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いつの間にか朝だった。




 ババアが言うには、さくらの引越しの日。


 このタイミングでだけど、体が酷くだるかった。

 思い込みすぎて体に変調をきたしていたよ。


 体が少し熱い。


 俺の思い込みのはずだったが、寝て起きたら本当に体がだるかった。


 プラシーボってやつですね。


 俺の様子を見て、母親が体温を測ってくれた。


「37.8分……。やっぱりちょっと熱があるわね」

「うん」


 滅多に見かけなくなった水銀の体温計を振りながら、母親は心配そうに呟いた。


 先端をめっちゃこすって、操作する技術を当時の俺は知らなかったので、計った体温は本当の体温だった。

 この技術、後日、大活躍。


「何か食べたいものある?」


 俺に熱が本当にあるとなるとわかると、母親は優しかった。

 いつの事だったか、丸広にあるハーゲンダッツのアイスも買ってくれるくらい優しくなった。


「ううん。あまりたべたくない」

「アイスなら食べれる?」

「うん。アイスなら」

「なら買ってくるわ。ちょっとまってて」

「うん」


 そういって母さんは一階へ降りようとした。


「ねぇ。ママ……」

「ん? なに?」


 体調を崩していることもあって、かあさんはずいぶんと優しい声色で俺に聞き返してくれた。


 俺はこの時、聞きたいことがあった。

 それは。




「きょう、さくらちゃんのひっこしだけど、ねつでていたらいけないかな?」



 自分を楽にしたいあさましい質問だった。

 


「……そうね。また機会がきっとあるわ。だからしょうがないわよ」

 そういって母さんは優しく笑った。


 俺はそれを聞いて安心してしまった。



 何故か?




 言い訳が出来たからだよ。

 



 体が調子が悪いなら、とても外には出れないし、さくらの家まで行けないよ。


 だからさくらに謝りに行けなくてもしょうがない。


 これが最後の機会だけどしょうがない。


 そしてその結論は母親も了承している。


 さくらとの最後に謝れる機会だけど、こうなったらしょうがないよね。

 だって熱を出しちゃったんだから。母親がいいって言っているのだから。

 




 そんな考えが、下種な考えが、俺を少し安心させた。





 ……最低だよな。







「そうだよね。ありがとう」


 かあさんは笑って、下へ降りていった。


 母さんの発言は俺の免罪符になってくれた。


 さくらに謝る機会を、逃がす言い訳の裏づけとなってくれた。




 体が熱でだるくて、どうしよもなく辛い体の調子ではあるものの、もう俺は安心しきっていた。

 どうしようとは思ってはいたが、もう解決してしまったと。

 あれほど悩んだことがもう悩む必要がないということ。

 さくらに謝る必要がなくなったということ。

 辛かったことから解放されたということ。

 



 ……この結論で、本当に解放されるわけではなかったのに。




 そう思っていたら、また少しずつ眠気が襲ってくる。

 現金だよな。

 話していると嫌になってくるよ。


 でもね。

 そんな俺の甘えを見逃さない人がいたんだ。


 いや。


 いてくれたんだ。




「な! なんですか! 急に…」


 母親の尋常ではない声が、玄関から聞こえてきたんだよ。



「ちょっと邪魔するよ」

「あ、ちょ、なにしているんですか」

「ふん!」

「あ! やめ」



 聞いたことのある声が俺の眠気を覚ました。

 いや、覚ましてくれた。



 話している内容を聞くと、もしかしたら新聞員にお母さん狙われているのかもとか思ったけど、切羽詰った声からそんなことはなかったよ。


 ジャキ! という金属と金属が擦れるような音がした。


 聞いたことのある声、色々嫌な思いをさせられた声が益々近くなってくるのがわかる。



「あの子、今、熱だして寝てるんですよ!」

「ちょっとくらいの熱より、後で後悔するほうがまずいんだよ!」


 そして階段を上る音も聞こえてきた。


 この声に随分とトラウマを増やされてきた。


 古式泳法しこまれたり、児童労働されたりと、本当に散々な思いをさせられたんだぜ?

 特に泳ぎは未だに古式泳法でしか泳げないさ!

