カウンター席の二人
雑居ビルの中、オフィス街を少し離れたところに、揚げ物の匂いとお酒の匂いが入り交じる飲み屋街。
その中にあるお洒落な店内で、綺麗に結い上げられた髪の華やかなドレス姿に身を包んだ女性はこう言った。
「とりあえず、生2つで!」
夜景が良く見える二人しか座れない小さなカウンター席に座っている女性がそう言うと、白いワイシャツにソムリエエプロンを着けた女性店員がニコリと微笑み、「以上でよろしいでしょうか?」と確認した後、ドレスの女性もニコリと微笑み頷いた。そして、女性店員は、その場を去っていく。
店員が視界から消えると、女性は、出されたお手拭きに手を拭っていた。
それを隣で、一言も発せずに居たスーツを着た男性が、その涼しげな目を細め、大きく溜め息をついてから、隣に座る女性に言ったのだ。
「少しは、意見を聞くという配慮を見せてほしかったな」
彼女の隣に座っている男性が、そう言うと、茶色がかった彼女の顔の横に沿うように流れていた前髪がふわりと動いて、男の方を見て答えたのだった。
「だめだった??」
「駄目じゃないけど、そういうのは、確認しない? 何飲む? って」
「今更じゃない? 今更、私達にその会話をする必要、無いでしょ? だから、その会話をする時間を節約してあげたのよ。」
そう、ドレスの女性は、軽快な声で言うと、茶色の瞳をした大きな目を楽しそうに細めて笑い、手を拭っていた、ハンドタオルを丁寧に畳んだ後、平たい器の上に置いた。そして、眼前に広がる夜景に目を移したのだ。
「……これだから、会話を楽しむという事を知らない女は……」
「今、なんて言ったのかな?」
夜景を見ていた女性は、ゆっくりと男性の方へ顔をやりながら、そう引き攣った笑みで尋ねると、面白くなさそうに眉をひそめた男性は、
「これだから、男の居ない喪女は、と言ったんだよ。朱里ちゃん」と答えたのだった。
「違うでしょ! 今、明らかに悪意がこもった言葉に変換したわよね!?」
「じゃあ、聞き返さないでくれよ。節約した時間のおかげで、朱里ちゃんは、必要のない悪意を受け取る事になったね?」
男性が、楽しそうにその涼しげな目を三日月形に細めてからかった。
すると、朱里ちゃんと呼ばれる割には、子供らしさを全く感じない美貌の女性は、口を尖らせて、再び身体を目の前のカウンターに向け、返答した。
「……隆弘だって、似たようなものじゃないの」
隆弘と呼ばれた男は、朱里の怒りを気にした様子もなく、
「俺は優雅な独身貴族なんですー。ガツガツしなくても、女が寄ってくるのっ」そう答えると、口を尖らせた朱里は、組んだ腕を解き、面白くなさそうに頬杖をつき、
「そう言えるのも、あとせいぜい5年がいいところよ」と、答えた。
「あと5年もあれば、何だってできるから。ご心配には及びません」
「少壮気鋭の若様は言う事が違いますねっ。心配して言ったわけじゃ有りませんから、勘違いしないでね。」
隆弘は、カウンターに腕を乗せ身体を前のめりにすると、「朱里ちゃん?少しは、僕に優しくしておいた方が良いと思うよ?」と、ニヤニヤと何か企んでいるような顔をして、そう言うのだ。
隆弘が、言葉を発すると、先程注文したビールがやってくる。それを手にとり、二人は乾杯をし、朱里は、改めて、隆弘に尋ねたのである。
「それで――何で、隆弘に優しくしなくちゃいけないのよ?」
「何でだと思う??」
「わからないから、聞いているの」
「ふーん。本当に分からない?」
「だから、何をよ!?」
答えを答えようと全くしない隆弘に朱里は、ガバリと身体を隆弘の方に向けて、勢いよく尋ねた。
「そろそろ俺たち結婚しない?」
「何でよ?!」
勢いそのままに隆弘が軽快に言うと、勢いを崩さない朱里は、そう返答した。
