九十八歩目
一人一部屋という、中々に豪華な待遇を受けた四人。
無限に続く崖の壁に沿うように幾らでも部屋が作れた為、ここ『セリオニア』では、過去に住居を余分に作り上げたらしい。そのせいで、空いている横穴は数多あるという。
予想もしていなかったのは、なんとベッドやらテーブルやらという生活の道具が揃っていた事。こう言うと失礼だが、横穴に住んでいるというから、彼らは少し原始的なイメージを抱いていた。
どうやら、なりはこうでも立派にムラとしてやっているらしい。この家具類はドゥーランからの商人と売買しているらしく、ブレイアの短剣などもそこから手に入れたという。所謂お得意様のような存在がセリオニアには一人や二人、いやそれ以上いるのだろう。
そんなふかふかの心地良いベッドに包まれ、地下というひんやりした適温な環境で快適に瞳を閉じているのに──チルフは、
「……眠れねえ……」
ギンギンに瞳が開いていた。
彼女自身は気付いていなくとも、己の中に渦巻く嫉妬と恐れの感情は精神に異常をきたしているようだ。最早夜も更けているというのに、全く眠気が襲ってこないのだ。
ガバッ、と勢い良く上半身を起こすチルフ。暗い室内なのにギラギラと目が冴えてしまう。身体は気怠く、長旅の疲れが表れている……にも関わらず、精神の底が強制的に眠る事を拒否しているような気分だ。
「……ションベンでもしてくっか……」
眠る時はいつものパーカーを脱ぎ、へそより上の短いタンクトップが露わになっている。普段履いているレッグウォーマーも外し、素足が見えていた。
土に直に素足を着けると、夜のひんやりとした温度を感じる。そこで靴を履かなかったのは、単に必要としなかったから。彼女は清潔感より面倒臭さを重視するタイプなのだ。
とは言っても、普段歩く場なので勿論地面は平らに整地されており、何か刺激を感じる事もない。寧ろ靴で歩くのと違う気分を味わえて良いのかもしれない。
────と、そんな事を考えながら、蟻の巣の様に広がる地下のムラを進む。用を足すのならあちこちに造られた公衆便所を使えば良く、わざわざ地上まで20分もかけて登る必要は無い。その為、彼女が向かうのは外ではなく、寧ろ洞穴の奥だった。
すると、何処からか声がする。歩き始めて一分も掛からない間だった。
(……アルの部屋、か?)
それはチルフの部屋から少し離れた場所に迎えられた、アルフレイドの部屋。部屋毎に少し離れているのがここのムラの特徴だ。部屋というより、一つの家屋毎に分かれていると考えた方がイメージしやすいだろうか。
まさか彼が夜な夜な独り言を呟くとはとは思えない。ということは誰かと話しているということだ。
(なっ、まさかあの野郎、ブレイアと夜の密会でもしてるんじゃ────⁉︎)
そう思えば、確かに女性の声が聞こえる。二人で会話をしているようだ。どちらも穏やかな雰囲気で、しかし楽しそうな雰囲気でもなかった。
チルフは彼らが交わしていた『ブレイアがアルフレイドに何でもする』という約束が今まさに実行されているのかと思っていたのだが、特にそういった事態ではないようだった。そういった事態、というのが何かは深くは言及しないが。
ペタリ、と獣耳と人間部分の耳の二つを木製のドアに押し付けて会話を聞くチルフ。あまり褒められた行動ではないが、以前の職業柄こう言った動きは既に手慣れている────。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「────確かに、私は何でもするとは言ったよ。けど、それを聞くとは……どういった理由? 単純な興味なら、あんまり聞いて欲しくはないかも」
「すまない。だがどうしても聞かなければならないんだ。……もしかしたら、俺たちが手にしたい情報かもしれないからな」
アルフレイドは気が進まなそうに尋ねる。ブレイアもあまり乗り気ではないようだった。
チルフには確認出来ないが、アルフレイドは木製の簡易的な椅子に腰掛けている。壁際に配置されていた背もたれがないタイプのそれは、壁に背を付けろと言わんばかりだった為、アルフレイドは特に何も考えずに従った。
