っかかったままであったのだ。

 「さあ、行くのです」

 「かしこまりました……」

 女王からの最期の命を受けたカタリナは、使命を果たすために、その場から立ち去ろうとした。

 やはり、私とあの方は、王と家臣の関係でしかないのだろうか……

 その後ろ姿は、少し寂し気なものであった。

 「カタリナ、待ってください……」

 アンネに名前を呼ばれた途端、カタリナの中で胸の奥底に秘めていた思いがグッと沸き上がる。それからカタリナは、急いでアンネの元に戻り、母の手を握り締めたのだ。

 「おかあさま! わたしは……」

 カタリナは、何を言っていいのか分からず、言葉に詰まってしまう。そんな娘に対して、アンネは、やさしく微笑みかけながら、こう語り掛けてきたのだ。

 「カタリナ、よく自らの運命に打ち勝ちましたね。あなたは、本当に立派になりました。そんなあなたのことを、私は、誇らしく思っていますよ」

 アンネは、そう語りながら、カタリナの方に目を向ける。その眼差しは、いつもの冷徹なものではなく、どこか温もりが感じられたのだ。

 この時、カタリナは、かつての幼い頃の自分を思い出す。それは、母親に絵本を読んで貰った時の記憶だ。もう随分と昔のことだったので忘れていたが、あの時のおかあさまも、こんな風にやさしい顔をしていたっけな……

 ああ、ようやくおかあさまにお会いできたんだ。

 そう思った時、カタリナの目から涙が溢れ出す。そんな彼女の様子を見て、アンネは、こう語り掛ける。

 「あなたには、随分と辛い思いをさせてしまいましたね。これまで、母親らしいことを何一つもしてあげられなくて、ごめんなさい」

 カタリナは、涙を拭うと、そんなことはないと首を横に振る。

 呪われた運命を持つ自分は、母から忌み嫌われていたと思っていた。しかし、アンネのその言葉を聞いた時、本当は、母が自分のことを気に掛けてくれていたこと、愛していてくれたことを知ったのだ。暁の聖剣を託し、騎士としての道を歩ませようとしたのも、この国のためだけでなく、きっと、娘のことを思ってのことだったのだろう。つらい運命に立ち向かえるように、と。

 「私は、騎士であることを誇りに思っています。恨むどころか、むしろ、感謝しているくらいです……ありがとう、おかあさま」

 そう言ってカタリナは、にっこりと笑ってみせた。

 「そうですか……そう言って貰えると、救われますね……よかった……」

 娘に許されたことに安堵したのか、アンネは、安らかな表情を浮かべつつ、ゆっくりと眠りについた。

 「どうか、安らかに……おかあさま」

 カタリナは、黙祷を捧げた。死後、その魂が、せめて安らかであるように、と。


 母の最期を看取った後、カタリナは、ゆっくりと立ち上がり、アルベルトと向き合う。使命を果たした後のカタリナは、初めて出会った頃のように凛としていた。しかし、表情は、どこか憂いを帯びたものであった……そう、もう一つの別れが、近づいていたのだ。

 「アル、そなたには、世話になったな。礼を言うぞ」

 「なんだよ、これからお別れみたいな言い方してさ……」

 そこまで言った時、アルベルトは、ハッとする。

 「な、嘘だろう?」

 「名残惜しいが……元々、そなたとは住む世界が違ったのだ。事が済めば、お互いの住む場所に帰るのが、道理というものであろう?」

 「まあ、そうなんだけど……」

 アルベルトは、何か言い返そうとしたが……何も言えなかった。確かに、カタリナは、この世界の住人だ。ドーンバルドが彼女の故郷なのである。国が滅びたとは言え、彼女には、やるべきことが残っているのだろう。

 それでも……

 「霧の軍勢たちは、滅ぼすことは出来ぬが、あれもまたこの世界のもの。つまり、要石を取り除き、ダンジョンを消滅させれば、封印することも出来よう。それに、グリモワールを手にすることは、そなたの夢でもあっただろう?」

 「うん。グリモワールを持ち帰れば、僕は、英雄になれるのかもしれない。それが僕の夢だった。でも……」

 名声よりも大切なもの。それを知った今だからこそ、偉大な冒険者になるという夢を追うべきなのか、アルベルトの中で迷いが生じたのである。

 でも、やらなくちゃ。

 霧の軍勢は、危険な存在だ。ダンジョンの外に出すわけにはいかない。それに、外では、僕たちに希望を託し、まだ戦っている者たちがいる。彼らのためにも、覚悟を決めなくては。姫さんは、自らの成すべきことを成した。ならば、今度は、僕の番だ。アルベルトは、自分にそう言い聞かせながらグリモワールに近づき、ゆっくりと手を伸ばしていくが……

 これを手に取れば、もう二度と会えなくなるのだろうか? 

