七十歩目
「……やはりダリオか」
「はい。レヴォルトのメンバー全員に、魔力強化の魔法を使用したと思われます。リーダーもそう供述していました」
────キュリオ達が一度訪れた、ウィジル校長導師の居る校長室。
彼らが訪れた時には、その部屋は暖かく、また優しい雰囲気に包まれていた。
しかし今、メイディにそう話を聞いたこの瞬間、そんな雰囲気が一気に険しくなった。ウィジルの呟いたその名は、あの少年達には伝えなかったものだ。
「……信じ難い。魔力強化の魔法を一度にあんな大人数に作用させるなど。それに、同じ種類の魔法をまとめて強化させるならまだしも、あんな種類もバラバラの魔法使いを一律に強化したなど……」
「やはり、魔導書の力を手に入れたという事ではないのですか? 彼らが学校を出た時の魔法陣も、彼は一人で押し退けてしまいましたし……」
刹那──ウィジルは、机を勢い良く叩き付ける。
「────有り得ないのだ‼︎ いいや、そんな事はあってはならない……それなら、それなら奴は……!」
残響する音。
校長のしわがれた、それでいて必死に認めまいとする声。
メイディはしかしそれに顔色を変えようとせず、ただひたすらにウィジルを見つめる。いや、実際彼の掌は汗で滲んでおり、よくよく見ると彼の表情は驚きを無理矢理押し隠そうとしているように見える。
「ウィジル校長導師……」
「……すまない、取り乱してしまって。しかし、それはとんでもない事になった。いいや、発覚したとでも言うべきか」
たらりと汗がウィジルの額から滲み、鼻の頭を伝って机の上に落ちる。それほどまでに非常な事態なのだ。
「奴はとんでもない程、いや無限の魔力を保有している事になる。あれだけの人数を一人で強化するだけに飽き足らず、それと同時に思考さえも操作していた。もちろん全員だ! 獣人を憎む様に!」
「確かに気になりました。普段レヴォルトはただの不良集団であり、獣人に対する偏見や、そもそもの知識も少ない状態だというのに、あの憎しみよう……」
「対応に当たった生徒七人はどれも高い知識と実戦能力を持っていた。だからこそ大事には至らなかったが……レヴォルトのメンバー全てが、卒業した生徒と同等の力を得ていた」
学校を卒業した者は、自ずとそれなりの魔法による戦闘能力を身に付ける事になる。落ちこぼれで学校からドロップアウトされた彼らが、当然の様にそれらと同じ様な力を手に入れていたのだ。
「……もしも、だ。もしもの話をしよう、メイディ君」
「…………」
「もし、あの少年……ダリオが、何かしらの方法で全ての魔導書を読み切ったとしたら────」
ウィジルは震える唇を無理矢理に動かして、何とか言葉を紡ぐ。
「────我々の力では絶対に勝てない。滅ぼされる……このムラも、この世界も」
絶望の言葉だった。
そして、その可能性は多分にある。それが目的だと思う方が自然な程だ。
しかも、彼はその魔導書の魔法を実現する程の魔力を持ち合わせている。文字通り無限──そう、もちろん限りの無いという意味での無限である。
「……これは我々が対処しなければならん問題だ。落ち度は全て我々にある。このムラだけで、何としても解決する!」
「はっ!」
メイディはウィジルの言葉に従う。既に状況は最悪だという事が、彼には深く分かっていた。理解出来ていた。
だからこそ、彼はとある提案をする。
「あの、校長導師……あの四人に協力を仰いでは如何でしょう?」
「…………!」
あの四人──もちろん、キュリオ達の事だ。
その言葉に、彼はピクリと眉を潜める。その気迫は僅かに強くなっており、メイディもそれを承知で質問していた。
「ダリオがレヴォルトのメンバーをキュリオ君達へと仕向けたのは、きっと彼らが怖いから、何か彼らが居てはいけない理由があったからなのでしょう」
メイディは、こう睨んでいた。
ダリオがレヴォルトを操り襲わせたのは、その力の確認と同時に、キュリオ達へと恐怖心があったからではないか、と。
そして話に聞くと、キュリオ達は以前にもダリオの下々の者と出会い、その命を狙われたらしい。
これは、ダリオや彼を取り巻く者達が、何故だかキュリオ達の何かを恐れているという裏付けではないか。そう、メイディは思っていたのだ。それを裏付ける証拠もある。
「──恐らく、彼らはキュリオ君やヒミちゃんの、その中の膨大な魔力を恐れているものだと思われます。無限の魔力を持つダリオは無敵ですが、彼らが身の内の魔力を発現させた場合、ダリオの障害に成り得るハズです。それを恐れて、キュリオ君達を襲ったのではないのでしょうか?」
