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ケモノミチ  作者: たびくろ@たびしろ
ヤマトノムラ編
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八歩目

(……ふざけないで! 私はこんなムラ継ぎたくない……!)


 その夜。

 静かに森がそよぐ音が聞こえる。動物の遠吠えが聞こえ、それがどんな動物かも理解できてしまう。

 やはりあの少年との三日間は、夢などではなかった。彼がヒミに見せてくれた光景は確実に存在するものだったし、それがヒミの心を揺さぶり、唯一無二の志を創り上げたことも確かだった。


 しかしそれは──オキミが言った、既に動物達に名が付いている、という事も事実となる。

 ああ、こんな事ならムラの外など出なければよかったのかもしれない。なまじその美しさを知ってしまったからこそ、それに焦がれ、それを求めてしまうのだろう。

 では、キュリオが彼女を連れ出したのは間違いだったのだろうか。


「……そうなのかも。私は、大人しく巫女になり、いつかはこのムラの長になり、そしてこのムラだけを統べて生涯を終えるべき存在なのかもしれない」


 それは、口先から咄嗟に出てきた言葉だった。自分でも無意識に出てきて、思わず口を塞いでしまう。


(……でも、本当にそう思っているの?)


 今度は自分の意思で、自分自身に問い掛ける。


(私は巫女なの? 生まれついてこの役目を与えられたからって、それだけを果たして死ななければならないの?)


 それ以外に、何か目的が出来ているのなら──それが途方も無い夢でも、叶う事は限りなく難しい夢でも……果たそうとすることくらい、許されるのではないだろうか。

 こうして考える脳があるのだから、生まれついた場所になんて囚われず、生きていっても良いのではないか。


 彼女はゆっくりと立ち上がる。巫女の部屋、鏡やら祭壇やらが置かれたその部屋を音も無く抜け、あの少年と出会った場所へと歩いていく。

 あの時もそうだったが、この屋敷の従者は勤務時間を終えるとそれぞれの家へと帰ってしまう。その為、夜中は自由時間のようなもの。だからこうして、あの時も今も、渡り廊下の途中に座り、月を眺める事が出来るのだ。


 皆は既に寝静まっているハズ。だからこそ、この空間は途方も無い程静かだし、何か邪魔が入る事は無い。あんな事があったあとだから、警戒されて見張りでも用意されているのでは、と思ったが、そんな事はなかった。


 いつもと同じ様に渡り廊下に腰掛け、顔を上げる。そこにはいつもと同じ月が見え、いつもと同じように全てを見通すような光を放っている。


(……でも、あれは違う)


 彼女は一度見てしまった。この場所で見るそれとは違う、大草原の真ん中で見た、輝かしい月の様子を。

 それは言葉にできない程美しく輝き、綺麗に森を照らしていた──だからこそ感じる。

 この場所から見る月が、まるで偽物のように。

 月は空に一つしか浮かんでおらず、どの場所から見てもそれは紛れも無い月である。しかし彼女にはどうしても、この景色から見る月が、紛い物のように見えて仕方がなかった。

 そういう風に捉えてしまうと、もう戻らない。

 彼女の心に、ふつふつとこんな気持ちが湧き上がってくる。



 ────本物の月が見たい、という気持ちが。



(もう一度……もう一度だけ、あの本物の月が見たい……!)


 そうなると、いてもたってもいられなくなる。

 ヒミはその場から立ち上がり、草履を履いて庭へと出る。この場から飛び出した時に木馬になった板は新しくなり、隙間もなく立てられていた。そこからは空以外に何も見ることは出来ず、遥か彼方の森が微かに視界に入るのみである。

 その壁に手をつき、ゆっくりと撫で、ヒミは先程の自分の言葉を思い出す。


『────私は一人でも、このムラを出ていきます!』


 咄嗟に出た言葉だった。

 本気で言ったつもりでもなかった。この森はこんな少女一人が出歩くにはあまりにも危険なのだろう。あの時はキュリオがいて、あの不思議な力があると分かっていたから、何の恐怖心もなく動植物達に心を踊らせる事が出来たのだ。

 こんな、普段出歩きもしない少女が飛び出すには、あまりにも危険すぎる場所。


(……そうだ、キュリオ。あの子は何処に……)


 ハッとして、彼の存在が無い事に気付く。だが神出鬼没な彼の事だ、あの時と同じく、あの屋根の上に────

 そう思い、振り返って屋敷の屋根を見上げる、が。

 そこには誰もおらず、一匹の黒い鳥が佇むのみだった。


「……そう、ですよね」


 きっと今は、既にこのムラを出ているだろう。巫女の身であるヒミを誘拐した、という罪を着せられるハズのこの状態だが、きっと彼は上手いこと説明をつけるか、あの不思議な力で抜け出しているに違いない。散々このムラの汚い部分を聞かせてきたのだ、このムラが恐ろしくて堪らなくもなるだろう。


 きっと今は、何処かもしれない森の奥で、昨日や一昨日と同じ様に野宿しているのだろう。薪を燃やし、火をつけ、温まりながら、寝袋に入って眠る。彼はあまり考え込まない性格らしかったし、きっと安らかに夢を見ていることだろう。

