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冒険者たちの英雄譚  作者: 桜の灯籠
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呪われた運命

 『呪われた運命』



 自宅に戻ったアルベルトは、就寝前に机と向き合っていた。

 机の上には、一冊の書物が置かれていたが、不思議なことに、アルベルトがページをめくるたびに、文字が次々と宙に浮かび上がっていくのだ。これは、『ライブラリー』と呼ばれるもので、図書ギルドが所蔵する全ての文献にアクセスすることが出来る魔法の書物であった。

 アルベルトは、他の冒険者たちが集めたドーンバルドに関する情報を漁り、深淵の呪印について調べようとしていたのだが、有力な手掛かりは、何一つして得られないでいた。この辺りの情報について詳しく知りたければ、更なる深み、つまり、ドーンバルド本国を探索しなければならないのだろうか? その結論に至ったアルベルトは、ライブラリーを閉じた。

 でも、そのためには、あいつらをどうにかすることを考えないと……

 黒き騎士に対抗する術は、何とか見つけたけど、だからと言って、あの軍隊をどうにか出来るわけじゃない。仮にメイズシティにいる全ての冒険者たちを集めたとしても、あの数を相手に戦えるとは思えない。アルベルトは、一つ溜め息をつき、天井を見ながら対処すべき問題に頭を悩ませるが……

 ドン! ドン! ドン!

 玄関の扉を乱暴に叩く音が聞こえてくる。ドアノッカーがあることを知らないのか? そんなことを思いつつ、アルベルトは、扉を開いてみるが……

 「ブモオォーッ!!」

 「うわっ!?」

 突然、何かが飛び掛かって来て、アルベルトの胸にしがみ付いたのだ。一体、何なんだと引き剥がしてみると、それは、ミノタウロスのブリちゃんだったのだ。

 「なんだい、牛か。ってか、おまえ、よく僕の家の場所が分かったね?」

 アルベルトがそう言うと、ブリちゃんは、スンスンと鼻を動かす。臭いを追うことで分かった、と言いたいのだろうか。

 「あんた、犬かよ……それで、何の用だい? うちにドッグフードなんてないよ?」

 ブリちゃんは、身振り手振りで何かを伝えようとするが……分かるわけがない。アルベルトが首を傾げていると、今度は、ズボンの裾を噛み、引っ張ろうとしたのだ。

 「お、おい、どうしたんだよ。遊んで欲しいのか?」

 ブリちゃんは、違うと言わんばかりに首をフルフルと横に振って、再びズボンの裾を引っ張ろうとする。何か必死な様子は伝わってくるが……

 もしかして、何処かに連れて行こうとしているのか?

 アルベルトがそんなことを考えていると、懐に入れていたテレストーンが震え出す。こんな夜中だというのに忙しいな。アルベルトは、石を取り出し、応答してみる。

 「た、大変ですッ!」

 第一声があまりにも大きかったので、思わずテレストーンを放り投げてしまうが……それを受け止めると、こう返した。

 「なんだよ、シャーロットか。とりあえず、落ち着きなよ」

 「あ、はい……スー、ハー」

 シャーロットは、呼吸を整える。

 「それで、何の要件だい?」

 アルベルトがそう尋ねると、シャーロットは、さっきよりも更に大声でこう言った。

 「姫様がまだ帰って来ていないんですッ!!」

 「えっ?」

 カタリナと別れてから一時間以上経っているはずだ。既に、店に帰っているものだとばかり思っていたが……

 「姫さんは、まだそっちに戻っていないのかい?」

 「はい。ずーっと待っているんですが、まだ帰って来ていないんです。もしかして、事件に巻き込まれたとか……そ、そんなことないですよね!?」

 シャーロットは、不安になっているようだ。ひとまず、彼女を落ち着かせよう。そう考えたアルベルトは、こう言った。

 「そう言えば、姫さんなら、その辺を散歩してから帰るって言ってたよ」

 「そうなんですか?」

 「うん。そのうち帰って来るはずだから、あんたは、安心して寝てなよ」

 「そうでしたか。では、私は、先に寝ることにしますね。ローガンさん、こんな夜中にお騒がせしてすみません。では、おやすみなさい」

「おやすみ、シャーロット」

 ひとまず安心したのか、シャーロットは、通話を切った。

 「さて……」

 どうなっている? 確かに風に当たってから帰るなんて言っていたけど、あまりにも時間が経ち過ぎている。考えたくはないけど、何か事件に巻き込まれた可能性も……そう言えば、今日の姫さんは、ちょっと様子がおかしかったな。第三階層から帰って来てからだよね。無理もないか。あの要塞の中で、自国の兵士たちが霧の軍勢に取り込まれたことを知った時の姫さんの胸中は……そのことを考えた時、アルベルトの頭の中に最悪なケースが思い浮かぶ。

 あいつ、まさか! 早まってないといいけど……

 この時、ブリちゃんが未だにズボンの裾を引っ張っていることに気付く。

 「おい、牛。今は、それどころじゃ……」

 いや、待てよ? まさかとは思うけど……ひとまず聞いてみよう。

 「ねえ、あんた、もしかして姫さんの居場所を知っているのかい?」

 アルベルトがそう尋ねると、ブリちゃんは、ズボンの裾を離し、コクコクと頷く。

 何故、ブリちゃんは、カタリナの行方を知っているのか? ブリちゃんは、夜の散歩をしている時に、偶然、カタリナの姿を見かけたのだ。駆け寄ろうとしたところ、彼女がポータルの中に消えていくのを見てしまった、というわけだ。もちろん、このことは、アルベルトが知るはずもない。

 アルベルトは、ブリちゃんが有力な手掛かりを握っているのなら、それに賭けてみようと考えたのだ。

 「よし、それじゃあ、あんたの主人の所に連れて行ってくれ」

 ブリちゃんは、任せろと言わんばかりに頷くと、旧市街の路地に飛び出していった。アルベルトは、その後を追う。


 「ここは……」

 カタリナは、死神を追ってポータルの中に入ったものの、そこを抜けると、何処かの建物の中に辿り着いたのだ。ここは何処かと周囲を見渡してみる。石造りの壁や天井、ズラリと並んだ砲台、そして、見張り台へと続く梯子……いずれにも見覚えがあったのだ。

