chapter1. ダンジョンをつくろう!
それはある日のことでございました。
気持ちのいい風が吹き抜ける快晴の空の中、私の体は地表百メートルほどの上空にありました。え? 空の下という表現はよく聞くが空の中は表現的におかしくないか? ですか。あぁ、飛んでたんですよ。別に飛行機に乗っていたわけでも、ヒモなしバンジーの途中だったわけでもありません。天使の移動は基本瞬間移動か飛ぶことで、私は飛ぶ派の天使ですから。瞬間移動は味気なくていけない。個人的には瞬間移動派の天使たちの気がしれません。このことを考えにつれ、やつらの翼は何のためにあるのかと小一光年ほど説教してやりたくなるのですが。
え? ぼっち天使のくせに〇〇派とかあるの? って私だって別世界の天使たちとも交流があってですね! っていうかぼっちいわないでくださいよ!
まぁ、いいです。そうして私は女神さまのところへ向かっておりました。何故なら急な呼び出しを受けたからです。「落ち着いたら天使ちゃん自身が私のとこまで来てね」というお言葉を。
――嫌な予感がしました。
私は普段女神さまの様々なお仕事のフォローや後始末、どうしても私が顔を出さねばならぬもめごとの仲裁になどに本体、分体ともに忙しく働いております。そんな私を「天使ちゃん自身」がというご指名つきで呼び出すあたりにそれをひしひしと感じたのです。いえ、正直に申し上げましょう。この時点で嫌な現実が待っているのは確定された未来なのだと私の長年の苦労が確信させておりました。目くるめく思い出される過去の苦労の数々……。それでも私はしばしその確定した嫌な未来から目をそらすため、そしてささやかな心の健康のために私は自分がその維持の一端を担っている世界を目を向けることにいたしました。私は好物から先に食べ、嫌いなものはできるだけ最後に一気に食べる派の天使なので。あぁ、なんて美しい世界……。
これを現実逃避といいます。
眼下に広がるのは見渡す限りの草原の艶やかな緑。視線を上げれば碧くそびえる雄大な山々。遠くに見えるのは天を突き抜けんばかりにそびえる青々と茂る世界樹の偉容。あぁ、なんとすばらしいのでしょう。そのどれを見ても素晴らしい風景は私の疲れ切った心に一服の癒しを与えてくれるかけがえのないものでございました。そうです、私の日々の仕事はこのような世界の営みという形で私に報いをくれるのだと、やる気を新たに、かつ少しでもこれからの困難への気力を確保するため、じっくりと景色を目に焼き付けるように私は空を飛ぶスピードを緩め可能な限り女神さまのところへとゆっくりと向かいました。先ほども言いましたが私は好物から先に食べ、嫌いなものはできるだけ最後に一気に食べる派の天使なので。
これを問題の先送りといいます。
ちなみにこうして景色を見ながら空を飛んでいるさなかにも私、数多の分身というか分体というかアバターというかそういうものを用いて仕事を遂行しており、本体たる私にはほとんど力は残っておりません。というか私は常に終わりのない業務中ですので、普段から本体である私自身は空が自由に飛べたり、(好みではないけど)瞬間移動できたり、世界根源情報へのアクセスができたりする程度で、たいして皆さんと変わらない程度の力しかないのです。コンピューター的にいうとメモリ不足ですね、誰か増設メモリを私に下さい。
そうしてせめてもの気分転換と嫌な現実への直面の先延ばしのためのろのろと飛んでいたのですが、やがて残念ながら草原の真ん中にポツリと緑以外の色が目に飛び込んできました。紅と白で交互に色分けされた大きめのパラソル。ひどく目立つそこを目指して私は少し離れたところへと降り立ちました。さすがに目の前に降りるのはいささか以上に不敬ですので。本来降りると最適な場所より少し遠めにおりました。近づくにつれて嫌な予感がいや増してきたからです。そんなとき急な突風が木々を揺らし、ついでにぐいぐいと私の背を押します。タイミングが良すぎるためにもしや女神さまがこの風を! と邪推してしまいましたが、これはただの偶然でした。ええい、空気を読まない偶然め!
