16
それからさくらと会えなくなった。
体調を悪くしたらしい。学校に来ることがなくなった。
だから放課後にお見舞いに行ってみた。
でも。
「さくらちゃんいますか?」
「ありがとうたかしくん。でもごめんね。さくら、今は体調が悪くて、家から出たくないみたい」
「そっか……。しんぱいだな。げんきだしてっていっておいてください」
「はい。言っておくわね」
「うん」
といったやり取りで終わる。
朝、さくらの家の前で待っていると
「ごめんね。たかしちゃん。さくら。体調がよくないみたいなの。今日は学校を休ませるわ」
「……そうですか」
「えぇ。気分的なものだから、すぐ治ると思うのだけども、今日は大事をとって休ませることにしたわ。ごめんね。待ってもらっちゃってるのに」
「うん。げんきになってって、いっておいて」
俺は一人で学校に行くようになった。
さくらはさ。体が弱かったから、体調を悪くして学校を休むことはしょっちゅうだった。だから2、3日すればひょっこり直ってくるとは思ってはいたんだ。
……いや思い込んでいた。
初めての夏休みが近くなってわくわくしてしょうがないはずなのに、さくらのことが気になってしょうがなかった。
とうとうさくらは1学期の終業式にも、学校に顔を出すことはなかった。
終業式が終わって、夏休みになった。
その日は近所の神社で夏祭りがあった。
ナカちゃんと一緒に回った。1000円というお小遣いをもらって、ふたりして回った。
でも。
ナカちゃんには悪いが、さくらのことが引っかかっていた。
だからか、ブルーハワイのカキ氷を食べていても、やきそばを食べていても、ラムネのシュワシュワもつまらなかった。
翌日、夏休みの初日。その日が日曜日ということも忘れて、跳ね起きていた。
なんか学校を寝坊したかのような気分になっていたから。
「にちようだった」
子供ながらに疲れたような声を出した。
タイマーでかけていたクーラーはとっくに切れていて、起きた瞬間、蒸し暑い。時計を見てみると朝6時だった。こんなに早く起きたのにラジオ体操は月曜から。損した気分になってくる。
となりに眠っている両親を起こさないように、ゆっくりと布団から抜け出して、リビングへと降りていった。
ついに待ちに待った夏休みになった。
7月の夏休み。
この時期が一番わくわくしない?
これからどんなことをするのか。どういうことが起きるのか。考えるだけでもう……! 柴犬だったら、とりあえず家の周り2、3周してる。
でもそんな、ワクワクを100倍にしてパーティの主役になろうという気分にはなれなかった。
さくらに酷いことを言ったのがやっぱり尾をひいていた。
近所の子供の喧嘩なんて、どちらが悪くても謝ってまた何事もなかったかのように遊んで、喧嘩を終わりにしてしまうものだと俺は思っている。
だから今度会ったときに謝ればいいと思っていた。
また学校は始まる。それにもしかしたら、夏休み中さくらにばったり会うかもしれない。さくらは近所にもいる。いつかは謝る機会は訪れるだろうと。
午前7時。
インターフォンを押すがババアは居留守。ババアシカトからの嫌がらせインターフォン連打によりなんとかババアの家に侵入した俺は、さっそく雑巾がけをしていた。
それを眠たそうに掃除にいそしむ俺を薄気味悪く見ているババアは、とりあえず着替えてきて俺に指示を出してきた。
「その床掃除が終わったら庭の草むしりやって、終わったら家に戻って出された宿題全部持ってきな。私がじきじきに隠すから。あとツヨシしっかりしなさいを録画予約しなさい。CMカット予約よ。ビデオデッキに入っているのはつめを折って机の上に置いときなさい。ツヨシしっかりしなさいをとるテープは新しいテープ。ファミリーマートで買ってきて。そうしたらお茶入れて飲んでいい」
「わかんないよ……」
内容も内容で、お腹いっぱいだけども、第一に早口すぎて全然わからなかった。
「わかっているのだけでいいわよ。嫌がらせのつもりで言ったから」
「……」
相変わらず、思いっきりテトリスの縦の棒をババアの肛門にぶっさしてやりたくなるような婆さん節ではあった。
でも以前ほど怒りは湧いてこなくなってはいた
。
でもこれは調教にあたるのでは? もしかしてババアの術中にはまっているのではないだろうかと、後日ちょっと悩むのはまた別の話。
言うだけ言って満足したのだろうか、ババアはのそりのそりとどこかへ消えていった。
「えーっと、なんだっけ? ツヨシしっかりしなさいを、ビデオデッキにはいっているテープにとるんだっけ」
そのテープに入っていたのは、最近封切りになったすごく楽しみにしていた映画だったらしく、後で凄く怒られた。
でも後から聞いたら、そのビデオテープは劇場映画を家庭用ビデオで撮った違法なものなので、結果として俺はいい子だった!
