第七夜
「そういえば、どうして天にぃは私のこと、わかったの?」
灯は不意に不思議そうに問うた。
そもそも、灯と天が会ったのも、灯がまだ十にも満たないころだ。
そして長く一緒にいたわけでもない。
二カ月。
彼はそれだけしか灯たちと一緒にいなかった。
それでも、灯は覚えていたが。
真っ黒で大きな兄として、慕っていた。
いつも柔らかい笑みを浮かべ、転んで泣く灯を抱き上げてくれたのだ。
そんな彼と別れるとき、灯はこの世の終わりのように泣いた。
今思えば、初恋だったのかもしれない。
わんわんと泣き続け、押し入れに引きこもってしまった灯をそこから出したのも、天だった。
『―――灯、必ず、また、会いに来る。
それまでにいい女になって、待っておれ』
「―――ほんとう?
てんにぃ、またあかりにあいにきてくれる?」
『もちろんだ。
必ず、会いに来る』
『まぁ、灯は最初私の事を忘れておったがな』
「だって!
10年も前だよ!?
忘れるよ!」
『私は覚えていたがなぁ』
「それは天にぃが大人で妖怪だからでしょ!」
灯は、自分から話したことを忘れ、いじってくる天に必死に抗議をしている。
そんな灯を、天は蕩けるような目で見ていた。
『・・・絶対にやらぬぞ』
そんな天を見ていた鵺は、ぼそりと低く呻くようにつぶやいた。
『・・・鵺よ、灯ももう大人になる。
そろそろ考えぬといかぬぞ』
ぬらりひょんがどこか真剣な目で鵺に言った。
その言葉に、鵺の大きな体が一瞬だが強張った。
まるで、言われたくない事を言われたかのように。
『・・・わかっておるわ』
否。
そう口に出してみたものの、本当はわかりたくなんてなかった。
鵺は、出来るのであれば灯をずっと手元に置いておきたいと考えている。
自分の可愛い可愛い、たった一人の、娘。
ここまでいろいろあったが大切に育ててきたのだ。
ぬらりひょんのいう事も本当は解っている。
灯は、そろそろ自分の人生を選ばなくてはならない。
人として、妖怪と関わらずに生きるのか。
それとも、人との関わりを絶って、妖怪と共に生きるのか。
しかし、鵺は考えたくなかった。
灯のいない未来など。
それでも、やはり灯の選ぶ道を自分は応援してしまうのだろう。
父として。
****
天は、すぐに灯の存在を知覚できた。
彼女の、その香りは、数里先まで香ることだってあるのだから。
だからこそ、分かった。
灯が、鵺の呪いから外れた事に。
灯の香りは、いつもであれば鵺によって強固に守られている。
たまたま天は、一度その香りを知っていたので集中すればなんとか嗅ぎ取れていたのだ。
しかしあの日。
灯の香りは驚くほどに強く、自分以外の妖怪も気づいた事を知った。
そして、飛んだのだ。
自分を引き留めようとする仲間を蹴散らして。
一体誰に言えるだろうか。
幼い灯の言葉に、自分が救われたことを。
そして、それ以降ずっと灯を気にしていたことを。
天は、番を得られないのではない。
自身の選択によって得ないのだ。
鵺にはちゃらかしながら言っているが、本音では灯が番になってくれればいいのにと考えている。
そう考えながら、天は古い古い記憶を思い出した。
天は、烏天狗という妖怪の中でも異質だった。
弱い母と、弱い父の間に生まれながら、生を受けたその瞬間から最強だったのだ。
当時いた長よりも。
時期長と名高かった男よりも。
生まれたばかりの天は力を持っていた。
そして、天は隔離された。
そのあまりの強さ故に。
そのあまりの異質さ故に。
幼いころ、天は自分の部屋が世界の総てだと思いこんでいた。
一度だって、出たことが無かったのだ。
母も知らず、父も知らず。
天は腫物を扱うかの如く放置された。
そんな彼に転機が訪れたのは、いつだっただろうか。
ある日、本があったのだ。
誰も来るはずの無い、自分の部屋に。
そうして知った、外の世界。
天は焦がれに焦がれた。
そして、出るためには自分の力を制御できないといけないという事も、この頃知った。
天は幸いにして、生まれながらの強者だった。
息をするかの如く、力を制御し始め、その力を自分のものとした。
それを知った老獪な烏天狗は、天を長にする事に決めた。
天が生まれた瞬間から、長の座は空席となったのだから。
天は、喜んだ。
外を、知れる、と。
しかし、そうではなかった。
天は烏天狗の長として、常に見張られながら仕事をしなければならなくなった。
そんな状態が、何十、何百年と続いたある日。
天は逃げ出した。
追ってくる烏天狗をすべて地に伏せ、生まれてから初めての大空を飛ぶことに成功したのだ。
何もかもが初めて見る景色で、世界とはこんなにも美しかったのかと涙が止まらなかった。
そうした先で出会ったのが、鵺と灯だった。
ぼろぼろと泣きながら飛ぶ自分を見た灯は、驚きに満ちた目で自分を見たものだ。
「―――おにぃちゃん、はねがある、
いいなぁ、あかりも、とびたい」
無邪気で、素直な感情に。
天はさらに涙した。
灯は、純粋に天を慕った。
天が、烏天狗の長であるとか、最強に等しい存在であるとか、そんなことを一切気にせずに。
それが、どれほど天の心を救っただろうか。
きっと、灯は知らない。
そこで天は気付いた。
自分はささくれていたのだと。
誰とも接せず、他人の温もりを本でしか知らなかった自分は、拗ねていたのだと。
抱き上げた灯の、子供ながらの高い体温が、自分の癒しだった。
天は自身の生に、灯を必要としてしまうくらい、灯に依存しかけた。
それを止めたのがぬらりひょんと、鵺だった。
迎えに来た仲間に心配をしたのだと泣かれ、話し合いが足りないとぬらりひょんに怒られ。
そうして天は里へと戻ったのだ。
天にとって、灯は光だった。
あの当時の温もりの総ては、灯で形成されていた。
灯には、笑っていてほしい。
自分以外の誰かが、幸せにしてくれてもいい。
しかし、願わくば、自分がその誰かになりたいと。
天はまだ言えない。