七歩目
「……う、ん……」
次に目を覚ましたのは、薄暗い部屋。
というか、ここは本当に部屋なのだろうか。そもそも、何故自分は部屋にいるのだ。
(……あ……れ? 僕、お姉さんとムラを飛び出して……?)
そして気付く。
ガタガタでろくに整地もされていない、地面のままの床。上からは光が差し込まず、と思えば岩肌が姿を表す。そういえば両手は自由に動かないし、両脚すらまともに動かす事が出来ない。
何故なら──今、四肢を縄で縛られているから。
(な、ん……ッ⁉︎)
必死に引き千切ろうとしっちゃかめっちゃかに両手を動かすが、全く千切れる様子はない。よほど頑丈に結んであるのだということが分かる。
そして今、辺りを見渡して初めて理解した。
ここは──牢獄の中なのだ。
「なんでッ、こんな……!」
訳も分からないまま諦めきれるワケもなく、じたばたともがくキュリオ。その物音に気付いたのか、格子の外側から声がする。一度は聞いた声だった。
「おう、気付いたか坊主。ったく、お前さんはえらい事してくれるなあ」
「門番のおじさん……! ねえ、ここから出してよ! なんで僕がこんなところにいるのさ!」
「あれ、お前自覚無いのか。……あのよぉ、お前さんは今、このムラの巫女を連れ去った犯罪者と見なされているんだ。これがどういうことか、理解できるよな?」
「そんな! 僕はお姉さんが外に出たいからって言うから外の景色を見せてあげただけだよ! 僕もお姉さんも悪くない、なのになんで……!」
これまでにないほど険しい顔で突っかかるキュリオ。その表情が彼から出てくるとは思わなかったらしい門番の男は、少し驚いたのち、こう告げる。
「……その事については俺は初めて聞いたよ。このムラの巫女はムラ長になるまで外に出るのは禁止だってな。だが、このムラの行く末を左右する巫女がこう三日も四日もムラを空けたこと、それが問題なんだよ」
「このムラの仕組みはおかしいよ! お姉さんがなんか言ってた! えっと……神様なんて、本当は居ないんだとかなんとか! だから巫女は……とかそんな事言ってたんだ!」
実際、そんな難しい事を理解する事は、キュリオには無理だったのだ。つまり、あのヒミの話も、キュリオは全く理解できていないし、そもそもまともに聞いていなかった。それがこのザマである。
門番の男も、流石にこのムラの人間だけあって、その言葉は許せないようだった。眉をひそめ、格子の前に立って低音の響く声で呟く。
「坊主、滅多な事は言うもんじゃねえぞ。このムラにはこのムラなりの信仰ってもんがあんだ。他所者のお前がそういう事を言うのは、流石に控えた方が良いと思うぜ」
「……でも! お姉さんは外に出たがってたし、実際外に出てみて、あの人はすごい喜んでたんだ! 色んな花とかに名前を付けて、夢も出来たって……そう言ってたんだ! だから、巫女なんてつまらないモノで、お姉さんの夢を潰さないであげてよ!」
「巫女はつまらないモノじゃない。このムラの在り方を決める、大事な役職だ。……例えヒミ様が望まずとも、このムラに巫女は必要なんだ。神の、ヤマトタケルノミコトの御声を聞くためには!」
話は平行線のまま、終わりを迎える事がない。なるほど、他所者でしかもこのムラの信仰に染まっていないキュリオでは、彼らを変える事は出来ない。
それでは誰が、このムラを変えるのか。それによって、どうやってヒミが自由になり、夢を追い掛けられるというのか。
────それは、既に決まっていた。
本人の、心の中で。
「お話があります、お母様」
場所は変わって──屋敷内。そこは巫女の部屋と併設して、ムラ長の仕事場がある。このムラでは殆どの重要な施設は一つに併設されており、もちろん巫女の部屋とその仕事場だって例外ではなかった。
ヒミが目覚めたのはキュリオと同じ牢獄ではなく──いつも通りの、巫女の部屋である。何もなかったかのように朝が始まり、いつもと同じく巫女の部屋での修行を強いられる。あの出来事は夢だったのかと疑いもしたが、その可能性は捨てる事にした。
だって、あんな鮮明な夢があるわけがない。自らを導いてくれる少年と出会い、心躍るような草木に、このムラでは見られないような見事な月を見る事が出来たのだから。あれが夢なら、ヒミはまた感情の無い瞳を宿した、つまらない巫女に逆戻りだ。