 「まさか、我が国の城壁内か?」

 カタリナは、その結論に至る。この城壁から外に出れば、そこは、彼女の故郷であるドーンバルドである。

 「遂に、帰って来てしまったのだな……」

 カタリナは、感傷に浸っていたが……そんな場合ではない、と言わんばかりに首を横に振ると、今、なすべきことに集中する。

 「奴は、何処だ?」

 死神の姿を探してみるが……奴は、目の前に立っていたのだ。その姿を見るなり、カタリナは、すぐさま魔装召喚して臨戦態勢に入り、剣を引き抜いてその切っ先を敵に向ける。

 しかし、死神は、何故か応戦しようとする素振りも見せず、それどころか、踵を返して背を向けたのだ。

 「私に背を向けるとは、舐められたものだな。貴様、何処へ行くつもりだ?」

 カタリナがそう問い掛けると、これまで無言だった死神は、ようやく口を開き始める。

 「運命に抗った者たちの末路……知る覚悟があるのなら、私の後に付いてくるがよい」

 そのくぐもった声は、男か女か判別し辛かったものの、確かに人のものであるようだが……死神は、城壁の外に向かって歩き出す。

 ドーンバルドの末路……あの時、カタリナは、アンネ女王の魔術によって眠らされてしまったため、その後、国がどうなったのかを知らない。そのことを知るのは、恐ろしくもあり、思わず躊躇ってしまうが……

 何を恐れている? 既に覚悟は出来ていたのではないのか? 私は、自らの宿命に立ち向かうために、ここに来たはずだ。今更、逃げるわけにはいかない。

 カタリナは、自らにそう言い聞かせ、死神の後を追った。

 ドーンバルドは、太陽に祝福された国と呼ばれ、豊穣の地として知られている。豊作が約束されたこの国では、民の間で争いごともなく、重い税に苦しめられることもなく、平和で穏やかな日々が続いていたのだ。また、この国では、年に一度、豊作を祝うために『収穫祭』が開かれる。その日が訪れると、人々は、溢れんばかりの食と酒を楽しみ、朝まで歌って踊るのだ。幼い頃、カタリナもお忍びで参加したことがあったが、まるで夢の中にいるかのような美しい光景は、今でも脳裏に焼き付いており、目を閉じればすぐに思い浮かぶ程だ。

 しかし、城壁の外に出た時、そんな我が故郷は、最早、何処にも無いことを知る。

 「そんな……これが、ドーンバルド……なのか?」

 カタリナは、目の前に広がるドーンバルドの無残な姿を見て絶望する。

 ドーンバルドの空は、暗雲によって閉ざされ、町全体が黒い霧に支配されていたのだ。炎上し続ける家屋からは、黒い煙が立ち昇り、町の広場にあった時計台や、神への祈りの場である教会ですら、破壊し尽されていたのだ。そんな崩壊した街中を屍のような魔物が、呻き声を上げながら徘徊している。民の姿は、何処にも無い。あの平和だったドーンバルドの面影も、何処にも無い。

全て、滅び去ったのだ!

 「嘘だ、そんなはずは! あの時、国を護るために千を超える兵がいたはずだ! その中には、暁の騎士団もいたはずだ! なのに……なのに、我々は敗れた……というのか?」

 悪い夢でも見ているようだ。これが現実だとは、とても信じられなかったのである。

 「確かに、彼らは、勇敢に戦った。霧の軍勢を相手に、彼らの剣が通じなかったわけではない。ただ、彼らは、知らなかったのだ。己の中に抱えた影こそが、真の敵であることを」

 死神は、そう語ると、広場の方を指差す。そこに目を向けてみると、何やら屍たちが列を組んで歩いているようだが……彼らは、手に剣や槍を手にしていたが、身に纏っているのは軍の衣装ではなく、民たちの普段着である。

 「反乱が起こってしまったのか」

 その結論に至ったカタリナは、当時のことを振り返る。

 霧の軍勢が攻めて来る! その報せが国中に広まった時、民衆の不安が一気に高まり、一部の民が暴徒化する事態が発生した。女王は、武力ではなく、あくまでも対話でいさめようとしたが、彼らが聞く耳を持つことはなかったのだ。

 「女王は、霧の軍勢を迎え撃つ前に、民の反乱を鎮めなければならなかった。それまで武力による制圧を避けてきたようが、国家の存亡が掛かった状況下では、最早、選択肢などなかったのであろう。両者の間で争いが起こり、多くの民と兵の命が失われたのだ」

 なんと残酷な結末なのだろうか。兵たちは、略奪者たちから民を守るために鍛錬を積んできたというのに、まさかその守るべき民を手に掛けることになろうとは……何よりも苦渋の決断を迫られた女王の心情は、如何なるものだったのか? そのことを思うだけで、カタリナの胸が締め付けられる。

 「ああ、陛下……」

 カタリナは、主のことを思いながら、天を仰ぐ。

 一方、死神は、そんなカタリナのことなどお構いなしに、淡々と話を続けた。

 「残された兵は僅かであったが、それでも、女王は、最後まで戦うことを選んだのだ。しかし、霧の軍勢の進軍を止めることはかなわず、遂に、ドーンバルドは、陥落したのだ」

 そう言って死神は、城のある方角を指差す。

 かつて、世界で最も美しいとされた白壁の城は、今や敵の手に堕ち、邪悪な怨念が渦巻く魔の城と化していたのだ。それは、ドーンバルドが霧の軍勢の手に堕ちたことを象徴する光景であった。

 「この国は、もう、滅びてしまったのだな……」

 そう口にするカタリナは、半ば放心状態で変わり果てた城を眺めていた。

 ドーンバルドは、既に滅んでいるという事実、それを受け入れる覚悟は、出来ているつもりであった。しかし、こうして無残な姿となった国を目の当たりにし、いたたまれない気持ちになってきたのである。湧き上がってくるのは、怒り、悲しみ、そして、聖剣の真の力を引き出すことが出来なかった故に前線から外された、己の無力さに対する悔恨の念であった。

 「これも、私の力が至らなかったせい……この国は、私が守らなくてはならなかったはずなのに……それなのに……私のせいだ……全て、私の……」

 下を向くカタリナは、拳を握り締める。一筋の涙が頬を伝っていき、僅かに震える拳に落ちていく……暁の騎士団、団長としての務めを果たすことなく、国が滅んでしまった。足掻いた所で滅びる運命だったとしても、せめて、故郷の為に戦い、皆と最期を迎えたかった……カタリナの胸の内は、悔しい気持ちで一杯であった。

 死神は、そんな彼女の傍に寄ると、こう声を掛けてきたのだ。

 「己を責めているのか? しかし、あの場に居なかった貴女に何が出来ようか?」

 同情のつもりだろうか? いずれにせよ、侵略者に情けを掛けられるなど、侮辱以外の何ものでもない。カタリナは、キッと睨み付ける。

 「何が言いたい?」

 その問いに対して、死神は、淡々とした口調でこう答える。

 「ドーンバルドの崩壊は、愚かな女王の失策が招いたものだ」

 その一言は、カタリナの逆鱗に触れた。

 「貴様ァッ!」

 凄まじい剣幕で怒るカタリナは、剣を引き抜き、その切っ先を再び死神に向ける。

 「陛下を愚弄する気か!?」

 カタリナは、今にも斬り掛かりそうな気迫でそう叫ぶが、死神は、全く動じることなく、こう続ける。

 「貴女を封印したのは、女王自らだったのではないのか? 貴女は、唯一、霧の軍勢に対抗し得る力を持っていたにもかかわらずだ。その結果、ドーンバルドが陥落したとなれば、失策と呼ぶ他あるまい」

 これ以上の侮辱は、許せん! カタリナの怒りは頂点に達するが……同時に、死神の言葉に違和感を覚えたのである。

 待て……何故、私が陛下の手によって封印されたことを知っている?

