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冒険者たちの英雄譚  作者: 桜の灯籠
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私のお気に入り

 『私のお気に入り』



 第三階層から帰還後、アルベルトは、数日の間、誰とも会わず、自室に籠っていた。

 床の上には、開いたままの書物が散乱しており、足の踏み場もない状態であった。そんな散らかり放題な部屋の中で、アルベルトは、実験用の燭台を前にして、表題の無い一冊の書物と睨めっこしていた。燭台には、黒き炎が灯っているが……

 「なるほどね。神器を触媒として使うんじゃなくて、自らの体を贄として捧げるわけか。いかにも『禁術』らしいじゃないかい」

 そんなことを呟きながら、アルベルトは、右手に書物を持ったまま、左手をおもむろに黒き炎の中へと突っ込む。すると、黒き炎が彼の左腕を喰らおうと延焼し始めたのだ。アルベルトは、苦痛で思わず顔を歪めるが……それでも彼は、手を引っ込めたりせず、遂には、黒き炎を何とか腕に纏わせたのだ。しばらくの間、その状態を維持し続けるが……

 「上手く制御出来ているな。よし、これなら行けそうだ」

 そう言って黒き炎から手を引き抜くが……この時、燻っていた黒き炎が再び燃え始め、今度は、アルベルトの全身を飲み込もうと激しく燃え上がったのだ。

 「いいッ!?」

 アルベルトは、書物を放り投げ、慌てて左腕を押さえ込むと、早口で魔法を唱えてこれを消火しようとした。ひとまず、それで騒動は収まったらしく、アルベルトは、ホッと胸を撫で下ろす。

 「やれやれ、最後まで気が抜けないな……」

 と言いつつも、口元を緩めてみせたのだ。

 ちなみに、彼は何をやっているのかというと、黒マナを制御する鍛錬を行っていたのだ。

 前回のダンジョン探索にて、黒き騎士に襲われた際、魔法を放とうとして暴発してしまったわけだが、その偶然の一撃が、騎士の鎧を体ごと貫いてしまった……その時は、何がなんだか分からなかったものの、後で考察してみた所、黒マナを取り込んでしまったことが原因ではないのか? との結論に至ったのである。

 アルベルトの推測は、こうだった。黒き騎士に魔法が効かなかった理由は、恐らく、あの者たちが黒マナそのもののような存在であったため……黒マナは、マナを相殺する性質を持っているからなのだ。では、逆に黒マナ同士がぶつかり合った場合は、どうなるのか? その答えがあの結果だったのだろう。アルベルトは、そう考えたのだ。

 この推測が正しいかどうかは、実戦で試してみる必要があるが……その前に、黒マナを使用する場合には、一つの問題があった。体への負担があまりにも大き過ぎるのである。少なくとも、連発出来るようなものではないし、ましてや……

 黒マナを使った魔装ともなれば、命にかかわってくるだろう。

 あまりにも危険すぎて、さすがのアルベルトですら、知識としては習得したものの、実戦にまでは踏み切れなかったのだ。これに関しては、よほどのことがない限り使うべきではない、封印するべきだ。そう結論付け、鍛錬を終えようとした。

 「さて、今日はこれくらいにして……」

 この時、アルベルトは、背伸びをしながら部屋中を見渡す。

 「うわ、こんなに散らかしてたのか……やれやれ……」

 鍛錬に夢中になっている間に、部屋が散らかし放題になっていることに気が付いたアルベルトは、うんざりとため息をつく。それから、整理整頓の魔法があればいいのに、なんてことを思いながら、しぶしぶ片付けようとしたが……

 コンコン

 玄関のドアノッカーを鳴らす音が聞こえてきた。

 「誰かな?」

 アルベルトは、訝しがりながら玄関へと向かい、ドアを開いてみる。訪れてきたのは、カタリナだった。今日は、ベージュのトレンチコートに黒いキャスケットという大人っぽい格好をしているが、相変わらず、手袋はしたままだ。

 珍しい客、という訳ではなかったが、ここ最近、カタリナとも会っていなかったので、アルベルトは、思わずこう尋ねてしまった。

 「どうしたんだい? 突然」

 すると、カタリナは、そわそわした様子でこう答えたのだ。

 「今日は、そなたに会いたいと思って、こうして訪ねたわけだが……迷惑だったかの?」

 そんなことを口にする彼女は、どこかしおらしく見えたのである。この前は、人様の家にズカズカと入り込んできたのに、今日はやけによそよそしいな……アルベルトは、そう思う。

 「上がって行くかい?」

 そう言ってアルベルトは、部屋の中を親指で指すが、彼女は、ふるふると首を横に振り、こんなことを言い出したのだ。

 「以前、シャーロット殿とダウンタウンに出かけた際、そなたとも一緒に歩いてみたいと思っておったのだ……付き合って貰えぬだろうか?」

 これは、デートのお誘いという奴だろうか? ふとそんなことを考える。確かに、いつもの調子であれば、向こうから誘ってくるケースもあり得なくはないわけだが……なにせ、あの後である。カタリナの胸の内は、それどころじゃないのでは? そう思わずにいられなかったのだ。