そんな事、絶対に嫌だ。
あれが夢だと言うのなら、彼女が志した夢は、目的は、全て消えてしまうのだから。そんな事は絶対にさせない、例えこのムラを飛び出したとしても、いや、飛び出す事は前提として、この夢は叶えたいものなのだ。
だから彼女は巫女というモノに縋った地位を全て捨て、一人の夢を追い掛ける少女として──母の、ムラ長の御前に座するのだ。
「……なんですか、ヒミ。あなたはまだ、巫女の修行中でしょう? こんなところに抜け出してきて、何の用ですか?」
「……私を巫女として扱うのはやめてください。私は今日、一人の人間として、夢を志す者として、お母様……あなたにお願いがあって、ここにいるのです」
その言葉を聞いたオキミは、分かっていたとでもいうように溜め息をつく。筆を持つ手を止め、ヒミの目の前まで移り、同じように丁寧に正座する。
「……分かってはいました。あなたはこの三日間、あのキュリオという少年と共に、ムラの外へと飛び出していったそうですね」
「はい。そこで私は、夢を見つけたのです。彼に色々なものを見せていただいて、綺麗な景色を見せていただいて……そして私なりに考えて決めた、絶対に叶えたい夢なのです」
抜け殻のようだった以前とは違い、力強い瞳をオキミに向けるヒミ。
「……分かってはいますが、お聞かせなさい。貴女の夢というのは、なんですか?」
重く、まるで鉛でも乗せているかのような言葉がヒミにのし掛かる。これほどまでに重い一言を告げられたのは、この16年間の中で初めてかもしれない。
だが、彼女はそれでも『はい、』と答え、一度息を吸う。
叶える為なら、逃げてはダメだ。母に許してもらわねば、一度落とし前をつけてでなければ、ダメなのだ。
だから、ヒミは告げる。
自身の夢を。
「────世界中を旅して回り、この世の自然を全て記した『図鑑』を作り上げる事です」
それは、あまりにも途方の無い夢。
いつ終わるともしれない挑戦を、しかしこの少女は、断固として叶えようとしているのだ。
「馬鹿なことを言っていると仰られるかもしれません。反対されるだろうということも承知の上です。……でも、それでも、私はこの夢を捨てたくはないのです。彼と、キュリオと共に居て知ったのです……名前を付ける事の素晴らしさを。新しく発見する事の素晴らしさを!」
ヒミはオキミに熱く語り掛ける。外に出て自らが学んだ事、そして気付いた事を。
だが、オキミは一切表情を変えない。すると彼女は従者に声を掛け、何やら持って来させるように命じる。
やがて数分して従者が持ってきたのは、見慣れた紙の束だった。
「────ッ! それは……!」
何故今まで気付かなかったのだろうと、懐を確認するヒミ。そう、彼女自身が自然の名を記した紙束が、『名付け帳』が、既にオキミの手に渡っていたのだ。
「これが、それを気付かせてくれたものですか。……残念ながら、貴女は致命的な何かを忘れているようですね」
「ち、致命的……⁉︎」
オキミは紙束を開き、ペラペラもめくっていく。そこにはもちろん、ヒミが見つけ出した動植物の名前と特徴、そして美麗な絵が書き記されていた。
「例えば、この花」
一つの花の絵をオキミは指差す。それはヒミが始めた名付けた花……そう、『ヒカリバナ』であった。
「これは『ヒカリバナ』などという安直な名ではありません。ちゃんと、このムラを開拓した過去の人々が、『ツキカガミ』という名を付けています」
月の光を反射したかのような青白い光を放つ為、まるで月を映す鏡のようだというところから『ツキカガミ』。
他にも『ラセンソウ』は渦巻きのように見える事から『ウズマキグサ』、『オオベニ』は『アカツドイ』といい、赤色の小さな花が集まっている事からそう呼ばれる。
「……そん、な……」
「理解しましたか? 貴女はまだ子供です。おまけに見えている世界も狭い。だからこうして、元々名の付いているものに新しく名付けるなどという事をしてしまうのです」
そんな事、考えもしなかった。既に名付けられているものだなんて。
(だって、キュリオが……それを見つけたのは私が最初だって……!)
