三十五歩目
それからの彼らは仕事の日々だった。仕事はそれぞれに合うものを与えられ、彼らは借金を返す為に黙々と働いていく。
チルフは、主に温泉の内部の清掃や、稽古の合間の給仕などだった。
「頑張ってんじゃん。ほれ、飲みな」
そう言って彼女は冷えた茶を手渡す。
「ありがとうお姉ちゃん!」
剣術指南場は様々な年代の人が来る。そしてその中でも最も多いのが、いわゆる子供。幼い頃から剣士を夢見る事も多くないここカリバドでは、幼少期から剣を習う子も多いのだとか。
団のリーダーだった事もあり、元々小さい子の扱いに慣れていたチルフはすぐに子供達に懐かれる事となった。
ヒミはその礼儀正しさと愛想の良さで、温泉の番台やその他接客するような系統の仕事。なんでも、彼女が番台になってから少し客足が伸びたとか。
「いらっしゃいませ。はい、鍵ですね」
「いやあ、今日もべっぴんさんじゃのうヒミちゃんは。どう、今度ワシとお茶でも……」
「い、いえ、遠慮しておきます……あはは」
面倒な客のあしらい方も身に付けたらしい。どうやらその和風で清楚な性格や容姿からか、高齢の客から人気があるらしい。もっとも、ヒミが揺らぐ事はないが。
キュリオは主に温泉の掃除やら宿としての接客やら。あの喫茶店での経験が少し生きているようだ。
「ここがお部屋です」
「あ、ありがとうね。いやあ、可愛い子ねえ。私の息子と同い年くらいだわあ、ここで剣術を習ってるの」
「はは、そうですか。ありがとうございます」
ぴしゃりと襖を閉め、廊下を渡る途中、
「可愛いって何だよ可愛いって……ぶつぶつ」
奥様方に人気があるらしいが、キュリオはあまり嬉しくなかった。とはいえ、接客には問題は無いので何とかなっている。彼はかなり不服そうではあるが。
これらの積み重ねによって、彼らは着々と借金を返していった。あと何週間かすれば、入院費用も全てアルフレイドへと返却される。
────そしてそれと同時進行で、キュリオはとある経験を積んでいた。
「踏み込みが甘い! 剣を持つ手がブレているぞ!」
「くっ……!」
夕飯が済んでから、誰も居ないはずの道場には彼らの声が響き渡るようになった。それと同時に聞こえる、竹刀で身体を叩く音。と言ってもそれはキュリオのものではなく、アルフレイドが痺れを切らしてそうしている音なのだが。
「……?」
風呂から上がり身体中で湯気を纏っているようにホカホカしていたヒミは、こっそりと道場の中を覗く。するとそこには、アルフレイドと鍛錬を行うキュリオ。
(あの夜から、本当にアルフレイドさんに聞いて始めたんだね……)
しかし、どうもキュリオはこうやって得物を振るうのはあまり得意ではないらしい。竹刀に振り回されているような感じが、既にヒミにも伝わってくる。
(……向いてない、って事かな……ううん、そんな事考えちゃ駄目だよ。こうする事で、キュリオも成長していってるんだから……)
「おいおいキュリオ、お前剣術とか向いてねーんじゃねーの? 竹刀に付いていけてねーぞ!」
ぎょっとするヒミ。自分の隣から、自分がまさに今飲み込んでおこうと思った言葉がキュリオに向かって飛び出していったのだから、無理もない。
そしてそんな事を言う輩は当然、彼女しか居なかった。
「ち、チルフ! そんなキュリオの気概を削ぐような事を言っては……!」
「んだよ本当の事言ってるだけだろ。あいつが剣振り回すとこなんて想像出来ねーしよ」
ヒミの隣からにゆっと顔を出したチルフは、ヒミと同様に風呂から上がった後らしく、頬は上気していて金髪もしっとりと濡れている。その手に身体を拭くための布を持ちながら、彼女はどすどすと近づいていく。
だが、それをぐいと止めるヒミ。
「そういう事は分かってても言わないものです!だからあなたはそうやって他人を配慮するっていう事が出来ないんですから、もう……!」