 「ダメかの? 無理にとは言わぬが……」

 アルベルトが返事を躊躇っていると、カタリナがそんなことを口にする。その表情は、何処か寂しそうではあったが……

 今、彼女を一人にしてはいけない。カタリナの寂しげな表情を見て、アルベルトは、そう思ったのだ。もし、ここで断ったりしたら、二度と会えなくなるんじゃないか、そんな気がしたのだ。

 それに、部屋に籠りっきりだった自分には、気分転換が必要だろうし、あの印のことを含めて、彼女と話をする良い機会かもしれない。そう考えたアルベルトは、その誘いを受けることにした。

 「いや、構わないよ。ちょっと待っててね、準備してくるから」

 そう言ってアルベルトは、一旦、部屋に戻り、外出の支度に取り掛かったが……ほどなくしてカタリナの前に姿を現す。

 「お待たせ。それじゃあ、行こうか」

 「うむ」

 アルベルトは、転送装置を使ってビークルを呼び出すと、助手席にカタリナを乗せて、メイズシティの中心地、ダウンタウンに向かって走らせた。

 「さて、どうしようかな……」

 ビークルを運転するアルベルトは、デートの計画について考え始めた。

 時刻は、既に昼間を過ぎているし、あちこち歩き回れるだけの余裕はないか。となると、一か所に絞った方がいいかな……そう言えば、王女様ってどういった娯楽を嗜むものなんだろうか? 気になったので、アルベルトは、尋ねてみる。

 「ねえ、姫さん」

 「うん?」

 「城に住んでいた時は、どういったことをして過ごしていたんだい?」

 「うむ。有事に備えて、剣術や馬術の鍛錬をしていたぞ」

 「あ、いや、趣味のことを聞いたつもりだったんだけど」

 「ふむ、嗜みか……そういうのは、あまりなかったな。暇があれば、剣を振るっておったからな。まあ、あるとしても、せいぜい寝る前に小説を読むことくらいだったよ」

 「そうなんだ? 真面目だったんだね」

 「私には、国を守るという使命があったからな。他のことにあまり現を抜かしては、おれなかったのだ」

 カタリナは、自らの使命を全うするために、ただ只管に鍛錬を行っていたようだが、想像しただけでとても窮屈で、何よりも辛そうだ、とアルベルトは思う。

 「こう言ったら失礼かもしれないけど……そんな面白くない人生、少なくとも、僕なら逃げ出していただろうね」

 アルベルトが思わずそう口にすると、カタリナは、フフッと笑みをこぼす。

 「そうだな。私も逃げ出したいと思うことは度々あったよ」

 さすがのカタリナもそう思うことはあったらしい。

 「町に飛び出して、普通の女の子として服を買ったり、芝居を観たり……そんな人生に興味が無かった、と言えば、嘘になるな」

 カタリナは、遠くを見るような目でそう語るが、そんな彼女に対して、アルベルトは、こう言った。

 「でも、今ならそんな望みも叶うんじゃないかな?」

 「え?」

 「行きたい所、言ってみなよ。僕が連れて行ってあげるよ」

 その言葉を聞いた時、カタリナの表情がパアッと明るくなる。

 「そ、そうだな、では……『映画』というものを観てみたいな」

 アルベルトは口元を緩めて「仰せのままに」と返した。

 「よ、良いのか?」

 アルベルトが「もちろん」と言って頷くと、さっきまで大人しかったカタリナは、興奮気味にこう話し始めたのだ。

 「シャーロット殿から教わったのだが、映画というものは、まるで現実に起きているかのような出来事が目の前の『すくりーん』とやらに映し出されるそうだな。何やら迫力とやらがあるらしいが、一体、どのようなものであろうな?」

 「そうか、姫さんの時代にはなかったんだね。それじゃあ、実際に観てみたら、きっと度肝を抜かすんじゃないかな?」

 「おおっ、それ程までに凄いものなのか。うむ、今から楽しみになってきたぞ」

 カタリナが映画に対して期待を膨らませているうちに、ビークルは、ダウンタウンへと辿り着いた。


 メイズシティの中心にそびえ立つギルドタワー、その足元には、多数の商業施設が並ぶダウンタウンと呼ばれる地区がある。この辺りに集まっているのは、主に冒険者たちであり、ダンジョン探索で手にした戦利品を金に換え、ここで飲食や買い物を楽しんだりするのだ。

 今日は、祝日というわけではなかったのだが、祭りでもやっているのかと思える程に人々が集まっていた。

 「すっ、凄い人の数ではないか。以前、訪れた時よりも、人が増えておるぞ」

 ダウンタウンに着くなり、カタリナは、驚いているようだった。

 ちなみにこの件については、恐らく、今話題のダンジョン、亡国の遺跡群への挑戦者が増えた影響なのだろう。今まで誰も攻略出来なかった第一階層が突破されて以降、探索に乗り出す冒険者の数が倍近くに増えたそうだ。

