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一七五歩目

 ────自らが間違っているなど、これっぽっちも考えた事が無かった。


 常により良い世界に進む事こそが、この世界を生み出し、この世界と共にある己の使命だと思っていた。


 ────だが。


(……彼は……)


 自ら生み出したものに背かれるのは、これで二度目だ。


 エイボーン──その名だけの存在。八叉の蛇を打ち倒す為に創り上げた、そんな存在。


 だが、彼は世界樹へ告げた。


 ────この世界はあまりに美しい。そして、その中で自分はもっと美しいものを見つけた──と。


 黒髪の少女だった。


 世界樹が生み出した内の、何の事無い、豆粒の中の一つのような存在。他と比べて、少しだけ綺麗なだけの、そんな存在。


 だが彼は、その少女と共に生きると決めた。だから世界樹は、そんな間違った心を破壊し、新たな心を、魂を植え付けた。


 けれど──彼が告げた言葉は、何処か世界樹の記憶にこびりついていたのかもしれない。


 それのせいだろうか──今、自らを打ち倒した少年は、どこか彼と似ていた。


(……私はまだ、私が間違っていないと信じている──だが……)


 巨神皇の拳は、彼の意志を世界樹に叩き込んだ。


 それは、未来へと駆けていく意志。まだ見ぬ世界へと、未来へと、どこまでも走っていくという事。




(────……少し間違っていても、寄り道をする方が……幸せなのかもしれませんね)




 光へと昇華していきながら、世界樹は最期にそう思っていた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「世界樹が……」

「光に……なって……」


 キュリオとヒミは、その光景に目を奪われたまま思わず呟く。


 それは、あまりに神々しく、神秘的なものだった。


 世界の何処からでも視認できる世界樹は、好奇の巨神皇キュリオシティ・オーバーロードの拳を受け、破壊された。


 刹那、その樹木は光として輝き、枝や葉、その全てが煌めきながら、空気に溶けるように消えていったのだ。


 それと同時に、彼らを隠していた枝と葉の傘が消失し、いつの間にか青白い光が彼らを照らしていた。


「キュリオ……あれ!」


 ヒミが、その光の方を指差す。




 そこにあったのは──キュリオとヒミが初めて出会った時に見たような、美しい満月だった。




 それは淡い光なのにも関わらず、世界樹が消え去った後の、原力の輝きが溶けた夜の闇を、明るく照らしている。


「……いいね、何だか」

「ええ、とっても……」


 キュリオが小さく微笑むと、ヒミもまたキュリオの腕の中で小さく笑う。旅の始まりを思い出すような輝きと涼しい風が、何とも心地良かった。


 ────ふと。


『ふふっ』


 笑う声が、背後から聞こえた。


 それは、ブランカとバッツのものだった。彼らはキュリオ達の幸せそうな姿を見て、微笑ましそうにしていたのだ。


「っ……ぶ、ブランカ! 笑わないでよ!」

『笑うよー、だって……あんなに奥手だったヒミが、いつの間にかそんな積極的になってるんだもん』

「んもー、茶化さないで!」


 キュリオの腕の中から降り、彼女の元へと駆け出すヒミ。そんな姿を見やりながら、キュリオはしかしその後にはついていかない。


 それに入れ替わるように、バッツが彼の元へと駆け寄ってくる。


『ヒミについててあげないのかよ?』

「ううん。せっかくの親友同士の再会なのに、水指しちゃ悪いよ」

『おっ、中々気が利くじゃん』

「まあね。……それに……」


 キュリオは、バッツの指先から見える光に視線を移し、もの寂しげに告げる。


「……もう、あまり時間がないんでしょ?」

『みたいだな。まあ僕は別に焦る事もねえよ。ブランカが笑っててくれれば、それで』

「僕も、ヒミ姉が笑ってくれたら良いなって思うよ」

『おいおい惚気か? そんなん聞きたくねえから、他の奴らにも話しかけてこいよ』


 バッツは顎を動かして他の皆へキュリオの視線を移させると、また笑った。


『色んな獣道について知るのも、悪くねえとは思うぜ』

「バッツ……うん、ありがとう!」


 キュリオは彼の気持ちに感謝しながら、その場から離れていく。バッツには、何処か親しみが深くなって気がする。彼には知る由も無いが──それは、大切な人の為に真っ先に動ける者同士だからなのだろう。