 

「ちょっとくらいの熱って……! 私の息子になるするつもりなんですか!」

「あんたの息子でもあるが、私の弟子でもあるんだよ!」



 1学期の間だけなのに、思えば弟子になってからの思い出がすごく多い。


 それはトラウマだけでなく、認めたくないが、本当に認めたくないが、いい思い出もあったからかもしれない。

 ちょっとズレた視点ではあるが、色々俺の手助けをしてくれたのは間違いなかった。


 自転車の特訓、手伝ってくれたし。


 冒険の旅行では、俺に男らしく出来るきっかけを与えてくれたし。


 この時も、俺を思って行動してくれた。




「バカ弟子!」

 



 罵声と同時に思いっきり、ドアが開けられた。



 勢いあまって開けられたせいか、ほぼ叩きつけられてた。



 そこにはいつものドレスみたいな服を着込み、母親を腰に纏わりつかせ、顔を真っ赤にした阿修羅な、占い婆が立っていた。



「……なにしてるんだい?」



 ババアの押し殺したような声だった。

 明らかに怒ってますと言いたげな声だ。



「僕、昨日から、熱をだしちゃって、その」



 俺は必死に言い訳をしていた。



「だから呑気に寝ているっていうのかい?」

「……」


 沈黙で答える。


「あんたがサクラちゃんに何を言ったか、覚えているかい?」

「……」



 ババアが何を言わんとしているかは、いくらアホな俺でも薄々感づいてきた。 



 それに対して何も言い返せなかった。


「行くわよ」


 ババアは黙り込んだ俺の腕を掴むと、無理やり起こした。

 俺は少し目まいを起こし、よろけながら、ババアの力でなんとか立ち上がる。


「キヤァー!」


 よろけた俺を見た母親が奇声を上げた。


 母親のわりとマジな奇声、初めて聞きました。


 クラクラしながらも、立ち上がる。


 ババアに何かを胸のあたりにビニール袋を押し付けられた。


 カシャカシャ言う袋を見るが何を言わんとしているかわからんかった。



「これに着替えな」


 熱で朦朧としながら、袋の中身を取り出すと服が入っていた。


 なんと袋の中には俺のサイズピッタリの紺色のダブルのスーツが。



 いつ測ったのババア!



 いや当時ダブルのスーツ流行っていたけどさ!


 それを見て固まっている俺に、ため息をかけながら続ける。


「本当は鎧擬亜か神甲冑を用意しようと思ったんだけどねぇ……」


 もっと無理。


 ちょっとマニアックだし、その時放送終わっているし。しかもリアルとか言うと、このババア本当に用意しかねん。

 あとセイントセイヤの方が流行っているし。でもブーム終わっているから、どっちもないな。


「ほんとうに!?」


 でも当時の俺は神甲冑を着てみたかったから。ちょっとテンション上がっている発言。


「いい加減にして下さい! たかしは病人なんですよ!」


 母親もこの場の雰囲気が母親の意図するところからずれていることに気がついたみたいで、方向を修正しようとしたみたい。




「そんなのは知っているよ!」




 ババアはそんなオレママを一喝する。そしてさらに続けた。


「こいつに初めて会った時! 未来を見ちまったんだよ! こういうことがあるから占い稼業は嫌なんだよ!」


「未来って…」


「こいつの未来だよ! 確かにこいつは病人さ! でもね! それでも! 病気の体をおしてでも! やらなければならないってこともあるんだ! 今がその時なのさ! だからあたしはこいつを市中引き回してでも連れてくよ! 」


 それは死んでしまうよね。

 黙ってしまった母親から目線を俺へと移すと返す刀でさらに切りつけてきた。


「たかし! 今回はあたしが決めてあげる! 本当はあんたが行くか行かないかを自分で決めなければならない! でもあんたはまだ小僧! だからあたしがいいと思うほうを選ぶわ! でもこういうのは自分で決められる男になりな! 」

 




 俺は全てをわかっていた。





 ババアが何を言わんとしていることをわかっていた。


 わかっていて、逃げようとしていた。

 自分が病気というのを理由をでっち上げて、逃げようとしていた。


 さくらを傷つけておいて、その責任、人を傷つけたら謝るという、誰もがやる道理から逃げようとしていた。


 心の奥底ではわかっていた。


 自分がさくらから謝ることを逃げていることに。


 友達との喧嘩は初めてだったわけではない。これまでの友達との喧嘩は、なんとなく仲直りは出来ていた。


 でも今回はこの時を逃してはもう謝れないだろう。

 親友と思える、初めての相手と喧嘩別れしてしまう。


「なんのことを言っているかは、わかってるね!?」





 そんな終わり方は嫌だ。





「わかった。さくらのとこにいく」




 ババアには言われたことがきっかけではあるが、俺は自分の意思でさくらに会おうしたと、今でも思っている。

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