 そんな考えが頭を過った時、ふと手が止まってしまったのだ。別れる前に、カタリナに言っておきたいことが……

 「ねえ、姫さん……」

 「うん?」

 それは、未練がましいだけか。そう考えたアルベルトは、らしくないと自傷気味に笑みを浮かべる。

 「いや、何でもないよ……いつかまた、何処かで会えるといいね」

 そう言ってアルベルトは、カタリナの方を向いて満面の笑みを浮かべる。

 「うむ。そなたと過ごした日々は、真に楽しかった。また会える日を楽しみにしておるぞ」

 カタリナも笑顔で返す。

 別れは、つらいものである。それでも、二人は、涙を流さなかった。お互いに生きてさえいれば、いつかきっとまた巡り合える。そう信じて……

 「それじゃあ、またね……姫さん」

 別れの言葉を残すと、アルベルトは、グリモワールを手に取った。

 ダンジョンの要石から眩いばかりの光が放たれ、周りの景色が優しい光に包まれ始める。これまで、確かにそこに存在していたはずの世界は、儚い幻のように消え去っていくのだ。

 それでも、彼女と共に過ごした思い出は、消えることなく、今でも鮮明に思い出すことが出来る。初めて出会った時のこと。共に過ごした何気ない日々。そして、二人の力を合わせて乗り越えてきた数々の試練……しかし、彼女との思い出は、過去のものである。これから先、思い出すことはあったとしても、あの頃に戻ることは、もう出来ないのだろう。

 そう思った時、アルベルトは、消えゆこうとする彼女に向かって手を伸ばそうとするが……ふとその手を止める。カタリナは、そんな去り行く友のことを笑顔で見送っていたからだ。

 別れは、つらいものである。だからこそ、美しくありたいと思うものだ。


 さようなら……カタリナ。














 『後日談』



 亡国の遺跡群が攻略されてから一週間。

 メイズシティは、丁度、昼時を迎えていたが、アルベルトは、いつものようにセーブポイントに通い、そこで昼食を取っていた。彼は、難攻不落のダンジョンを攻略した英雄としての名声を手に入れたものの、どこか浮かない様子であったのだ。

 「あの、兄さん、ちょっといいですかねぇ?」

 シャーロットは、黙々と食事をするアルベルトの方を見て、ひそひそと兄のジェームズに話しかける。

 「なんだよ?」

 「ローガンさんのことなんですけど、最近、少し元気が無いような気がしません?」

 「そうか?」

 「絶対そうですよ。だって、いつもならハンバーガーをLサイズで注文するのに、最近は、Sサイズばかりなんですよ。ほら、見てください、今日のなんて、マカロンみたいに小さいじゃないですか?」

 「あれ、作ったのは、お前だよな? 経費削減だぁ! とか言って……でもまあ、様子がおかしいのは、確かみてぇだが、それを言うならお前だってそうじゃねぇか?」

 「そりゃまあ……姫様がいなくなって、私も寂しいですよ。また、むさくるしい男共に囲まれる日々が続くかと思うと、溜め息も出るってもんですよ。はあぁ……」

 そう言ってシャーロットは、一つ大きなため息をつく。

 「……そろそろ、うちの客をディスるのは、やめような?」

 ジェームズは、冷ややかにそう突っ込んだ。

 カランカラン

 客がやって来たようだ。猫のような目が印象的なスーツ姿の女性であったが、常連の冒険者ばかりがやって来るこの店にとっては、リーマンの客は、珍しかったのである。もっとも、シャーロットは、この女性に見覚えがあったらしい。

 「あれ? あの人って、メルセデス・アーチボルトさんじゃないですか? ホラ、ローガンさんと一緒にダンジョンを攻略したっていう、あの社長令嬢さん!」

 「マジかよ。有名な冒険者が二人もうちに来るなんて、こいつは、うちの店の知名度を更に上げるチャンスじゃねぇか、ヘヘ」

 ジェームズのメガネが怪しく光る。

 「に、兄さん……」

 シャーロットは、引き気味に兄の顔を見た。

 メルセデスは、店内をグルリと見渡すが、アルベルトの姿を見つけるなり、彼に近づいていった。

 「あら、ローガンさん、こんな所にいたのね。探したわよ」

 そう言ってメルセデスは、アルベルトの隣に座る。

 「うん? ああ、アーチボルトさんか……」

 アルベルトは、気の抜けた返事をする。

 「僕に何か用かい? 報酬ならちゃんと支払ったはずだけど?」

 「ええ、知ってるわ。そうじゃなくて、お礼が言いたくてね。あなたのおかげで私の昇格が決まったのよ。しかも、我が社の株も上がり続けてるし、景気のよい話が続いてるのよね」