 「はぐれないようにしないとね」

 「フフン、そういうことならば、私によい案があるぞ」

 カタリナは、何か閃いたらしく、得意気に鼻を鳴らすと、アルベルトの傍に寄って来る。何をするつもりだろう? そう思っていると、いきなり、腕にしがみ付いてきたのだ。

 「え? ちょっと……」

 積極的な姫君の行為に対して戸惑うアルベルトだったが、一方のカタリナは、無邪気な笑みを浮かべつつ……

 「これならば、はぐれることもあるまい」

 と、言ってギューッと抱きしめてきた。

 「ま、まあ……確かに」

 少し照れ気味のアルベルトは、明後日の方を見ながら頭を掻くが、悪い気はしなかったらしく、無下に払ったりしなかった。

 二人は、そのまま人混みの中を歩き出し、映画館の中に入る。


 「参ったな、ここも大盛況みたいだね」

 アルベルトは、館内に溢れ返る観客の数を見て、そんなことを口にする。

 ここは、街中でも最も大きな規模を持つ映画館であり、話題沸騰の超大作でもなければ、当日でも余裕でチケットが手に入るのだが、この様子では、マイナーな作品でも席が取れるかどうか怪しい所だ。早めに買った方が良さそうだな。アルベルトは、そう考えた。

 「さて、何を観ようかな……」

 アルベルトは、受付の頭上にズラリと貼られたポスターに注目するが、そこには、本日、上映される映画の案内が載っている。

 「アル。あそこに書かれているのは、本日の演目かの?」

 「うん、そうだよ」

 「一度にこれだけの数の公演を行えるとは、映画とは凄いものなのだな」

 「選べる楽しさもあるわけだ。それで、気になるタイトルはあったかい?」

 「ふむ……一番右端にある『リベンジャーズ』とは、どのような内容なのだ?」

 「ああ、あれか。アクションシーン満載のヒーローものだな」

 「あくしょん? ひーろーもの?」

 「えっと、ヒーローというのは、剣士とか弓使いとか、それぞれが異なった特技を持つ、正義の味方たちの総称なんだ。で、そんな彼らがヴィラン、つまり、強大な力を持つ悪の魔術師と戦うんだよ。特にメインヒーローのマスター・ガイデンが、宿敵アクマルコをぶっ飛ばし、建物を突き抜けていくシーンなんて、迫力満点なんだよ」

 「むう、聞くからに野蛮そうではないか。他にはないのか?」

 「そういうの好きそうに見えたんだけど……じゃあ、『アウトロスト』なんてどうだい? 隠された謎を追い求めて、廃病院を探索するサイコスリラーものさ。院内では、黒魔術の犠牲者たちが襲ってくるんだけど、特に頭部が肥大化した女に追われるシーンなんて……」

 そこまで語ったところで、アルベルトの顔が青ざめていく。そもそも、彼は、この手のものが大の苦手だったのだ。

 「そなた、無理は、しなくてもよいのだぞ?」

 「……うん」

 何故、勧めようとしたのかはともかく、これも却下になった。

 「アルが勧める映画は、どれも暗い物語ばかりではないか。私は、心躍るような美しい物語を観たいのだ」

 「心躍る、ねぇ……」

 アルベルトは、姫さんがお気に召すような映画はないだろうかと、ポスターを端から端まで眺めるが……この時、『アイザック・ヴァンガード』というタイトルが目に留まる。

 これは、アイザックの最初の冒険を映画化した作品であり、派手さはないものの、彼の体験話を忠実に再現しているとして高い評価を受けており、ここメイズシティでは、もっとも人気の高い映画とされている。アルベルトは、この映画を十回以上は観ているものの、名作というものは、飽きが来ないものである。

 姫さんにも是非とも観て貰いたい。そう思ったアルベルトは、カタリナに勧めてみることにした。

 「それじゃあ、僕が一番好きな映画を姫さんにも是非……」

 そこまで言いかけた時、カタリナの姿が何処にも無いことに気が付く。

 「あれ? あいつ、何処に行ったんだ?」

 ついさっきまでそこに居たはずなのに何処かに行ってしまったようだ。アルベルトは、慌てて辺りを見渡してみると……息を切らせながらカタリナが戻って来たのだ。

 「あんた、何処に行ってたんだよ。はぐれたら困るだろう?」

 「すまぬ。気になるものを見つけてな」

 「気になるもの?」

 「うむ、これだ」

 カタリナは、その辺から持ってきた映画のフライヤーを両手で持ち、胸の前に出す。そこには、祭壇の上に眠る美しい姫君と、彼女に口づけをしようとする王子の姿が描かれていた。タイトルは『眠れる森の姫君』、若い男女の愛を描いた不屈の名作だ。

 「私は、これを見てみたいのだ」

 そう言ってカタリナは、キラキラと目を輝かせる。

 「うわ……」

 一方、アルベルトは、露骨に嫌そうな顔をする。この手の映画は、苦手だったのだ。何とか説得して他のものにしようと考えるが……

 「どうやら、この演目は、私が好きだった小説を元にしたものらしい。愛する姫君を救うために、危険を顧みず、悪しき魔女と戦う王子の雄姿……あの名場面は、映画とやらで、どのように演じられるのだろうな?」

