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ケモノミチ  作者: たびくろ@たびしろ
ドゥーラン編
17/176

十七歩目

「……ねー、お姉ちゃん」

「どうした?」

「あの赤白の服着てるお姉さんの言ってる事、ホントかな……?」


 どくんと、心臓が鷲掴みにされるような感覚だった。

 心では違うと思っていても、脳が、言葉が、上手い反論を紡げなかった。


「……んなわけねー。ベルドさんが、ベルドさんがそんな事を考えてるなんて、そんな……!」


 とにかく認めたくなくて、だからそう答えた。



「チルフ、どうしたんだ一体。様子が変だぞ?」



 そこに本人がいるなんて、思わなくて。


「ッッ⁉︎」

「なんだお前、心底たまげたような顔しやがって」


 宿から少し離れた所の路地だった。

 ふらりと彼女の前に現れたのは、彼女が恩義を感じる男。


 そう、ベルド・ガルノフその人だった。

 身長180を超す大男で、よく鍛えられているようで筋肉もあり、目付きもギラギラしている。髪は短く、目元の傷がまた強面な印象を与える。

 しかしチルフは知っている──そんな彼も、笑った時は本当に安心させてくれるのだと。そしてその笑みに、今まで何度も救われてきたのだと。


 そんな彼に──今の彼女は、心無しか疑惑の目を向けてしまっている。そんな事あるはずがないと思っていても、ヒミに宣言された手前、心の何処かで疑ってしまっているのだ。


「あ、あのさ……ベルドさん……」

「おう、なんだ」


 もじもじしながら視線を合わせられずに、それでもその名前を呼ぶチルフ。ルーシーはあんな会話があったからか、チルフの後ろに隠れて様子を伺っている。ただしその手はぎゅっと強くチルフのズボンを握りしめ、そして僅かに震えていた。

 そんな彼女らを訝しげに見つめるベルドは、訳が分からずに首を傾げた。


「どうして……あたし達を助けたんだ?」


 苦し紛れな声で呟くチルフ。優に頭一つ分も離れている彼の顔を見上げて、問いを繰り返す。


「もう何年前か忘れちまったけど……路頭に迷って、飯も食えずに死にかけてたあたし達を助けてくれたのはベルドさん、他ならないあんただ。……けど、分からねーんだ。なんで、なんであんたは……あたし達を助けたんだ? こんな役にも立たないゴミみたいなあたし達を、どうして救ってくれたんだよ?」


 そんな。

 そんな自虐的極まりない問いに、ガルドは少し時間を置く。その短い髪をぽりぽりと掻くと、彼は大きく笑って答える。


「……理由なんてないさ。困っている子供を助けるのは大人の役目だろう? だからそんな自分を馬鹿にするような事を言うな。お前達は絶対にゴミなんかじゃないし、役立たずでもない。それにチルフ、お前は十分役に立ってくれてるじゃないか。団のみんなが食う為の金は、お前が居なければ調達出来ないんだからな」


 ガシガシと、チルフの金色の髪を不器用に撫でながら言うベルド。声色は優しく、包容力がある。


「ホント?」

「ああ、本当さ。お前が居るから、みんな生きていけるんだ。いつもありがとうな、チルフ」

「……へへっ、へへへ」


 その太くて無骨な指が、チルフの金の髪に絡む。少し乱雑で痛いその撫で方は、しかし安心感に溢れているのだ。やっぱり、この人はそんな悪い奴じゃない。みんなを助けてくれる、このクニの英雄だ。


「さ、早く帰れ。もう遅いしな。どうせ晩飯もまだ食ってないんだろ?」

「おう! じゃあな、ベルドさん!」

「ばいばい、ベルドのおじさん!」


 満足気な笑顔を浮かべると、大きく手を振りながら路地を駆けていくシーロウバー姉妹。信頼を取り戻した彼女の笑みはとても眩しく、喜びに満ちていた。


「おう、早く寝ろよー」


 そんな二人に同じ様に手を振り、そして背を向けるベルド。家に向かっていった彼女らとは反対方向へ、歩を進める。その先にあるのは──キュリオとヒミがいる宿。

 その巨大な石造りの宿を眺めながら、彼は呟く。


「……ったく、余計な事を吹き込みやがって。言い訳を考えるこっちの身になれっての」


 それは、先程チルフやルーシーに向けていた表情とは、全く真逆の性質を持つ表情だった。


「────キュリオにヒミ、か。チルフのように不思議な力を使うらしいな……」


 実はこのベルド、昼間に行われていた彼女とキュリオの衝突を人知れず見ていた。そしてその時直感したのだ──このままでは危険だと。


 あのキュリオとかいうガキは、チルフを凌ぐ程の力を持っている。あの得体の知れない巨人は、恐らく敵うものなどこのクニには居ないだろう。


 そして、ヒミという少女。彼女自体に特別な力は無いが、言動が危険だ。チルフは同年代や年下の忠告は基本的に無視してしまうクセがあるのだが、そんな彼女があれ程不安的になっていたのは、やはりあのヒミの説得があったからだろう。