 「へえ……」

 アルベルトは、興味なさそうに生返事をした。

 「マスター、コーヒーを一杯頂ける? ブレンドは……オススメでいいわ」

 「はい、かしこまりました」

 注文を受けたジェームズは、早速、コーヒーの準備に取り掛かった。

 「それでね、それでね」

 メルセデスは、椅子ごとアルベルトの方を向いて、こんな話を始めた。

 「あなたが持ち帰ったグリモワールなんだけど、早速、図書ギルドの研究機関に持って行ってみたのよ」

 その時の様子を思い出したのか、メルセデスは、少し笑いながらこう続けた。

 「あの人たち、これは、我々のルーツに迫る世紀の大発見だぁ! って、大はしゃぎしてたのよ。まるで子供よね。まあ、私も興味があったし、発見の内容について少し教えて貰ったんだけどね。中には、驚きの新事実があったのよ。それはね……」

 そう言ってメルセデスは、興奮気味に喋りまくっていたが、アルベルトは、あまり聞いていなかった。確かに、以前の自分なら関心を示していたのかもしれないが、どうにも最近、気分が乗らないのである。ダンジョンを攻略してしまったことで、人生の目標を失ってしまったのだろうか。あるいは、騒々しい姫様がいなくなったことで、刺激が足りなくなったのか……ふとカタリナのことを思い出した時、あの頃の日々が懐かしく思えてきたのだ。

 鬱陶しいと思うこともあったけど、あいつとの冒険は、悪くなかったな。

 アルベルトは、そんなことをしみじみと思いつつ、コーヒーを口にする。

 一方、メルセデスは、机の上に注文したコーヒーが置かれたにもかかわらず、未だに喋り続けていた。しかし、そんな彼女のどうでもいい話の中にも、ようやく、アルベルトにとっても興味深い話が出てきたのだ。

 「それでね、今回の解析で明らかになったことの中で、一番、学者たちを騒がせた事実って何だと思う?」

 「さあね……」

 アルベルトは、適当にそう返事するが……

 「それはね、私たちの祖先がドーンバルドからやって来たってことよ! どう? ビックリでしょ?」

 「そうか……」

 そう生返事をするアルベルトは、コーヒーを口にしようとするが……カップを口元に持ってきた所でピタリと手が止まる。

 僕たちの祖先がドーンバルドからやって来た、だって?

 「ちょっと待ってくれ、それは、どういう意味なんだい?」

 アルベルトは、思わずそう尋ねてしまった。急に反応されたのでメルセデスは、少し戸惑っていたが、やがて口元を緩めて、こう話し始めた。

 「学者たちの間では、これまで、ドーンバルドに関する記録があまりにも残っていないことから、何らかの災害で民も文明も全て滅んでしまったという見方が一般的だったの。霧の軍勢の存在が判明した段階で、その説は、確定したと思われていたのだけど……でもね、全てが滅ぼされたわけじゃなかったのよ」

 全てが滅ぼされたわけじゃない……その言葉の意味を理解したアルベルトは、前のめりになってこう尋ねたのだ。

 「まさか、姫さん以外にも、生き延びた奴がいたのかい?」

 「ええ、そういうこと。実は、国が滅亡する前に、女王アンネは、転送装置を使って、民を封印の神殿へと逃がしていたそうなのよ。しかも、あの神殿は、こちら側、つまり、私たちの住むこの世界に近い次元に存在していたのよ」

 「じゃあ、その生き延びた奴らは……」

 「彼らは、このトレジャーアイランドに辿り着き、ここにメイズシティを建てたってことになるわね」

 「本当かい? それは、確かに面白い話だね」

 メイズシティの住人たちの祖先は、なんと、ドーンバルド出身だったのだ。すっかりダンジョンへの熱が冷めたアルベルトですら、この真実には、驚かずにはいられなかったのだ。