 カタリナの中では、既にこの映画を観ることで決まってしまったようだ。こうなってしまっては、姫さんを説得するのは無理で、折れるしかないのだ。アルベルトは、一つ溜め息をついて、こう言った。

 「まあ、姫さんが観たいって言うなら、それでいいよ」

 「うむ、では決まりだな」

 それから二人は、チケットを購入し、劇場内へと入って行った。


 「何とか席は取れたものの……ここからだと、ちょっと遠いな」

 アルベルトがチケットを買おうとした時には、既に満席に近く、最前列か後ろの方の座席しか空いていなかったのだ。近すぎるよりはマシかと考え、後ろの座席を確保したものの、思った以上に離れていたようだ。

 「それにしても……」

 アルベルトは、劇場内を見渡してみる。観客は、若いカップルばかりであり、そのつもりで来たわけではないアルベルトにとっては、どうにも居辛かったのである。

 他の連中から見て僕たちってどう見えるんだろう? こうして男女二人並んでいるから、やっぱり、カップルだと思われているのかな?

 そもそも、姫さんは、僕のこと、本当はどう思っているんだろうか?

 アルベルトは、カタリナの方にチラッと目を向ける。彼女は、じっとフライヤーを眺めているようだが、これから始まる映画の内容に思いを巡らせているのだろう。

 出会った時からいきなりフィアンセ認定されたとは言え、さすがに、あれが本心というわけではないだろう。あんな突拍子の無いことを言ってきたのには、何か他に理由があったからに違いない。

 そう言えば、あの時……

 私をここから連れ出してはくれまいか?

 確か、そう言ったよね? あの時は、その言葉のまま捉えていたけど、もし、他に意味があったのだとしたら、それは……

 アルベルトがそんな考え事をしていると、劇場内が暗くなり始めた。

 「おお、いよいよ始まるのだな」

 カタリナがそわそわし始める。まあ、今は、映画を楽しむとしようか。そう考えたアルベルトは、考え事を止め、スクリーンに注目した。

 間もなくして、スクリーンに映像が写し出されるが……

 「お? おおお!? すくりーんとやらの中で人が動いておるではないか! なんと面妖な! 一体、どうなっておるのだ!?」

 映画が始まってからというもの、カタリナは、スクリーンに映し出される現実さながらの映像に対して興奮しっぱなしであり、周りに迷惑が掛かってるんじゃないかと思える程にうるさかった。もっとも、アルベルトにとっては、最早、見慣れた光景であり、それについてとやかく言うことはなかった。それどころか、無邪気にはしゃぐ彼女を観て、微笑ましく思っていたのである。

 「しかし、これは……」

 カタリナは、お気に召した様子であったが、一方のアルベルトは、退屈だと言わんばかりに欠伸を連発していた。いくら不屈の名作と呼ばれていようが、劇中に登場する姫君と王子の恋愛事情には、全く興味が持てなかったのである。もし、一人で来ていたら、途中で退席していたかもしれない、なんてことまで。

 そんなことを思っているうちに、物語は、クライマックスを迎えようとしていた。

 魔女に呪いを掛けられた姫君を救うべく、王子が助けに向かうシーンだ。

 これまでずっとはしゃぎっぱなしだったカタリナが急に大人しくなったので、彼女の方に目を向けてみると、両手を握り締め、今にも座席から立ち上がりそうなくらい、前屈みになっていたのである。どうやら、映画の世界にすっかりと入り込んでいるようだ。

 そんな彼女の様子を見て、少しだけ興味が湧いたらしく、アルベルトもスクリーンに注目する。

 魔女は、魔法を使うことで草木を烏に変えたり、雷を操ったりすることが出来る、あまりにも強大な存在だ。それに挑む王子は、剣と盾を携えている以外、生身の人間でしかない。しかし、彼は、王子である前に、勇敢な戦士であった。それに、彼は一人ではなかった。傍には、王子を助ける妖精がいたのだ。

 王子は、妖精の力を借りながら、魔女の持つ恐ろしい力に臆することなく、立ち向かっていき、とうとう魔女を崖っぷちまで追い詰めたのだ。

 魔女は、王子を迎え撃つべく、真の姿である黒き魔獣となり、口から炎を吐き出す。妖精たちは、王子に最後の望みを託し、剣と盾に魔法をかける。王子は、盾で炎を防ぎつつ前進し、近づいたところで剣を突き出し、魔獣の心臓を貫いたのだ。

 「やったぁ! って、あれ……」

 アルベルトは、思わず声を上げてしまったが、ふと我に返った途端、急に恥ずかしくなり、縮こまってしまった。なんだかんだ言いつつも、最後だけは、のめり込んでしまったのだ。

 それから、王子は、深い眠りに陥った姫君と再会する。妖精が言うには、姫君の呪いを解けるのは、真実の愛のみだそうだ。王子は、その証として姫君と口づけを交わそうとする……

 カタリナは、まるで夢でも見ているかのように、うっとりとした表情でエンディングのシーンを眺めている。そう言えば、初めて出会った時も、こんな顔してたっけな。ふとそんなことを思った。アルベルトにとっては、突拍子のない出来事だったかもしれないが、彼女にとっては、まさに憧れのシチュエーションであり、運命を感じざるを得なかったのだろう。

