十九歩目
広場から少し離れた表通りをぶらつきながら、ゆっくりと空を見上げるヒミ。キュリオと数分前に離れてから、彼女は言動とは違って誰に話を聞くでもなく、ある考え事をしてしまっていた。
(私……キュリオの前だと、何だか自分が何を言っているのか分からなくなる時がある)
先程だってそうだ。
心の中で思っていた事を、いつの間にか口に出してしまっている。何だかそれはとても気恥ずかしくて、出来ることなら避けたい。
(恥ずかしくて飛び出してきちゃったけど……特にする事も無いかな。だって、私がやるべき事はもう全てやり尽くしたから)
ベルドの経歴を割り出せた事により、捕まえる為の裏付けが出来た。まさに彼女の目的はそれで、後はキュリオによる力技でどうにでもなるのだろう。
────でも何だか、物足りない気がする。
(……私、なんでこんなに頑張れるんだろう。ムラに居た頃は、何をするのでも力なんて入らなかったのに……)
やる事全てが、無駄に思えた。
ムラの人々の象徴となる、ただそれだけの為に巫女の部屋へ籠りきりの毎日。当然目新しい事があるわけでもない、毎日同じ事の繰り返し。それが続いていていつの日か──何をするのでも、気力が湧かなくなっていった。
祈祷をするのもそう、鏡の前で祈るのもそう、寝床に着くのも、食事をするのでさえも──無意味に思えてきてしまっていたのだ。
けど、今は違う。
こうしてベルドを捕まえる為に情報を集めて、知らない人に声を掛けて、こうやって一人で駆け回って。
ムラに居た時に幾度となくしていた自問──『何のためにこんな事をしているのだろう』──それを、今の自分へと向けてみる。
ベルドが憎いから? チルフやその妹を救いたいから? それもあるだろう。けど、それは第一とは言えない気がする。
例えばそう────
(────キュリオの役に立ちたいから、とか)
一瞬、頭の中が凍りつく。
「…………〜〜!」
思い付いて、すぐに顔が真っ赤になってしまう。頰に手を当ててみれば、先程とはまるで温度が違うのが分かる。胸に触れてみても、鼓動の速度が全く違う。そう、速くなっている。確実に、とくん、とくん、と。
(……キュリオに助けてもらって、キュリオにこんな素敵な旅に同行させてもらっているんだから。これくらい、当然の事なのに……)
あのムラから抜けて。
世界の、自然の、文化の素晴らしさを知って。
夢を持つキッカケをくれて。
これくらい──当然。与えてもらった分には届かなくても、せめてその欠片程でも恩返しをしてあげたい。それは別に恥じる事でも緊張する事でも無いはず。
はず、なのに────。
(なんで……こんなにどきどきするんだろう。キュリオの為に何かをする事に、どうしてこんなに嬉しさを感じるんだろう)
最初に出会った頃とは違う、よそよそしさが消えたせいだろうか。あの時──あの屋敷の渡り廊下で出会った時は、自分とは全く違う存在に思えていた。日陰者で、外を何も知らないこんな獣人とは、まるで見ている次元が違う人なのだろうと思った。
なのに今は……こんなにも近くに感じる。今だって距離的には離れているはずなのに、まるで隣にいるような錯覚さえ感じてしまう。
(キュリオの為に何かしてあげたい。ううん、キュリオの為なら、何でもしてあげたい)
まるで自分の半分の存在に感じる程。それもそうだ、今のヒミが存在するのは間違いなく彼の行動のおかげ。
今、このドゥーランというクニの片隅に立っていられるヒミの存在を創り上げたのは、間違いなくキュリオなのだから。
(恩を返したいだけじゃなくて、なんかこう……言葉には出来ないような、まだ私が知らないような何かが……)
キュリオが喜ぶ事をしてあげたい。その為には、キュリオが何をすれば喜ぶのかを知りたい。そう、今すぐにでも彼の方へと駆け出して、教えて欲しいくらいだ。
でも、それを聞くのも、何故か勇気が要る事で。
それでも、近くにいるのだから、聞きたいならいつでも聞けばいい。まるで今でも手を繋いでいるような感覚に、ヒミは思わず後ろを振り向く。
そこに、彼がいる気がしたから────。
「ごめんな、ヒミ」
────刹那、意識が遠のくのを感じた。
「……ッ、⁉︎」
口元に何か布のようなものを押し当てられ、それの影響か身体がふらつく。それを上手く利用するように身体が声の主であろう人物に受け止められ、まるで自分で歩いているように何処かへ連れていかれる。
(……ぇ、あ……?)