 「ん、待てよ……」

 この時、アルベルトの中にふとある疑問が浮かび上がる。

 「つまり、あの神殿内にいた奴は、ドーンバルドの記憶が生み出した存在ではなく、こちら側の存在ってことになるよね……」

 アルベルトは、独り言のようにそう呟くが……

 「あら、もうこんな時間。そろそろ戻らないと……」

 そう言ってメルセデスは、コーヒーを一気に飲み干すと、お代をカウンターに置いてから席を立つ。

 「それじゃあ、ローガンさん。私は、仕事に戻るわね。ああ、そうだ。報酬の件についてだけど、さすがに我が社が独り占めするというのは、コンプライアン的に問題があるのと、我が社のイメージの低下に繋がるから、勝手ながら、あなたの口座にも振り込んでおいたわ」

 メルセデスの粋なはからいに対して、アルベルトは、「え?」と驚きつつも、目を輝かせていた。なんだかんだ言っても、お金がもらえることは、素直に嬉しかったのだ。

 「いいのかい? じゃあ、ありがたく貰っておくよ」

 「それじゃあ、機会があれば、また一緒に仕事しましょうね」

 そう言ってメルセデスは、ジェームズに向かって「ごちそうさまでした」と一礼すると、店から出て行った。それからアルベルトは、一体どれだけの金額が振り込まれたのか、内心ワクワクしていたわけだが……

 「おい待てよ……あいつ、なんで僕の口座を知っているんだい?」

 これもアーチボルト社のリサーチ力なのだろうか? やはり侮れない連中だなとアルベルトは、苦笑いした。

 カランカラン

 また誰かやって来たようだ。今日は、珍しく人が多いな。そんなことを思いながらアルベルトは、コーヒーをすするが……

 「ぶももぉ……」

 聞き覚えのある鳴き声が耳に入った途端、思わず吹き出しそうになった。

 「あっ! ブリちゃん! もう、何処に行ってたんですか? 心配したんですよ」

 なんと、ここ最近、姿を見かけなかったブリちゃんが帰って来たのだ。長い間放浪していたせいか、全身埃まみれな上、ゲッソリとしているように見える。

 「そう言えば、すっかりコイツのことを忘れていたな」

 アルベルトが思わずそう口にすると、シャーロットは、「ちょっと、ローガンさん、それはあんまりですよ」とすかさず突っ込みを入れる。

 「待っていてくださいね。今から食事を作りますら。それよりもお風呂の方が先ですか? でしたら出汁も取れて、一石二鳥なんですけどねぇ」

 そう言って、シャーロットがニタァと意地の悪い笑みを浮かべると、ブリちゃんは、本能的な恐怖を覚えてしまい……

 「ブモオォーッ!!」

 帰るべき場所を間違えた。ブリちゃんは、そう言わんばかりに店から出て行った。

 「あっ、しまった、いつものクセで」

 「あんまりなのは、どっちだよ」

 アルベルトは、冷ややかにそう言った。

 カランカラン

 また扉の鐘が鳴った。結局、戻って来たのだろうか? 忙しい奴だな。アルベルトは、そんなことを思うが……

 「え? うそ。あなたは……」

 シャーロットが信じられないと言わんばかりに両手で口を塞ぐ。どうやらブリちゃんではなかったようだが、じゃあ、一体誰が来たんだろうか? そう思ってアルベルトが振り返ってみると、そこには……

 「なっ、あんたは……」

 アルベルトは、まるで亡霊と対面したかのように目を丸くする。それもそのはず……

 そこに居たのは、ダンジョンと共に消えたはずのカタリナ・ナイトレイだったからだ。

 カタリナは、何故か気まずそうにしており、扉の向こうから顔だけ出して、こっちの様子を伺っている。

 「た、ただいま……なのだ」

 そう言って愛想笑いをしながら、店の中に入って来た。これは、夢だろうか? それでも幻でも見せられているのか? あるいは、単なるそっくりさんなのか……小柄な体、そのくせに自信に満ち溢れたかのようなピンとした背筋、トレードマークの金色の束ね髪、見る者を引き込む青く澄んだ瞳、何処からどう見ても本人にしか見えないが……アルベルトは、訝しがっていたが、一方、シャーロットは、いよいよ堪え切れなくなったらしく、「うわーん!」と大泣きしながら走り出し、いきなりカタリナに抱き付いたのだ。

