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ケモノミチ  作者: たびくろ@たびしろ
ドゥーラン編
23/176

二十三歩目

 ────だが、その時だった。


「────らあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ‼︎‼︎」


 少年の叫び声が、教会内を木霊した。


「ッ⁉︎」


 ベルドが慌てて振り返る。その声が、自身の後ろから聞こえたからだ。

 だが──もう遅い。

 その顔面に、少年の拳が突き刺さる。それだけでは軽過ぎる一撃であったが、ベルドの注意を引くには十分だった。そして、それを引き起こしたのは他でもない。ルーシーを想う少年、コルだった。


「ルーシーに何しやがんだッ‼︎‼︎ この、下衆野郎がァッッッ‼︎‼︎」


 彼は、ルーシーが人質として現れた時、既に動いていた。薄暗い教会の中で、彼一人が動いたところで、ベルドに勘付かれる事はなかった。更に、ベルドはこんなスラムの子供の事など興味を持っていなかった。

 だが彼は、彼だけは、ルーシーという一人の少女に、恋という他とは全く違う感情を持っていた──故に、いかに相手が巨大と言えども、彼は反抗したのだった。


 そう──窃盗団の一人にしてルーシーの幼馴染であるコルが、ベルドに反旗を翻した。


「ぐっ……てめえ!」


 まだ地面に着地出来ていなかったコルの首根っこを掴み、高く掲げるベルド。その顔には鬼の如き激昂が貼り着き、今にもコルを喰らい殺してしまいそうだった。

 実際、間違ってはいなかった。


「このガキ‼︎ 今ここで殺してやる‼︎」


 彼は、そのナイフを、彼の首を掻っ切るように振るう────。


「……ッ‼︎ ルーシー……!」


 幼馴染で恋を寄せる少女の為に、無謀だと分かっていても飛び込んだコルという一人の少年。その命が今、尽きようとしていた。

 ────が。


「ッ⁉︎」


 カラン、カラン、と。

 彼の掲げていたナイフは、教会の暗闇、その遥か向こうへと飛んでいってしまっていた。


「……ぐ、あ⁉︎」


 そして、それと同時に落ちたのは──石の、鋭い破片。

 そう、それを射出したのは。




「……人の妹に手を出して、今度は団のガキを殺そうって魂胆か、ベルドよォ」




 金髪は逆立つ様に揺れ、彼女が勢い良く駆ける事によって、月の光がそれに反射される。その後ろから見える大きな金の尾は、ベルドが目視する前に消えた。


「っ⁉︎」


 咄嗟に逃げようとするが、身体が動かない。見れば彼の脚は、いつの間に奇妙に伸びた細い木によって、ぐるぐると縛り付けられていた。

 思わず彼は、そんな事が出来る一人の少年を見やった。彼は犬歯を剥き出しにしながら野蛮な笑みを浮かべ、いつの間にか石の拘束から脱し、教会の壁に手をつけていたのだ。


「へへ……ざまあみろ!」


 そして、そんな彼の姿を遮るように、一人の少女が現れる。音速とも呼べるその速度によって、金色の閃光を描きながら。




 チルフ・シーロウバーは、既にその拳を固めていた。




「この――――――腐れ外道がああああああああああああああああああああああああああああああッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎」




 何か言い返す暇も無かった。何か反撃する暇も無かった。

 ベルドに出来たのは、その拳を一瞬視界に収めるということだけ。あとは、想像に難くない。


 その怒りと憤りに燃えた拳は、ベルドの顔面を叩き潰し、そしてその身体を何メートルも弾き飛ばした。石を操る事によって初速を爆発的な程まで伸ばし、更にその拳の周囲に数十個の石の鋭い破片を配備し同時に叩きつける事によって、ただ殴るよりも遥かに強烈で耐え難い拳を、彼の顔面に叩きつけたのだった。


 それはまるで、黄金(こがね)の風。そうも思える程の一撃が、今この場所で起こったのだ。


 ベルドは盛大に血反吐を吐き出しながら、教会の壁に激突し、その意識を失った。音からするに、骨の二、三本は折れただろう。もう立ち上がる事は出来ないハズだ。


「はあ……はあ……っく、はあ……ルー、シー……!」


 倒れ込むように、傍らに転がっていたルーシーの元へと駆け寄り、その身体を抱き締めるチルフ。圧倒的な速度による身体への負荷さえも無下にしながら、彼女はただ、妹の体温を感じられる事だけに、感謝していた。