「んだよ、あたしが血も涙も無いスパルタだって言いてえのか? 大体オメーはキュリオを甘やかし過ぎんだよ」
「なっ……」
ヒミは返す言葉が無くなってしまう。
そしてそんなチルフの言葉に同調するように、アルフレイドもコクリと頷く。
「まあ言ってしまえばそうだな。……彼は剣術に向いてないかもしれん。剣術に必要な基礎がなってない……まあそれは知らないから仕方ないのかもしれんが、何より君達が居なくなるまでに教えろというのが辛い」
「ごめんフレイド。……でも、またあいつが、ミネスが襲ってくるまでには、二人を守れるくらいになりたいんだ。例え剣術が出来なくても、きっと実践で何か役に立つようにしたいんだ」
「うーむ……それなら、間合いの取り方や基礎体力を鍛えた方が良いのかもしれんな。色々考えなくてはならないから、明日明後日から行う事になるが、それでも良いか?」
「うん。ありがとうフレイド」
「ああ。じゃあ今日はこれで終わりだ。早く風呂にでも入ってこい」
そういうと、キュリオは竹刀を置いてその場に大の字で倒れ込む。余程疲れているようで、彼からは疲労の吐息が洩れた。ヒミは彼に駆け寄ると、そのままその横に座る。
「大丈夫ですか、キュリオ?」
「うん、これくらい平気平気。なんともないさ」
彼はそういうが、尋常ではない程息が荒くなっている。ヒミ達が風呂に入ったのが夕飯の後から二時間程で、そこから一時間程ヒミは湯に浸かっていたので、計三時間という事になる。その分、キュリオは休みもせずにこうして竹刀を振り回していたのだろう。汗がポタポタと垂れ、軽く腕が痙攣している。
「とりあえず汗拭いてください、ほら」
そう言ってヒミは自らの布で彼の額や首元を拭く。キュリオも最初はじっとしていたが、その内────
「ってヒミ姉! それって……!」
「え? …………あ」
そういえばこれは自分の身体を拭いたものだった、とあらかた彼の汗を拭い終わってから気付く。キュリオもヒミも途端に顔を真っ赤にし、慌てた挙動をする。
「ごっ、ごごごごめんなさいその! えと、すっかり忘れてて……! ごめんなさい、汚いですよね、こんな!」
「いいい、いやそんな事ないよ! あ、ありがとう……」
まあ別にヒミの身体を拭いたくらいで何のその、と傍のチルフは思うわけだが、そこにも羞恥心を持つのがなんだかヒミとキュリオらしくて微笑ましい。ただ目の前にイチャイチャするのは何となく腹が立つのでやめてほしい、と少し思っていた。
「はー、いやしかしそれにしてもどうしたもんか。言っちゃあ悪いが、キュリオ。君はかなり成長が遅いぞ」
アルフレイドが溜息を吐きながら洩らす。
「そ、そうかい」
「そうだよホント。剣術よりも別の事をやった方がいいと思う程だ。キュリオの『力』はあの巨人なんだから、それに頼っていけば良いんじゃないのか?」
それは至極当然の質問だ。だがキュリオは首を振る。
「駄目だよ。あのミネスって奴、僕が木の巨人を動かすより早く僕の元へと移動出来る。それから逃れるには、僕自身が強くならないと」
ミネスのあの立ち回り────瞬間移動なのか、それとも単に運動能力がスバ抜けているのかは分からないが、今のキュリオには到底抵抗出来るものではない。巨人を動かす前に間合いを詰められるのでは、いくら力を持ってしても倒す事など不可能だ。
だから、彼は自分自身を強くしようと考えた。──が、どうやらあまり上々ではないようだ。
「まあでも俺が思うに、それはカウンターを決めれば何とかなるんじゃないか?」
「カウンター?」
アルフレイドの提案に、キュリオは首を傾げる。
「そうだ。いくら瞬間移動が出来るとしても、攻撃した後は基本的に無防備になる。その隙を突いて素早く巨人を動かせば、奴にダメージを与えられるだろう。つまり、君が今必要な技術は……」
「回避能力、だね」
