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「ボク、じてんしゃにのれるようになったよ!」


 しばらくその言葉が俺のジャステイス。


 も―。誰彼かまわず言いまくってたね!


 その時の流行語のきんさんぎんさんを上回るくらい、俺の中で流行ってた。


 とにかく嬉しくてしょうがなかった。

 自分が苦手としている壁を乗り越える経験って、それが始めてだったから。


 その後、逆上がりの特訓とか逆立ちの練習とか色々やるんだけど、出来ないことを自分の力だけで乗り越えたのはそれが始めてだった。


 俺でも出来る! っていう意識まで持っていたわ。


 最初は相手をしてくれた友達にも段々煙たがれてきて、最後は桜くらいしか相手にしてくれなかったけど。

 いや。ホントあのころの興味ない話題に対する子供の扱い方って、ひどいからね!


 たまにストレ―トに、「その話もう聞いた」とか言ってくるから。


 ババアなんて、その話を聞いているフリをしながら最終的には自分の自慢話にもっていく大人だったけどね。


「さくら! きのうはじてんしゃでえきまでいったよ」

「おぉ! すごいねぇ」

「きのうまでは2ちょうめまでくらいだったから、これはすごくない?」

「うん。たかしちゃん。すごい」


 それで俺は今日も今日とて、さくらに乗れるようになった自転車についても自慢をしていた。

 これで何回話したかわからない。


 何回もやったやり取りに、さくらはまだ付き合ってくれているんだぜ?