 あの場に居たのは、自分と陛下だけだったはず。城の者ならまだしも、敵が知っているようなことではないはずだ。

 この死神の正体は、一体?

 「お前は、何者だ? 答えろッ!」

 カタリナは、剣先を向けたままそう尋ねる。すると、死神は、何も言わずに、被っていた雄山羊の面をゆっくりと脱ぎ始めたのである。

 「あ、あなたは……」

 死神の正体を知った時、カタリナは、信じられないと言わんばかりに目を丸くする。

 「そんな……まさか、そんなことって……」

 怒り狂っていたはずのカタリナは、無意識のうちに剣を下ろしていた。それもそのはず、死神の正体は、彼女が忠誠を誓った相手であり、最も近しい存在……

 ドーンバルドの女王、『アンネ・ナイトレイ』その人だったのだ!


 一方、カタリナの行方を捜すアルベルトは、ブリちゃんの後を追って旧市街を駆け回っていた。もっとも、随分と走らされているので、やっぱり遊んで欲しかっただけなのでは? と思ってしまった。

 「あいつ、何処に連れて行くつもりなんだい? まったく……」

 アルベルトが訝しがっていると、ブリちゃんは、急に走るのを止める。やっと着いたんだろうか? そう思って辺りを見渡してみるが、カタリナの姿はおろか、人一人の姿さえ何処にも見当たらなかったのだ。

 「誰も居ないみたいだけど……本当にここに姫さんがいたんだよね?」

 ブリちゃんは、コクコクと頷く。

 「ん、待てよ、ここは……」

 周囲の景色を見て分かったことが一つだけある。ここは、カタリナと別れた場所だったということだ。あの直後に彼女の身に何かあったのだろうか?

 「調べてみよう」 

 そう考えたアルベルトは、持って来ていた杖を地面に突き立てる。いつものように、残されたマナの痕跡を読み取ろうとしたのだ。

この魔法は、魔装召喚よりも遥かにマナの消費量が少ないため、メイズシティ内でも使用することが出来るのだ。それでも効果が薄れるらしく、この前みたいに視覚化することは出来なかったが、それでも十分な情報が得られたのである。

 「確かに姫さんはここにいたみたいだね。他にも誰かいたみたいだけど、この魔力は……」

 アルベルトの顔が強張る。

 「なんて禍々しいんだ。それに、ここまでハッキリと痕跡を残すなんて……」

 その者は、既にこの場にはいないはずなのに、まるで、今でもそこに立っているかのように思える程だ。それは、強大な魔力の持ち主がこの場にいたことを意味するのだ。魔力だけの強さで言えば、あの伝説の騎士団長よりも上かもしれない……その結論に至った時、アルベルトの体が僅かに震え出す。

 それからもう一つ分かったことがあった。アルベルトは、ゆっくりと立ち上がると、何もない空間を見てこう呟く。

 「このマナの乱れは、ポータルが開かれた痕跡だね。つまり、姫さんは、そいつと一緒にダンジョンに向かったってことか……」

 この時、アルベルトは、最も恐れていたことが起きてしまったことを知り、歯軋りする。カタリナは、仲間の仇を討つために単身で亡国の遺跡群へと戻って行ったのだ。

 「あのバカ、一人で霧の軍勢に立ち向かうつもりかい!?」

 いくらなんでも自殺行為だ! 今すぐに止めに行かないと! そのためには……アルベルトは、カタリナを追うために、ダンジョンに行かなければ、と考える。

 「姫さんを追わないと……よし、ターミナルに向かおう」

 アルベルトがそう口にすると、ブリちゃんは、二本足で立ち上がり、自らの胸をボンと叩いたのである。

 「なんだよ? 任せろってこと? どうするつもりだい?」

 一体、何をする気なんだろうか? そう思っていると、ブリちゃんの全身が光に包まれ、グングンと大きくなっていったのだ。変化が止まると、そこには、筋骨隆々なミノタウロスの姿があった。

 「へ?」

 ブリちゃんは、アルベルトを片手でヒョイと持ち上げると、抱きかかえる。そして、発達した二本の脚をグググと曲げていき……

 「え、ちょっと、なにを……」

 縮めたバネを解放するように両脚を伸ばすと、大きく跳躍し、一瞬のうちに高度百メートルを超える上空へと旅立ったのだ。目下には、ミニチュアのように小さくなった街並みが広がるが、やがて、それが徐々に拡大していき……

 「うぉぉぉおおおおおおお!!!??? ぶ、ぶつかるううううう!!!???」

 街そのものが迫ってくるような状況に、アルベルトは、思わず絶叫する……が、そうしているうちに、メイズシティの中心部に着地する。解放されたアルベルトは、ブリちゃんに向かって一言こう言った。

 「す、スリル満点だったね。は、ははは……はぁ……」

 もっとも、その表情からは、まるで余裕が感じられなかった。

 三メートルをも超える牛が空から降って来た……新聞の一面記事に乗る程の事件が町の中心部で起きたとなれば、嫌でも注目が集まるというものだ。しばらくすると、「何事だ?」とギャラリーたちが集まって来たのだ。

 「騒ぎになってるじゃないか! おい、牛、その姿だと目立つから元に戻ってよ」

 視線に耐え切れなくなったアルベルトは、元のぬいぐるみサイズに戻ったブリちゃんを抱え込み、ターミナルの中へと駆け込んでいった。

 ターミナルは、ダンジョンへの入り口を一括で管理している施設だ。もし、カタリナがポータルを通って何処かのダンジョンに向かったのであれば、ここから彼女を追うことが出来るはずだ。アルベルトは、そう考える。

 彼は、受付に向かうと、早速、スタッフにこう尋ねる。

 「人を探しているんだけど……そいつは、恐らく、亡国の遺跡群にいるはずなんだ。見つけることは出来るかい?」

 スタッフは、少し困惑した表情を浮かべながらこう答える。

 「我々の方で探すことは、可能だと思いますが……せめて、お名前だけでも」

 「ああ、ごめん。気が焦っていたようだ……あれ、待てよ」

 アルベルトは、ふとあることに気が付く。カタリナをギルドの一員として登録していなかったのだ。

 「もしかして、あんたらの方で探せるのは、ギルドのメンバーだけかい?」

 「はい、残念ながら」

 「しまったなぁ……」

 なんて迂闊な……こんなことになるくらいなら、カタリナをギルドの一員として登録して貰うべきだった。アルベルトは、後悔するが……

 「ん? ちょ、ちょっと待ってください」

 受付のスタッフが何かに気が付いたようだ。

 「第三階層より更に深い層にて、冒険者の反応を確認しました。ですが、妙ですね。この座標は、未発見区域のはずですが……」

 「つまり?」

 「ここは、『第四階層』だと思われます」

 「なんだって?」

 アルベルトは、思わず驚きの声を上げる。

 「ギルド会員のデータベースと照合しても特徴が一致しないことから、ギルドの一員でないことが判明……つまり、この冒険者があなたの探しておられる方かもしれませんね」

 カタリナは、第四階層へと向かったというのだ。どうやってあの霧の軍勢を突破することが出来たのか、それは分からなかったが、少なくとも、居場所が分かっただけでも十分だと言えた。後は、自らが第四階層に乗り込み、探しに行くだけだ。

