十五歩目
────話によると、あのチルフ・シーロウバーという金髪の少女は、ここらでは有名なひったくりとして商人達を困らせていたらしい。彼女がいる『ドゥーラン窃盗団』は、夜な夜なこの街の富豪などを襲っては、金を巻き上げているらしい。
そんな中で、キュリオはチルフに反抗したばかりでなく、完璧な形で撃退した。それを見ていた周囲の商人達は、堪らずに彼を英雄と呼んだのだ。
御礼と言っては何だが、というような形で彼らは、二人には勿体無い程の金、そしてこのクニ一番の宿屋へ泊まれるような手配を受けた。彼らはそれを甘んじて受け、こうして今宿屋に身を落ち着けているというわけだった。
「ふ〜、疲れた」
ふかふかのベッドに飛び込むと、彼は一つ溜息をついた。
「そりゃあ、このクニに来て一日であんな目に遭ってみれば、誰だって疲れますよ」
苦笑いをしながら、ヒミもゆっくりと隣のベッドに座る。その手にあの時欲しがっていた栞を持ち、それをまじまじと見つめながら、早速いつもの名付け帳を取り出す。
それは二人がもらった金の、ほんの少しで買ったものだった。高いとはいえキュリオでも買えたものなのだから、どちらかといえば安価なもののハズなのだが、彼女はそれも至極宝物のように扱う。
「それ、そんなに欲しかったの?」
「はい! 将来図鑑を作ったら、これを使おうかと思って!」
えへへ、と照れ隠しながら彼女は言う。気が早すぎるよ、なんて言おうとしたキュリオだったが、彼女があまりにも嬉しそうにしているので、それ以上何も言わない事にした。
するとその代わりに、今度はヒミがキュリオに質問し返した。
「あの、キュリオ。さっきの木の巨人の事なんですけど……」
「ん? ああ、なんで樹に触ってないのに出したのか、ってこと?」
はい、と彼女は頷く。
ヒミの認識の中では、彼は樹、またはそれで造られたものに触れる事により、それまで触れていた樹を材料として、あの巨人を創り出すものだと思っていた。
だがあの時の状況は、その限りではなかった。まず樹に触れていなかったし、彼はあの動作をする際、まず最初に材料にする樹に全て触れる。
なのに何故今回は、こんな石だらけの街からあの木の巨人を繰り出したのだろうか、と、そう疑問に思わざるを得なかったのである。
すると、キュリオはすっと右手を差し出してから、
「実はね、これのおかげなんだよ」
その掌には、小さな木片があった。それには別段何かの力が備わっているようには見えないし、どう見てもただの木の欠片……というか木の皮だ。
「……これに何の力が?」
「いや? 何もないよ?」
「へ?」
疑問符だらけの会話が生み出される部屋の中で、ただ一人キュリオ本人だけが、ニヤッと意地悪く笑った。
「あのさ、僕のこの力は、樹に触れる事で発揮出来る……っていうのは、もうヒミ姉なら知ってるよね?」
「はい。……あ、分かりました」
「分かったでしょ?」
それだけ言えばね、と言いたげな顔で、会話をヒミに繋げる。対してヒミは、少し自慢気な感じで、
「それを手に握る事で『樹に触れる』っていう発生条件をクリアしたって事ですね。……あれ、でもそれならあの巨人を構成している樹は何処から……?」
「それは、今日この街に来るまでに触れた樹だよ。僕はいつも樹に触れることで使う数を予め決めて、それから巨人を出してるけど、別にああする必要もないんだよ。今日中に触れた樹であれば、今日の間はずっと使えるのさ」
「ああ、だからあの時……」
────僕にひったくりを仕掛けたのが──森から出てきた今日であった事に対してね!