そう、キュリオとヒミの中にある無限の可能性、莫大な量の魔力。ダリオはそれを恐れている──そうに違いないのだ。
これはカヤネの予想とはまた違い、その力を狙っているのではなく、完全に仇扱いしているという攻撃的な予想だ。また、彼は一度あのレビルテを退けたという快挙があるキュリオ達の事を、戦闘能力的にとても高く買っていた。
────しかし。
「…………ダメだ」
ウィジルの重苦しい声が、まるで見えない波紋のように広がる。メイディも、その答えは予想出来ていた。
「……そうですよね、分かっています。あなたはいつも私達に仰いますから」
「────子供に醜い血を見せない。それがわしが、あの哀しい戦争から学び、絶対に破るまいと決心した掟だ」
彼は、恐れていた。
あの五年前の戦争──魔法使い同士が互いに血を流し合う、最も愚かしい戦い。あの戦いによって多くの魔法使いが死に、そしてまた子供も死んでいった。残された子供達も、親が居ない生活を強いられる事となった。
ウィジルには、その心の傷を癒す事など出来ない。魔法使いは万能ではなく、その個性が魔力に反映されて使える魔法の種類が決まる。校長導師である彼でさえも、その理からは逃れられない。例え逃れられたとしても、人の心を癒す魔法など、存在し得ないのだ。
だから彼は、戦争という悲劇を悼み、しかしそれを見た事のない世代を創り上げると決心した。いや、戦争という言葉を知らない子供達で、このムラを一杯にしたかったのだ。争いなど知らない、平和なムラへと立て直したいと願っている。
「それはあの獣人の少年達も同様だ。キュリオ君──彼には、世界を獣道にするという夢があると、伝え聞きではあるが聞いている。その夢に、果たしてこの争いは必要あるかね? だからこそ、わしは彼らにダリオの名を告げなかった」
「しかし、我々だけでは……!」
「悲観するな。戦う前から悲観してどうする。……大人の全魔法使いを集め、ダリオへと攻撃を仕掛ける。もちろん、有事に備えて僅かは残しておくが……」
悲壮する事を、彼は許さなかった。
戦う事からも、逃げる事は無かった。全ては世界を、この子供達が笑みを浮かべるヘクジェアのムラを守る為。その為に大人が動くべきだと、彼は考えていた。
「……メイディ、君にも戦いに参加してもらう事になるだろう。医療系の魔法が使用できる貴重な存在だ。君だけではない……大人達には、多くの犠牲や苦労を掛けるかもしれない」
弱々しい声を出すウィジル。それは確固たる信念の合間に這いずり出た、最後の甘え。
「許してくれるかね、メイディ。許してくれると思うかね──このムラの大人達は、皆」
未来が秘められているのは、間違い無く子供達だ。しかし、だからと言って、大人だからと言ってその命を軽んじる事はできない。だからこその問いだった。
────が。
「……僕らは、そんな校長導師が気に入っているから、こうして付いてきているんですよ。きっと、皆さんもそう仰るハズです」
メイディはそんな彼を恨むどころか、寧ろホッとしたような笑みを浮かべていた。
そう、このムラの大人は、少なくともこの学校の魔導師達は皆、戦争の火種に巻き込まれた幼き魔法使い達の力になりたいと思っている。だからこそ彼らは、ムラの長兼校長導師をこのウィジルに任せているのだ。
彼が、最も子供を大切にする人間だからこそ。
「だから僕らは構いません。子供達を守る為、あなたの生きた魔法となりましょう」
「…………そうか」
ウィジルはその答えに笑みを浮かべる。椅子の背後から窓を見下ろし、校庭を見やる。
そこでは丁度、生徒達が球技で遊んでいた。キュリオやチルフもその中へとまざり、ヒミやアルフレイドはそれを応援している。獣人も人間も、分け隔てなく。
子供達もいつかは大人となる。そしてまた彼らは大人として、子供達を守るのだ。それが欠けていたのが五年前の戦争の影響だとしたら、ウィジル達大人がそれを見せ、大人への架け橋を与えなくてはならない。
「……だがそれは間違いだ、メイディ」
「間違い?」
「ああ。わしも魔法となる。皆と共にわしも、魔法の一つとなるのだ」
そう言った彼はメイディに振り返り、告げる。
「────子供達を守る為に、な。わしも君達も分け隔てのない、子供達を守る大人の一人なのだから」
幼き魔法使いを守る為の大きな魔法使い。その中には、上下など存在せず、ただ目的のみがある。
その一言で彼は──それを説いて見せた。