 「そこへ僕を転送することは出来るかい?」

 「はい、座標が特定出来たため、転送自体は可能です」

 「それじゃあ、早速、頼むよ」

 アルベルトはそう頼んだものの、スタッフは、首を縦に振らなかった。

 「それは、あまりにも危険すぎます」

 「はあ? 何でだよ」

 スタッフは、理由を述べる。

 「第四階層では、現在、黒マナが全域で発生しています。向こうに行けば、転送装置を使って帰還することは、出来ないでしょう」

 「くそっ……」

 アルベルトは、悪態をつく。

 転送装置が使えない……それは、第四階層に行けば、二度とメイズシティに戻れない、ということを意味していた。唯一、帰還するための方法は、そのまま最深部に辿り着き、ダンジョンの要石『グリモワール』を手に入れるしかないのだ。

 それでも、僕は……

 アルベルトには、カタリナのことを放っておくことなんて出来なかったのだ。あの時、カタリナの話を聞いているうちに、彼女の助けになりたい、そんな思いが強まっていたのだ。だからこそ、アルベルトは、カタリナを追おうと決心したのだ。例え、二度と戻れなくなったとしても、彼女を救うことが出来るのであればそれでいい。それがアルベルトの本心であった。

 あいつを助けに行くんだ! そのためには、なんだってしてやるさ!

 覚悟は決まった。後は、カタリナを救出するための準備を整えなければ……しかし、第四階層は、全域で黒マナが発生している。ということは、何処に行っても、あの黒き騎士が現れるということだ。単身で乗り込んだところで犬死にするだけだろう、アルベルトは、そう考える。

 だったら、冒険者らしく、パーティーを募ればいいじゃないか。

 これまで一人旅がポリシーであったが、そんなくだらないプライドは捨て去るべきだ、と考えたアルベルトは、まずブリちゃんに声を掛ける。

 「僕は、あんたの主人を助けに行きたいと思っている。もちろん、あんたも一緒に来てくれるよね?」

 ブリちゃんは、もちろんだと言わんばかりにコクリと頷く。頼もしい味方が加わった。もっとも、一人と一匹だけでは戦力不足と言わざるを得ない。もっと戦力が必要だ。そう考えたアルベルトは、懐から一枚の紙切れを取り出す。それは、かつてメルセデスから受け取った名刺であり、そこにはテレストーンの番号が書かれている。

 「旅立つ前に、商談会に行かないとね」

 アルベルトは、早速、アーチボルト社に連絡を取ろうとした。


 カタリナは、女王アンネの後に続き、城下町を歩いていた。

 「あなたに見せたいものがあります。私に付いてきなさい」

 女王は、そう言ってカタリナを城の方へと連れて行こうとするが……

 この時のカタリナの胸中は、複雑なものであった。アンネと再会できたことを、素直に喜べなかったのだ。彼女は、カタリナにとって剣を捧げた主であり、実の母親であるにもかかわらずだ。

 ドーンバルドの崩壊を知ってから、女王は、既に亡き者であると覚悟していたが、こうして生き延びていたようである。本来ならそのことを喜ぶべきなのだろうが、どうしても腑に落ちないことがあったのだ。

 何故、女王は、奴らに生かされているのだろうか? それどころか、女王は、雄山羊の面を被り、黒き衣を纏うことで彼らの将となり、霧の軍勢を率いていたのだ。国を滅ぼした忌むべき侵略者、その将が国を治める女王だったなど、とても信じられるような話ではない。

 この者は、本当に、陛下なのだろうか?

 カタリナは、黙々と歩き続けるアンネを見てそんな疑問を抱く。そもそも、こうして再び顔を合わせ、お互いが無事であることを確認出来たにもかかわらず、アンネは、そのことを喜ぶ素振りも見せず、表情も険しいままだ。

 母上は、私との再会をあまり嬉しく思われていないのだろうか?

 アンネの冷たい歓迎に対して、カタリナは、そんなことを思ってしまう。そもそも、アンネは、昔からカタリナに対して厳しい態度しか見せず、娘が甘えることも許さなかった。それ故に、カタリナは、アンネが笑っている所を一度も見たことが無かったのだ。

 母上は、私を愛してなどいないのだろう。むしろ、深淵の呪印を持つ娘など、忌むべき厄介な者としか思っておられないのだろうな。

 カタリナは、そんな風に思ってしまう。

 城下町からドーンバルド城に向かう道中には、石を積み上げて造られた高台がある。二人がそこに設けられた階段を上っていると、アンネは、ようやく口を開き、こんな話を始める。

 「あなたに見せたいものは、この先にあります。ですが、その前に、あなたには、話しておくべきことがありますね」

 「……なんでしょうか?」

 カタリナは、少し投げやりな態度でそう返す。

 「あなたに見せたように、ドーンバルドは、ご覧の有様です。ですが、この国の全てが霧の軍勢に滅ぼされたわけではありません」

 全てが滅ぼされたわけではない? カタリナには、言っている意味が分からなかった。町は破壊し尽され、城も陥落し、民や兵ですら霧の軍勢に取り込まれてしまった。こんな状況になってしまったのに、一体、何が残されているというのだろうか?

 「それは、どういう意味でしょうか?」

 カタリナが尋ねると、アンネは、こんな話を始めた。

 「私は、霧の軍勢が攻めてくる前に、民を城の中へと避難させました。反乱軍を招き入れる危険性もあり得ましたが、それでも、一人でも多くの民の命を救うためには、そうするしか他に方法がありませんでした」

 「では、城が陥落したのは……」

 「はい、恐れていたことが起きたためです」

 つまり、城は、避難民の中に混ざっていた反乱軍の手によって陥落したのだ。もっとも、女王は、そのことを想定した上で、敢えて民を受け入れる判断を下したらしく、そのことについてこう話し始めた。

 「災厄が国を滅ぼすことは、既に私の予言の中にありました。ですので、城には、あらかじめ、ある場所へと繋がる転送装置を用意していたのです。私は、それを使って民を逃がそうとしたのです。その中には、あなたも含まれていました」

