三歩目
────昔々、この辺りには巨大な大蛇がいた。
大蛇は八頭の兄弟であり、このムラにある巨大な湖を住処としていた。大蛇は度々周囲に住まう人間や作物などを食べてしまい、困窮に暮れたムラの人々の恨みを買っていたという。
そんな時に現れたのが、ヤマトタケルノミコトという男。彼は自身の腕力と剣技に自信があり、尚且つ頭も切れる男だったという。
彼は八頭の大蛇が人間よりも酒を好むと知っていた。彼は八つの門を置き、そこに酒を置いた。すると八頭の大蛇はそれぞれ門の下の酒を飲み干し、すぐに眠ってしまった。
これを狙っていたヤマトタケルノミコトは、門を破壊し、その残骸によって蛇の動きを封じ込めると、一匹ずつその首を叩き斬っていった。
しかし、最後に残った蛇は死んでいく兄弟の悲鳴によって目覚め、危険を察知すると、叩き斬られた兄弟の首と尾を自身の身体に寄せ集め、八頭分の力を併せ持ったヤマタノオロチとなった。
そしてヤマトタケルノミコトとヤマタノオロチは死闘を繰り広げた。その戦いの衝撃は凄まじく、この辺り一帯の森は全て戦いの影響で薙ぎ倒され、そしてここは平地となった。
死闘の末にヤマトタケルノミコトは勝利した。殺したヤマタノオロチを火で炙り浄化すると、彼は一番慕っていた友の一族にその肉を与え、その他ヤマタノオロチが隠し持っていた食糧を他のムラの人々にも分け与えた。
ヤマトタケルノミコトはその後ヤマタノオロチを倒した功績により神となり、肉を食した一族は浄化された肉を食べた事により、ヤマトタケルノミコトのお告げを聞くことが出来るようになった────。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「────……そして、肉を食べた我々一族は神のお告げを聞く『巫女』となり、このムラを作り上げてきました。この『ヤマトノムラ』の名は、この地を作り上げ、ヤマタノオロチを滅したヤマトタケルノミコトから来ているのです」
物語を語り終えたオキミは、ふうと溜め息をつく。それに対してキュリオは、パチパチと拍手をした。
「へえーっ、面白いなあ! ヤマトタケルノミコトさんに、八つの頭を持つヤマタノオロチかあ……うーん、やっぱりムラ独特のお話を聞くのは楽しいよ!」
「そうですか。喜んでいただけたなら幸いです」
「あれ?でも、オキミさんはムラ長様だよね? 我々一族……って言ってたけど、ムラ長と巫女は同じ人がするの?」
キュリオは、その仕組みが理解できていなかった。
「あ、いえ。このムラでは巫女の代が変わった時、前の巫女はそのままムラ長となるのです。この村は巫女が率いているも同然ですから、その経験を生かして、影から新しく若い巫女を補佐するのです」
つまり、巫女は将来的にムラ長となる事が決まっており、言ってしまえば、このムラは世襲制だという事なのだ。世襲制とは、一つの一族がクニやムラを治め続ける事を言う。この場合では、ヤマトタケルノミコトから渡されたヤマタノオロチの肉を食べた一族……つまり、オキミやその娘のヒミの属する一族である。
「ふーん、面白い仕組みだねっ。そういえば、娘さんは僕と二つしか違わないんだよね。なのに巫女さんだなんて、すごいなあ。僕なら無理だよ」
「まあ、それは人の役割というものですから。逆に私達では、キュリオ様のようなたくましい事は出来ません」
「えへへっ、そうかな」
褒められた為、少し照れてしまうキュリオ。その可愛らしい仕草を見たオキミは、つられて少し笑ってしまっていた。
「そう、聞けばキュリオ様は世界中を自身の『獣道』にし、更には世界樹の頂上を目指しているとか。それこそ、私達には出来ない大業ですよ」
「ありがとう。……そうだ。このムラでも、あれはユグドラシルっていう名前なの? もうちょっと別の呼び名があるのかと思ったんだけど」
この質問は、キュリオがどのムラやクニに辿り着いても、必ずするものだ。そして、その回答はいつも決まってこうだ。
「まあ、それが一般的でしょうか。一昔前では、ククノチとも呼んでいましたが……その時もやはり、ユグドラシルと呼ぶのが一般的でしたね」
キュリオが旅に出てから一年も経たない程。彼には、少し気になる事があった。
今まで二つ程のムラに滞在し、そのムラだけの文化に触れてきた彼だったのだが──彼が誰に聞いても、この世界にそそり立つと言われる世界樹の文化だけは、絶対に存在するのだ。更にその世界樹の呼び方は、どのムラやクニでも『ユグドラシル』に統一されている。
その文化も、全て一緒。
