一二九歩目
数千という巨人────反逆の焔巨人の大群が、キュリオ達を目指して手を伸ばしてくる。
目的だけを埋め込まれた亡者のように、ただゆっくりとキュリオとヒミ、つまり木の巨人へと近付いてくる。そのスピード自体は脅威ではないが、何しろ数が数である。キュリオは出来る限り抵抗し、ヒミも全方位に意識を向け、一〇本しか放てない光線を放っていく。
「おおおおおおおおおおおッ‼︎」
キュリオは雄叫びをあげ、木の巨人の拳を振るう。大きさは木の巨人も反逆の焔巨人も同じくらいだが、体格や俊敏さでは木の巨人の方が優っている。
────だが。
「ッ……‼︎ ダメだよ、ヒミ姉! こいつら、身体が炎の泥で出来てる! この泥、触っただけで何でも溶かしちゃうんだ!」
叩き込まれた拳は、反逆の焔巨人の骨格と言っても良い黒い芯を確かに砕いた。
ただその代償と言わんばかりに、木の巨人の手首から先はどろどろに溶けて燃え尽きてしまっていた。その炎の泥は粘度が高く、黒い芯を砕くまでに拳一つを犠牲にしなくてはならない。
「それが彼らの鎧であり、同時にただ一つの武器であるという事ですか……。動きは単純ですが、何しろ数が多いです。何とかする方法を考えなくては……!」
木の巨人の腕を修復する為に、キュリオは再び巨人の身体に触れた。すると光と共にキュリオが辿ってきた道の傍らに生えていた樹木が糧となり、たちまちその腕を埋めあわせる。
(……今は修復が利くけど、これだっていつまで持つかわからない……。それに比べて、カレンの魔法陣はまるで無尽蔵に泥の巨人を増やす事が出来ている……!)
キュリオが木の巨人の素材に出来るのは、あくまで今日触れた樹のみ。さらに木の巨人は巨体であり、その修復に使用する資源の消費はかなり激しい。
しかも、キュリオがこの木の巨人を動かしていられるのは一〇分が良いところ。腕の修復に力を使えば、更に時間は短くなる。恐らく、ヒミの紙の御手もその点は変わらないだろう。
カレンは、恐らくキュリオ達のジリ貧を狙っている。
(正直、今の僕達の状況は苦し過ぎる……なんとか、打開策を……!)
紙の御手の光線により切り開かれた道を後退し、何とか反逆の焔巨人から逃れるキュリオ。しかしこんな事を続けていけば、いずれ『力』が切れて泥の巨人達に喰らわれる。
考えに考えるキュリオ。だがあの泥の巨人を眺めていても、それといった打開策は浮かばない。存在自体が未知であるあの巨人を見たところで、何が浮かぶわけでもない。
──が、そんな時ふと、キュリオの視線がカレンへと合う。
「……ヒミ姉、カレンを見て」
「……? 彼女が、どうかしたんですか?」
ヒミの蜂蜜色の瞳が、周囲の泥の巨人を破壊しながらもカレンへと向く。
そんなカレンは何の迷いもなく、冷や汗の一つすらかく事すらなく、次々と反逆の焔巨人を増殖させ続けている。その足元から生まれ、分かれていく魔法陣の力によって。
そう、その足元から────。
「……────杖を……使って、いない?」
そう。
かつて、ヘクジェアで彼女やカヤネ、シスイ達に教えられた。魔法使いにとって必要なもの──魔力の出力、方向を定める為に必要不可欠な存在。
それが杖である。魔法使いならばあの魔導学校の生徒であろうとも導師であろうとも携えていた、木製の棒を加工したもの。
そして今の彼女は、それを握っていない。
「そう。そしてカレンの攻撃は、さっきから変わらずにあの泥の巨人を生み出し続けているだけなんだ。だからもしかすると……カレンには、他に攻撃する方法が無いのかもしれない」
「ッ、そうかもしれませんね‼︎ っていう事は……」
「────カレンに接近する。それが、唯一の可能性かもしれない! けど……」
キュリオは、歯がゆそうに言葉を濁す。
そう。ここで一つ、決定的な問題が生まれる。