 だから、パートナーが笑っているだけで、幸せになれるのだ。


『ふん、まあ及第点というところだな、アルフレイド。良くやった、とは言うべきだが』

『もう、相変わらず素直じゃないなーレビオン兄さんは』

「ははは、まあ確かに苦戦に苦戦を重ねた感じだったからな。だがこれも、君達が居てくれたお陰だよ」


 キュリオはまず、アルフレイドの元へと駆け寄った。そこではブレイアとレビルテが集まっており、アルフレイドと親しげに会話していた。


 そして、


『あ、キュリオお兄ちゃん! 見てよー、ししょーと私でね、あのでっかいのをぐわーっって!』


 ソニアが、キュリオの元へと駆け寄る。


「うん。君やフレイドが居てくれたからだよ、僕達が勝てたのは」

『ふふーん! あ、でも……なんかキュリオお兄ちゃん、初めて会った時より強そうに見える!』


 その言葉に、キュリオは小さく驚く。何だか弱そう、とまで言われた彼からしたら、確かに今までの旅路は成長の連続なのかもしれない。


「ありがとう、ソニアちゃん。嬉しいよ」

『まあ、ししょーよりは弱そうだけど!』

「うぐっ……ま、まあそうかもね。フレイドは強くて格好良くて、大人って感じでいつも僕達を導いてくれたから……」


 キュリオは、アルフレイドの活躍を思い出す。


 彼は知略戦を得意とし、力だけでない戦いを行ってきた。常にキュリオ達を引率し、父性に溢れた存在ともなっていた。


『あっ、キュリオ君! 格好良かったよー、さっき!』

『まあ、貴様にしては頑張っていたかもな坊主。ただ、あの黒髪の小娘を守るには、いかんせん筋肉が足りんがな』

「はは……まあ、僕は肉体派じゃないからね」

「そうだなあ、旅を再開したらまた剣の稽古の続きかもな」

「えー、もういいよフレイド……じ、じゃあ僕チルの所行ってくるね!」


 あはは、と楽しげな声が巻き起こる。ブレイアもレビルテも、少し考え方が強引なのが少しといったところだが、それもまた彼らの個性だ。


 そして、次はチルフだ。キュリオが彼女の元へと駆け寄ると、彼女は柄にもなく母親であるハーミットへと強く抱きついていた。


「お袋……あたし、頑張ったかな?」

『もちろん。頑張ったよ』

「ルーシーは学校に行ったよ。コルって奴と将来くっつきそうだぜ! あ、そうだ、あとジェイスとかゴルダって奴もいて、あいつらもみんな学校に行って……!」

『…………本当に、頑張ったみたいだね。ごめんね、頼りないお母さんで……』


 ハーミットは、チルフの頭を撫でながら、静かに笑う。そして余りある優しさで、彼女を強く抱擁した。


 何故だろうか、彼女の頬からは、勝手に涙が溢れてきていた。


 目上の人に、家族に労われるなんて──随分と、久し振りな気がしたから。


「……別に、頼りなくなんかねえよ。今のあたしがあるのも、仲間やアルに会えたのも……全部、お袋があたしを育ててくれたからさ」

『そっか。……ありがとね、こんな不器用な私にそう言ってくれて。もうちょっと……チルの面倒見てあげたかったけど。もう、立派な大人みたいだね』

「そうかな……。あ、でもあたし、商人になろうって思うんだ。サフィーって人が居て、その人に色々教えてもらいたいんだよ!」

『そう。じゃ、それまでは彼と一緒に旅を続けたら?』


 ハーミットはキュリオを指差し、彼に近づくよう仕草をすると、一緒に抱き締めた。


「なぁっ……! キ、キュリオてめっ、何見てんだよ! 恥ずかしいだろーが!」

「ご、ごめん……でも、なんかチルも甘える時ってあるんだね!」

「うるせー! 馬鹿にしてんのか!」