────この世界は世界樹によって生み出され、そして今でもこの世界の中心に在り続ける、というもの。
それが一体どういう経緯なのかは誰も知らず、つまりキュリオ自身も知る事が出来ていない、永遠の謎だ。彼の旅の目的の一欠片は、これを知る事であったりもする。
「ちなみに、この世界が作られた経緯みたいなのって、オキミさんは知ってる?」
少し考え込んでから、キュリオはオキミに聞く。
「いいえ? しかし、あの世界樹が関わっていると、何処かで聞いた事があります。やはり、キュリオ様でも知らない事があるのですね」
「そりゃあそうだよ。僕なんてまだまださ」
「ふふっ、謙虚な人ですね。……あら、そろそろこんな時間です。夕飯の支度が出来ている頃でしょうから、そろそろ戻りましょうか」
そう言って、オキミは立ち上がり屋敷の奥へと戻っていった。畳の上をゆっくりと歩く心地の良い音が、キュリオの耳を癒していく。
と、その時キュリオは気付いた。
オキミが立てたその足音とは別に、キュリオが座っている渡り廊下の向こうから、別の足音が聞こえてくる事に。
それはやたらと静かというか、個性がないというか。慌ただしい者ならドタドタだとか、お淑やかな者ならしずしずだとか、そういう人間が立てる音の特徴のようなものが、それには全く存在していなかった。
その異常なまでの無個性に逆に気になってしまったキュリオは、ゆっくりと渡り廊下の先の暗闇に目を向ける。
────そこから無個性の足音を携えて現れたのは、大きな黒い獣耳を持った、黒髪がとても美しい少女。瞳は真っ黒に塗り潰され、少しも光を感じない。何を考えているのかも、何を秘めているのかも分からないミステリアスな巫女服の少女だった。
「……────ど、なたでしょうか」
見知らぬ者がこの屋敷に存在していた事に対する驚きからだろうか、彼女は僅かにたじろぎ、その黒髪を僅か数センチだけ揺らしながら、静かに問うた。
キュリオは少し彼女を観察してから、静かな笑みを浮かべて名乗った。
「……僕の名はキュリオ。君は?」
彼女は聞き慣れない異国の名に少し間を置く。そして、キュリオに近づき、しかし少し間を置いて渡り廊下に座ると、第一声と同じくらい静かな声で──答えた。
「私の名前は……ヒミと、言います」
キュリオとは目線を合わせず、夜空に浮かぶ月を見上げるヒミ。墨を塗ったような、腰まで届く綺麗な黒髪が、そよぐ風になびいて揺れた。
「ヒミさん? って事は、このムラの巫女さんかい?」
「ええ。……一応」
それを聞いた瞬間、キュリオは二人の間にあった物理的な間をギュンと詰めると、彼女に顔を近づけて言った。
「やっぱりそうだったんだ! そうかあ、晩御飯が終わったら訪ねようかと思ってたんだけど、ここで会えて良かったよ! 僕ね、君に聞きたい事がいっぱいあるんだ!」
「……っ! 私に、聞きたい事……?」
「そうさ! とりあえず巫女が何やってるのかと、あと……!」
キュリオは次々とまくしたてる。その知識欲が駆り立てるからこその態度に、しかしヒミは顔を背けた。
何やら思い詰めた様子で足元の土を見下ろし、小さく溜め息を吐くと、ヒミはハッキリとこう宣言した。
「申し訳ありませんが、ご期待には応えられません。……こんな私が答えられる質問など、何一つありませんので」
きつく唇を噛み締めながら、視線を合わせずにそう答えたのだ。
「そんな事ないよ。このムラの事とか、巫女のお仕事とかさ。僕、オキミさん以外の話も聞いてみたいんだよ!」
「私には答えられません」
「なんでさー!」
「どうしてもです」
「けちんぼ! 何でも良いから教えてよ!」
多少ブーイング気味にキュリオが再三問う。
だが、彼女はついに、ガバッと立ち上がり、声を荒げて叫んだ。
「────教えてほしいのはこっちなんです‼︎ 私は何も知りません‼︎ そんなに聞きたければ……──そう、お母様に聞いたらよろしいじゃありませんか‼︎ 私なんかよりずっとずうっと、何でも知っておいでなのですから‼︎」
静寂が二人の間に訪れる。
キュリオもヒミも、暫くは何も言えなかった。二人とも、ただ呆然としていたのだ。ただ、ヒミの……ぜい、ぜい、という荒い呼吸音だけが、星空の下で屋敷の庭に響いた。
「……ッ」
たっぷり数十秒間はキュリオを睨み付けていたヒミだったが、やがて己が我を忘れていた事に気付くと、歯をぎりっと噛み締め、渡り廊下の先へと消えていく。
キュリオはそれを、ただ黙って見ていた。
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