しかし、考えてもみろ。
キュリオは元々他所者。そんな彼が、このムラの開拓者が付けた花の名前なんて知っていると思うだろうか。そもそも、それが既知のものだなんて事も、恐らく知らなかったであろう。
つまりこれは──ヒミが勝手に名付け親になったと勘違いし、それを機に夢を持ってしまったという、さも滑稽なお話だったのだ。それは羞恥以外の何も誘わないし、現に今、彼女は赤面したまま何も言わずに俯いている。
「……でも、それでも……」
「貴女は巫女として生まれつき、そしてゆくゆくはムラ長としてこのムラを支える存在となるのです。それ以外の事は貴女には向いていませんし、その夢は視野が狭い者に果たせる大業でもありません」
「視野が狭いのは……! お母様が、私を外に連れ出してくれなかったからではありませんか‼︎ このムラどころか、この屋敷を出る事すらも許してもらえず、ただあの狭い部屋で巫女の仕事をするのみ! そんな私が、この草木達に元々名前が付いているなんて分かるはずないではありませんか‼︎」
とうとう激昂し、畳をバンッ‼︎ と叩き付けるヒミ。しかしオキミは動じず、これまでで一番冷たい視線を携え、こう告げる。
「当然です。貴女は、このムラの『巫女』なのだから」
「ッッッ‼︎‼︎」
────初めから、全て決まっていたのだ。
このムラで生きる事も、このムラで死ぬ事も。このムラで巫女として生き、ムラ長を継ぎ、そしてムラ長のまま一生を遂げる事が。
そう生きざるを得ないように、包囲されていた。実の母親に。
「……そんなの、嫌です」
「?」
表情が伺えないまま、ヒミは呟く。その真意が受け取れないまま、オキミは彼女の表情を伺おうとする。
だが──それより早く、ヒミは叫んだ。
「私は、巫女になんてなりません‼︎ こんな、ムラをムラ長の良いように操る為の役職なんて、私は絶対に継ぎませんからッッ‼︎‼︎」
「……⁉︎ ヒミ、あなた何を……」
「もう顔も見たくないです! 私は一人でも、このムラを出ていきます!」
そう言って彼女は立ち上がり、ムラ長の仕事場から出て行った。最後に見せた彼女の瞳はとても潤んでいて、その頬からは、大粒の涙が零れ落ち、畳の上に染みとして残る。
「……ムラ長様……」
従者が気まずそうに呟くが、オキミはそれを静止する。
「────仕方の無い事です。世襲制であるこのムラを継げるのはヒミだけであるが故に、あんな馬鹿げた夢は潰しておかなければ……」
別に、オキミは夢については悪く思ってはいない。そのような大業を成し遂げるのは良い事だし、その『図鑑』とやらがあれば世界が生物的な面で一歩進むのも確かだ。────本当に世界の全てをその『図鑑』に収めきることが出来るのならば。
だが、今の彼女にはあまりにも無謀だ。それを成し遂げるには、膨大な年月がかかるだろう。それこそ、彼女の一生では済まされないほど。
そんな出来るはずもない夢を追うよりもっと大切なものが、彼女にはあるはずなのだ──そう、このムラを継ぐという事が。
だから、オキミは拒絶したのだ。現ムラ長として。
「……それより、キュリオ様の件はどう致しますか?現在は投獄してありますが……」
「また変な気を起こすといけません。少なくともヒミがあの馬鹿げた夢を諦めるまで、このムラで拘束しておきなさい。彼の罪状は『巫女の誘拐』というかなり重い罪。これくらいしても、問題ないでしょう」
「かしこまりました、ムラ長様」
そう言って従者は消えた。
────オキミは、この振る舞いに、少し胸を痛めていた。
「……ごめんなさいね、ヒミ」
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