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ケモノミチ  作者: たびくろ@たびしろ
空虚な焔編
130/176

一三〇歩目

「……ハァッ……! ハァッ……!」


 ────刃は、振り下ろされた。


 たった一つの決意と共に。




 ただ──それは揺らぎに揺らいだ末に、何もない地面へと突き刺さっていた。




「…………ぁ、……?」


 カレンは、跳ねる心臓と滴る汗にさえ気付かない。彼女の頭には今、一つの疑問だけが浮かぶ。


「は、……は、はは……? なんだぁ、テメェ……私を殺さねえのか……?」


 変な笑いが、同時にこみ上げた。


 仰向けに倒れたカレンに覆い被さるようにして真っ直ぐ彼女を見つめるキュリオは、ただ追い詰められたような表情と共に、彼女を見つめているようで見つめてはいなかった。


 何もない虚空に、視線を移していた。そしてゆっくりと、己の右手、そして地面に突き刺さる光の剣を凝視する。


「……、くは……僕は……」

「…………?」


 過呼吸気味に息を吸ったり吐いたりするキュリオの額には、無数の汗が滴っていた。見開かれた赤い瞳は小刻みに震え、無意識にその呼吸のサイクルは速度を増していく。


「僕は……一体、何をして……」

「…………ひ、ひひッ……何だか分からねえが、お前は馬鹿をやらかしたみてぇだな……」


 いつの間にか、カレンとキュリオの奥には魔法陣が創り上げられていた。ただその発光度合いはあまりにも弱く、まるで彼女の魔力も枯渇していると言わんばかりだった。


 そして遥か彼方のヒミの周囲をも、魔法陣が複数囲んでいた。木の巨人(ウッディン・ゴーレム)が守ってはいるが、あの量に襲い掛かられてはひとたまりもない。


「私も中々にやべぇが……これで、テメェらは死ぬ。反逆の焔巨人ムスペリ・ベリオンに呑み込まれな、キュリオ……!」

「ッ…………んで、だよ……」

「ああ……?」


 小さく聞こえた彼の声に、カレンが疑問を放ったのもつかの間────。




「────なんでこんな……こんなことしなくちゃならないんだよッ‼︎‼︎」




 カレンの襟をぐっと掴み、明らかに正気ではない瞳でキュリオは叫ぶ。


「は……⁉︎」

「なんで僕らが戦わなくっちゃならない‼︎ なんで僕がこんな選択を……君を殺すかどうかだなんて、そんな選択をしなくちゃならないんだ‼︎‼︎」

「テメェ、何言って……!」

「僕達は友達のはずだろ⁉︎ ヘクジェアの時にそう言ったじゃないか‼︎ なのにどうしてこんな命のやり取りをして……お互いに殺す為に力を使わなくちゃいけないんだ‼︎」


 その瞳には、涙が浮かんでいた。


 どうしようもない疑問に、怒りを込めているようにすら思えた。


 だからこそ、カレンはその疑問に苛立ちを覚える。


「────ッ、甘ったれてんじゃねぇッ‼︎‼︎ 所詮テメェら獣人も私ら人間じゃあ仲良くなる事なんか出来ねえんだよ‼︎‼︎ 私とお前は敵同士、分かってんのか‼︎‼︎」

「分かるわけないだろ‼︎‼︎ なんで分からなくちゃならない‼︎‼︎ 僕と君とはあの時から……ヘクジェアの時から、ずっと友達なんだ‼︎‼︎ それなのに……なんでだよ‼︎ 僕達が何をしたって言うんだ‼︎‼︎ 君は何で、そう考える事に疑問を持たない‼︎⁉︎」


 あまりに初歩的な疑問だ。


 そして、既に答えは出ている。


 獣人がヘクジェアを焼き滅ぼしたから、カレンは獣人を殺そうとしている。その中の一人がキュリオだというだけの話。


 それなのに彼は────そんな初歩的な事にも『なんで』と食いさがる。


 あまりに幼稚で、あまりにも子供らしい。優柔不断で決断が出来ないから、疑問を投げかけて決断を先延ばしにしている。


 そうだ、この表情は、初めてカレン達とキュリオが出会ったあの時。いや──あの時よりも、更に狂気を増している。


「ッ……もう環境は変わったんだ‼︎ そうなりゃ心も変わる、思想も変わる、敵意を抱く方向さえも変わる‼︎‼︎ それが今はテメェら獣人に向かっているだけの事だ‼︎‼︎ 疑問を持つもクソもねぇんだよ‼︎‼︎」