「お姉ちゃん……‼︎ うっ……うわああああああああん‼︎」


 妹もホッとしたからか、未だ縛られたままなのにも構わず、大きな声で泣き出してしまう。それを見た他の窃盗団員も、思わず彼女らの近くに駆け寄り、喜びと安堵の混じった泣き声を上げた。


「キュリオ!」

「ヒミ姉! 大丈夫⁉︎ 怪我は⁉︎」


 それと同じく、キュリオもヒミの元へと駆け寄る。木片を鋭くし、ナイフと同じ要領で縄を切断した。ヒミは軽く血が滴る首筋を押さえ、


「大丈夫です。軽く首筋を切られただけで、あまり痛みはありません」

「そんな事言って……! 血出てるよ、もう!」


 キュリオはポケットから布切れを取り出し、それを彼女の首筋に当てた。血は少量だったが、垂れ流しというのもおかしい。それを、キュリオは少しだけ離し、当てた面をヒミに見せ、


「ほら、こんなに滲んでるし! 強がっちゃダメだよ!」

「……血……ぅ、……」

「⁉︎」


 途端に顔を歪ませ、ぽろぽろと涙を流すヒミ。突然のそれにキュリオは驚きを隠せず、あたふたとしながらどう声を掛けたものかと困ってしまう。


「ど、どうしたの、ヒミ姉?」

「……なんか、急に怖くなって……ひぐっ。さっきまで、じ……っ、死ぬかもしれな、かったなんて……考えたら……!」


 彼女は当然、死ぬかもしれないなんて状況に慣れてはいない。命を狙われた事も、人質に取られた事だってない。だからこそ、こうやって自身が血を垂れ流していると理解し、自分を生かす為に流れている液体が身体の外へと消えていくのを目の当たりにして、やっと自分が殺されかけていたと気付くのだ。


 今まではただ殺される、としか思っていなかったから、キュリオと自分を天秤に掛けていたから麻痺していたが──死ぬという事は、これからの可能性も、図鑑を作るという夢も、全てが失われるものだという事を、やっと実感したのだ。

 ならば、泣いてしまうのも仕方ないだろう。


「ごめん、何も出来なくて」

「……そんな。別にキュリオが謝る事じゃ……」

「君を守れなかったから。約束したのに……!」


 キュリオの胸の中で泣くヒミに、歯を食い縛りながら呟く彼。そんな、普段は見せない様な少年の表情に、ヒミは僅かながら怖さを感じた。


「……キュリオ。それにヒミ」


 すると、隣から声が聞こえた。そこには、後ろに団の全員を引き連れたチルフが、俯いたまま立っていた。ぐっと拳を握り締め、表情も暗い。

 と、その唇の奥から、こんな言葉が洩れ出した。




「────ごめんなさい」




 彼女から飛び出たとは思えない、丁寧な言葉。


「あんたをこんな事に巻き込んだ事も、ヒミを人質として扱ってさらった事も。……あんたを、殺しかけた──いや、殺そうと思ってしまった事も、全部」


 その瞳から、涙を流しながら。


「あたしが、全部悪かった。今思ったら……本当に、おかしい事をしてた。盗みをやる事も、それが悪い事だと知ってるのに、ベルドに恩を返すなんて理由で……罪の意識を誤魔化して……!」