それは、どうやってカレンに接近するのかという事だ。この数多の、幾千に増殖する反逆の焔巨人の大群を抜けて、どうやって彼女まで辿り着けばいいのか、というのが、今彼らが抱えている問題だ。
「どうあっても辿り着けない……そういう事ですね、キュリオ」
「そうさ……! 僕達はカレンからあまりに距離を取ってしまった。玉砕覚悟で突っ込んでも、きっとカレンに辿り着けずにあの大群に飲み込まれる! だからこの方法は駄目だ、何か別の方法を考えないと……!」
直線距離で考えても、カレンに辿り着くまでに優に二〇〇体程度は薙ぎ倒さなくてはならない。しかもそれ一体を倒すのに、片腕を消費する事になるのだ。こんな無茶、通るはずもない。
仮に通ったとしても、その一回でカレンを仕留めなければ、それの修復分で木の巨人は一回きり、いやそれを作り上げる事すらも出来なくなるかもしれない。それでキュリオは終わり、カレンを倒す事もヒミを守る事も出来なくなる。
そう判断し、別の方法を考えようとしていた矢先。
「────道を開けば良いんですね?」
傍らから、そんな言葉が聞こえた。
キュリオが驚いて振り向くと、そう言ったヒミが、木の巨人の肩から降りる準備をしていた。キュリオは慌てて木の巨人を操作し、その肩、腕、指と伝うように彼女を地面へと下ろす。
「ひ、ヒミ姉……?」
「私に任せてください。ほんの少し時間を稼いでもらえれば……」
「ど、どうするのさ? まさか……」
キュリオは一番最初に浮かんだ考えを構想し、そしてそれをヒミに尋ねる。ヒミは頷き、キュリオに向かって告げる。
「多分キュリオ、あなたが思っている通りだと思います。……ですけれど、これを実行すれば、私に戦う力は無くなってしまうでしょう。ですから──頼みますよ、キュリオ」
「…………分かったよ」
決意した彼女の表情にキュリオは頷き、そして周囲の巨人達を相手取る。恐らく数十秒という短い時間──だが、それを稼ぐ為にキュリオは己が身を削ってこの泥の巨人達を止める。
(一回……そうだ、この一回で行けなければ、僕達にはもう打つ手がない)
ちらりとヒミに視線を向ける。
地面に降りた彼女はカレンの方へ真っ直ぐと向き、瞳を閉じて息を大きく吐く。
それと同時に彼女の御札の輝きはどんどん増し、紙の御手の輝きもそれと同等になる。溢れ出る虹色の光はどんどん光量を増し、眩い輝きにその身を包む。
「……行きますよ、キュリオ」
「うん……!」
泥の巨人達を相手取って欠けた部分を、力によって修復するキュリオ。全ての準備が整ったヒミに対し、彼はいつでも飛び出せるように姿勢を取る。
そして。
輝き続けた紙の御手の、その両手の平の真ん中に、巨大な虹色の輝きが現れる。それはまるで雷のような音を鳴り響かせ、火花をバチバチと散らせる。
「────ッ‼︎⁉︎」
刹那、カレンは身構える。
数百メートル離れたこの場所ですら、その力の大きさ、膨大さが伝わる。身体中に響くこの振動音に、カレンの中の何かがすぐに危険を唱える。
「テメェら盾になれ‼︎ あの一撃は……ッ‼︎」
「そんな事をしても無駄です。これで────」
ふと、ヒミが笑う。
カレンは全ての魔法陣を彼女とヒミの間に集中させ、それと共に展開していた泥の巨人達を一斉に集める。それほどまでの恐怖を、彼女は感じていた。
だが、それこそヒミの思う壺。
その時の彼女の笑みは────何処か闇を帯びたような、そんな笑顔だった。
「────消えてください」
刹那。
ヒミの紙の御手が溜めた力が、一気に、一方向に撃ち出される。
半径一〇メートル以上の巨大な光の一撃が、その力の濁流が、一直線に泥の巨人達を滅していく。地面は抉れ、全ての水分は蒸発し、間の邪魔なものは全て消え失せる。
「ッッ‼︎‼︎ ……ぐ、が、あああああああああああああああああああああああああああああッッ‼︎‼︎」