むしろババアを怒るべき。ってかあのババア億万長者の癖しやがって、やることがケチクサすぎるっての。
テトリスの棒を肛門にぶっさすべきだね。それもカギ十字みたいなやつ。アナルに衝撃のファーストブリットした後、出せなくなるようなつくりのやつ。
そしてブロックが揃ったことによりババアも消えます。
それでもけなげな俺は、ババアの言われたことを覚えている範囲でこなしつづけていた。
庭の草むしりがあらかた終わった段階で、蚊に刺されたところを掻いていると、俺の体に影が重なった。
ババアが後ろに立っていた。
「それにしてもあんた。これから寂しくなるわね」
「へ?」
影でちょっと涼しいなと思いつつ、このおばあさんは何を言っているのだろうと俺はハテナマークを浮かべた。
ボケたのかな? 法定後見人の出番かな?
とは子供の頃の俺は思わなかったが、言っている意味がわからなかった。
「ほら。さくらちゃんのこと」
「さくらが?」
ババアはとっておきのヒントを出したつもりなのだろうが、俺にはやっぱりとんと理解できない。
「あんた、ホントに知らないんだね……」
鸚鵡返しで返事をする俺にババアは呆れたように呟いた。
それでもキョトンとする俺にババアは呆れた様子をしながらも諭すように、伝えてきた。
「さくらちゃん。転校するんだって」
何を言っているかがわからなかった。
「て、てんこうって……。あの、そのべつのがっこうにいっちゃうって……アレ?」
夏休みに入る前に村上が転校するためにお別れ会をやった。折り紙の鶴をなんとか折って、プレゼントとして渡した。
新藤先生が村上とはもう学校では会えないと言っていた。
「そうだよ。急に決まったらしい。もう2、3日で東京へ行っちまうんだとさ」
「そ、そんな……さくらが……」
つまりはさくらにもう会えない。
高校生になった俺ならば、そんなことはないのはわかる。
大げさだなとも思うのかもしれない。
東京だったら電車で行けるとかそういった発想を持つけどさ。俺はその時は小1だぜ。
今生の別れって思ったし、実際そうだろ?
君は転校した友達とずっと関係が続いたことあったか?
メールや携帯があるわけではない。
でも手紙ならあるし、電話だって通じる。
連絡をとろうとするなら、別に取れる。
それでも友達関係が続いたってやつは少ないと思う。
やっぱり人間関係ですぐに会えるか会えないかっていうのは相当デカイ。
例えば俺のリサーチの結果では、中学のときから付き合っていて、高校が違くなったやつは結構別れている。
メシがうまい!
この時はそんなことまで考えていたわけではなかったが、でももう会えなくなるっていうのはじわじわと理解し始めていた。
「い、いついっちゃうの……?」
「あしたって言ってたわよ」
「あした……!?」
あまりにも急だった。
だって、俺は何も言われてないかった。
近所だし、友達だと思っていた。
なのに何も言われていない。
……そうなってしまう事に身に覚えはあったのにな。
「あんた。何も言われてなかったみたいね」
「う、うん」
そこでババアは人を頭からがぶりと噛めそうなくらいに口を歪まさせて笑った。
「ぷぷー。なにそれ」
そこからゲラゲラと笑い出した。
「私にはちゃんと挨拶にきたわよ。あの子いい子よねー。近所で人間扱いしてくれるのあの子くらいだわ!」
バンバンと机を叩きながら、さらに笑う。
「あんたには来てないの! これはどういうことかと言うと! あんた嫌われてんのね! あんな遊んでんの! これはゆ」「きらわれてなんかない!!」
ババアの言葉を遮るように怒鳴った。
「さくらとはようちえんもいっしょだった! よくあそんだし! きんじょでちっちゃいころからいっしょだった! クラスはちがうけどほうかごはよくいっしょにあそんだ! そうだ! いっしょにたんけんでとうきょうにまでいったし! だからぼくらはなかがわるいわけない!」
必死だった。
必死にさくらと友達だと言った。
なぜなら、身に覚えがあったから。
さくらに嫌われてしまったという覚えがあったから。
それを否定する為に、さくらと仲がよいことを必死に主張した。
「ふぅーん」
そこでババアは一瞬止まる。
「でも何も教えてもらってないんだろ?」
「……」
俺はその通りなので、何も言い返せなかった。
そこでババアはその沈黙が答えとばりに、革新をつく。
「かぁー、可哀相に。本当は嫌われてたんですね。残念!」
そこが限界だった。
「う……、うわぁーん!」
ババアにはそれすら面白材料だったようで、結果、反論の余地がないくらい潰された。
俺はついにはババアの家を飛び出した。
もう涙が止まらない。
泣きながら走った。
とっても悲しかった。
何故だろう?