そう言ったのか、とヒミは承知出来た。
もしチルフが襲ってきたのが明日や明後日だった場合、あんな芸当は出来なかったわけだ。つまりこれは、非常に限定された打開策という事になる。それにチルフがうまく引っかかってくれただけだったのだ。
「じ、じゃあ明日はどうするんですか? もしまた、あのチルフって子が襲ってきたら……!」
「んー……まあ、その時はその時! 大丈夫、何とかなるって!」
「そ、そんな無責任な……」
特に確信の無い安心感を振りまくキュリオに、彼女が焦っていると。
────部屋の戸が、ノックされた。
「ッ⁉︎」
びくっ、と肩を震わせるヒミ。ついぞそんな話をしていたからか、突然の音に警戒心を高める。
「だ、だ、大丈夫、大丈夫……あれだって、宿屋の人だって……はーい、今開けまーす」
「だ、ダメですよキュリオ! まず誰なのかを聞いた方が……!」
しかしその要求を聞く間もなく、キュリオは扉を開ける。彼自身も怖かったのを勢いで誤魔化したのか、それとも単に信じていなかったのか。
とにかく、その扉は一瞬にして開かれたのだ。
キイィ……と、静かな音を立ててそれは開く。蝋燭によって薄く照らされた廊下が、その向こうにいる人物を仄かに映し出していた。
そして──ヒミが想定していた最悪の相手が、その向こうにいた。
「き、君は……!」
そこに居たのは、
────昼間に戦った、狐を思わせる金髪の少女。
(ホントに来ちゃったーッ‼︎⁉︎)
キュリオは固まりながら、思い切り驚いた顔で金髪の少女──チルフを出迎えてしまう。彼女は昼間の戦いのせいか傷付いており、肩から血が滲んでいる。但しそれは治療されたらしく包帯が巻いてあり、傷付いて見えるのは浅い傷をそのまま放置しているからだった。
「……(ちょっとキュリオ! これってマズいんじゃ……!)」
縮地でもしたかのように即キュリオの後ろに現れたヒミは、ひそひそとチルフに聞こえない声でキュリオを咎める。まさか本当にチルフが来ると思っていなかったキュリオは、必死に頭の中でどうするかを決めようとしていた。
だがその考えがまとまる前に、チルフからとある一言が告げられた。
「……あの、さ」
「はッ、はいッ⁉︎」
思考途中で思わず変な返事になってしまうキュリオは、それでも話を聞いてみなくては物事が進まないと思い、彼女の言葉に耳を傾ける。
すると彼女は────
「……昼間は悪かった。お前のポーチをぶんどろうとしちまって……本当に、申し訳ねーと思ってる」
「「え?」」
予想外の言葉に、思わず聞き直してしまう二人。まさか、昼間はあれだけ調子に乗っていた彼女が、こんなにローテンションで謝ってくるとは思わなかったのだ。
「あのさ……ちょっと話がしてーんだけど、入って……いいか?」
昼間の彼女ならば、そんな事の了解を得る前にどすどすと踏み込んできそうなものだが、生憎、今の彼女は扉の仕切りから未だに一歩も部屋へと足を踏み入れていなかった。
両手を後ろに組みながら気まずそうに呟く彼女に、キュリオはどうしたら良いのか分からず、ちらりとヒミの方へと向く。
すると、ヒミは少し呆れた様子で溜息を吐く。しかしその顔には微かに笑みが浮かんでおり、どうやらチルフを信用してあげようといった様子だ。
キュリオも、それに乗じる事にした。このショボくれた感じの彼女は何か敵意を持っているようには感じられないし、何より──視線が、さっきからキュリオへと一直線に向かっている。それは何かを誤魔化そうなんて気は毛頭無い、信頼感を生み出すような視線だった。
「……分かった。いいよ、どうぞ」
キュリオは半歩ズレながら部屋に彼女を迎え入れる。チルフは恐る恐るといった感じで入室するが、そんな時、どたどたとした足音が耳に入った。
「うわーっ、広ーい!」
それは、チルフに顔立ちが似た少女だった。十歳に達しているかどうかくらいの年齢であろうその少女は、今までチルフの後ろに隠れていたようだった。同じ様な金髪、同じ様な碧眼……そして、狐を模したような獣耳と、もこもこした大きな尻尾。
「ねえ、この子は……?」
「あたしの妹のルーシー。うるさい奴だけど、一人にしたら危なっかしいから連れて来ちまった」
半ば呆れたように言うチルフ。妹がいるとは初めて聞いた。
とりあえずキュリオは、
「まあ、座りなよ。立ちながらってのもあれだし、ね?」
と声を掛けた。
部屋の真ん中にある四人用のテーブル。その中の一つの椅子を引くと、チルフは一言礼を言った後に座った。ルーシーもその辺の物を見ながらうろちょろしていたが、姉であるチルフに注意されると、たちまち席に着いた。
キュリオもそこに座り、ヒミもゆったりと座る。四人用のテーブルが全て埋まった時、チルフが一言言い放った。
「聞きたい事っていうのはさ……あんたの、いや、あんたとあたしの力についてなんだ。あたしは気付いたらこの力を身に付けていて、詳しいことなんざさっぱり分かんねえ。そもそも、今まではこの力に特に疑問を抱いた事は無かったんだ」
けど、と。
そう付け加えると、彼女は言った。
「────同じ力を持つあんたに、出会っちまった」
「…………!」
ごくり、と唾を飲み込むヒミ。事の重要性をその身で感じているのか、自然と強張った顔付きになっている。
「んでもってあんたに倒されて……その、疑問が浮かんできちまったんだ。どうしてあんたの木の巨人とあたしの石の鳥龍に、あんな力の差があったのか。どうやってあんたは樹も何も無いところから巨人を創り出したのか」
指折り一つずつ数えていくチルフ。
「……そしてどうしても知りたい疑問が最後に一つ」
三本突き上げた内の二本を折った彼女は、最後の一本を残し、キュリオの赤い瞳を見つめて問うた。
「────あんたのその力、どうやって手に入れたんだ?」