 「私も、ですか? では、ある場所というのは……」

 そこまで言われた時、カタリナは、ハッとする。

 「まさか……」

 カタリナは、自分が目覚めた場所のことを思い出す。それは、アルベルトと初めて出会ったあの場所のことだったのだ。

 「『封印の神殿』ですか?」

 カタリナがそう尋ねると、アンネは、その通りと頷く。

 「封印の神殿は、我々の世界とは異なる次元に位置する空間に造られたものなのです。今のあなたには『ダンジョン』と言えば、分かり易いでしょうか」

 民たちは、転送装置を使ってダンジョンに逃げ延びたそうだ。では、その後の彼らは、どうなったのだろうか? カタリナは、そのことが気になったので尋ねてみた。

 「では、彼らは、今、何処に?」

 「封印の神殿は、ダンジョンの第一階層、すなわち、あちら側に近い次元に存在します。つまり、多くの者たちは、あなたの良く知る世界で目覚め、今も命を繋いでいるはずです」

 カタリナは、ハッとする。それから、信じられないと言わんばかりに首を横に振るが、その表情は、何処か嬉しそうに見える。

 そう、逃げ延びた民たちは、メイズシティへと辿り着いたのだ。

 あの街に集まるのは、命知らずな冒険者たちばかりだったが、そんな彼らが亡国の遺跡群に挑むのは、時の移ろいと共に記憶は薄れようとも、親から子へと受け継がれてきた魂に刻まれた亡き故郷への思いからなのかもしれない、カタリナは、そんなことを考えた。それに、自分が旧市街に対して故郷に似た思いを寄せていたのも、あの街が、かつてのドーンバルドの民の手によって建てられたものだとしたら納得もいく、とも思った。そして、何よりも……

 ドーンバルドは、まだ滅びていない!

 その事実が、カタリナに一筋の希望を与えたのは、言うまでもない。

 ところが……

 「ドーンバルドの民は、未だに生きています。ですが、『我々』は、そのことを見逃すつもりはありません」

 「え?」

 カタリナは、女王の言葉に引っ掛かりを感じる。

 今、陛下は、我々、と言ったのか?

 聞き間違いだろうか? そう思ったりもしたが、階段を上った先に広がる光景を見て、そうではないことを思い知らされた。

 城の前の広場には、黒き鎧を纏う霧の軍勢が整列していたのだ!

 しかも、それだけではない。かつての魔道研究所で生み出された生物兵器、すなわち、魔装化したサイクロプスたちまで揃っていたのだ。

 カタリナは、絶句する。これが何のために召集された軍隊であるのか、そのことを考えるだけで恐ろしくもあったのだ。これは、何かの間違いだ。カタリナは、僅かな可能性にすがるように、アンネにこう尋ねる。

 「陛下、彼らは、国を取り戻すために召集されたのですよね?」

 しかし、アンネは、そんな儚い希望を踏み潰すように、淡々とした口調でこう答える。

 「いいえ。これより、残った民を皆殺しにするために、ここに集ったのです」

 女王は、メイズシティに侵攻し、逃げ延びた民諸共、町を破壊するつもりだ! そんな無慈悲な彼女が恐ろしく思えてきたのか、カタリナは、無意識のうちに一歩、また一歩と後ろに下がっていた。

 「そ、そんな、陛下……どうしてしまわれたのですか? あなたは、平和を愛する女王であったはず。なのに、民を皆殺しにするなど、そのようなことを考えるはずが……」

 カタリナは、何かの間違いだと自分に言い聞かせるようにそう口にするが……アンネは、そんなカタリナに対してハッキリとした口調でこう言ったのだ。

 「ドーンバルドの民は、我が子も同然。私は、今でも彼らのことを愛しています。ですが、彼らは、互いに奪い合い、殺し合う様になっただけでなく、あろうことか、母である私に反旗を翻したのです。母として、子の始末をつけるのは、当然のことではないでしょうか?」

 カタリナは、首を横に振りながらこう叫ぶ。

 「そんなの、どうかしている!」

 しかし、アンネは、そんなカタリナのことを憐れむような目で見ながら、こんなことを尋ねてきたのだ。

 「では、あなたは、我が国の民について、どう思われているのですか?」

 「それは……」

 その問いかけに対して、カタリナは、戸惑ってしまう。今まで国や民を守るために鍛錬を積んできたが……かつては、国を守る騎士として称賛されていたものの、呪われた姫君の噂が広まった途端、彼らは、手の平を返すように憎悪の感情を露にし始めた。

 そんな薄情な彼らのことを愛することなど出来ようか?

 「私は……」

 結局、カタリナは、何も言い返せなかった。そんなカタリナに対して、アンネは、こう語り掛ける。

 「あなたにとっての彼らは、疎ましい存在なのではないですか? それでも彼らを守ろうとしたのは、騎士としての責務、ただそれだけの理由だったのです。違いますか?」

 「違うっ! 私はっ! くっ……」

 その通りだった。決して認めたくなかったが、まさに女王の言う通りだったのだ。

 これまで己が戦ってきた理由は、国や民を愛していたからではない。あくまでも騎士だからという理由でしかなかったのだ。

 ところが、女王は、そんなカタリナを責めるつもりはなく、むしろ、優しい声で、こう語り掛けたのだ。

 「カタリナ、それでも私は、あなたを受け入れましょう。母は、あなたが戻って来てくれたことを嬉しく思います」

 「母上……」

 カタリナの内心は、複雑なものであった。母は、未熟者である自分を受け入れてくれると言っているが、素直に喜べなかったのだ。

 それでも、私は……

 「暁の騎士団、団長カタリナ・ナイトレイ。軍を率いるのは、あなたです。共に裏切り者たちを征伐いたしましょう」

 アンネは、暁の騎士団の団長であるカタリナに対して、霧の軍勢を率いてメイズシティに侵攻するよう命じているのだ。しかし、それが陛下の命であったとしても、到底、従えるはずがない。

 例え、民のことを思う気持ちが無かったとしても、騎士としての誇りを失ったつもりはなかった。騎士としての自分が、この命に従うべきではないと訴えているのだ。

 「できませんッ!」

 カタリナは、声を振り絞るように叫んだ。

 「陛下、お言葉ですが、我ら暁の騎士団の剣は、民を守るためにあります。守るべき民を手に掛けることなど、出来るはずもありません。それでも従えとおっしゃるのであれば……」

 カタリナは、剣を引き抜き、その切っ先を女王に向けるように構える。

 「私の命に逆らった挙句、剣先を向けるとは……すなわち、国家への反逆と見なしてよいのですか?」

 普段は冷静なアンネであったが、その言葉には、怒りの感情が滲み出ていた。しかし、カタリナは、剣を下ろすつもりはなかった。確かに、アンネは、氷の女王と呼ばれる程に冷徹な性格をしていたが、それは誰よりも平和と自国の民を愛していたからこそだったのだ。そんな彼女が逃げ延びた民を皆殺しにするため、侵略行為に及ぶなど考え難い。やはり、女王は、霧の軍勢に取り込まれたに違いない。その結論に至ったカタリナは、覚悟を決めた上で、命に背いたのである。