対してブレイアが腰掛けていたのはテーブルだった。夜なので気が抜けているのか、解かれて仕舞われているハチマキはポケットから少しはみ出ていた。日中は後ろに一つ結っていた黄金色の髪も、あるがままに後ろに流していた。縛っていたので分かりづらいのだが、髪は腰まで掛かるほどに伸ばされている。
「……しゃーない、教えてあげる。けどこれは私の恥ずかしい過去を聞く事にもなるんだから、笑ったりしないこと。いい?」
「分かった、誓おう。何も君に嫌がらせをしたくて聞いたわけではないからな」
そっか、と小さく呟くブレイア。
軽く瞳を閉じる。そして唇は、言葉を紡ぐ為に小さく動き出す。
「……レビオン兄さんの話、だよね。うん、そうだね……あの人は頑固な人だったよ。自分が決めた事は頑として曲げないっていうのが、あの人を示す上できっと一番分かりやすいイメージなんだと思う」
まるで赤ん坊に子守唄を歌うように。
まるで草木に囁きかける様に。
そんな優しく、儚い微かな声で口にする獣人の名前は──そう、レビオン・アミルテ。
アルフレイドが要求したのは、そのレビオンたる人物についての話。
それが、例え話す事で彼女を傷付ける事になったのだとしても、これは聞いておかなければならない事実なのだ。
彼にはレビルテとの共通点が多過ぎる。
まず、ブレイアが見せた『セリオン』の力は、確実にレビルテのものと質は違えども同じものだ。その力はこのセリオニア内では誰しも持ち合わせており、更にそのレビオンという男はブレイアよりも『セリオン』の扱いに長けていたという。
そして大剣を振るうという事。レビルテを証明するものの一つだと言っても過言ではない彼の大剣は、そうそう誰しも扱えるものではない。
最後に、今しがた聞いた頑固という性格。ここまで共通点があるのに、別の人物だとは到底思えない。
だから、確信に限りなく近いものがあったから──アルフレイドは、彼女が傷付くのを承知で尋ねたのだ。
「私とは五つ違いでね。もし生きていれば、今は24歳、かな。私が19だから……うん、そうだ合ってる。今日さ、こんな事言ったじゃない。レビオン兄さんは私より『セリオン』を上手く扱えるって」
「ああ」
「本当にその通りだったの。あのね、兄さんは私やキュリオのお母さんみたいなセリオニアの本家分家とかに全く関係の無い、ただの血族の末端の獣人だったの。だけど鍛錬の成果かな、実力を付ける事に僅かではあっても『セリオン』の保有量は伸びていったの」
『セリオン』の血による力は生まれ育ちによって大きく変わる。
基本的に本家──ブレイアの一族に近い程その保有量というか、力の持続性が高い傾向にある。これは血にどれだけ色濃く『セリオン』の血が含まれているかによって決まるのだという。
だが彼女によれば、力のコントロールを身に付ける事によって、持続性は幾らでも伸びるのだという。どれだけ消費を少なく、尚且つ効率的に力を使えるのかは本人次第ということだ。
そして彼女の言うレビオンは、そのコントロールを身に付ける為に計り知れない程の鍛錬を繰り返したらしい。先程言った通り自分に厳しい人だったのだろうから、鍛錬を欠かせる事は全く無かったと見える。
「いつの間にかムラ一番の剣士になったんだよ、あの人は。私はそんなあの人に憧れて、小さい頃から弟子入りしてたの」
「本家の者が分家の末端に弟子入りとは……反対とかはされなかったのか?」
「最初は少しされたけど……兄さんの実力はみんな認めてたから。一部のしきたりに厳しい人以外は、みんな受け入れてくれたよ。兄さん自身を説得するのに手間取ったけど」
「……そうか。良い人ばかりじゃないか、ここは」
嬉しそうに話すブレイアに、思わず笑みを零すアルフレイド。彼女自身、レビオンの話をするのが大好きなのだろう。
「あっ、あとね。レビオン兄さんは女の子にすごい優しいの」
その言葉に、アルフレイドは首を傾げる。
彼の知るレビルテは、何というか──女性を毛嫌いするタイプの獣人だった。あの時の決戦にチルフが乱入した時も、彼は大きく激怒していた。
「まあ男女それぞれの役割を果たすっていう考えが強かったのかもしれないけどね。女は男に守られるべきだ、だから俺がお前を守ってやる──なーんて言われた時にはもう、乙女心に火が付いたというかね。その時からはもう兄さん以外ありえないっ! ってなっちゃったねえ」