カレンは、その一撃を真正面から打ち砕こうとする。虹色の光を止めようと、間に数百体もの巨人達を生み出し、威力を軽減しようとする。
だが。
(────止まら、ない……ッ⁉︎)
まるで力を与え続けられているかのように、虹色の光は留まるところを知らない。どれだけ巨人を生み出しても、紙屑か何かのように簡単に吹き飛ばされる。
結局壁にすらならない巨人達は、全て吹き飛ばされていく。
「ぐッ……あ、があああああッ‼︎」
だが、カレンもそこで終わりではなかった。
彼女は杖すらも存在しない状況で、右手を前に突き出し、そこから僅かに炎の色を帯びた魔力を放出し出した。
通常、杖がなければ魔力は分散し、そもそも一つの術として成立しない。だから魔法使いには杖たる存在が必要で、キュリオの考察通り、今の彼女は反逆の焔巨人の一点張りを強いられていた。
だが──今の彼女には、文字通り無限の魔力が備わっている。それは、ヒミの中に眠る魔力と匹敵する程の膨大な量。
それらは力となり、カレンの右手からあちらこちらへと放出される。ただし量が量で、それによってカレンは一種のバリアを作り上げていた。
「無駄ですよ……そんな壁じゃあ」
「る、せぇ」
ヒミが呟くと、カレンは腹の底から込み上げたかのような声を上げる。
「私はテメェらケダモノ共を絶対に殺す‼︎ 全て殺す‼︎ 何があろうとも、この身が何千何万の塵になったとしても、絶対に‼︎ その為に私は死ねねえ──こんなところで、消えるわけにはいかねえんだ‼︎‼︎」
「何をくだらない事を……!」
「テメェらにはわかんねえさ……全てを失った辛さが、痛みが、苦しみが‼︎ 私はそれを全ての獣共に知らしめる、その身を以て償わせる‼︎」
ぎろり、と。
紫色の瞳が、真っ直ぐにヒミの方へと向かう。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ‼︎‼︎」
瞬間。
────まるで墨に使ったかのように、炎が黒く染まっていく。そして次第にそれはとぐろを巻くように伸び始め、一つの動物のように形を変えて牙を剥く。
「あれは……‼︎」
キュリオは、思わず呟く。
(あれは……ヒミ姉の時にも現れた……⁉︎)
それは、いわゆる『蛇』だった。ヒミの時はモヤのような存在だったそれは、今は黒炎によってその身を形成している。
「あ、がッ……あああああ、があああああッ‼︎ 私は……テメェらを、絶対にッ……ぐ‼︎」
鮮血が、地面に滴る。
カレンの口から、目からは、力の余波とでも言わんばかりに血が溢れていた。それはまるで、力の大きさに器が耐えられないとでもいう風に。
「カレン……!」
だがその決着は、突然についた。
黒い炎の蛇が苦しそうに呻いた瞬間、それは唐突に力無くして消え失せる。だが、代わりにヒミの撃ち出した虹色の光も消えていく。
途端に、今まで笑顔を浮かべていたヒミが、力無く倒れる。そして同時に、カレンの体勢も崩れていく。
「ヒミ姉!」
彼が彼女に駆け寄るが、既に彼女の意識はなくなっていた。死んだわけではもちろんない──が、まるで何かが抜け落ちたように静かに瞳を閉じていた。
だがその瞬間思い出す──自らの役割を。
ふとカレンの方を見やると……彼女は、まだ力尽きてはいなかった。衝撃の力で全身傷だらけになり、鮮血を吐き倒れそうになりながらもなお、彼女は倒れはしなかった。
それを見た瞬間、キュリオの心臓が更に飛び跳ねる。先程の決意が、彼の心にのしかかる。
(ヒミ姉の為なら──僕は──僕は‼︎)
刹那、キュリオの身体が木の巨人によって投げ飛ばされる。決断と共にキュリオが出した答え──それは、彼がヒミの代わりにカレンを仕留める事。
『セリオン』の力を解放し、その手に剣を生み出す。そして数秒もしないうちに、目の前にはカレンの姿が映る。
そしてキュリオは、その剣を振り上げ────。




