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異世界自転車宅急便  作者: 灰の字
第一章「自転車ではしろう」
9/16

9.まっすぐいってぶっとばす

「なんつーか、先輩は必死さが足りないんすよ」


 高校に通っていた頃のことを思い出す。自転車競技部の練習が終わり、部室で帰り支度をしていた時だ。自転車競技部なんてのを置いている学校はそう多くない。なので周辺の自転車競技者が一校に集まるのも珍しくないが、俺の地元では他にもっと偏差値が高く設備も整った強豪校があったため、そちらに人気が集まりうちの部員の数は少なかった。

 野球なんかに比べたら競技人口自体が少ないので仕方がないけれど、部員が少ないと俺のような半端な実力のやつでも試合に出られたりするので、その意味ではよかった。


 二年生にあがってから、やけに強い一年生が入ってきたためそいつに席を譲ることとなってしまった。


「走りこむ量ならけっこう多いじゃないですか。練習でもいいタイム出してる時あるのに。それで全然勝てないっておかしくないですか?」


 そいつと俺しかいなかった。けして広くはない部室には西日が差し込み、オレンジ色の帯が影の暗色とのコントラストを描いている。明るいところに後輩が立ち、陰となっているところに俺が立って、妙に暗喩めいていた。

 あけすけにものを言うタイプで他人と衝突しがちなやつだったけれど、悪意や敵意、皮肉や嫌味の類を含まないので俺は気にならなかった。なので、


「かもなー、でもそれが実力ってやつじゃね?」


 と応じる。


「いや、競り合ってる時になんか途中で“フっ”と力抜ける瞬間あるじゃないですか。いきなり諦めるっていうか」

「自分じゃわからんけど」

「あるんですって。『まあここまでやったんだからいいでしょ』みたいに考えてません?」


 ようやく俺は、後輩が怒っている、少なくとも俺に不満を抱いていることに気づいた。正直、そんなこと言われても困る。実力が足りないのは本当だし、部活外に自分で計ったベストタイムでみても、この後輩の方がはるかに速い。


「なんだよいきなり? あ、俺からレギュラーの座を奪ったことうしろめたく思ってんのか? それなら気にすることはないぞ」

「いえまったく気にしてませんので。そこは妥当だと思ってます」


 あけすけにものを言うやつだ。


「先輩って走ってるだけで楽しいって感じで相手に食らいつく勢いが無いし、ただスピード出すことに満足してるからペース配分も下手だし、そのくせ筋肉量が足りないからスプリンターとしてもハンパじゃないすか」

「その話続くんならもう帰りたいんだけど!」


 悪意や敵意、皮肉や嫌味がないからこそ辛いってものもあるよね。ロッカーを閉め通学バッグを肩にかけた。


「でも部内の誰よりも距離走ってるからスタミナはあるし、戦略次第じゃ勝てそうなのに、それで勝てないってなるとあとはもう意志の問題でしょ」

「根性論嫌いじゃないよ好きでもないけど。おまえ体育会系だねえ」

「先輩も運動部なんだから体育会系でしょ。それに競うものである以上、メンタルは重要です。無目的無感動、事務的に処理しようとすれば、人は自然と実力の六十パーセントしか出さないってのが俺の持論です」

「いいねえ、『人は事務的で六割』って本を書くといい」

「だから、先輩は必死さが足りないんですよ。というか具体的な目標が無いからなのかな。あのレースに勝ちたいとか、あいつにだけは負けられないとか、そういうの無いんですか?」


 俺の茶々を無視してずばりと訊く。

 俺は一顧だにせず「無い」と答えた。

 スピードを出すことに対する快感、満足感。それは内側に向けられた情熱だ。その指向性は外へ行かず、ゆえにはたからはお気楽・無気力に見えてしまうのだろう。


「スピードを楽しみたい、って目的はあっても、それだけじゃあよくて八割ですよ。先輩に足りないのは必死さだけじゃなくて――」


 だけじゃなくて。

 あいつは、あの時なんと言ってたっけ。




 歓声に耳を打たれ我に返る。今走っている虹路と沿うように山肌が続いており、そこには何人か観客が散見された。ルナのチームと同じ上着を着ている者や、そうでない者。その数は多くないが、熱のこもった声と視線がひとつのところに集束していく。


「よいしょォッ!」


 俺に先行するカタチで滑っているルナが、またもやカーブを力づくで曲がっていった。今度はいかつい手袋をはめた拳で虹路を殴りつけたのだ。


「ヒャッハー! 出たぜ姐御の超絶技巧! 通常ソリ下りじゃあ曲がる時は虹霓石を突き立てて速度を落とし体重移動で越えるってのに、姐御はブン殴って蹴っとばして無理やり方向転換、暴れるソリを抑え込み突っ走っちまう! 虹路を司る大気の神カトルをも恐れぬ蛮行! ついたあだ名が『撲殺天女』!」