何故だろうか。
視界が、まるで水の中で油を垂らして掻き混ぜたように歪む。今この手を引いているのが、誰かすらも分からない。微かに、自分より小さい事は分かる気がした。
(キュ……り、お……)
あの声は、彼ではなかった。もっと、高めの声。でも、知らない風ではなかったし、何処かで聞き覚えのある声だった。
ただ、声色は自分に向けられた事がない、弱々しいものだった。この声の主は、確か、こんな声は出さなかったはず。
そうこう考えている内に、暗くなっていく視界。それは全体的に暗くなるのではなく、視界が上から下からどんどん狭まっていって、その向こう側から入る光が少なくなっているが故の暗転だった。
いつの間にか、商人達の和気藹々とした声も遠くなっていく。とろんとした気分だ。どんどん、どんどん全てが失われていく。先程まで高鳴っていた胸も、火照っていた頰も、全てが正常に戻っていき、更にその全てが少なくなっていく。それは丁度──眠る、といった感覚に近い気がした。
そして────意識は、途絶えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「…………」
腕の中で気持ちの良さそうな寝息を立てて眠ってしまうヒミ。路地裏に連れ込んだお陰で人目にはつかず、特に怪しまれる事もない。作戦は完璧だ。
────なのに、心の何処かでモヤモヤが晴れない。
「……なんだよ、一体。あたしは何も間違ってないだろ。なんで、こんなに嫌な気持ちになるんだよ」
後ろから襲って眠らせた事に嫌気が差しているのだろうか。いや、普段からこれより酷い事はいくらでも行っている。今更こんな事に罪悪感なんて覚えるはずがない。
(……さっき、こいつは何を考えてたんだろう)
やけに思い悩むような表情をしていたように思えた。最初に近付く前に少し様子を見ていたが、一人で顔を赤らめたり途端に嬉しそうにしたりとよく分からない感じだった。
(……ま、どうなるわけでもないか。こいつにはあいつをおびき出す囮になってもらわにゃならないんだからな)
金髪の少女チルフは、余計な事は考えない事に決めた。さっさと準備するのが彼女の仕事。団の一員として、ドゥーラン窃盗団の面子を守る為にベルドから言い渡された任務。
「姉御、何やってるんすか? 早くこいつを運びましょう、奴に勘付かれる前に。後はチックの奴が頃合いを見て奴にアレを渡すだけっす」
物陰から、声と共に現れる少年がいた。
「……ああ、そうだな。行くか、コル」
「へい!」
彼もチルフと同じくドゥーラン窃盗団の一員だ。チルフより歳下、妹のルーシーと同い年で仲が良いらしい。なんだかんだで良く顔を合わせる少年であり、彼は窃盗団幹部の彼女を親しげに姉御と呼ぶ。
「そういや姉御。ルーシーの奴朝から見てねーんすけど、今日は家に篭ってるんすか?」
「いや? あたしが家出る前にはもう居なかったけど?」
「そっすか。いっつも俺のところに来るから今日は遊べないって言っとこうと思ったのに……」
「はあ? あたしはてっきりお前のとこに遊びに行ったのかと……」
どうやら、ルーシーは何処かをふらついているようだ。まあこのクニは治安も良いし、ここで悪い奴なんて自身らが所属するドゥーラン窃盗団くらいのものだから心配は無いとは思うが。
「ま、いいさ。とりあえず、あたしらはやるべき事をやるだけだ」
「そっすね! 団の面子を守る為、奴を懲らしめてやるんす!」
自身の掌に拳を叩きつけるコル。意気揚々としている彼は、見た事もないキュリオへと闘志を燃え上がらせている。