「じゃあどうすれば僕達は友達に戻れる⁉︎ 僕は……僕は、君とは戦いたくないよ……」


 怒りに滲んだ眼光が、力を無くす。悲しみに染まっていきながら、その瞳が潤んでいく。


「僕はヒミ姉が大好きで……でも君も大切な友達で……僕は、僕には、どっちがだなんて選べないんだよ……!」

「……へっ、だからテメェは甘ちゃんなんだよ。選ぶ事すら出来ねえガキが、私と同等に喋ってんじゃねぇ‼︎」


 カレンはその脚で、キュリオを腹を蹴り飛ばした。思いがけない一撃に集中力は乱れ、『セリオン』の剣は消失し、彼も力無く後ろへと転がる。


 そして隙を見て立ち上がるカレン。その身体は既に余力のあるものではなく、もはや真っ直ぐに立つ事すら上手く出来なくなっている。


 だがその血走った目はそれを補って余りあるほどの畏怖をキュリオに与え、さらにその言葉はありえないほどに冷たかった。


「────私はあの平穏な日々の全てを奪われた。もう、あの時の私には戻れねえんだ」

「ッ……カレン……!」


 その瞬間、カレンの背後に反逆の焔巨人ムスペリ・ベリオンが出現する。何度破壊されても蘇る不死身の巨人が、キュリオへと向いて大きく吼える。


 ふと背後に視線をやると、ヒミを守る木の巨人(ウッディン・ゴーレム)の周りを、反逆の焔巨人ムスペリ・ベリオンの大群が取り囲んでいた。


 カレンの魔力があまりにも底なしすぎるこの状況に、思わずキュリオは諦めたような声を出す。


 ────だが。




「なら、それを奪ったのが俺様だったらどォする?」




 刹那、カレンの首元に鎌の刃が当てられる。


 その不自然なまでの冷たさに、カレンの身体はびくりと震えた。


「ッ……⁉︎ て、めぇ……⁉︎」

「覚えててくれたかァ? そうよ俺よ、ミネス様よォ」


 カレンの背後に回り、馴れ馴れしそうにその肩に肘を乗せる青年──瞳は赤く、髪は真っ黒、獣耳の無い人間で、身長は一八〇センチ以上ある。狂気を孕んだ笑みがなんとも恐ろしく、不自然に白い肌は更にそれを助長する。


 そう、すべての根源──ミネスだった。


「み……ミネスッ‼︎ お前どうして……‼︎」

「おーおー、お前も一年ぶりかァ。あんなクソガキが今や数多の試練を乗り越えて成長って感じかァ?」


 相変わらずおちゃらけた雰囲気でこちらを茶化すミネス。その恐ろしいまで読めない心が、またしてもキュリオの苛立ちを加速させる。


「それとカレン……お前、まあ上手い事俺の予想通りに『負』の感情に染まってくれてェ……クククッ、本当に単純な奴だよなァ、ヘクジェアの時からよォ」

「なッ……⁉︎ て、めぇ……何言ってやがる……!」

「良いことを教えてやろうかァ、カレン? テメェの大好きなお姉様達やお友達を殺した獣人の兵士……あれ、俺が差し向けたヤツなんだぜェ?」

「ッ……‼︎⁉︎」


 まるで囁くように伝えるミネス。ただ首には鎌が当てられているため、満足に攻撃を仕掛ける事も出来ない。木の巨人(ウッディン・ゴーレム)を囲む反逆の焔巨人ムスペリ・ベリオンも、カレンの背後にいるそれも、止まったまま苦しそうに炎の泥を排出し続けている。


 それはまるで、カレンの落胆した感情を表すかのように。


「……なん、でお前……そん、な……」

「テメェを最高の魔法使いにする為だよォ。魔法使いってェのはなァ、『負』の感情によって力が増大する……テメェは大切な者を奪われた『怒り』という『負』の感情によって、この力を手に入れたんだァ」

「何……言って……」

「お前の『負』を肥え太らせて、俺様が頂く……そういう算段だったってェ事だよ、カレン! クヒヒ、ハハハハハハハハ‼︎」

「テ、メェ……ミネスゥッッ‼︎‼︎」


 カレンの虚しい怒号だけが、虚しく鳴り響く。


 そう──全ては、ミネスの算段だった。


「さてさてェ、ここまでしたら後は頂くだけだァ……テメェのその力、俺様の『依り代』として丁度良い。世界樹の手先に身体を奪われてから何百年も待った甲斐があったってェもんだァ……ククク」

「な、てめ……何をして……ッ‼︎」


 その瞬間。




 ────ミネスの牙が、カレンの首元に突き刺さる。




「カレンッッ‼︎‼︎」


 立ち上がって妨害しようとするキュリオ。しかし木の巨人(ウッディン・ゴーレム)の維持に体力を奪われ、既に駆け出す事すら出来なくなっていた。


「ァ……ッ、が……が、ああああああああ⁉︎」


 カレンの中で、何がが消えていく。


 薄らいでいく。


 何がが、混ざり込んできて。


 溶け込んできて、それがカレン自身の意識を消し去っていく。それはまるで何かの毒のように、徐々に徐々に意識が遠のいていく。


 ──何処か気持ち良ささえ感じた。身体に課さられた痛み、心を支配していた痛み、それら全てから解放され、何も考えなくて良いという甘さに浸かっていくような感覚。


(……なん、だ……これ……私……)


 どんどん、湖のような何かに沈んでいく。自らが還元されていき、魂のようなものへと変換されていくよう。


 沈んでいく。快感の海に。触れるだけで心地良くなるその泉に、何も纏わぬまま浮かべられ、そしてゆっくりと水の中へと堕ちていく。


(……気持ち、良いなあ……何やってたんだろ、私……)


 遥か彼方、その深遠の向こうで、黄色い瞳がニヤリと笑むのを感じる。黄色というよりは琥珀色、はちみつが溶け込んだような色にすら思える。


 瞳孔が縦に細長く伸びるその瞳は、何とも楽しそうにこちらを見るものだ。それすらどうでもよくなるほどにこの泉は甘美で、快適で、そして他の何よりも解放的だ。


 そして────全てが、沈み込む。


 手を伸ばした水面みなもの向こうに最後に映り出したのは、いつまでもこちらに叫び掛ける、とある少年の苦痛な表情だった。

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