 「陛下、あなたに剣を向ける無礼をお許しください。ですが、あなたは、黒き霧に囚われています。ですから、この剣を持ってして、私があなたを解放して差し上げます」

 「愚かな」

 アンネがそう口にすると、その顔がおぞましい雄山羊の面に覆われていく。

 「反逆者には、相応の刑を与える必要がありますね……この者を始末なさい」

 女王の命と共に、二人の黒き騎士が姿を現わす。彼らは、剣をスルリと引き抜くと、カタリナに迫って来た。


 アルベルトは、これからメルセデスと交渉するために、ブリちゃんと一緒にターミナル前で待機していた。彼女に連絡したところ、すぐこっちに向かう、とのことだ。

 それから間もなくして、メルセデスがスピーダーに乗って姿を現す。

 「こんばんは、ローガンさん。こんな夜中に連絡を寄越してくるなんて、一体、何があったのかしら?」

 「迷惑だったかい?」

 「そうね。あなたは、一大ビジネスのチャンスだ、なんて言ったけど、つまらない話だったら、すぐに帰らせて貰うわよ」

 メルセデスは、やや不機嫌そうな態度でそう言った。業務時間外である深夜帯に呼び出されたのだから、そうなるのも無理はない。もっとも、アルベルトは、この話ならば、必ず食いついてくると確信していたのである。

 「失望させたりはしないよ」

 アルベルトは、そう前置きした上でこう続ける。

 「第四階層が見つかった、って言ったら、興味を持ってくれるかい?」

 しばらく間が開くが……

 「なんですって?」

 驚いたメルセデスは、信じられないと言わんばかりに首を横に振る。

 「一体、何処の誰が?」

 「どういった経緯か知らないけど、僕の相方がそこまで辿り着いたみたいなんだ」

 「あの子が? でも、第三階層には、あの軍隊がいたじゃない? あれをどう突破したって言うのよ。あなた、デタラメ言ってないでしょうね?」

 「信じられないんだったら、受付に聞いてみなよ」

 アルベルトがそう言うと、メルセデスは、考え事をするように顎に手を当てるが……やがてこう言ったのだ。

 「分かった。ひとまず、あなたの言っていることが正しいとして……まずは、あなたの望みを聞かせて貰えないかしら?」

 「僕もアイツの後を追って第四階層に向かうつもりだ。あいつ、一人でどうにかなる連中じゃないのは、分かっているからね」

 そう口にするアルベルトの表情は、怒りや不安と言った感情が入り混じっていた。

 「つまり、あの子を助けに行きたいのね?」

 アルベルトは、首を縦に振り、こう続ける。

 「でも、僕とコイツだけでは、どうにもならないだろうね。第四階層は、全域が黒マナで覆われているような危険な場所だそうだから」

 傍に居たブリちゃんもコクコクと頷く。

 「だから、あんた達の力を借りたいんだ」

 アルベルトがそう提案するものの、メルセデスは、すぐに首を縦に振ったりせず、腕を組んだままこんなことを言い出したのだ。

 「それで? あなたを助けた所で、私たちには、どんなメリットがあるのかしら? そもそも、あなたに手を貸す理由がないのだけれど?」

 確かに、メルセデスの言う通りだ。以前、彼女を助けたことがあるとは言え、その後に助けて貰っているため、二人の間に恩の貸し借りは、存在しないのである。そもそも、最初に協力することを拒んだのは、アルベルトの方だった。今更、手を貸してくれなどと言われても、それは、随分と虫のいい話である。もっとも、そんなことはアルベルトも分かっていたし、メルセデスが納得しないことも想定内であった。

 「僕は、あんたらと手を組みたい、とは言ってないよ?」

 「え? でも、さっき、力を借りたいって……」

 「あんたらを雇いたいんだ」

 メルセデスは、目を丸くしてキョトンとしていたが、やがてアルベルトの言っていることが理解出来たらしく、こんな話を始める。

 「そ、そういうことね。確かに、我が社は、冒険者向けの傭兵稼業もやっているわ。でも、行き先が第四階層ともなれば、それ相応の金額が必要なのだけれど、あなたにこの額が払えるのかしら?」

 そう言ってメルセデスは、万年筆と紙を取り出し、見積もりをアルベルトに見せる。桁が一つどころか、二つ以上間違っているんじゃないかと思える程の金額だ。少なくともアルベルトの全財産を費やしても払える額ではない。しかし、彼はこう言ったのだ。

 「今すぐには支払えないけど、当てはあるよ」

 「へえ?」

 「ダンジョンで得た秘宝なら問題ないだろう? 特にグリモワールなら、あんたの提示した金額でさえサービス価格みたいなもんだと思うな」

 「なるほど、秘宝を山分けしようってわけね。それで、私たちの取り分は、どれくらいになるのかしら?」

 メルセデスの問いに対して、アルベルトは、意外な答えを口にする。

 「全部、あんたらにくれてやるよ」

 一瞬、間が開く。

 「えええぇっ!? ぜ、全部って? ちょっ……うそ……」

 メルセデスは、驚きのあまりに大きく仰け反った後、信じられないと言わんばかりにあたふたし始める。

 「あなた、一体何を考えているのよ? いや、私たちとしては、それでいいんだけど……じゃなくて、だって、それじゃあ、あなたの取り分は、ゼロってことじゃない。本当にそれでいいの?」

 その問いに対して、アルベルトは、何の躊躇いもなく……

 「それでいい」

 と返した。それから、こう続ける。

 「これまで傍に居るのが当たり前だったから気が付かなかったけど……その当たり前が失われようとしている今、ようやく気付いたんだ。この世には、お金や名声なんかよりも、ずっと大切なものがある、ってね」

 それからメルセデスの目を見て、こう言ったのだ。

 「本当に何もいらないんだ。あいつさえ助けられるならね」

 これまで秘宝や名声に執着していたアルベルトであったが、今の彼にとっては、そんなもの何の価値もなかったのである。

 ただ、カタリナを助けたい。その思い一筋であったのだ。

 覚悟は、出来ている。そんなアルベルトの真っ直ぐで揺らぎない瞳を見て、メルセデスは、少し圧倒されているようであったが、やがて納得した様に頷いた後、口を開く。

 「そう、な、ならいいんだけど……」

 「それで、どうだい? 報酬は、やっぱり前払いじゃないとダメかい?」

 メルセデスは、一考した後、こう言った。

 「いえ、報酬は、それで請け負うわ。でも、リスクがあまりにも大き過ぎるわね。こちらとしても、社員を死地に送るような真似はしたくないし……せめて、あの子が言う様に、太陽の聖印を持つ者がいてくれればいいんだけど」