 上映が終わり、皆が席を立つ中、未だに椅子に座っていたカタリナは、物語の余韻に浸るように静かに目を閉じていた。

 「どうだった? ここに来てよかっただろう?」

 アルベルトがそう話し掛けると、カタリナは、目を開き、こう答えた。

 「うむ。まさに私が求めていた心躍る物語であった。これ程までに世界に引き込まれようとは、映画とは、まことに良きものなのだな。しかし、そなた……」

 カタリナが急に顔を近づけてきたので、アルベルトは、思わず身を引く。

 「欠伸ばかりしおって、随分と退屈そうにしておったな?」

 頬を膨らませるカタリナは、御立腹の様子である。

 「え? そ、そんなことないよ? ちゃんと見てたよ……最後の方は、ね」

 アルベルトは、苦し紛れの言い訳をするが……

 「ほお? 最後だけ、とな?」

 カタリナには、見抜かれていた。う、まずい、何とか誤魔化さないと……あ、そうだ。

 「あ、もうこんな時間!」

 アルベルトは、腕を見てわざとらしくそう言った。そもそも、腕に時計なんてしていなかったにもかかわらず……

 「そ、そろそろ夕食にしようか。姫さんもお腹空いたでしょ?」

 「ま、まあ……」

 「それじゃあ、決まりだね」

 そう言って席を立つと、その場から逃げるように出口へと向かう。

 「ハッ!? に、逃げるなぁ! アル!」

 カタリナは、慌ててアルベルトの後を追った。


 映画館の外に出てみると、空は、夕焼け色に染まり、時刻は、黄昏時を迎えていた。

 二人は、夕食を食べに行こうと店を探すが、ダウンタウンは、相変わらず人で溢れ返っており、この様子だと並ぶ必要性が出てきそうだ。

 「姫さん、残念なお知らせがあるんだけど……」

 「なんだ?」

 「見晴らしのいいレストランは、諦めた方が良さそうだ」

 「フフ、そんなことか。私は、何処でも構わぬぞ? そなたが勧める店ならな」

 「そうかい。それじゃあ、落ち着ける場所にしようか」

 アルベルトは、カタリナを連れて、人混みを避けるように、路地裏へと入って行く。華やかな表通りと違い、そこは、少しアングラな裏通りであったが、小さなパブがズラリと並んでいたのだ。ここにある店は、観光客向けでは無いものの、地元の人間のみが知る、所謂、通の店が多いのだ。

 アルベルトは、そのうちの一軒を訪れる。そこは、古い店のようだったが、小洒落た内装が好印象だ。ちなみに、黒ビールとソーセージがオススメらしい。

 席に着いた二人は、注文を済ませると、映画の内容についてあれこれ話をして盛り上がっていた。それから間もなくして、料理とお酒がテーブルの上に置かれる。

 「まずは、乾杯だね」

 「うむ」

 二人は、黒ビールの注がれたグラスを手に取り、乾杯した。カタリナは、早速、黒ビールを口にするが……

 「ほお、深みのある風味だな。これは、肉料理と合いそうだな」

 そう言ってカタリナは、ソーセージをナイフで切ると、口の中に入れる。そして、十分に味わった後、こんな感想を口にした。

 「うーん、ジューシーな味わい、おいしーっ!」

 子供みたいな満面の笑みを浮かべる。どうやら酒にも料理にも満足のようだ。ここに連れてきて正解だったな。アルベルトは、思わず口元を緩める。

 もっとも、カタリナをこの店に連れて来たのは、食事を楽しむためだけではなかった。彼女からどうしても聞いておかなければならないことがあったのだ。アルベルトは、ビールを一口だけ飲むと、こう切り出す。

 「姫さん、その……実は、あんたに謝らなければならないことがあるんだ」

 一体、何のことだろう? そう言わんばかりに、カタリナは、キョトンとしていた。

 「急にどうしたのだ?」

 アルベルトは、カタリナの右手の甲に目を向ける。彼女は、今日も手袋をしているが……

 「姫さんがいつも手袋をはめているのは、『あざ』を隠すためなんだろう?」

 「え?」

 カタリナの表情が強張る。

 「この前、あんたが寝ている隙を見て、その手袋を外してみたんだ。ちょっとした好奇心だったんだ。ただ、その……勝手に見てしまって、ごめん」

 秘密を知られてしまった。そのことに対して、カタリナは、不愉快そうだった。

 「当人に黙って詮索するとは、あまり感心せんな」

 そう言ってカタリナは、腕を組んで、冷ややかな目をアルベルトに向ける。

 「本当にごめん」

 本気で怒っていることを知ったアルベルトは、もう一度謝りつつ深々と頭を下げる。カタリナは、そんな彼を見下すように見ていたが……やがて一つ息を吐き、表情を緩めたのだ。