 団員達はみな、何も言えないという表情を浮かべている。涙を流さないにしても、心の中では大きな大きな後悔が渦巻き、形を成していた。


 そして、皆は頭を下げる。キュリオとヒミに向かって。それが、どんな一欠片でさえも償えていないと、そう知っていたとしても。この場で、誠意を伝えたかった。


 だが、キュリオはそれで十分──いや、それすらも必要無かった。


「……最初から、君達に怒ってなんかいないよ。君達はベルドに操られていただけなんだから」


 キュリオは立ち上がり、チルフに手を差し伸べる。チルフはその手を視界に入れ、驚きながらも顔を上げる。

 ────目の前の少年は、笑っていたのだ。




「これからやり直せばいいよ。盗みなんて止めて、各々生きたいように生きればいい。……えへへ、僕なんかが偉そうな事言えないけどね」




 ────ああ、この少年は綺麗なんだ。


 全く汚れていない。物事を真っ直ぐ見つめられるし、何もかも新鮮に見ることが出来る。そして、誰よりも優しくて、柔らかい考え方を持っている。

 だって、こんな泥棒達に、こうして手を差し伸べてくれるのだから。


 だからこそ──この手は、握る事は出来ない。


 チルフは静かにその手を避けると、顔を上げ、同じ視点で言葉を交わす。


「あんたは、絶対そのままでいろよ。あたしみたいに汚れちゃいけない、綺麗なままで生きなきゃならないんだ」


 真摯な目でキュリオの赤い目を見つめる。そうだ、彼の目はこんな時でも──一筋の光を帯びている。


 こんな汚い自分は、触れてはいけないんだ。


「……もう行きな。これ以上あたしみたいな奴に構ってる事も無い、今日は宿に戻った方がいい。ヒミ、あんただって怪我してるんだろ? 心配は無いだろうが、大事に越したこたぁないからな」

「え、でも────」

「大丈夫、ベルドの事はあたしが処理(・・)しとくから。ほらほら、帰った帰った! それと、早いとここんなクニからは出てった方が良いぜ!」


 ぐいぐいと二人の背中を押し、教会から離す。二人は訝しげにしながらも、チルフの事を信用しているからか、そのまま背を向けて帰った。


 大丈夫だ。恐らくヒミは適切な治療を受けて、一週間もすれば傷も残らないようになっているだろう。ナイフで思い切り斬られたわけでもないのだから。


 そう、大丈夫だ。彼らは絶対に大丈夫。これから何があっても、あの二人は汚れずに生きていける。


「……さて。コル、ルーシー。あとみんな。お前らもさっさと帰んな。今日でドゥーラン窃盗団は解散だ! どうせベルドは金銀財宝溜め込んでやがる、それを使えばお前らも学校に行ったり働いたり出来るぜ!」

「ほんと⁉︎ 学校に行けるの⁉︎」

「ああ行けるさ! 美味い飯だって食える! ちゃんと金出して、あとぐされ無くな!」

「友達出来るかな?」

「出来るぜ、絶対! こんなデカいクニの学校だ、100人だって夢じゃねーよ!」

「「「やったあー‼︎‼︎」」」


 団の子供達が口々に言うのを、チルフは笑って盛り上げる。学校に行ける、真っ当に生きれると分かった彼らはとても湧き上がり、涙する者までいる。


 当然だ。今までこうした行いをしてきて、どこか後ろめたさがあった子供達が、こうして陽の下で暮らせるようになるというのだから。役人に言って金を渡せば、この子達も普通の人間として、豊かな生活を送れる事だろう。