 メルセデスは、あくまでも慎重なようだ。前回の失敗がよほど堪えたらしい。そんな彼女を説得するために、アルベルトは、今まで隠していた事実を打ち明けることにした。

 「アーチボルトさん、その前に一つ聞いて欲しいことがあるんだけど……僕の相方のことなんだけど、実は、あいつ、元々この世界の人間じゃないんだ」

 「それってどういう意味かしら?」

 「ドーンバルド王国の姫君にして暁の騎士団の団長……それが、あいつの正体なんだ」

 「うそ? でも、言われてみれば、それも納得ね。あの子、どことなく気品があったし、お肌も綺麗だったし……」

 脱線した。そう言わんばかりに、メルセデスは、咳払いしてからこう話す。

 「暁の騎士団については、事前のリサーチで把握しているわ。団長が振るったとされる暁の聖剣のこともね。つまり、あの子が聖剣の担い手なのね?」

 「そうだよ。あいつは、太陽の聖印の持ち主じゃないけど、戦力としては、僕なんかよりずっと頼りになるはずだ」

 「なるほどね、もし伝説の騎士が味方してくれるという話であれば、とても心強いわ」

 「この賭け、乗ってみる気になったかい?」

 アルベルトは、改めてメルセデスに対して、力になってくれるように頼む。一方のメルセデスは、賭けに乗るべきかどうか、悩んでいるようだが……やがて、こんな話を始めたのだ。

 「実は、あの後、霧の軍勢のことを上層部にも話してみたのよ。第三階層では、大きな被害が出たわけだし、敵の強大さを考えれば、リスクも大き過ぎる。だから、手を引くように言われたんだけど……」

 「それで、諦めることにしたのかい?」

 メルセデスは、首を横に振り、やや憤りながらこう言った。

 「そんなわけないじゃない。むしろ、食いついてやったわ。ここで諦めたりしたら、何処かの冒険者に手柄を横取りされるってね。そしたら、パパ……じゃなくて、うちの社長がGOサインを出してくれたのよ。ならば、やってみろ。全力でサポートしてやるから。ってね」

 「つまり?」

 メルセデスは、口元を緩め、こう言った。

 「アーチボルト社は、あなたに力を貸すわ。それも、我が社が提供できる最大限の支援を約束してあげる。その代わり、グリモワールは、我が社が頂くわ。それでいいのね?」

 「うん、十分だ」

 メルセデスは、見返りとしてグリモワールを要求する代わりに、アルベルトの助けとなってくれることを約束してくれたのだ。

 「よし、交渉成立だね」

 上手く行ったことに対して、アルベルトは思わず口元を緩めるが……

 「それにしても……」

 メルセデスは、意地悪い笑みを浮かべてこう言った。

 「報酬を全部くれてやるなんて、それ程までにあの子のことが大切なのね、フフ」

 すると、アルベルトは、顔を真っ赤にしながらこう反論したのだ。

 「お、おい、勘違いしないでくれよ? 僕は、あいつのことなんて、なんとも思ってないんだからね。ただ、その……勝手にくたばられたら気分が悪いから。それだけだよ」

 「あら、そうなの? あなたって見かけによらず情熱的な人だって見直した所なのに。そういう人、嫌いじゃないんだけどなぁ?」

 「ああもう、うるさいなぁ! 手伝う気があるんなら、あんたは、さっさと社員を集めて準備しろよな!」

 「はいはい、フフフ」

 アルベルトが不機嫌になる一方、メルセデスは、そんな彼が微笑ましく思えたのか、ずっとクスクスと笑っていた。アルベルトは、交渉を上手くまとめることが出来たものの、最後の最後で手玉に取られてしまったのであった。


 一方、カタリナは、黒き騎士たちと剣を交えていた。しかし、その戦いは、一方的なものであり、伝説の騎士団長ですら劣勢に立たされていたのだ。

 剣の腕では、決して引けを取っていなかった。むしろ、カタリナの方が一枚上手である。しかし、この異様な騎士たち相手には、何故か一切の攻撃が通じないのである。しかも、剣の刃が鎧に触れた途端、その反動が腕に跳ね返ってくるのだ。攻撃を仕掛ければ、逆に自らがダメージを負ってしまう。カタリナは、騎士の剣を躱しつつ応戦するものの、防戦一方になりつつあったのだ。

 「聖剣の刃が一切通じぬとは、あの黒き鎧は、やはり……」

 カタリナは、右腕を押さえながら、顔を歪ませる。カタリナが剣を打ち込むたびに、痛みはより激しくなっていくが、それと当時に彼女の身にも異変が起きていたのだ。それは、右手の甲がうずき始めたのである。これは、まさか……

 深淵の呪印が共鳴しているのか?

 あの騎士たちは、黒き霧より生まれし者。ならば、恐らくは、黒マナの塊のような存在であるはずだ。だとしたら、マナを相殺する力はあっても、跳ね返す力などないはず。つまり、腕に激痛を感じるのは、この深淵の呪印が黒マナに反応しているからか?

 呪われた力が目覚めようとしているのか?

 カタリナは、その結論に至るが……一方、黒き騎士たちは、ズンズンと迫って来ては、容赦なく剣を振るったのだ。カタリナは、後ろにステップすることで躱すと、続けて右手の甲を押さえながら斬り掛かる! 痛みなど堪えてみせる! そんな気迫に溢れる一撃であったが、その刃が鎧に触れた途端、またしても右腕に激痛が走ったのだ。

 「うわあぁっ!」

 悲鳴を上げ、思わず剣を落としてしまった。カタリナは、その場で膝を着き、右腕を押さえ込むものの、その腕は、今にも破裂しそうな程に激しく脈を打っていたのだ。一方、黒き騎士たちは、確実にトドメを刺そうと、じりじりとにじり寄って来る。このままでは、殺されてしまう。しかし、腕が思う様に動かない……戦う術を失ったカタリナは、ただ敵をキッと睨み付けるだけだったが……

 「騎士団長、貴女の力は、その程度ではないはずですよ?」

 そんなカタリナに向かって、アンネが声を掛けてくる。

 「貴女は、己の力を恐れるあまり、自ら封印してしまっているのです。それでは、いつまで経っても聖剣の力を引き出すことは、叶わないでしょう」

 そう話し掛けてくるアンネの意図は分からなかったが……私が聖剣の力を引き出せなかったのは、この呪われた力を恐れていたが故だと言うのか? カタリナは、自らの右手の甲、それから暁の聖剣に目を向ける。

 「さあ、あなたの持つ真の力を見せなさい。かつて、サイクロプスの軍勢を葬り去ったあの力を!」

 わざわざ力を使うことを仕向けているようにしかみえないが……しかし、判断は、一刻の猶予も許されていなかった。地面に暗い影が映ったので上を見てみると……鋼の刃がその重量でカタリナを叩き潰そうと迫っていたのだ!

 もはや、迷っている場合などではない!

 カタリナは、振り下ろされた剣を転がって躱す。それから暁の聖剣に飛びつくと、すぐさまその柄を握る。すると、右腕から黒マナが噴き出し、聖剣の刃が赤く染まっていく。その右手の籠手には、黒き太陽の紋様が浮かび上がっているが……

 カタリナは、呪われた力を解放したのだ!