 「まあよい。そなたと共にあれば、遅かれ早かれ、このあざの存在を知ることとなっただろうしな」

 カタリナは、それで許してくれたらしく、それ以上は、追及しなかった。その代わり、こんなことを尋ねてきたのだ。

 「それで、そなた、この印の意味は、知っておるのか?」

 「調べてみたけど、その印については、不吉な言い伝えがあるってこと以外、何も分からなかった」

 不吉な言い伝えとは、アイザックの自伝に書かれていたもので、内容は『黒き太陽の印を持つ者は、闇に飲まれる運命にある』というものである。

 「ねえ、姫さん。その印が持つ意味について、何か知っているんなら、僕に教えてくれないかい?」

 もっとも、カタリナは、話す気は無いらしく、こう返す。

 「すまぬが、そなたに話すわけには……この件については、そなたは、深入りするべきではないのだ」

 しかし、アルベルトは、諦めなかった。

 「どうしても話したくないなら、それでもいいんだ。でも、もしかしたら、力になれるかもしれないだろう?」

 「そなた……」

 カタリナは、話すべきかどうか迷っているようだったが、やがて観念したように、こんな話を始めたのだ。

 「私の右手の甲に浮かぶこのあざは、『深淵の呪印』と呼ばれるものらしい。生まれた時にはなかったものだが、6つの頃に、突然、我が身に現れてな」

 そう話すと、カタリナは、周りの目を気にしつつ、右手の手袋を外す。手の甲には、太陽に似た模様が刻まれていたが、以前見た通り、禍々しいまでにドス黒かったのだ。

 「太陽の聖印を持つ者が、世界の闇を打ち払う英雄の証であるとするなら、深淵の呪印を持つ者は、やがて世界を闇に飲み込む災厄を呼び覚ます者の証、だそうだ。つまり、この印が我が身に現れたということは、すなわち、ドーンバルドの……いや、世界の滅亡が近づいていることを意味するのだ」

 「それで、手袋なんかして隠していたんだね」

 カタリナは、頷く。

 「知っているのは、王族の者と、信頼のおける家臣や従者のみだったが、もし、他の誰かに知られてしまえば、国に大きな混乱をもたらすことになる。だから、私は、この呪印の存在を誰にも知られないようにせねばならなかったのだ」

 「そうだったのか……」

 誰にでも秘密はあるものだ。しかし、彼女の場合、あまりにも重すぎる。深淵の呪印、それは、世界を滅ぼす災厄を呼び覚ます者の証……そんな自らの運命を知って尚、生き続けることは、一体どれ程、辛いことなのだろうか? 救いは、無いのだろうか?

 もしこの世に神がいるとしたなら、何故、このような残酷な運命を彼女に?

 この時、アルベルトの中には、今まで感じたことのない感情が溢れ出てきたのだ。その気持ちの正体については、この時の彼自身、よく分かっていなかったわけだが。

 「話は、これくらいでよいかの?」

 そう言って、カタリナは、深淵の呪印を隠すために、手袋をはめなおそうとするが……

 「その手袋、もうつける必要は無いよね?」

 アルベルトは、そう言って止めた。

 「この町には、その印が持つ意味を知る者は、誰もないんだ。むしろ、ギルドの記章にしか見えないから、誰も気にもしないと思うけどね」

 そう言われてカタリナは、少し戸惑っていたが……

 「それに、ここは、命知らずな冒険者共が集まる街だからね。不吉な予言なんて誰も恐れたりしないさ。だから、もう隠す必要は無いんだよ」

 アルベルトにそう説得されるが……カタリナは、やがて口元を緩め、こう言ったのだ。

 「そ、そうだな。それならば、外しておいてもよいのかもな……実は、前々から不格好だから外したいとは思っていたのだ」

 カタリナは、左手の手袋も外す。その手は、ほっそりとしていて、透き通るように美しかった。

 「しかし、折角のおいしい酒と料理を前にして、つまらぬ話に付き合わせてしまって、すまなかったな」

 「いや、僕の方から始めたことだし……」

 そう言ってお互いに黙ったままであったが……

 「もう一杯いっとく? 仕切り直しと行こうよ」

 アルベルトがそう切り出すと、カタリナは、笑顔を浮かべてこう返す。

 「うむ、そうしようか。今日は、飲みたい気分なのだ」

 この時、アルベルトは、この前の惨事を思い出す。

 「えっと、程々にね……ははは」

 そう言って苦笑いした。

 それから二人は、ビールを更に一杯ずつ注文し、今後のダンジョン探索の成功を祈って、乾杯をした。


 二人が店を出た時には、既に夜の帳が下り、辺りは、すっかりと暗くなっていた。そろそろ帰るとしようか、そう考えたアルベルトは、ビークルを呼ぼうとしたが……

 おっと、お酒を飲んだ後だったな……

 これでは、カタリナをセーブポイントまで送ることが出来ない。アルベルトは、自らの迂闊さを責め始めるが……とりあえず、ちゃんと話をしておくべきだろう。そう考えた。

 「姫さん、すまないけど、帰りは、歩くことになりそうだ。飲酒運転は、厳禁されているんでね」

 「そうなのか? そう言えば、我が国でも落馬などの事故が絶えなかった故、酒を飲んだ後の乗馬は固く禁じられておったな」

 「へえ、何処も一緒なんだね」

 「ところで、前々から思っておったが、転送装置とやらを移動に使うことは、出来ぬものなのだろうか?」

 「ああ、そのことか。それは皆が考えたことだけど……転送後に壁にめり込んだり、上半身だけ転送に失敗したりとかトラブルが絶えなくてね、結局、人体の転送は、禁止されることになったんだよ」