そうしてじわりじわりと間合いを詰める格闘家のような気分で女神さまのところへ参りました。さながら気分は爆発物処理班の気分です。そうしてやがて見えてきた先には小高い丘のてっぺんに立てられたパラソルの下に座り込んでいる女性の背中がありました。
――女神さまです。
そのお姿は……。ありのままに見たままを描写するのが一番公平でしょう。
そよ風が吹く気持ちのいい草原の真ん中に、『こう見えてちゃんと働いてるから!』と日本語で書かれたTシャツを着た、ボサボサのブロンドヘアの女性の後ろ姿。そのまま前のほうに回ります。……はしたなく太もも丸出しのベリーショートの短パンで胡坐をかき。手には皆さんの世界の携帯ゲーム機。さらに手の届くところにおびただしい数のポテトチップスの残骸と空いたコーラのペットボトルの山。そしてボサボサのブロンドヘアが前にも垂れてまるですだれの様に……。慣れている私でもかなりクルものがあるこの光景。周囲との対比が余計にそのダメさ加減を強調するのがまたツライ。
女神という存在にうちの世界のものたちを除くすべての世界の皆さんが思い描くであろうパブリックイメージを完全に無視するこの暴挙! ここにあるのは美と麗の極みではなく、ズボラの極み!
そうです、コレがうちの女神さまです。完全に女を捨てた格好だろうが、こちらにちらりとも見ずに皆さんの世界の携帯ゲーム機で一心不乱に遊んでいようが、女性にもかかわらずはしたなく太もも丸出しで胡坐をかいておられようが、ポテチとコーラのゴミが山と積まれていようが、ボサボサのすだれ髪がホラー映画以外の何物でもなかろうが、あの方こそ皆さんの世界も含めて全神様ランキングTOP5の全世界の女性的存在の頂点に立つ私どもの女神さまでございます。
――この駄女神。
という不敬きわまる言葉が自分の脳裏によぎるのを私は止めることができませんでした。あたりに空々しく響くのはやたら勇ましいゲームのBGMだけ。どうせ戦闘中なのでしょう。ビシバシいっていました。
私は自分の口元がひきつるのを自覚しながら、それでもお仕えする神様に対する最低限の礼儀として失礼のないように膝をついてから声をおかけしました。
「女神さま、御前参りました」
「……」
「女神さま、〇〇〇〇(※ 危険防止のため自主規制)、御前に参りました。ご用件は何でしょうか?」
「…………」
ピコピコうるさい。
「……め・が・み・さ・ま!」
「ふぁあ! 天使ちゃんいつの間に!」
「先ほどから御前におりますが」
「あ~、ごめんねぇ」
そういいながらボリボリと左手で頭をかく女神さま。そして右手はゲーム機を手放さない。なんと嘆かわしい。あまりにゲームに夢中になるがあまり十年単位でほとんどこの場所から動かず、日夜寝て起きてポテチ食べてゲームして、寝て起きてコーラ飲んでゲームしてを繰り返しておられるのです。いや、いいんですよ? Tシャツに言い訳の様に書かれた日本語のメッセージを見ずとも、ちゃんとお仕事自体はしてらっしゃるの知ってますから、誰にも責められることがないのはこの私も重々承知いたしておりますとも! ですが、女神さまとして要求されてしかるべき最低限の威厳とか、荘厳さとか、らしい態度とか、見栄とか、そういう世間様一般にとても大事だと思われている、実はとてもとても大事かもしれない、すごく大事だったはずの私から家出した何かを見せてほしいと思うのは高望みでしょうか? 高望みですね!