 ────ヒミの事など忘れて。


「っ……! 嫌……!」


 そうだ。

 もう一度だけでいい。

 彼に会って、御礼を言いたい。例えヒミの事を忘れていたとしても、あの素晴らしい景色を見せてくれた御礼を。


 そして、最後に一度だけ、このムラでは決して見ることの出来ない、あの『本物の月』を見て、それをこの目に焼き付けて──そして、巫女として一生を遂げよう。

 だから。

 最後に一度だけ。

 ────このムラを、抜け出す。


「ッ!」


 本来ただの仕切り目的であるこの木の板を倒すのは、とても簡単だ。だがその先には、このムラと森の境界線となる柵が設置されている。キュリオはあの木馬でこの柵を簡単に乗り越えていたが、ヒミが一人で乗り越えるには、あまりにも厳しい。

 だがヒミはその時、確認していたのだ。この柵は人ではなく、森から現れる野獣などを撃退する為にある。その為柵と柵の隙間は人が通れるか通れないか位に開いており、そして──その中の一本が、老朽化によって折れていた、という事を。


 彼女はその隙間の前に立ち、屈むようにしてその柵を抜ける。巫女服は土で汚れてしまうが、そんな事を気にするような状況ではない。すぐ目の前には無限に広がる森があり、汚れなんてすぐに身体中についてしまうのだから。

 つまり彼女は、既にムラを抜けていた。


(最後に一度、一度だけ……!)


 彼女はその長い髪を振り乱しながら、森の中を不用心に駆け抜けていった。その表情に、満面の笑みを貼り付けながら。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 それから少し経った頃。

 門番の男が用を足した後牢獄を見ると、もうそこにキュリオの姿は無かった。両手両足を縛っていたハズの縄は鋭い物に掻き切られたように切断されており、そこらに放置されている。牢獄の木製格子は何本か綺麗にすっぽ抜けたかのように消えており、ふと視線を逸らすと、牢獄の横に乱雑に置かれていた。


「……何モンだ、あのガキ……?」


 門番の男は惚けたようにその場に立ち尽くす。キュリオの両手両足は縛られていたはずであり、ナイフなどの縄を切断出来る道具は、彼のポーチやその他類から没収していたハズだ。ならば彼は、素手で縄を引き千切ったとでもいうのか。


 そして両手両足が自由になったとしても、彼はこの牢獄からは出られないハズだ。この木製の格子には鍵が掛かっていたし、今だってそれは掛かったままだ。なのにその格子は、数本だけがまるで引き抜かれたように辺りに転げ回っている。それらは全て歪んでおり、曲げて無理やりに引き抜いたように見える。

 まさか華奢そうなあの細腕で牢獄を突破したワケでもあるまい。ならば彼は、どういう力で。


 その時、別の場所で警備をしていた男が、門番へと駆け寄ってきた。その時彼はハッとし、キュリオが逃げ出した事を報告しようとする。


「聞いてくれ、今あの坊主が……」

「マズイぞ、またもや巫女様がムラから居なくなられた。今回はもう隠し切れない。何とか夜明けまでに連れ出して来なければ……!」


 前回居なくなった時はムラ長、つまりオキミが代わりとなって神の声を聞き、民に指示を与えていた。だが彼女は既に巫女から退いた身。そう何度もやってはいけないと、オキミ自身が語っていたのだ。


「……ってまさか、またこの坊主が連れ出したんじゃ……⁉︎」

「逃げ出したのか? いや、しかし巫女様は数刻前には既に消え失せていたらしい。そのガキが消えたのはいつだ?」

「ついさっきだ。俺が厠に行っている間に……」


 悔しそうに歯噛みしながら、彼はぐっと拳を握って呟く。


「ならガキは後から抜け出したって事だな。連れ出したわけではあるまい。大方、このムラに嫌気が差して出て行ったんだろうよ。旅に来たハズなのに、罪人扱いされるのだからな。まあ実際悪いのはガキの方だが、そんな事が上手く整理出来る歳でもあるまいよ」

「……そうか」


 何故だろう。キュリオには夢があり、門番の男はそれを聞いたからなのか、どこか複雑な気持ちになる。この世全てを獣道にするという壮大な夢を抱えた彼を、ここに捕縛する所以も無かったのではないか、とも思えてくるのだ。


 ────だが、そんな事に思考を巡らせている場合ではない。とにかく今は、消え失せたこのムラの巫女を救い出さなければならない。きっと名残惜しさにもう一度森に飛び出したのだろうが、彼処は彼女一人には余りにも危険過ぎる。


「もう一度捜索隊を集める。ありったけを集めて捜索するんだ。お前も来い!」

「わかった。すぐに行く」


 別警備の男が走り去った後、彼はその後を追おうとして、少しだけ破壊された牢獄を見つめる。

 何故だか。

 あの気心の優しい少年は、己の気持ちが整理できず、すぐに逃げ出そうとした──だなんて、そんな理由で脱獄しないのではないか。

 例えばそれは──と、そう思わずにはいられなかった。

次の投稿は今日の3時頃です!

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