4.デカいシノギのニオイ
つまるところ、このエーテルだの虹路だのは舗装路であり定期便であるわけだ。
自転車で走りながら街を見下ろし、俺はそう感じた。
虹路は俺が今乗っているもの以外にも何本かあり、それらはいずれも街を取り囲んでいる。広さもまちまちで、十メートルはあろうかというものから平均台のように細いものある。
街の外へと延びているのは遠目でもくっきり見えるほどに太い虹路だ。あれに乗って行けば下山することなく周囲の山へ渡れるかもしれない。幹線道路ってわけだ。
そうした虹路以外にも、島のようにひとかたまりとなって漂っている虹色の靄がある。ちょうど、この街の上層階にそのひとつが接近しているところだった。
エーテル塊の上には足場がしつらえてあり、男ばかりが十人ほど乗っていた。街の縁から空中へ差し出された桟橋のようなところにかかると、何人かはそこへ降り立った。
足場には大きなコンテナらしきものも二つ載っており、体格の良い男がえいやとレバーを下ろすと、コンテナの載っている部分の足場が少し傾きコンテナはずるりと桟橋に移動した。足場の方にローラー状の仕掛けがされているようだ。かたや桟橋には手動のクレーンがあり、別のコンテナをエーテル塊の足場に積んでいく。
それら作業中もエーテル塊は動いており、男たちは迅速な作業をこなしていた。やがて風に流される雲のように徐々に街から離れていった。ああも設備が整っているということは、あの靄は定期的に巡回しているのだろう。普通の雲ではありえないことだけど、それをいうなら虹路だって雲のようでありつつその場に留まっている。俺の想像の及ばない法則で動いているようだ。
こうして山岳都市から山岳都市へと物資や人を運んでいるのだ。虹路も同じような用途だろう。人の方が動くか、靄の方が動くかの違いでしかない。
街の周囲を虹路が囲んでいるというより、エーテルの通り道に街を作ったというのが正確なところなんだろう。道と道が交わる場所に市がたつように、港に街が興るように、交通の要衝が発展していったわけだ。
エーテルはどうやら高所にしか存在しないようなので、高山にばかり都市があるということらしい。
死にかけて、行き倒れて、受け入れられて。目まぐるしく変わる状況に混乱するばかりだったが、ようやく俺は今の自分が置かれていることの異常さを思い知った。
自転車に乗ってりゃ『移動』ってもんのなんたるかについてまるきり考えないでいるのは難しい。特に舗装された道路のありがたみについて。固く平らかな路面はある種の祝福であり、当たり前のような顔をしてそこにあり続ける慈悲の顕現だ。
こんな虹路みたいなものがあって、人の歴史は俺の知るそれと同じ道を辿るだろうか? ノー。ノーだ。山や谷を迂回することなくまっすぐに目的地へと向かえるならば、人も物もア○ゾンお急ぎ便なみの手軽さで浸透・拡散していくだろう。
ひょっとしたら俺が元いた世界ではありえたものが、ここでは無用ゆえに生まれないのかもしれない。見た目似通ってはいるが、やはりここは俺のまったく知らない異世界なのだ。それを改めて強く実感した。
交通に関してこれほどまでに便利な世界で、果たして乗り物はどの程度求められるのか? という疑問が生まれた。ざっと見たところ、馬車的なものは見当たらない。
牛や馬に似た動物……ただし鼻が豚のようだったり立派な角がついてる……が荷車を引いているのはあるが、それは坂道が多いから荷物を楽に運ぶためのもので、「移動そのものが目的の人が運転する乗り物」とはちょっと違う。
あの馬豚の背に乗って走る人は見当たらない。遠距離移動ならばエーテル塊の定期便があるから、乗り物として使う習慣が無いのだろうか?
「だからかなあ、めっちゃ見られてるのは……」
めっちゃ見られてる。バンデラス商店のある中層階の上空を走り、そろそろ上層階の端っこに近づこうとしている俺を、下から横から上から人々の視線が射抜いていた。
人力の乗り物について、元の世界だと十八世紀には意識されていたという。この世界の技術レベルがどれほどかまだ計り知れないけど、少なくとも自転車は存在しないらしい。
自転車の無い世界。
「お、イネスいた」
目立ったおかげか、上層階と虹路の接点あたりでイネスが俺に向かって手を振っていた。上層階に乗り上げ彼女の前で停まり、メモを差し出す。
「忘れ物だよ」
「あ、ありがとう……って、すごいねそれ、ヘンな荷車だって思ってたけど!」
イネスは無遠慮に自転車を見る。細かく位置を変え、あらゆる角度からなめるように。この反応からして、やはり自転車は存在しないようだ。
「自転車だ。自分で動かす車。この世で最高に挙げられるものの一角だ」
「ジテンシャ……自転車かぁ。こんなの初めて見たよ。しかも虹路を走れるなんて、相当高価なんじゃないの?」
「いやまあエントリーモデルなんでそんな一流の機材には程遠いけど、学生の身で十五万は大冒険だったよね……」
「? わ、人集まってきてる……キソさん、もう戻った方がいいかもだよ」
イネスの言う通り、人が集まり物珍しそうに俺と自転車を見ている。開けた場所とはいえ虹路と接するための狭いスペースで、このままでは人で溢れてしまう。急いで来た道を戻り店へ帰ろう。
「ありがとね。私の方が大分先に家出たのに追いついちゃうなんて、それあったら今度からどんだけ忘れ物してもどこでも届けてもらえるね!」
「忘れ物をしない、という方向でいってほしいね」
俺のつっこみに笑って誤魔化すイネス。家を出発する時に見せたダッシュといい、そそっかしく落ち着きない、突っ走るタイプのお嬢さんらしい。健康的な肢体には自転車ジャージがさぞよく似合うだろう。
不埒なことを思いつつ、機首を傾け微速発進。注目を浴びる経験に乏しいので、そろそろ恥ずかしくなってきた俺だよ。
虹路を走り、街から少し離れた軌道になると視線は気にならなくなった。店の近くまでこのままの調子で行ける。
しかし便利なものだ、虹路というのは。階段状の街である以上、移動するにはもちろん階段や坂道を利用せねばならず、距離によっては相当の労苦だ。障害物なくほぼ平坦な道を行けるのは大きい。
それにしてはそこを通る人が少ないように思えるのが気になった。自転車で走ってて誰とも行き合わなかったのだ。まあ基本的には街の周囲をつづら折りに登り下りするわけだから実際の距離としては長くなるし、そうめったに上下の街を行き来する用事はないのかもしれない。それこそ、バンデラス家みたいな商売でもしてなければ。
「商売か……」
さきほどイネスが言ったことを思い出す。どこでも届けられる。確かに、自転車ならば普通に街中の道を走るだけでも行動範囲は広がるし、そこに虹路を交えれば街の上下層全体をカバーすることは容易だろう。
誰かが誰かに何かを届けることに関して、この上ないアドバンテージだ。忘れ物を届けただけだが、これは示唆に富んだ経験ではないか?
デカいシノギのニオイがするな……。
混乱する、嘆く、はしゃぐ、元の世界に戻る方法を見つける、この世界について知る。なんだってしてたっていいけど、それはそれとしてまず生きていかなきゃいけない。ご飯を食べなければお腹が空くじゃないか。俺はゆっくり自転車を走らせながら、そのための方策を練ることにした。
なにより。どんな世界であれどんな方法であれ……自転車で生きていく、というのはすこぶる魅力的なものにみえたんだ、本当に。