「お姉ちゃんは?」


 ふと、ルーシーがそう聞いた。場は相変わらず盛り上がっているが、彼女の表情だけは静かだった。

 チルフは適当な笑みを浮かべると、


「んー……ま、そのうち、かな」


 そう言ってはぐらかした。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「起きろよ、ベルド」


 ふと、男の意識が覚める。

 ここは教会の奥。────そうだ、彼は負けたのだ。

 今はチルフの石によって拘束され、どうにも動けない状態だ。


「……てめえ、情けでも掛けるつもりかよ」


 突っかかるベルド。だが、そんなものに目の前の少女──チルフは、動じなかった。その碧玉の如き瞳を冷たく光らせ、じっと彼を見つめる。


「んなわけねーだろ。情けなんて掛けるような奴じゃねーんだよ、あんたは」

「じゃあなんで生かしたんだよ」

「野暮用さ。……金の在り処を言いな。どうせあたしが盗みやってる間に色んなクニ行って、稼いできてんだろ?」

「……言うとでも思ったか? 俺の金を、お前みたいなクズに渡すわけあるか」


 静かな罵り合い。

 だがナイフを持ち出したのは、チルフが先だった──まあ、今のベルドには、何も出来ないのだが。

 彼女はその切っ先をベルドの肌に向けて、ワザと月明かりに反射させる。


「なら、顔の皮を剥いでやるよ。少しずつな。それが嫌なら言いな。そしたら殺し方を少しだけ―――楽にしてやる」


 その言葉に、ベルドは背筋がぞくりと凍える。

 が、すぐに安堵が訪れる。出来るわけがない、という安堵が。こいつは殺しをも躊躇った人間、そんなえげつない事が出来るわけがないのだ。


「……へっ、ゴミが。粋がってんじゃねえよ。俺を牽制しようったって無駄だ。お前は殺しすら出来ねえチキンちゃんなんだから、そんなこと────」


 その瞬間、ベルドの頬にナイフが薄く食い込んだ。


「なっ──ぐ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ‼︎‼︎⁉︎」


 馬鹿な──こんな事が。


「出来んだよ、今ならな(・・・・)。……ほぉら、いちまぁい」

「あっ……が‼︎‼︎ こ、この教会の……! 地下! 俺の後ろにある聖像をずらせば、階段が……っぐ、あ‼︎」


 チルフは、既に変わっていたのだ。

 彼女は自分が既に汚れていると理解している。それがキュリオのような芯から綺麗な人間に出会って更に分かったのだ。決して自分はあの高さに届く事は無いのだと。例え殺すまでに至らずとも殺意を抱いた瞬間から、もう彼らとは全く違うのだと。


 今だって──チルフの表情は、無い。


「案外早く吐いたな……その程度かよ」

「たすっ、助けてくれ! お願いだ‼︎ 何でもする‼︎ だから……見逃してくれ!」

「おいおい、もう命乞いかよ、ゴミ屑野郎。そんな程度の人間に操られたなんて……イライラしてくんぜ」


 変わらない表情が、逆に恐ろしさを助長させる。彼女は真顔のままで、ベルドへと刃を向けているのだ。


「そっ、そうだ! 俺はお前が死にかかった所を助けてやったじゃないか! そうだよ、だから見逃してくれよ! 恩を返してくれ!」


 此の期に及んでこれだ。

 つくづく、チルフは自分が嫌になってくる。こんな男の何処に惚れ込み、恩を返すなんて口走ってしまったのかと。自分に対して、嫌気が差してくる。


「……あー……そう。確かにあたし、恩は返すタイプの人間だ」

「そ、そうだろ? だから……!」

「けど────」


 チルフはそのナイフを持つ手をもう片方の手で握り、振り上げた。




 そしてそれで、ベルドの喉を一突きした。




「今回は、仇で返さにゃあ済まんね」


 言ってしまえば、自分はクズだ。人から金や金品を奪い、それで生きてきた。ヒミの言う通り、今まで何人の人生をそれでパーにしてきたことだろう。

 それは、いくら償っても償いきれないし、ベルドを殺す事によってそれらをチャラにしようとも思っていない。


 だから──自分は堕ちていくなら何処まででも堕ちていこうと思う。ただしその矛先は()だけだ。正しい者には、絶対に手を出さない。


 いつか、自分が形式上の罪を償った時──自分は自分の罪を背負い、悪を持って悪を殺す、そんな人間になろうと思う。

 ルーシーにははぐらかしたが、自分はこんな風なので、学校なんて行こうとも思わない。

 だって────。


「……ぐッ! ぅ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ──は、は」


 こんな。

 いくら怒りのせいだからと、ルーシーや団のみんな、キュリオ達を危険に晒したからといって、既に息絶えたベルドの身体をナイフで滅多刺しにする事に。




 ────こんなに、快感を覚えてしまうのだから。




「あはっ……あはっ……! この、野郎……! あんたのせいで……あんたのせいで……あたしは……みんなは……!」


 頰が、いやに熱い。この温度は何だ。

 まさか自分は──笑いながら、泣いているのか。

 奇妙なものだ。全く、真性のクズというものは、笑いながら泣く事まで出来るのか。


 血が、噴水のようにあちこちに向かって噴き出す。それを顔で、身体で、腕で、脚で浴びながら、彼女には心がぐちゃぐちゃのままで、笑って泣いていた。


「このっ……クズ野郎……!」


 その影は、狂気としか思えなかった。


「あたしを……壊しやがって……」


 笑って。

 笑って。

 泣いて──月夜が、赤く染まっていた。

 その涙でさえも、赤く濡れていた。

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