「正解だ。攻撃を見極め回避し、隙を突く力。今の君には、それが必要だ」
彼の的確な指摘に、キュリオは思わず頷く。確かに、それなら不意をついた彼に必殺の一撃を与える事が可能かもしれない。剣術に向いてないと言われた彼にも、光明が差してきたのかもしれない。
「……フレイド」
「ん、どうした?」
キュリオはすくりと立ち上がり、彼に向かって告げる。
「練習を続けよう。こんなんじゃ終われないよ」
まだまだ、彼には、彼自身には力が足りない。
それを埋める為に、もっともっと努力をしなければ。もっと、自分を高めなくては。
そう考えるとキュリオは、いてもたっても居られなくなった。反撃の力を、この手に収めるまでは。
アルフレイドはふっと笑うと、
「いいだろう。俺自身は少しも疲れてないからな。じゃあとにかく、俺の竹刀を回避してみせろ!」
「うん!」
そして、再開する特訓。キュリオは何度も竹刀で叩かれながらも、着々と力を身につけていく。
────それと同じ時刻。
「……ふっ。全く、ミネスも衰えたものよ」
人の居ない家屋の屋根の上で、あの指南場を見やりながら、一人の男は呟く。
だが、それはとても『一人の男』とは呼べない身なりだった。
頭はまるっきり獣。獣人ではなく、既に獣そのものなのだ。その長く伸びた頭部、鋭い牙。だがその瞳は知性を持っているようにしか見えない。
そしてはち切れんばかりの筋肉質な身体。とても巨大で、190センチはあるように見える。背中には巨大な剣を持ち、しかし彼の身体のせいで不思議と巨大には感じない。
「あのような平和ボケした男に負けるとは。男は戦いに生きるものと相場は決まっておるのに」
重低音で響き渡る彼の声。それに応えるように、三つの影が彼の周りに現れる。
そのどれもが、この獣頭の男に良い目を向けてはいなかった。むしろ敵対の意思があるかのようだ。
一人は赤い髪、一人は水色の髪、一人は緑の髪。彼女らは獣耳を持たず、更に箒に乗って空を飛んでいる。
赤髪短髪の少女はつり目でぎらりとした眼光を持ち、飄々とした態度をとっている。
水色のセミロングの髪を持つ少女は、眠たげにぼーっとした様子である。が、緊張は解けていない。
緑色で長い髪を持ち得た少女は、あからさまにオドオドした様子。彼女だけは、獣頭の彼に恐怖の視線を向けていた。
「恐い目をするな、カレン、シスイ、カヤネ。お前らは我の仲間のようなものだ。そう恐がる事もあるまい」
赤髪にはカレン、青髪にはシスイ、緑髪にはカヤネという名前があり、それぞれそう呼ぶ獣頭の男。それに反発するようにカレンは言い捨てる。
「へっ、人質取っといて何が仲間だ人外野郎。オレ達が従わざるを得ない状況を作るクセに、そうやって近付こうとすんな。姉さん達に手を出したら、許さねえからな」
その言葉を制止しようとするのは、カヤネ。
「やめなさいカレン! この人に逆らうなんて考えちゃダメよ……危険なのは、ワタシ達だけじゃないのよ……!」
それを視線も合わせずに落ち着いた様子で嗜めるシスイ。
「カレンもカヤネも落ち着きなよ……ま、ボク達には拒否権も無いし、従う以外に方法はない。それが分かってて、カレンもこうしてるんだよ。噛みつく以外に方法がないって分かっててね」
「ほう、分かってるではないかシスイよ。お前は物分かりが良いと見える」
「……ふん。別にボクは心から従ったわけじゃないからね。そこは勘違いしないでほしい」
「シスイ!」
「だから落ち着きなよ、カヤネ。他に方法は無いんだ」
どうやらこのシスイがまとめ役のようだ。そして獣頭の男はククク、と笑うと、一人呟く。
「────待っていろアルフレイド、そしてキュリオよ。あの方の命に従い、貴様らを叩き潰してくれよう」
獣の牙は──夜空の月に反射して、輝いた。
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