俺はさくらと喧嘩したから、俺のせいでさくらが転校してしまうんだと思い込んでいた。
俺と喧嘩しなければ、さくらは転校することはなかったのだと。
だからさくらが転校するのは俺のせいだと思い込んでいた。
超理論なのはわかるよ?
でも子供のころって、そういう思い込みがないか?
もしかしたらって思いが積み重なって、大人では思いもつかないような罪悪感を背負ってしまう。
家に飛び込み、泣いているのを知られたくないから、二階へ凄いスピードで駆け上がっていった。
一緒に寝ている両親はもう起きて一階にいるから、布団には誰もいない。
泣いていることがばれないように、すぐに布団に潜り込んだ。
俺のせいだ。俺のせいだと思いながら、とにかく泣いた。
さくら。俺の一番の親友。
近所にいて、小さい時からいつも一緒だった。
色々な思い出が頭の中に浮かんでくる。
楽しい思い出ばかりだ。
悪戯だってしたし、楽しかった。
気が弱いところもあったけど、さくらは本当に優しかった。
さくらと一緒にいるだけで楽しかったんだ。
親友だったんだ。
「たかし! ごはんよー」
母親の声が時間が経ったの教えてくれた。
頭の中でどうしようどうしようと思うだけで、何一つ進んでいなかった。
「ごはんよー」
「……」
10分後。
「ごはんって言っているでしょ!」
けたたましくドアが開けられる音と母親の声がかなりうるさかった。
母親みたいな目覚まし時計があったらいいのにね。
絶対に教えてくれるし、起きないとそのたびにテンションをあげて起こしてくれる便利なスヌーズ機能までついてくる。
でもこの時はマジでうっとうしかった。
母親は俺の布団を勢いよく引っぺがした。
周りは薄暗い。夏でこの薄暗さはもう6時7時なのだろう。いつの間にこんな時間が経っていたというのが意外だった。
「……いらない」
昼飯を食べていないはずなのに、何故か腹なんて減っていなかった。
俺は食欲がなくなるって経験なんてしたことなかった。
どんな状態でも腹は減るし、緊張していたとしてもまったく腹が減らないってことはない。
「え?」
だから母親にとってもその一言は意外だったらしい。
「ちょっと、たかしちゃん。あなた具合でも悪いの?」
そういって、母親を俺のおでこを触った。
「うーん。熱はないと思うのだけど……。なにか食べれる?」
「なにもいらない」
何も食べられる気がしなかった。
「気持ち悪い?」
「ううん」
「だるい?」
「ううん」
「せきとか鼻水は?」
「ううん。ない」
母親はそれだけを聞くと、ちょっと悩んだそぶりをする。
そりゃそうだ。病気でもなんでもないのに、体調を悪そうにしているのだから。
「じゃあ、おにぎりを後で持ってきてあげる。今日一日はそのまま寝てて、明日、お医者さんに行きましょうね」
とりあえず様子をみるという結論に至ったみたいで、母親は下へ降りていった。
俺はそれからも布団に入り続けていた。
その日、夢を見た。
夢なんて翌日にはすぐ忘れてしまうのだが、この日の夢はよく覚えている。
過去を振り返るような夢だった。
二人で近所の駄菓子屋でアイスを買いにいったことがあった。
買ったアイスを俺は落としてしまって、俺は泣き出してしまった。
楽しみにしていたアイスだったのに。
泣きながら地団太を踏む俺に、さくらは自分のアイスを分け与えてこう言った。
「わたしのあげる。たかしくんのアイスはありさんにあげたの。ありさんはたいへんだから、たすけてあげるたかしくんはやさしいね」
そういって自分のアイスを俺にくれた。
あいつは優しいやつだ。嫁にするならあんな女性がいいと思う。
そんな優しいさくらに俺はとてもひどいことを言った。
俺のせいで転校してしまう。
転校したらもう二度と会うことが出来ない。
もう一緒に遊べない。
もう謝ることも出来ない。
そう考え込んでしまい、もう罪悪感で押しつぶされそうだった。
さくらのことが嫌いなわけがない。
ブスだなんて思っていない。さくらは美人だ。とってもかわいい。
さくらは俺の親友だ。
本当は、お祭りはさくらと一緒に回りたかったんだ。




