7.大逆転ふたたび
俺が宅配業を始めるにあたって問題とされた識字と計算について、ビダルさんから提示された解決策はきわめて真っ当なものだった。つまり、学校での勉強である。近場にある児童向けの教室に通うこととなった俺だが、そこで教師をやっているお婆さん、グロリア先生から、孫へ弁当を運んでほしいという依頼を受けた。
届け先に指定されたのは一見なにもない山の中腹。虹路が通っているので、俺の自転車ならば行くことはできる。しかしそんなところにいるなんてどんな奴だ? 半信半疑で向かった俺は――
「オメェなんだッつッてんだるルルぉ!? ア!?」
「ナニ俺らのシマ勝手に走ってンのッつッってんの!! 耳ねェんかコラ!?!?」
暴走族に絡まれていた。
異世界にもいるんだね。
すごいね。
「いや、あの、忘れ物をですねえ……」
「アン!? もちっとシャキシャキ喋らんかいや!?」
自分ではちゃんと話しているつもりなのだが、終始この調子で叫ばれ威嚇され、俺の言葉はろくに届いていない。
ここでは異質極まる自転車ジャージを着た俺が服装のことをいえた義理ではないが――いい生地を使っているっぽい着心地の良さそうな上着を着苦しいとばかりに着崩した、俺とそう年の変わらないようにみえる六人の男女。何人かは街中ではあまり見ないような奇抜な髪型をしてらっしゃる。いるんだ、モヒカン。異世界なのに。
「俺らのシマ、って虹路は誰のものでもないって聞いたんですけど……」
「カンケーねえよ! この下りの一画は俺らの溜まり場だッて街の奴らなら知ってンだろ! オ!?」
暴走族、といったがもちろんバイクに乗っているわけではない。なんというか、少しいかついソリだ。
グロリア先生は、行けば分かると細かい場所を教えてくれなかった。開けた場所だし適当に走り回っていれば見つかるだろう、と呑気に走らせていたところ、前方をソリに乗った集団が塞いでからのこの展開である。
これは困った。こういうのは想定していない。街からは離れ、助けは期待できない。というか話が違うぞ、エーテルに直接干渉できるようになる虹霓石はとても貴重で高価じゃなかったのか。なんだよあの十代の複雑な感情が反骨精神を軸に発散されたようなデザインのソリは。底部にどれだけの虹霓石が使われているのか。
「ですから! 俺は人に届け物をするよう頼まれてここに来ただけで! 通して下さいよぉ」
「テキトーこいてンじゃねえぞォオメー」
元の世界にいた時も、こういう輩は苦手だった。どうやって切り抜けよう。動揺し、まごついているうちに退路まで塞がれてしまい、逃げられそうにない。
ここはやはり『通行料』だろうか? しかしあいにく持ち合わせがない。この仕事の代金は、グロリア先生がバンデラス商店に寄るついでにビダルさんの事後承諾を取り付け、額面を決めて渡すことになっている。
となるともうサンドバッグとなり彼らのストレス発散の手伝いをする以外になくなってしまう。その過程でもし自転車まで壊されたら? 恐ろしい考えばかりが頭を巡る。
「お前知ってんぞ。ちょっと前にえれー目立ってたヤツだろ。それでチョーシくれて人様のシマまで走ってきたってワケか?」
イネスにメモを届けた時のことだ。多くの人に見られていたが、その中にこのモヒカン少年もいたらしい。まったく気づかなかった、こんなに特徴的なのに。
「本当なんですって、忘れ物を届けてくれって……」
「チッ、こんな所に誰がナニ忘れるってんだよ、なあ?」
「中層街で教師をやってるグロリアさんから、お孫さんのルナさんへ! お届け物の依頼です!」
つい依頼人の名前ふくめて正直に喋ってしまった。別に守秘義務なんてないだろうけど、こういう輩はひょっとしたら理屈の通じない振る舞いをしてグロリア先生にまで迷惑がかかるかもしれないのに。
しかし、俺の言葉を聞いた途端に、不良たちは戸惑ったように顔を見合わせた。
「おうおまえら、何だ? 揉め事かあ?」
その言葉とともに、人が降ってきた。山肌の方から直接この虹路に飛び降りてきたのだ。着地した際の姿勢から、靴だけではなく手袋にも虹霓石が仕込まれているようだ。
不良たちの様子がまた変わる。高揚し、どこか誇らしげな顔つきで歓声をあげた。
「姐さん!」
「ルナさん! いや、例のピッチリ服野郎がウチらのシマ荒らしてきやがって」
ルナと呼ばれた乱入者は、やはり同じ年頃の少女だったが、妙な迫力を宿していた。男装の中身は隠しようもなく女性らしい体つきをしている。しかし堂々とした態度はとても勇ましい。一本の雑な三つ編みにまとめた自身の赤髪をもてあそびながらこちらへ近寄ってくる。眠たげな目で無遠慮に俺を眺めまわした。
「へえ。ホントに妙な服着てんだ。ハハ、面白い。で、どんなご用件だったかな?」
言葉は穏やかだったが、一瞬にして変わったその目つきは下手なことを言おうものなら噛みつくぞといわんばかりだった。
「……グロリアさんから、弁当のお届けです。ルナさん、ですよね?」
噛みつかれこそしなかったが、俺の言葉を聞いてルナは苦虫を噛み潰したような表情をすると背を向け歩き出す。先ほどから極度の緊張感に晒されすぎていたのに、椅子を外されたように調子を狂わされ、俺はついその背中に声をかけていた。
「あ、あの?」
「いらん。まったく婆ちゃんも困ったもんだよ、そんなの毎度毎度用意してくれなくていいってのにさ。みっともないったらありゃしない」
ルナは心底迷惑そうな口調で吐き捨てた。もう俺になど興味をなくしてしまったようだ。
「面倒かけさせたね。とりあえずコレ受け取って。婆ちゃんにはカネと荷物返しといてよ」
ルナは背中を向けたまま指で何かを弾いた。俺はそれをなんとか受け取る。ピカピカに光る金貨だ。店でよく見るのは銅貨、銀貨だった。貨幣価値はまだよく分かっていないが、相当に高いものであることは察せられる。
そんなものを無造作に放って寄越せるとは、ふんだんに使われている虹霓石といい、この一団はけっこうな金持ちなのではないか?