 「そうか、便利そうではあったのだが……まあ、徒歩でも構わぬぞ。少しでも、そなたと一緒にいられるのならな」

 「気が利かなくてごめんね。とりあえず、マスターの店まで送るよ」

 二人は、止むを得なく徒歩で帰宅することとなった。

 メイズシティの外周を取り巻く道路……そこは、以前、カタリナをビークルに乗せて通った道である。旧市街へは、ビークルの速度ならあっという間だが、徒歩だと一時間は、軽く超えるだろう。二人は、横に並んで、そんな遠い道のりを歩いていた。

 道中、カタリナは、こんなことを言い出す。

 「私にも、そなたに謝らなくてはならないことがあるな」

 「どうしたんだい? 急に」

 「私たちが初めて出会った時のことだが……そなたのことをフィアンセにしてやるなどと言われて、正直な所、迷惑だったであろう?」

 「いや、そんなことは……まあ、驚いたのは、確かだけど……」

 アルベルトが言い淀んでいると、カタリナは、こう言ったのだ。

 「気を遣わなくてもよいのだぞ。そなたに気がないことは、知っておるのだからな」

 「僕は……」

 確かに、カタリナのフィアンセになるつもりなんて無かったとは言え、いざ、ハッキリ言われると、その通りだとは、言えなかったのである。

 なんだろう? この気持ちは……

 アルベルトの中に、何とも言えない感情が芽生え始めるが……自分の中に生まれた感情に戸惑っていると、カタリナがこんなことを言い出す。

 「私は、お伽話に夢見がちだったのかもしれんな。あの時の私は、そなたが此処から連れ去ってくれるものだと思って、舞い上がっておったのだろう」

 そう語るカタリナの声は、何処か弱々しかった。

 一人の女の子として町を歩くことも出来ず、騎士としての鍛錬を繰り返す毎日。災厄を呼び覚ます者としての烙印を押された、自らの呪われた運命……伝説の騎士と称されても、彼女も一人の女の子なんだ。そこから逃げ出したいと思うのも無理はないのではないか、アルベルトは、そう思う。そんな彼女には、自分の国にすら居場所が無いようなものだったのかもしれない。だからこそ、城を脱走して暗黒の森を訪れたり、小説の世界に憧れを抱いたりしていたのだろう。

 「このような話をした所で、そなたを困らせるだけか。すまぬ、忘れてくれ」

 カタリナは、そう言ったものの……放っておけなかったのだ。アルベルトは、少しだけ上を向いてこう言った。

 「らしくないね」

 「え?」

 「僕の知る姫さんは、そうやって人に気を遣ったりしないんだけどな」

 「なっ!?」

 カタリナは、顔を真っ赤にし……

 「そ、そんなことはないぞ。それでは、まるで私が我儘な王女だと言っているようなものではないか」

 と、猛抗議するものの、アルベルトは、別にカタリナをからかったわけではなかった。

 「我儘でいいんじゃないかな? 少なくとも、僕は、そういうあんたを気に入りかけてたんだけどな」

 「アル……」

 カタリナは、大人しくなった。

 「ねえ、姫さん。この街では、あんたの好きにしていいんだよ? ここには、あんたを縛るものは、何もないんだ。何だって出来るんだ。買い物したければ行けばいいし、おいしいご飯を食べたければ、食べに行けばいい。スリルと名声が欲しければ、ダンジョンに挑んだっていいんだ」

 アルベルトは、メイズシティを背にして、こう続けた。

 「この町は、もうあんたの居場所なんだ。違うかい?」

 「私の……居場所……」

 そう独り言のように呟くカタリナの目に涙が浮かぶが……そのことに気が付いた彼女は、涙を隠すように拭い去ると、満面の笑顔でこう答えたのだ。

 「そ、そうだな。この街には、そなたの他に、シャーロット殿やジェームズ殿もいるのだしな。この街は、私にとっての居場所……いつか帰る場所なのだろうな」

 そう言ってカタリナは、街の方に目を向ける。街は、街灯や建物から放たれる光によって照らされており、夜の暗闇の中であってもその姿がハッキリと見える程である。仄かな光に包まれた街は、彼女にとって憧れの地、あるいは、理想の世界に見えたのかもしれない。

 「アル、ありがとう。そなたのおかげで、少し気が楽になった。これからは、遠慮することなく、好きなように振る舞うとしよう」

 「うん、その意気だよ。それから、僕に出来ることがあれば、何でも言ってくれよ」

 「ほお? では、そなたに負ぶって貰おうかの? 先程から足が痛くてかなわんのだ」

 「い、いや、それはさすがに遠慮して欲しい、かな……僕も足が痛いんだ」

 そう言って二人は、お互いの顔を見合わせ、笑いあった。


 あれこれと話をしているうちに、二人は、旧市街へと辿り着いていた。アルベルトは、カタリナをセーブポイントまで見送るつもりだったが、彼女は、こんなことを言い出したのだ。