(……懲らしめる、か。そんな生易しいモンで済むといいけどな)
久々にベルド自身が指揮を出し、窃盗団を動かしたのだ。今まではチルフが一通り団を纏め、自分が率先して盗みを行う事で士気を高めてきた。
だが、今回は違う。まず、チルフに命じた彼の声色が違ったのだ。深くておどろおどろしくて──内に秘めた何かを抑えきれないといった様子だった。
「ほら、そっち持てコル。男なんだからあたしに煩わせんなよ」
「分かりました姉御!」
従順に言う事を聞くコル。これは至極どうでも良い事だが──この少年コルは、どうやらルーシーに気があるらしい。ルーシーはまだそんな事を考えるまでにすら至ってないというのに、同い年のこいつはなんてマセてるのだろう。
だから、単に団の上下関係などではなく、心からチルフを慕っている節がある。これくらいの仕事なら頑張って応えようとしてくれるのだ。
が、今彼女にはそんな事どうでもよかった。色んな考えが脳の中を駆け巡る。
(……あーっ、ホントにモヤモヤする‼︎ 何なんだよ‼︎ まるであたしがあたしでないみたいだ……‼︎)
本当に、今腕の中にいるヒミの言葉を聞いた日から、自分の行動一つ一つに引っかかってしまうようになった。
それと、あのキュリオの言葉。
『チルフ、僕らと一緒に旅に出ない?』
「……旅、かぁ……」
思わず、声が洩れてしまった。
「へ? 姉御、旅に出るんすか?」
「は? あ、ああ悪い、なんでもない」
即座に誤魔化そうとするチルフ。
そうだ、こんな事考えたって意味が無い。自分には守るべき妹がいるし、恩を返すべき人がいるし、自分が居なくてはならない団があるのだから。
「……でも、いいんじゃないっすか? 姉御、結構前からこのクニの外に憧れてましたよね。少し飛び出すくらい、ベルドさんも許してくれるんじゃないっすか?」
「バーカ、お前らが食っていく金調達してんの誰だと思ってんだよ。それにルーシーの事もあるし……ってお前、まさかあたしが居ない間にルーシーとよろしくする気だろ」
「あ、バレました? いやあ、ホントにルーシーは可愛いっすよね」
「ったく、マセやがって……」
はあ、と溜め息をつくチルフ。こいつはいつもこうだ、油断ならないガキなのだ。
が、すぐに彼は真剣な顔に戻る。
「でも、それ抜きでもどっか遠出するのはアリだと思いますよ。姉御無理しすぎてますもん。俺たちの飯の為に盗みやって、ルーシーの面倒見て……こないだだって、役人に追われてたじゃないですか。それに昨日から、なんか思い詰めてるようっすけど」
────こいつは時々、生意気な事を言う。しかも的確なのだから更に困ってしまう。
「……まあ、な。たまに考えるのさ。こんなクニでせこい盗みやるより、真っ直ぐな生き方してみたいなってよ。でも今更どうにもなんねーし、旅ってのも無理だ」
「なんでっすか?」
何も知らない彼は、訝しげに彼女を見る。
そんな彼の視線を感じながら、自虐気味に笑って答える。
「……この作戦が成功したら、その夢も絶たれるからさ。それに、あたし達はベルドさんに忠誠を誓っただろ? 旅に出るとしたら、恩をきちんと返したと判断してからだな」
はあ、とよく分からなげに相槌を打つコル。
(……つっても、まだ考えがまとまってねえけどな。恩を返すって、あたしこの何日かに何回言ってんだろ)
ブレている自分を嘲笑いながら、それを正そうと息を吸う。
彼女の軸は、それでも定まらないままだった。
土日なので二話投稿です!
次の投稿は夜の9時です!