 もう他の友達なんて、またおじいちゃんがご飯食べてないって言ってるよ。くらいの反応なのにさ。


 さくらちゃんはそんなおじいちゃんに付き合ってくれる、優しい息子の嫁ですよ。


「おれ、あいぼう(自転車)があればどこへでもいけるよ」

「え、あはは」


 でもついに自分の自転車を相棒と呼ぶような、格好つけるような発言がでるようになると、さすがの桜さんも撤収準備(愛想笑い)にかかっていた。


「ゆうえんちとかもじてんしゃでいけるかもね」


 でも優しい桜ちゃんは話題を広げてくれる。


「おぉ―。ディズニ―とかもいけるぜ」 

「ディズニ―……」

「こうらくえんとか」

「こうらくえん……」

「むさしのむらとか」

「ミッキ―といつでもあえるかも……」


 むさしのは村スル―された。


 自転車で遊園地に行ける可能性の話をしていると、一歩引いている桜さんも俺の熱に浮かされつつあった。


 なんだかんだでまだ子供だよな。でも実際子供だし、小学校1年だし。


「でもじてんしゃだったら、ほんとうにとおくまでいけるかもね」

「そうだよなぁ……」


 その会話をした後、俺の中では全米を震撼させるほどの、一大スペクタクル感動巨編の計画が生まれつつあった。







「じてんしゃで、とおで?」


「いや、とおでじゃないよ! ぼうけんだよ!」


 お昼休みに桜のクラスに乗り込んで、大声をあげる俺にクラスの中で遊んでいる生徒は迷惑げにこちらを見てきた。


 クラスの友達のおにごっこの誘いを断り、俺は一人だけ座って未だに昼ごはんとにらめっこしている桜に自分の考えをぶちまけた。


 桜の前の誰も座っていない席に座り、戸惑っている桜に話しかける。


 その内容は前日の会話から思いついて、とことん膨張してしまった計画についてである。


 その日の夜に、桜と話した内容が、雪だるまが大きくなっていくように俺の中で大きくなっていき、お母さん寝れないよ―。となってしまった。


「どこにいくの?」

「よくかんがえてないんだけど、あらかわまでいってみようとおもう!」

「あらかわってどこ?」

「ひたすらとおいらしい。でもそこをこえるととうきょうなんだってさ。わくわくしてこない?」

「……こわいよぉ」


 怯えたように顔をしかめる桜。


「いいじゃん。いっしょにいこうよぉ」

「え―。……でも。おかあさんからあんまあぶないことしちゃいけないって、いわれてるし」

「あぶなくないって。ただじてんしゃでとおくにいくだけ。おれといっしょにぼうけんのたびにでかけよう!」


 穴だらけもいい論理だったが、押して押して押しまくった。

 当時でもなんとなくわかっていたけど、桜は押しに弱い。気が弱い。それにつけ込んでひたすら押しまくった。


「でもこわいよ」

「こわくなんてないって。いざとなればおれがついてる」

「……だいじょうぶかなぁ?」

「だいじょうぶだよ。なにがしんぱいなの?」

「だってたかしちゃん。つうがくろでも、わんちゃんがほえるみちはぜったいとおらないじゃない」

「な、なんでしってんだよ。そんなこと」


 事実でした。当時、前を通ると全力で吼える犬がいまして、そこの前を通るのは凄く嫌でした。遠回りするくらい。


「じてんしゃだったら、シャ―って、すごいはやさで、まえをとおれるからだいじょうぶだって」

「……」

「かえりにだがしくらいおごってやるからさ」

「……」


 駄菓子では釣られてくれませんでした。

 でも俺は絶対ひかなかったね。

 最終手段。黙って、さくらを見つめ続けた。


「……わかったよぉ。いくよぉ」


 ついに根負けして、さくらは諦めたように呟いた。


「ほんと? やった!」


 押し売りが成功し、ガッツポ―ズまでとってしまう俺。仲間が出来たのである。

 RPGでも仲間が出来れば嬉しい。序盤の盛り上がりの一つである。BGMでも流れそうな幸福感。


「でもなんでわたしなの? おとこのこのおともだちといけばいいじゃない……」


 それでも押し切られたことを理解しているのか、ぼそっと桜が恨みをこぼす。


「いちばんなかよしなのはさくらじゃん!」

「……へ?」

「そうだろ? いつもいっしょにかえってるし。さいきんぼく、ほうかごはおばあちゃんのとこかさくらとあそぶかだよ」

「……」

「さくらはおれの! いちばんのしんゆうさ」

「……そっか」


 真っ赤な顔になりながら、桜はちっちゃく呟いたよ。


「で? これまだくえてないの? だからあそべないの?」

「……うん。でもおなかいっぱいになっちゃって」


 さっきの真っ赤の顔から一変、せつなそうな顔になって小さい声で呟く。

 机に敷かれたきれいなハンカチの上にはアルミのお盆とアルミの皿。そしてその皿にはでっかい魚の南蛮漬けが横たわっていた。白いご飯も少し残っていた。


 あの給食の皿って、陶器とは違って割れないけど、アルミもなんか囚人の食事みたいな無機質を感じるよね! スプ―ンとかと接触するとカシャカシャと金属音が嫌だし。


 桜がいる2組では、先生が厳しくて、給食を残すことは許さない。食べるまでお昼休みを迎えることが出来ないのだ。


 噂には聞いていたが、実際やられているのは初めて見た。



 その光景は想像していたよりも嫌なものだったよ。



 まるで周りからは罪人としてつるし上げられて、しかもみんなからはつるし上げられていることすら忘れられているように、空気のように扱われている。


 だって、クラスの連中、それぞれ好きなことをしているし。


「よし。はし、かりるね」


 それを見て思った。だって友達を救うのは当然だし。


「え、ちょっ」


 戸惑いの声を上げる桜からピンク色の箸を奪い取ると、早技がごとく皿に余った給食を自分の口の中に放り込んだ。

 正直、南蛮漬けの味付けって、酸っぱいのが子供としてはあんま好きじゃないけど、食えないわけではなかったのです。


「ごちそうさま」

「……」


 さっきよりも真っ赤な顔をして、こちらを見ている桜。


 当時は風邪でも引いているのではないかと、真剣に思っていたのだが、当時女の子の間では間接キスという言葉が流行っていた。


 ……俺、そういう恋愛とか人に気を使うのを全然やっていなくて、間接キスを知るのはちょっと後だったんだけど。


 おませさんなんだけど、そういう所は小学生って、純真だよなぁ。

 それから何ヶ月がたって初めて、桜が赤くなった意味に気づいた。


「おれのしんゆうよ。これからもたべきれなかったきゅうしょくはぼくがたべてあげよう」


 でも俺はまったく気が付いていなかったのです。偉そうに能書きをさくらにたれていた。


「え!? でもいいよ。そんな……」


 桜は真っ赤になりながらも、お礼を言ってくる。全然気が付いていない俺とは違ってちゃんとリアクションしている。


「えんりょすんなよ。しんゆう」

「……ありがとう。でもいいの?」

「おやすいごようさ! だからぼうけんのことわすれんなよ!」

「うん!」


 桜は顔のバランスが崩れたんじゃないかって、思うくらいの笑顔を俺にくれた。

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