それにしても皆さんの世界のゲームというのはどれもこれもとんでもなく恐ろしいですね。あの女神さまが皆さんの体感時間で十数年以上、しかもRPGでしたっけ? そのジャンルに絞ってさえまだしゃぶりつくせていないとは。私もこの後すぐにデータには目を通しましたが、よくもまぁここまで中毒性の高い娯楽を追求できるものだと感心してしまいました。そんな皆さんの世界のゲームだからこそ、ここまで時間が稼ぐことができたんだと思うんですけど。ですがここでタイムオーバーです。
意を決して私は聞きます。
「……女神さま、それでわざわざのお呼び出し。どのようなご用件でしょうか?」
私がそういうと女神さまの目がぴかーと光ったような気がするほど明るくなり、すだれたブロンドヘア―をかきあげながらはしゃぎだしました。
「そうそう! あのね、私RPGをつくろうと思うの!」
――嫌な予感的中。前回のサクラダ・ファミリアをつくりたい! を否応なく思い出させる一言。即座にせめてもの抵抗開始。
「……そうですか。ではがんばってください」
そういって私は御前から回れ右して下がろうとしますが、
「え? どこにいくの?」
「仕事に。まだまだほぼ無限にございますので」
「え~、別にいいよ。なんなら私やるから」
「いえ、そんな恐れ多いこと。私の仕事ですから」
「え? 天使ちゃんの一番大事なお仕事は私と楽しく遊ぶことだっていつも言ってるじゃん」
「……それが一番重労働だと言ってるんですが」
「え? 何か言った?」
「……いえ、何も」
恐ろしいことにここまでが一つのテンプレートでございます。私が女神さまにお仕えするようになった時から数えきれないほど繰り返してきたお約束でございます。脱出不可能であることを確認、あきらめが肝心と大きなため息を一つ落としてから目を閉じ、RPGとやらの情報を得るために世界根源情報へとアクセスしました。
――ロールプレイングゲーム。略称RPGとは元々皆さんの世界のアメリカ国発祥のミニチュアゲームから派生したテーブルトップゲーム。コンピューターRPGはその派生物。
さらに検索続行。
――コンピューターRPG。コンピューターRPGはコンピューターゲームのジャンルの一つ。主に成長要素、リソース管理要素、物語演出要素、冒険探索要素などの要素を含む、特に日本で発達したゲーム形式。アクションゲームなどよりは全体的にプレイヤーの反射神経や操作技能に依存しない。
なるほど。つまりRPGとはコンピュータープログラムで構成された冒険活劇などを娯楽化したものということなのだと私は理解いたしました。これを作るのならそう難しいことはないでしょう。何故なら女神さまの超得意分野ではありませんか。だって世界そのものを作るのに比べれば、プログラムしなければいけないものの量が桁外れに少ないですから。これなら今回は楽勝かも……、と考えていた私に次なる女神さまの御言葉がかかりました。
「それでね、まずはダンジョンをつくろうと思うの!」
「……ダンジョン、ですか」
ん? 検索した限りRPGを作るならどういうストーリーとゲームシステムにするかを考えるのが先ではないか? と思いましたが、また未知の言葉が出てきたので今度はダンジョンを検索。
――ダンジョン。ダンジョンとは元々「地下牢」を意味し、城などの地下に造られた監獄や地下室を指すそうですね。それが今では『ダンジョン』という言葉は、一般的にゲームの中に登場する『ダンジョン』を意味し、日本語に訳すと「迷宮」や「地下迷宮」と、なる。ダンジョンには主に洞窟型、塔型、城型などが存在する。次に具体的なデータを検索。既存のRPGゲームのダンジョン平面図を全て頭に叩き込みました。
つまりダンジョンとはRPGにおける主戦場。主人公たちが戦い、惑い、そして困難に打ち勝つ試練の場ということ。確かに最初に考えるべき課題かもしれません。
そう思った私が目を見開いた先には、先ほどまでの草原のど真ん中にいつの間にかそびえたつごつごつとした岩山。
そしてその前に雄々しく立つ『安全第一』と書かれた黄色いヘルメットをかぶり、首からタオル、肩にはつるはしを担いだ女神さまが。
「さぁ、掘るよ!」
「マジかぁ!」
――この駄女神、ダンジョン手掘りする気かぁ!?
このとき私の思考を気づいてはいけない禁断の閃きがシャイニングウィザードばりに強襲! 顎を撃ち抜かれたかのような衝撃に愕然と震え、地面に両膝をつきながら頭を振ります。まさかまさかそんなことはと思いながらも確かめずにはいられない。そんな自分を呪いながらも私は女神さまに確認をいたしました。
「女神さま、一つお尋ねしたいのですが?」
「え? 何?」
「RPGは何の略ですか?」
その私の質問に、女神さまは満面の笑顔でいつの間にか手にしていたヘルメットなど一式を手渡しながら、
「嫌だなぁ、決まってるじゃないか。
――RPGだよ!」
と言い切りました。
こうしてかつてない困難の始まりを予感させる一言とともに、いつものように唐突に私の受難の時は始まりました。お願いだから帰ってきてR!