第十二夜
どろりどろりと、何かが這いずっていく。
ソレは、形を成さないもの。
ソレは、意味を成さないもの。
――――――、
不意に、それは何かを感じ取った。
それは、それにとって心地の良い物。
歓迎すべきもの。
ずるり、ずるりと。
それは。
****
さわさわと木漏れ日が灯の頬を照らす。
耳に届くのは、微かな川のせせらぎと、葉擦れの音。
目を瞑れば、瞼が赤く、いつかの歌の様だと灯は一人感じた。
灯は一人、縁側で日向ぼっこをしていた。
いつもであれば、学校の休みの日、鵺は灯と共に日向ぼっこなどをしてくれる。
しかしその日、珍しく鵺は恭一と少し出てくると言ってきたのだ。
勿論それに駄々をこねるわけはない。
わかったと一言言うと、何故か鵺の方がおろおろとし始めた。
『ひ、一人で寂しくはないか?
直ぐ帰ってくるから、いい子にしておるのだぞ』
そんな彼の様子に、灯はつい笑ってしまう。
父は自分の事を幾つだと思っているのだろうか。
でも、心配してくれるのは嬉しい。
「うん、大丈夫だよ。
ちゃんと家で待ってるから、早く帰って来てね」
鵺はその言葉に何度も頷き、すぐに帰ると言い残して飛び立った。
そして灯は一人で昼食を食べ、そして縁側で日向ぼっこをし始めた。
女子高生としては、枯れている。
それは本人も感じていた。
しかし、ゆっくりとするのが一番好きなのだ。
確かに、町へ行けば心躍る綺麗な物や楽しいものが沢山あるだろう。
でも、そこに鵺は行けないし行かない。
なら、灯は父と一緒に入れる方を選ぶだけなのだ。
それに灯自身、沢山の人がいる町に行くより、山で静かにしている方が好きなのだ。
そうしてぼんやりとしていると、不意に羽音が耳に届いた。
鵺の住処であるこの山には、基本的に人も妖怪も立ち入らない。
立ち入るとしてとしても、鵺や灯の知り合いの妖怪ぐらいしか来ない。
あとは、父である鵺より強い妖怪か。
だけれど、その音に灯は聞き覚えがあった。
『―――灯、こんなところで寝ていると、風邪をひくぞ。
人の子は弱いのだろう?』
「―――天にぃ」
そこには、烏天狗の天が、漆黒を纏いながら降り立っていた。
「今日はどうしたの?
お父さんいないよ?」
『なに、灯に会いに来たのだから鵺はいらん』
灯は訪ねてきた天を居間へと招き、そして今は二人で茶をすすっていた。
「そうなの?
何か用でもあった?」
灯は自分で用意した茶菓子に手を伸ばす。
洋風のお菓子ももちろん好きだが、緑茶には和菓子は外せないとひそかに考えている。
『いやな、酒呑童子が来ていると、聞いてな』
「恭一君?
来てるよ。
今日はお父さんとお出かけしてるけど」
灯の言葉に、天はその端整な顔に皺を寄せた。
「?
恭一君と仲悪いの?」
『そのような事は無いが・・・、
なんだ、そのキョウイチクン、とやらは』
どうやら自分が彼をそう呼んでいることが気にくわないらしい。
父も同じような反応をしていた。
「名前?
そうやって呼ぶようにって言われたの。
変かな・・・」
『・・・あの色ボケロリコンじじぃめ・・・。
ぬらりひょんで十分だと言うのに・・・』
天は小さく何かを呟いたが、それが灯の耳に届く事は無かった。
『最近は何もないか?』
「うん、お父さんの呪いから出てないし、学校では恭一君がいるし」
『まぁ、酒呑童子ならまず大丈夫だがな。
なら、灯は今一人で留守番中なのか』
「そう。
ぬらりひょんのおじさまも最近来てないし」
灯の言葉に、天はふむ、と考える。
鵺もいない、ぬらりひょんもいない。
そして酒呑童子もいない。
なれば。
『なれば灯。
今日は私と過ごそう。
幼いころに会って以来故な。
今までの事を教えておくれ」
灯は天のその提案に即座に頷いた。
前は父が居て少ししか話せなかったのだ。
灯にとって、天は大人の男の人、という括りに入っていた。
そうでなければ、初恋の対象としてみなかっただろう。
それゆえに、天と二人で話せる状況に少しだけ浮かれた。
「天にぃと別れたのはいつだっけ?」
『そうさなぁ・・・、
あれは灯がまだ十になる前だったな』
「そっかぁ、ならもう五年以上は最低でも会ってないんだね。
天にぃがいなくなったあとね・・・・・・」
天は、灯の耳あたりのいい声に目を閉じた。
小さいころは、もっと高かったと記憶している。
それが、少し会わぬだけでこうも変わるのか。
可愛い可愛い灯。
天にとっての温もりの総て。
「でね、その時お父さんってば、」
『―――なるほど、それは面白い状況になったのだな』
「でしょう!
あとね、学校でね」
天は灯の話を聞きながら考えていた。
どうしたら、彼女を自分の元で守れるようになるのだろうか。
正直、酒呑童子の出現は天に危機感を覚えさせた。
酒呑童子と灯に面識が会ったとは聞いていない。
ということは、つい最近あったにも関わらず名を呼ぶ仲になっているという事だ。
学校でも一緒にいると聞いた。
そして、それを鵺が了承しているとも。
自分はそんな事は無かったと言うのに。
悋気を、覚える。
「・・・それにしても、良い天気だね」
『そうだな。
こんな日は昼寝でもしたくなるな』
ごろんと床に寝そべる灯に、天は同じく横たわった。
鵺が居ればはしたないと怒られるかもしれないが、今はここにいない。
「―――ふふっ、
小さいころ、よく一緒にお昼寝したね」
『・・・懐かしいな』
小さな灯を抱きかかえ、よく昼寝をしていた。
子供の体温は高く、そして心地よかった。
全幅の信頼を寄せられていると、感じられた。
『少し、寝よう、灯』
天は、小さいころと同じように灯をその腕に抱えた。
やはり、暖かい。
「・・・ぅん・・・」
ポカポカとした陽気のなか、二人は眠った。
それを発見し、絶叫する鵺の声に叩き起こされるまで。