『ちょっとチル? もー、いつの間にこんな口悪くなったのかなー。ちっちゃい頃はママー、ママーって……』

「わーっ‼︎ 止めろお袋‼︎ そんなのこいつに言うなって‼︎ てめえ何笑ってんだキュリオごらあ‼︎」

「痛ーっ!」


 チルフの知られざる一面に、思わず笑いがこみ上げてしまうキュリオ。しかし笑いが漏れ出した瞬間、彼女にげんこつを喰らってしまった。


 けれどそれを喰らえるのも、またみんなが仲間として、旅の一員として戻ってきたからだと思うと、何だか笑っていられた。


『ちょっとハーミット、その子は私の息子なんだが?』


 瞬間、キュリオの身体はハーミットから引き剥がされ、もう一つの身体へと抱きすくめられる。その時、キュリオの隣には穏やかに笑うスティの姿があった。


『もー、ちょっとくらい良いじゃんフリィ。独占欲強いところダリオに似てきた?』

『どうかな。それより君こそ全然変わりなくて正直驚いてるよハーミット。ここに居ないのを見ると、どうやらちゃっかり者のアースはまだご存命のようだが』

『あはは、あの人らしいね』


 キュリオの母親であるフリィ・エイボーンが、ハーミットと親しげに話す。やはり名うてのセリオニアの戦士らしい口調で、普段キュリオと会話する時の口調ではない。


 ただそれは、母親のもう一つの一面を垣間見れたみたいで、それはそれで少し心躍った。


「キュリオ?」

「ん? どうしたのお姉ちゃん」

「……なんかね。スティも。旅に出てみたいなって思ったの。スティはダリオの……父さんのように。もっと色々なものを見たい」


 スティは笑顔を浮かべ、キュリオのこめかみを優しく撫でながらそう言った。


「今までスティは父さんの後に着いていただけ。でも。これからは……自分一人の脚で歩いて。もっと沢山のものと触れ合ってみたい」

「良いんじゃないかな。きっと、お姉ちゃんが見た事のない景色は沢山あるよ!」

「……ありがとう。キュリオ。スティ……キュリオのお姉ちゃんで良かった」


 強くキュリオを抱き締め、スティは震える声で告げた。きっと、歓喜の涙なのかもしれない。初めて自分で決断した事を、彼の言葉は優しく包み込んだのだから。


『それにしてもキュリオ君、ホントダリオにそっくりだね〜……違うのは髪の結び方くらい?』

『本当だよ全く。少しくらい母親に似てくれてもいいものを……ね、キュリオ』

「あはは……それは僕が決める事じゃないから……」


 フリィが少しふてくされた声で言う。キュリオにはどうする事が出来るわけでもない為、彼は引きつった笑みしか浮かべられなかった。


 と、そんな時。


『なんだい、僕の悪口か?』


 キュリオの目の前には、彼と全く同じと言って良いほど良く似た少年が居た。違いといえば、服装、ゴーグルがない事、そして後ろに縛った髪が三つ編みになっている事くらい。


『ダリオ……!』

「と、父さん?」

『そんな事言われたって僕にはどうも出来ないだろ。まあでも、性格は君似だよ絶対に。僕には彼みたいな信念は到底持てないからね』

『よく言うな、身体作り変えてまで私の事を迎えに来たくせに』

『君の為だったら何でも出来るってだけだよ。世界樹に身体をもらったのも、元はと言えばこの世界の再創造から君を逃れさせる為だ』


 キュリオは彼の姿を見て、なるほど確かに似ている、と思った。普段鏡で見ている己の姿そのものと言って良いほどなのだから。


 恐らく、その姿は彼がキュリオと同じくらいの年齢の時のものを象っている。そう思えば、確かにフリィも母親の時というよりはきっとまだ旅に出ていただろう時くらいの若さだし、ハーミットも何処か幼さが残っている。