それを、笑顔で楽しそうな顔をしている隆弘は、「何で? 理由いる?」と、表情を変えずに答えたのだ。
一体、誰が、この突然の求婚を知る事が出来たのだろう。
少なくとも、隆弘の隣に居る朱里に、その事を予想するのは、無理だったみたいだ。
「いるに決まってるでしょ!! そもそも、私達、付き合ってすら居ないからね? からかうのもいい加減にして!!」
朱里が、隆弘の言葉に、怒りを顕にそう返した。
「からかって居ないよ。本気だから」
「どこが、本気だっていうのよ!」
「結婚を申し込むあたりが」
一拍の間も置かずに隆弘がそう答えると、呆れた顔をして、朱里が、
「隆弘とは高校の時からの付き合いだけど、その冗談、全然、笑えないわ」と言って、溜め息をついてた。
そして、目の前のビールを再びゴクリとのむと、隣に座っていた隆弘が、朱里の椅子の背もたれに手をのせて、距離を詰めて言うのだ。
「冗談じゃない。本気だって」
「いい? 付き合っても居ない間柄の人間に、冗談じゃなく、突然求婚する人が、どこに存在するっていうのよ」
朱里は、隆弘の言葉をまるで相手にせず、そう答えると、真剣な眼差しを向けた隆弘が、「ここに居るでしょ」と言うのだ。
流石に朱里も隆弘のこの真剣な表情には、態度を変えざる得なかった。
眉を寄せて訝しげに隆弘を見ると、「……何考えてるの?」と、尋ねるのだった。
朱里の瞳が、隆弘の顔を疑わしげに見ていると、苦笑を零した隆弘が、身体を椅子に深く腰掛け直し、目の前グラスの縁に指を被るように添えて言うのだった。
「何も。ただ、もう、このまま友達でいたくないなーって思ったの。それだけ」
「……今日の結婚式見て、影響されたの? 若様ともあろう人が?」
「その、若様っていうの止めてよ。好きじゃない。影響もされてない」
隆弘が、少し不機嫌にそう答えて、ビールを飲むと、朱里は、改めて、隆弘の方を向いて尋ねたのだった。
「じゃあ、なんで突然? 隆弘この前、ずっと好きだった人に告白するって――」
「そう、だからしてるの。告白」
「は??! それ、私だったの?」
朱里の驚く姿がなんとも言えない。予告されていた隆弘の言葉に、朱里は自身の事だと思っていなかった。しかし、もし、朱里が、それを自分への言葉と分かっていたら、そもそも彼らは、こうして、会話をしていなかっただろうが。
「他に誰がいるの?」
「だって、今まで、そんな事一言も――、それに、昔から、彼女が沢山居たじゃない!!」
「確かに、彼女は沢山いたね」
隆弘は、悪気なくそう答えと再びビールをゴクリと飲んだ。
「そ、そう!! 私には贈り物の一つだって用意してくれない、恩知らずのくせに、その彼女のクリスマスに贈るプレゼント選びにつきあわされた事もあったわよ!?」
朱里が思い出したかのように、隆弘にそう抗議すると、隆弘は、優しく微笑んで答えるのだ。
「朱里には、昔から、贈り物は一つって決めてたからね」
「な、何??」
「結婚」
「ば、ば、馬鹿じゃないの?」
「確かに、馬鹿かもね。もっと早く言えば良かった」
隆弘は、苦笑して、グラスに残ったビールを一気に飲み込む。
決めていた、といっても、隆弘にも思う所はあるようである。
「なんで、そうなるの?」
「――それで、返事は??」
そう言って、朱里の目の前の隆弘は、自信満々の笑顔を向けたのだった。
「男が、本当に女に贈りものをしたいと思ったら、結婚するものだ」@ココシャネル
という言葉を教えて頂いた時に思いついた、短い話です。
完結済の番外編考えていた時にふと閃いて、思わず書いてしまいました。
隆弘は不誠実極まりないですが、彼にも色々思うところがあるのだと、思います。
ごま豆腐