 だが、彼女は危険であると同時に落とし穴でもある。そしてキュリオの唯一の──弱点。


「悪いが消えてもらうぜ、ガキンチョ共。チルフに疑いを持たせた上に、昼間は『ドゥーラン窃盗団』の名に泥を塗りやがった。この落とし前は付けさせてもらうぜ」


 闇の中で、彼は大きく──吠えた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「キュリオ、明日は色んな人に話を聞いてみましょう」


 風呂から上がったヒミは木製の手櫛で髪を梳かしながら、たった今上がってきたキュリオに対してそう言った。


「……やっぱり、さっき言ってたベルドって人について?」

「もちろんです。良い人(づら)して当たり前のように子供達に盗みをさせるだなんて……許せません」


 断固とした表情で、彼女は告げる。ぎゅっと手櫛を握り締め、唇を噛み締める。

 その姿を少し見ていたキュリオは、間を置いてこう問うた。


「なんでチルフにあんな強い物言いをしたの? あそこまで言わなくても、もう少し言い方ってものが……」

「……さっきは、少し正気ではなかったかもしれません。でもあれだけ言っておけば、あの子はきっとベルドに対して疑念を抱くハズです」


 もしかしたら、彼女は正義感が人一倍強いのかもしれない、とキュリオは思う。

 そう。

 あのヤマトノムラで世襲制に対して疑いを持ち、絶対に正しくない事だと、ムラの人達を神の言葉だと言って騙すのはおかしい事だと、そう訴えていた彼女だからこそかもしれない。


「……嫌なんです。間違っている事が『仕方ないから』という理由で正当化される事が。それが正しい事だと騙されてしまう人がいる事が」


 直接言ったわけではないが、後者はきっとチルフの事を言っているのだろう。そしてこれはきっと、分け隔てのない慈愛の心から来る結論なのだろうと、キュリオは思った。


「だからこそベルドについての情報を集めて、きちんと裏付けを取ってから、彼に然るべき裁きを受けさせるんです。子供を騙すなんて卑劣な事なのだと分からせてあげなくてはなりません」


 そして、その真剣な表情の中に僅かな綻びを見せたヒミは、キュリオの手を取って、


「でも、どれも私一人じゃ出来ません。キュリオが居てこそ出来る事です。手伝ってくれますか?」


 風呂上がりの温かい手は、それだけではなく、人の温もりが心地良く伝わってくるようだった。その白くてしなやかな指が、キュリオの子供らしい小さな手に絡まる。

 そんなヒミに、キュリオは屈託のない笑顔を浮かべて、


「もちろん手伝うよ、ヒミ姉!」


 その手を、ぐっと強く握った。


「……ふふ、ありがとうございます、キュリオ」


 手袋をしていない、素のままのキュリオの手。小さく子供っぽいその手は、しかし今まで旅をしてきたという風格が伝わるように浅い擦り傷などが多かった。

 だからこそ、彼の経験がこう触れて伝わるからか、ヒミはその手を離したくなかった。どこかほっとした気持ちにさせてくれるそれを、手離したくはなかった。


「ひ、ヒミ姉? そんな人の手をずっと握っててどうしたの?」

「キュリオの手に触れてると……すごく安心します。なんていうか、落ち着くんです。もう少し握っててもいいですか?」

「まあ、別にいいけど……」


 少し照れ隠しながらも、自らの手を触らせるキュリオ。普段あまり露出しないからか、どうやら物珍しく見えているようだ。

 指やら手の甲やらをすべすべと触れ、ヒミの細い指が手の色んなところに触れる。


「ふふっ、小さくて子供らしくて、とっても可愛いです……!」

「んなっ⁉︎ そんな事ないよ!」

「いいえ、本当に可愛いです。いつまでも眺めていたいくらい……この指の短い所とか、手全体がそもそも私より一回り小さい所とか、もう……!」


 軽くショックを受けるキュリオ。

 もうそろそろ背伸びをしたいお年頃の彼なのに、こんな事を言われては、素直に喜べるハズもない。どうやらヒミは少年の子供らしさに魅了されるところがあるらしく、普段の清楚さは何処へやら、鼻息荒く彼の手を眺めている。彼女曰く『手は小さい男の子らしさが顕著に現れる部分』らしい。


 知ってしまった彼女の性癖に驚きを抱くも、別に自分に被害が及ぶ訳ではないので別にいいか、なんて思っていた。

 しかし、


「キュリオ、このまま旅を続けていても、あなたは小さいお子様のままでいてくださいね」


 そこまで言われると流石にプツンときた。


「僕を子供扱いするなーッ‼︎」


 彼の背後で噴火する幻影が見えた気がした。そうなる程、彼は子供扱いされる事が嫌いなのだった。


「じ、冗談ですよ〜……むぐっ、そんあほっへひっはらないへくらはい〜!」


 断罪の為にヒミの頬を強く引っ張るキュリオ。良いだけ鬱憤を晴らすと、彼は『もう知らない!』とだけ言い残し、そのまま布団で眠ってしまった。

 そんな彼を何分か見つめた後、彼女はぼそりと、


「……ま、そうやって大人ぶっちゃうところも可愛いんですけどね」


 なんて呟いた。

 直後飛び蹴りが飛んできたのは、流石に予想外だった。

今日と明日は週末なので二話更新しようと思います!

次の更新は夜の9時頃です!

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