『キュリオ、君が世界樹を破壊してくれたお陰で吸い込まれて囚われた僕の魂も解放されたんだよ。……まあ死んじまった事に代わりはないがね』

『相変わらずどっか生意気な喋り方! フリィも良くこんなのとくっついたよ!』

『うるさいなハーミット。お前だって一児の母のくせに精神的に子供過ぎだろ』

『二児ですよーだ。まあ、ちゃんとチルもルーシーも育ってくれたみたいだし。こうやって死んだ後に巡り会えたのも、元はと言えば君が私の原力を引き出してくれたおかげかもね』

『……どっちと言えばハーミットの方が成長しているんじゃないか、ダリオ? 君はくっついてからも私に甘えきりだしなあ』

『……それ、アースの前で絶対言うなよフリィ』


 何処か子供のように振る舞うダリオ。彼も状況が状況だっただけで、実際にはこんなにも子供っぽい一面があるのかと思うと、それはそれで。


「なんか子供っぽいな、ダリオさん」

「うん、なんか意外」

「ダリオは。昔からああいうところある」


 知ったように話すスティ。ダリオと過ごしたのはキュリオより彼女の方が長いのだから、当たり前ではあるが。


 ふとそんな時、何処からかスティの耳にこんな声が。


『……──よかった』

「……!」


 周りを見渡しても、誰もそんな声を出してはいない。


 ただその声は、スティの幼い頃に幾らでも聞いた声だ。


「どうしたの?」

「…………ん。懐かしい声がしただけ」


 幼い頃に、不慮の事故で命を奪ってしまった自らの母親。本当の母親。


 その声が、小さく聞こえた。


 きっと出てこないのは、この状況で現れるのは野暮だと思ったからなのだろう。新しい家族を見つけた今、抱擁しに行く事もない。


 ただ、スティは呟く。


「……ありがとう、ママ」


 その言葉だけで、見えない彼女の魂は少し煌めいたように思えた。


『それにしても、この子もべっぴんさん見つけちゃってなあ。あんな可愛い子滅多に居ないぞ?』

「えっ」

『そうだなあ。あの子、オキミの娘らしい』

『えっ、オキミのか? 懐かしいな、私達と旅が出来なかったのは残念だが』

『封蛇のしきたりが厳しかったから仕方ない。むしろあのヒミちゃんが旅に出られたのは、オキミが出られなかったのを悔いてじゃないかい?』


 そう、ヒミの一族は代々ヤマタノオロチの魔力を持ちながら神を奉る一族。だからそのしきたりは厳しく、オキミの母親は彼女が旅に出る事を許さなかったのだ。


「どういう事?」

『まあ簡単に言うとキュリオ、お前はかなりの上モノをゲットしたって事さ』

『言い方に気を付けろダリオ。……まあ、あの子はとても良い子だし、あなたの事を想ってくれていると思うわ、キュリオ。だから、絶対に蔑ろにしない事。母さんと約束して?』

「もちろんだよ! 約束するまでもない、僕はヒミ姉の事大好きさ!」

『大胆な子ですねえ、お宅のキュリオ君は』

『ニヤニヤするなよハーミット』

『……それなら大丈夫ね。さ、ヒミちゃんの所に行ってあげなさい。私達はもう消えるかもしれないけど、ちゃんと見守っているからね』


 フリィがキュリオの頬を撫でる。透明化しかかって煌めいているその掌は、けれどとても人肌の温度で温かかった。


 これが母の温もりなのだ。己という存在を産み落としてくれた、何処までも近しい存在。


『キュリオ。お前が言っていた僕を超える旅人になるって話だが……お前なら、きっと出来ると信じてるよ』

「父さん……うん、ありがとう。僕、絶対に父さんを超えてみせる!」

『頼もしいもんだ。……さ、行くんだ。お前が一番安らげる所に』


 キュリオの背中を押したダリオの手は、何処か優しかった。そして今までキュリオの前を歩いていたという歴史を閉じて、自分より先に息子を送り出すという意味の様にも思えた。


 スティも、キュリオを見やって微笑む。


 ここからは、キュリオが新しく切り開く旅の始まり。その為に、最初に声を掛けるべき少女がいる────。

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