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異世界自転車宅急便  作者: 灰の字
第一章「自転車ではしろう」
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1.急転直下の大逆転、文字通りに。

よろしくおねがいします。子供の頃、空中を自転車で走れりゃラクなのになーとか考えたものです。

 大逆転をせねばならぬ。

 ただの逆転では足りない。万難を排しビカビカに光る未来を掴む、それすなわち大逆転。ここぞという瞬間に腰を上げ、ペダルをフル回転させ速度を上げ、すべてを後ろに置いてゆく。そんな感じの最高にバシっと決まるやつだ。


 自転車とは風や重力など、自分に向かってくるありとあらゆる力との戦いであり、それらをブチ抜いていくから快感なのだ。早朝から地元の山を自転車で駆け上がり、展望台を越えてそろそろ長い下りにさしかかる所で足をつく。重力に抗ったご褒美を前に、息を整える。


 俺は長良競(ながらきそう)という自分の名前が書かれたドリンクボトルを掴み、喉を潤した。手にしたそれには他についこの間まで所属していた高校名も書かれている。


 無事に卒業できたはいいが、大して強くもないのに部活にかまけていたせいで受験には失敗し、浪人とは名ばかりのフリーター生活は三か月目に突入した。


 つまるところ、展望というものが欠けていたのだろう。自転車競技部で有名な大学に行きたいとか、実業団チームを目指してこの企業を受けたいとか、競輪学校に入りたいだとかいった、自分の嗜好と将来を上手くすり合わせた進路を考えず……もとい、それにふさわしい実力もなく、趣味嗜好のまま回転遊具のハムスターめいてぐるぐる走り続けていたにすぎない。


 自転車とは自分に向かってくるありとあらゆる力との戦いであり、世間の向かい風や家族の冷たい視線の圧力はそうそうブチ抜けず、相手として不足はない。いいだろう、俺に敗北を教えてくれ。追いつけるか? この速度(スピード)に。

 客観的には自転車でふらふら遊びまわってる現実逃避者だとしても、俺は今日もすべてを置き去りに走っている。


 普段はここから離れた川沿いの道を走るのだが、今日はこの織部山を登ってきた。織部山というのは標高500メートルにも満たない小山で、地元ではハイキングの定番だ。

 斜度は頂上付近こそ急だが大体10パーセント足らずと自転車登坂コースとしても初級だろう。


 しかし下りとなると、豊富に生い茂った野山の木々枝々が見通しを悪くし、連続したカーブがいやらしく速度を落とさせる。くわえて時折妙な霧が立ちこめる所で、昔は神隠しなんかもあったそうだ。

 そこを、ノーブレーキで突っ走ろうと思い立ったのが今朝目が覚めてのこと。


 ボトルをホルダーに戻し、ペダルに足をかけて傾斜にいどむ。

 不毛な自己満足にすぎないが一種の願掛けだ。困難を達成したあかつきにこそ、この展望なき人生に栄えある大逆転の目があるのではないか?

 あとね、めちゃんこ重いギアですっごい長いこと下るとめちゃんこ速くてすっごい楽しいよ。


 /


 でも、めちゃくちゃ怖いよ。

 それを思い出したのは、二つの目のカーブを外側のガードレールぎりぎりで曲がりきり、さらに速度を上げようとした時だった。


 一瞬、ふわっと車体ごと浮いた感覚があり、道路上の石か何かに乗り上げてしまったのだと気づいた時には前輪のコントロールを失っていた。

 伊達に長いこと自転車に乗っているわけではないのでそんなのは初めてではないが、今までとは速度が違った。

 下り中の落車は命に関わる。スラロームを描くようになりつつも転倒を免れようと必死に努める。が、当然下りなので速度は落ちない。ああ、無茶をするんじゃなかった。下り坂は人生だけで十分だと思うべきだったのか。


 空気抵抗を抑える姿勢のためブレーキレバーからは指が離れているのだが、走りが安定するまでハンドルを握る手を動かすわけにはいかない。そして、どうやらその間も与えてくれないらしい。

 今度はガードレールの無い、三つ目のカーブが、眼前に迫



 崖から投げ出されてからはすべてがスローにみえ、例の俗説が実証された。これまでの人生は振り返らなかったが。代わりに気がついたのは、こんな状況なのに俺は自転車を手放していなかったということ。


 筋肉が緊張で硬直してるだけかもしれないが、そこは「それほどまでに自転車を大事に思っていたのか!」とでもした方が美しい。この後、数十メートル下の河原で俺を発見するであろう人にそんな切なさと愛しさと心強さを感じてほしい。

 俺も自転車も、色々バラバラになってるだろうけど。


「嫌だぁぁぁぁ!!」


 そう叫んだつもりだがちゃんと声が出ていたか疑わしい。走って飛び出た勢いが消え、落下に転じてからはその風圧が顔を歪ませた。じきに地面と再会する。下は川だから着水になるだろうか。どっちにせよ死ぬだろう。


 生から死への大逆転。ありとあらゆるすべてを置き去りにする、誰もがいつかはやるやつだ。


 覚悟した、というよりは、頭が回ってなかった。視界にうつるものがゆっくりに見えても、思考までのろまになっては意味がない。

 でももうなんもわからない。部屋の電気消したっけ? カレーがたべたい。

 ああくそ、のろまどころか散漫になってきた。きらきらする。


 ん?


 キラキラしてる。落下先、山間を流れる細い川の表面が光っていた。太陽の反射ではない。今の時間、山が陰になっていて日は届かないからだ。死に際の集中力はさらに視ることに注がれた。


(虹色の霧、のような……)


 モアモアと川面にたちこめた“それ”は、多色の細やかな揺らぎだった。からっぽになりかけの頭にはとびきり刺激的で、とてもきれいで、もっとよく見たいと思い目をこらすが、もはやそうするまでもなく。

 着水直前、俺は“それ”に顔から突っ込んでいった。

安全運転をこころがけましょう。

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