「ああ、だからさっき説得に苦労したと……」
「そうそう。女など戦うべきではない! って凄く反対されてさ。でも毎日毎日兄さんに頼み込んで、私は本家の人間で跡を継がなきゃいけない、その為に『セリオン』の使い方を熟知しておかなくちゃいけないんだーっ! って言い続けてたら、遂に兄さんも心が折れてね。それから私は、ずーっと兄さんに戦い方を教えてもらったんだよ」
どうやらブレイアは彼の──レビオンの事を本気で好いていたらしい。それは戦いの師としての憧れの意味でも、一人の女性として彼を愛するという恋愛の意味でもあった。
「だったら厳しかっただろう。よっぽどスパルタだったんじゃないのか?」
「そりゃあね。最初の日に言われたもん。『俺がお前に戦い方を教えるのなら、お前は自分が女であるということを忘れなくてはならんだろう。それでも俺に教えを乞うのか』ってね。でも私はその時まだ幼かったからね、二つ返事で『はいっ!』って言ったよ。その時はまだ尊敬の念しかなかったからさ」
「という事はあれか、君がレビオンに対してそういう感情を抱いたのは、彼に教えを受けていた修行の最中というわけか」
「そう。というより実戦かな。ムラ総出でデカい獲物を狩りに行った時にさ、いつもみたいにレビオン兄さんが活躍して、私もそれなりにサポート出来たの。で、それが終わった後にね、なんかいつもとは違う感覚があった」
「それがキッカケってわけか」
アルフレイドがそう言うと、ブレイアは頬を赤らめて頷く。
「そういうこと。このまま兄さんをずっとサポートしていけたら良いなって、ずっと側に居れたら良いなって……尊敬じゃない感覚が湧き上がってきたの。それから兄さんに話し掛けられるとね、なんだか緊張しちゃうようになっちゃった。こう……いつもより胸の中が火照っているというか。それが恋だって、少し経ってから気付いたの」
そう言う彼女の瞳は、しかし終わってしまったそれを懐かしむような色をしていた。それに少し気まずい気分を抱きながら、尚もアルフレイドは話を進める。
「けど、そんな事本人には言えないだろう。だって言われたんだろう? 女である事を忘れろ、と」
「うん。だからね、私はもっともっと強くなる事にした」
「強くなる?」
「そう! 今までよりももっと鍛錬を積んで、強くなって、いつか兄さんよりもずっとずっと強くなって────そうしたら、私は兄さんに告白しようって思ってたの。だってそうでしょ? 兄さんよりも強くなって、兄さんにそれが認められたのなら、私の方が師匠って事になる。それなら、私の告白も無下には出来ないでしょ!」
自慢気にそう語るブレイア。だけれどもその瞳は表情とは裏腹にくすんでいて、見ていて辛いものがあった。
「兄さんが言ったのは『俺がお前に戦い方を教えるのなら、お前は自分が女である事を忘れなくてはならん』って事。つまり私が兄さんに戦い方を教えられなくなる程強くなれば、私は女である事を思い出せるって事だもん。だから頑張った。修行は今までの三倍はこなしてたし、実戦での結果もバンバン残していった。……でも」
その瞬間、彼女の表情の色は、変わらず淀んでいた瞳の色と同化していった。その口元から緩みが消え、緩まっていた手は固く握られる。
「でも、でもね……私がそうなる前に……あの人は……」
段々と涙声へと変わっていく。淀む瞳から、水滴が膝の上に滴り落ちていく。
────気付けば彼女は、自分の顔を自分で押さえなければ気恥ずかしくて死んでしまいそうな程に涙を浮かべていた。
アルフレイドはそうなってしまった彼女に戸惑い、思わず声を掛ける。
「お、おい……大丈夫か。悪かった。辛い事を聞いてしまった。無理して続ける事はない、また落ち着いた時にでも話してくれればいいさ」
「ぐすっ……う、うん、ごめん……私、もう戻るね……大丈夫、また明日来るから……」
「ああ、悪かったな……おやすみ」
顔を手で覆い隠しながら、半ば小走りで部屋から飛び出すブレイア。そんな彼女に何も言ってやれず、アルフレイドは気の毒というか、悪い事をしたなという気分に苛まれてしまった。