 「ひ、ひめざま、よ、よくごぶじでぇ! わーん!」

 カタリナは、泣き崩れるシャーロットを優しく抱きしめる。

 「すまぬ、心配をかけたようだな」

 「いえ、ぐすん……ま、また会えて、私、とっても嬉しいです」

 そう言ってシャーロットは、涙を拭うと、精一杯の笑顔を見せた。

 「そうか、私もそなたに会えて嬉しく思うぞ」

 この時、カタリナは、アルベルトの方に目を向けた。アルベルトは、思わず目を逸らしてしまう。

 「や、やあ、アル。こうして会うのは、久しぶりだな」

 カタリナが声を掛けるものの、アルベルトは、何も答えなかった。それでも彼女は、構わずにアルベルトの隣に座る。二人の間には、しばらく沈黙が続くが……

 そんな気まずい空気を察して気を利かせてくれたのか、ジェームズは、二人の様子を眺めていたシャーロットの腕を掴むと、二人揃って店の奥へと退場した。

 「あれから一週間は経つのだな。そなたは、元気にしておったかの?」

 二人きりになったところで、カタリナがそう話し掛けるが……

 「……なんで戻って来たんだよ?」

 アルベルトは、心にも無いことを言ってしまった。

 「うむ。どうやら、私は、この世界に留まることを許されたらしい。恐らく、この世界に移り住んだドーンバルドの民の力となるよう務めることこそが、騎士である私の次の使命だったのだろうな。陛下は、それ故に、私をあの神殿に封じられたのかもしれん」

 災厄を逃れ、封印の神殿に辿り着いたドーンバルドの民は、やがてトレジャーアイランドに住み着き、メイズシティを築いた。つまり、カタリナがこの世界に存在できるのは、奇跡などではなく、あの神殿の中に封印されていたからなのだ。これも娘を思う女王アンネのはからいなのだろう。

 しかし、アルベルトにとっては、そんなことどうでも良かったのだ。

 「僕が聞きたいのは、そんなことじゃない!」

 これまで溜まっていた思いが弾けたかのように、アルベルトは、大きな声をあげる。

 「アル?」

 アルベルトは、急に席から立ち上がると……

 「僕たちは、別れたはずだろう? なのに、なんであんたは、僕の前に現れた? なんであんたは、ここに居るんだよ!?」

 感情を露にして怒鳴り始めるが……全て言い切った後、力尽きたように項垂れる。

 「もう二度と、会えないと思ってたのに……」

 そう小さな声で口にするアルベルトの目には、涙が浮かんでいた。そんな彼の姿を見て、カタリナは、席から立ち上がると、優しく語り掛けるようにこう言った。

 「私もだ……だからこそ、こうして再び会えたことを嬉しく思っているぞ」

 会えないと思っていたのは、カタリナも同じであったのだ。

 ホームとダンジョン、二つの世界が交わることは、決してなく無く、二人の別れは必然的であった。それでも、こうして再び会えたのだとしたら、これは、奇跡なんかじゃない。そういう運命だったんだ。そう結論付けたアルベルトは、顔を上げると……

 「ああ……僕もだよ」

 ようやく笑顔を見せたのだ。

 「おかえり、姫さん。正直に言うと、あんたの居ない毎日は、退屈そのものだったんだ。それでようやく気が付いたよ。あんたは、僕にとっての半身なんだってね。だから、その……これからも傍に居てくれるかな?」

 その言葉を聞いたカタリナは、目を丸くし、キョトンとしていたが、やがて口元を緩めて、こう返したのだ。

 「半身、か。それも悪くないの。元より、私たちは、二人で一人だったのかもな」

 そう言って二人は、再会を喜ぶかのように、お互いの顔を見て笑みを浮かべる。

 「しかし、そなた……」

 と思いきや、急にカタリナの表情が不満げなものに変わる。

 「私たちの親密な関係を踏まえれば、そろそろ、私のことを姫さんではなく、カタリナと呼ぶべきではないのか?」

 「なっ!? し、親密って、僕たちそんな関係じゃないだろう?」

 さすがのアルベルトも、そこまで踏み込んだ関係を望んでいたわけではなかったようだ。

 「何を言うか。あの時、そなたが我が名を呼んでくれた事、忘れもせんぞ? それに、私を抱いてくれたこともな」

 「だ、抱いてないよっ! ってか、その言い方、凄く誤解されそうだからやめろよな!」

 カタリナは、急に慌てふためくアルベルトの様子をジト目で見るが、その口元は、意地悪そうな笑みを浮かべている。

 「ふふん、そなた、照れ隠しをしておるな。そうかそうか、やはり、そなたは、私のことを好いておったのだな」

 「ち、違っ!」

 「そなたは、やはりかわいい奴だのぉ。まあ、無理に口にせずともよい。そなたの思いは、十分に伝わっておるからの? フフフ」

 「だああっ! や、やめろよなっ!! もう、鬱陶しいなぁっ!!!」

 などと叫びつつも、あの頃の日常が戻って来てくれたことを、内心喜んでいたアルベルトであった。

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