 この時、再び騎士の剣が襲い掛かる! カタリナは、キッと振り返ると同時に素早く剣を振るう。赤き光が閃いたかと思うと、次の瞬間、騎士の腕が剣を握ったまま宙を舞う。続けて体を捻りながら剣を横に振るが、その鋭い一撃は、騎士の首を容赦なく撥ねたのだ。そして、切断された腕と頭が地面に落ちた時、騎士は、砂山の如くサアッと崩れ、風に乗って消えてしまった。

 「まずは、一人……次は、そなたか?」

 カタリナは、黒き騎士に目を向けるが……次の瞬間、なんと、カタリナは、敵の懐に潜り込んでいたのだ。その動きは目で捉えきれない程のものであり、瞬きする間もなく、敵との距離を詰めたというのだ。

 「貫けッ!」

 騎士が動き出す前に、カタリナは、胴に向けて剣を突き出す。すると、その刃は、黒き鎧の前に弾かれることなく、まるで藁人形に釘を突き立てるように、容易く背中まで貫いてしまったのだ。黒き騎士はピタリと動きを止めるが、カタリナが足で押し返して剣を引き抜くと、弾けるように霧散してしまった。

 あれほど苦戦を強いられていた黒き騎士たちを、力を解放した途端、一瞬で片付けてしまった……これこそがカタリナの持つ真の力だったのだ。しかし、これは、真の力であると同時に呪われた力でもある。代償が付き物だったのだ。

 二人の騎士を片付けたカタリナは、聖剣を鞘に納めようとしたが……

 「え?」

 この時、右腕が全く動かせないことに気が付いたのだ。それどころか、自らの意思に反して勝手に動き出そうとしているのだ。まるで、自分の腕ではなくなったかのように……

 これは、陛下の仕業なのか!?

 カタリナが、アンネの方に目を向けてみると、彼女は、右手をこちらに向けていたのだ。その手の平には、魔力が渦巻いていたが……

 しまった! この魔法は!?

 魔術の達人であるアンネは、マナを意のままに操ることが出来る。それは、マナの力を利用する魔装ですら例外ではない! つまり、アンネは、カタリナの魔装を封じるどころか、それを介して操ろうとしているのだ。バルドルのような如何に強力な魔装といえども、アンネの前では、赤子を捻るかの如く、全くの無力なのだ。

 「見事です。それでこそ、聖剣の持ち主に相応しい騎士と言えるでしょう」

 手下が倒されたにもかかわらず、アンネは、カタリナを称えながら歩み寄ってくるが……そんな彼女の手の平の中に黒き闇が現れ始める。すると、カタリナの右手の甲が激しく痛み出したのだ。それは、抗えない程の痛みであり、カタリナは、悲鳴を上げながら悶え苦しむ。 

 「へ、陛下あぁッ! いったい、何をぉッ!」

 カタリナが問い掛けると、アンネはこう答える。

 「かつてのドーンバルドの女王は、我らが軍勢をダンジョンの最深層へと封じたのです。しかし、我々は、徐々に力を取り戻しつつ、現在、第一階層まで勢力を拡大しました。あとは、あちら側の世界への入り口、『大いなる門』を開くのみ。そのためには『鍵』が必要だったのです……」

 アンネは、カタリナの眼前に右手を向け、こう続ける。

 「そう、暁の聖剣こそが門を開く鍵。我らには、その真の力が必要なのです」

 「なっ……」

 カタリナは、絶句する。陛下が暁の聖剣を託されたのは、暁の騎士団を率いる長となり、この国を守れとの意思ではなかったというのか?

 「さあ、楽におなりなさい。そうすれば、かつてのあなたが望んだ、聖剣の真なる力を手にすることが出来るのですよ」

 アンネの言葉は、甘美な宵闇からの誘いのようである。カタリナは、アンネの手の平の中で渦巻く闇をじっと見つめていたが、次第に痛みが和らいでいき……

 ダメだ! 受け入れてはいけない! しっかりするんだ、カタリナ!

 カタリナは、否定するように首を横に振るう。

 あの時、陛下は仰っておられた。霧の軍勢の狙いは、暁の聖剣である、と。彼らは、聖剣の力を持ってして封印を破ろうとしているのだ。だが、もしそんなことを許せば、あちら側の世界に逃げ延びた民たちは、どうなるというのだ?

 カタリナは、声を振り絞り、こう叫ぶ!

 「貴様らなどに屈するものかッ!」

 しかし、次の瞬間、全身に耐えがたい激痛が襲い掛かり、カタリナは、その場で崩れるように膝を着いてしまったのだ。

 「あくまで抗いますか。ですが、いつまでも運命から逃げられるとお思いですか? 貴女の手に印されたその紋様は、世界に仇なす者の証。ならば、その運命を受け入れ、世界を解放してみせるのです」

 アンネが術の威力を高めると、痛みは、更に激しくなり、次第に意識が薄れていくが……

 くっ、ダメだ、体が言うことを……屈するわけにはいかないのに……奴らに取り込まれるわけには、いかないのに……しかし、どうすることも……

 無様、だな……

 あの時の私と同じだ。聖剣の真の力を引き出せなかった故、何も出来なかった、無力で愚かな、あの時の私と……

 チカラ、力さえあれば……あの時、私は、暁の聖剣の力を引き出し、この国を救うために戦うことが出来たはずなのに。そして、民を救うことが出来たというのに……

 だが、私が無力だったが故に、彼らは死に、国は滅びてしまった。全ては、私のせい、私が無力だったせいだ!

 あの時の私に、チカラさえあればッ!

 「カタリナ、もうよいのです」

 この時、頭の中で母親の声が聞こえてきたのだ。優しく、包容力のある声を耳にした時、カタリナの中から抗う意思が少しずつ失せていく。

 「楽におなりなさい。そして……」


 真の己を受け入れるのです。


 この時、カタリナの中で何かが大きく変わろうとしていた。

 カタリナの中に眠っていた力に対する渇望が目覚め始め、やがて、負の感情が大きくなっていき、彼女を支配しようとする。そして、カタリナが闇へと堕ちて行くにつれ、魔装にも変化が現れ始めたのだ。

 白いコートは、血塗られたように真っ赤に染まっていき、白金の鎧は、黒く塗り潰されていく。そんなカタリナが聖剣の柄を握ると、その神々しい刃は、光を失い、やがて、禍々しい黒き霧を纏い始める。

 今のカタリナは、かつての誇り高き騎士としての面影は何処にも無く、人類に仇なす敵であったのだ。

 「運命を受け入れた今、貴女は、『深淵の騎士』として目覚めたのです。さあ、己の使命に従い、我ら霧の軍勢を率い、この国の民を一人残らず駆逐するのです」

 アンネが命じると、カタリナは、剣を突き立て、膝を付く。

 「仰せのままに、陛下」

 そう口にするカタリナの瞳は、赤く虚ろなものであった。

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