 「アル、見送りは、ここまででよいぞ」

 「いいのかい?」

 「少し、飲み過ぎたようでな……風に当たってから帰ろうと思う」

 「ああ、なるほど。それじゃあ、ここでお別れだね」

 「うむ。それから、アル……」

 カタリナは、少し俯き気味になり、何か言いたそうにしてたが……やがて顔を上げ、笑顔でこう言ったのだ。

 「今日は、ありがとう。楽しかったよ」

 「うん、僕もだよ。またいつでも誘ってね」

 それからアルベルトは、「じゃあね」と言って自宅へと帰って行った。カタリナは、彼の後姿をずっと見ていたが……見えなくなった所で、その表情が急に真剣なものになる。

 「さて……」

 カタリナは、先程からずっと誰かの視線を感じていたのだ。しかも、その者は、明らかに自分を狙っている。だからこそ、アルベルトには、先に帰って貰ったのだ。

 私に付き纏って覗き見をする、下衆な者の正体を確かめねばな。

 カタリナは、バッと振り返り……

 「そこに居るのは、誰だ? 姿を現せ!」

 そう叫ぶように呼び掛けた。周りには、誰も居ないように見えるが……その時、辺りに薄っすらとした霧が漂い始め、その中に人影が浮かび上がったのだ。カタリナは、その者の正体を見定めようと敵意の眼差しで睨むが……

 「なっ、お前は……」

 カタリナは、その正体に驚くと同時に、信じられないと言わんばかりに首を横に振る。その者は、ここに居るはずのない者……居てはならない存在……雄山羊の骨を被った、黒き衣を纏う魔術師……

 霧の軍勢を率いていた、あの死神だったのだ。

 奴らは、徐々にその勢力を拡大していき、遂には、ダンジョンの外にまで力が及ぶようになったというのだろうか? いずれにせよ、このままでは、この街に危険が及んでしまう。この場で排除しなければ。そう考えたカタリナは、魔装召喚しようとするが……

 そうか、この街のマナは、ダンジョンに比べて薄いのだったな。

 この街では、十分なマナが確保出来ないため、魔装出来ないことを思い出す。ならば、それは、相手にも同じことが言えるのでは? 冷静になったカタリナは、そう分析する。例えあの死神が如何に強大な力を持っていようとも、マナが無ければその力を十分に発揮できないはずだ。それは、相手も分かっているはずだが……

 では、奴の目的は、なんだ?

 「お前は、何故、私の前に現れた?」

 カタリナがそう問い掛けるものの、死神は、何も答えない。それどころか、その場で踵を返し、背中を向けたのである。

 「貴様、逃げるつもりか?」

 死神は、何も答えない。一体、何のつもりだ? カタリナがそう問い掛けようとした時、死神の前に黒いモヤが現れ、やがてそれは、大きく渦巻き始め、異界への入り口、ポータルとなったのだ。

 雄山羊の面から覗く赤い目が一瞬だけカタリナの方を向くが、死神は、再びポータルと向き合い、その中へと入って行く。

 「付いて来い、そういう意味か?」

 行き先は分からない。それに、どう見ても罠にしか見えない上、弱みを握られているわけでもないため、従う理由もないはずだ。しかし……

 奴は、因縁の敵なのだ!

 カタリナは、手の甲に浮かぶ深淵の呪印を見る。禍々しい程までに黒く染まったその印は、逃れることの出来ない呪われた運命の証でもある。

 カタリナは、手を下ろすと、ゆっくりと目を閉じる。

 女王陛下より暁の聖剣を与えられた私は、一国の姫としてではなく、国を護る騎士として育てられてきた。その任から目を背けることなど許されるはずがない。日々の鍛錬は、いずれ我が国を滅ぼすとされる災厄に備えてのもの。そう信じて生きてきた……ならば、今こそ、自らの宿命に立ち向かい、決着を付ける時なのではないか?

 カタリナは、眼を見開き、死神が消えたポータルに目を向ける。黒く渦巻く闇は、底の見えない深淵そのもののように見えるが……奴は、あの奥底で待っているのだろう。ならば行くしかあるまい。

 覚悟を決めたカタリナは、ポータルへと向かって歩き出す。そして、その中に足を踏み入れようとするが……その前に、街の方を振り返る。その表情は、何処か寂しげに見えた。

 アル……そなたは、ここが私の居場所だと言ってくれたな。しかし、どうやらお別れの時がやって来たようだ。今日、そなたに会ったのも、これが最後かもしれないと思ったから……私は、戻らねばならん。全ての決着を付けるために。

 「さようなら……私の愛した者たちよ」

 そう言い残すと、カタリナは、闇の中へと消えていった。


 旧市街に突如現れたポータルの中に消えていったカタリナ……その場には、その様子を始終見守っていた者がいたのだ。

 それは、自らもカタリナの後を追おうとしたが、その前にポータルが消えてしまい、地面に顎をぶつけてしまう。それから、オロオロと辺りを見渡すが、このことを一早く誰かに知らせるべきだと判断したらしく、その場から走り去って行ったのだった。

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