いや、今はそんなことより。
「困ります。こっちも仕事ですから、受け取ってもらわないと。この金貨もお返しします」
俺がそう言うと、ルナはゆっくり振り返る。呆れたような顔を見せた。
「ひょっとして馬鹿なのかなぁ? どんな料金でやってるか知らないけど、きっとそれより多いカネを出してんだよ? しかも婆ちゃんのカオ立てて、シマに入ったことを不問にしている。それなのに――逆らうと?」
「ッ……!」
空気が変わる。それに反応して、周囲の少年少女も剣呑な様子を見せ始めた。これみよがしに拳を握りこみ、口元はニタニタ、目はギラギラとしている。
しかし。
「いやあ……ま、仕事なんで」
強がって、おどけたように両手を広げる俺。実のところ受け取り拒否なら受け取り拒否でいいのかもしれない。そのようにグロリア先生に伝えればいいのかもしれない。
しかし、なんとなく気に入らなかった。初の仕事が中途半端なカタチに終わることも、ルナが祖母のくれたご飯を無為にするということも、なにより俺自身がこうも雑に扱われたということが。
びびりやすくて鈍感で、将来の展望からも目を背けるヘタレな俺だが、こういう妙なところでいらない反発心を起こすのが致命的な欠点といえる。
だがそれが性分というものだった。
挑発的ともいえる俺の態度に、しかしルナはジロリと目線を動かすのみ。ほんの数秒沈黙し、口を開く。
「言うじゃないか。仕事熱心なのはいいことだね。じゃあ、あたしと勝負しよっか」
「勝負?」
何で?
「その奇妙な車、乗り物なんだろ? 虹路を走れるっていうさ。あたしらもご覧の通り、コイツで虹路を滑って遊んでんの。まあ下手したら死にかねない本気の遊びだけどねえ」
からからと笑い、だからさ――とルナは続ける。
「あんたとあたしでこの下りを競争すんのさ。決着点を先に越えた者が勝ち。遅れたり、ああそう、万が一だけど虹路から飛び出ておっ死んだら負け。やるかい?」
にたり。ぽってりとした形の良い唇が歪む。やれるわけがないと挑発するように、あるいはぜひやろうと誘うように。
思い起こされる光景はここへ来る直前の走り。
下りの勝負? ルナのソリと、俺の自転車で。
どっちが速いか。つまり、スピードこそパワー。
俺は、気づけば頷いていた。
それを受けてルナは、ここまでの気だるげな様子から一転し、獰猛な笑みを返した。
「成立だ! あたしが勝ったらあんたはその金貨と、仕事を放棄したという屈辱を受け取るがいい! で、あんたはあたしに何を望む? 勝負についてはこっちが決めたんだ、景品として荷物を受け取る他になんでも融通してやるよ?」
なんでも……と聞いて、いかがわしい妄想が立ち上がりかけたが、そんなのを言い出せるほどのやんちゃっぷりはなかった。
なのでしばし考え、答える。
「じゃあ……届けた弁当を、俺の前でおいしそうに食べてもらおうかな。そして、その感想をグロリア先生にいって、お礼をするんだ」
おお、我ながらなんとお子様じみた極めて牧歌的な要求。口にしてから後悔したが吐いた言葉は飲み込めない。
しかし、ルナは不意をつかれたように目を見開き、少し顔を赤らめた。
「うーん、ま、いいか。いいでしょう、ソレで。中々いいところを突いてくるね。お互い、自尊心を賭けるわけかい。公平じゃないか」
自尊心を賭ける。その通りだ。奇しくも下りの勝負、個人的に織部山のリベンジという思いがあった。妙な展開になったが、初めての仕事を果たせるかの分水嶺だ。これを乗り越えてこその大逆転。
大逆転をせねばならぬ、ただの逆転ではもはや足りない。
俺は、相棒たる白いロードバイクのサドルをぽんと叩いた。