「相手の奴もあの妙な車でうめーこと曲がるじゃねーの。でもま、ルナも地元走りでヨソ者に負けるわけにゃいかねーよナ」


 速度が上がるにつれて研ぎ澄まされていく感覚は、そんな通り過ぎざまの言葉も拾う。自転車乗りならよくあることだ。

 ここまでいくつかカーブを曲がってきたが、ルナはずっとそんな調子だ。無茶な曲がり方なので速度は落ち、その度に差を縮めるのだが、なかなか前へ行けない。ルナがすぐさまソリを安定させ空気抵抗を殺す姿勢で速度を上げていくのもあるが、俺自身にも原因がある。


「おいおい、全然勝負になってねーぜ! 見ろよあいつ、姐御のケツ拝むためにきたんじゃねーのかぁ?」


 野次を受けてもペダルを踏み込む足に変化は無い。今の速度を維持して走る。


「ぐっ……!」


 直線ではまだましなのだが、カーブに差し掛かると織部山での最後の場面が脳裏をかすめブレーキを必要以上にかけてしまう。その繰り返し。埋め込まれた恐怖心はなかなか拭いきれない。

 ギアにはまだ余裕があった。例えば、指を軽く動かしシフトレバーを一、二回倒して重いギアにする。あるいは起こした上体を深く前傾させる。まだスピードを上げる余地はあるのだ。ルナのソリはきれいな流線形で、さらに自転車より地面に近く低い姿勢をとれるためかその加速度は侮れない。ボブスレーは最高時速が百三、四十キロはあったっけ? そこまではいかないだろうが、追い越すためにはこちらも相当に覚悟しなければならない。

 それなのに一線を越えられないでいた。


 スピードこそはパワーであり俺はその信仰に対して敬虔であったはずだった。だけど今はそれに恐怖している。ルナはソリで虹路を下るのが楽しいといい、さっき見せた笑みは心からのものにみえた。心根の差はそのまま物理的距離となって表れていた。

 カーブを越えた先の長い直線。俺は少しでも差を縮めようとペダルを回す。ルナが振り返る。もう笑っていない。


「悪いが、もう勝負のつもりじゃないよ。いつものように下りを楽しんでいるのさ。なんせ一向に抜き去ってくれないんだからねえ、燃えないよ。下まで行ったら手下どもから弁当と金貨を受け取ってきな」


 そう言って前に向き直すと、ルナは何をどうしたのかさらに速度を上げた。一体何キロ出てるんだ? この自転車にはサイクルコンピュータを付けていなかったので自分のも正確には分からない。それでも現在のギア比とおおよそのペダル回転数である程度速度は割り出せるはずだが、今のギアに対して速度が出過ぎているためかペダルを少し踏み込むと空回りしてしまい、これも分からない。

 スピードの伸びなさ、時折止まる足。それらを見てルナは見切りをつけたのだ。もう勝負のつもりじゃないという。下りを楽しむという。自己のみを満足させる(すべ)り。


 それにしては――楽しくなさそうな。

 さっきよりも速いが、無茶苦茶でありつつも俺はさっきの走りをこそ魅力的に感じていた。内向きの情熱ではなく、周囲にまで伝わる熱があった。今は、ただ早く終わらせるために速度を上げているだけみたいな。

 また、俺の中で何かがこみあげてきた。思えば高校時代にもそれはあったのだろう。でもこみあげる度に様々な理由――言い訳も立ち上がり、霧消してきたのだ。“フっ”と力を抜いていたのだ。


 別にこれ以上がんばったからって勝てないし。

 どうせあいつの方が強いんだから。

 やったからってその先なにがあるわけでもないし。

 特にやる理由もないでしょ。


 こみあげているものが何か、それがはっきりと自覚された。憧憬、羨望……だけではなく、というより多くの割合を占めているのが悔しさや嫉妬、怒りだった。けしてきれいなものだけではないそれらを抱え込み続けるより、理由をたてて消した方が楽だった。


 将来の展望のなさから、今この瞬間をいやなものまで抱えながら頑張ることに意味を見いだせなかったのかもしれない。()はどうだ? 今をがんばる理由はないか? 仕事を果たすために俺はこうして走っているんじゃなかったのか?

 そして、ルナへの怒りも少しわいている。スピードこそパワーであり、それを体現する者は幸いである。祝福されてあれ。なのになんでそんなにつまらなそうにしていやがるのか?

 ああ、わかっている。俺が遅いからだ。それなのにルナへ怒りを抱くのは責任転嫁の逆恨みだろう。ならばどうすればいい。

 答えは自明。俺自身がスピードとなることだ。


 また後輩の言葉を思い出した。


「先輩に足りないのは必死さだけじゃなくて、理由とか動機なんじゃないですかね? 楽しい趣味でも義務化するとつまらなくなるといいますけど、先輩の場合は走り回ったりせざるを得ない理由を設けた方が見てる分にはずっといい気がします。そんな仕事についたらどうです? どんな仕事って、そりゃ自分で調べてくださいよ。そういうところですよ先輩がダメなのは」


 あいつは今どうしているだろう。望み薄だけど、もし元の世界に帰れたら母校の部室を覗きに行ってみようか。

 恐怖はまだある。しかし目を伏せず、長い直線の先を見据える。陳腐でありきたりな言い方だけど、俺はそれをはじめて口にする。


「まだ勝負はついてないぞ」

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