十二歩目
「…………」
とあるクニの、とある街。
そこの看板の上にしゃがみこむ、一人の少女が居た。髪は金髪で、それがぽんぽんとハネている。獣耳は少し大きめ。背丈は小さい方で、フードが付いた胸丈の上着を着ている。下は網目のついたシャツで、これも胸丈までしかない。腰が丸見えで、下は短いズボン。ベルトは通しているのではなく、金具で吊り下げられている。尾はもふもふとした狐のようなもので、もちろん金色の毛並みだ。
────とまあ、そんな少女は、街行く人並みを眺めながら、ある算段をつけていた。
このクニは交易の中心だけあってか、商人が多く、つまり人口が多い。ここから見るだけでも様々な文化の人達が、この狭い公道でごった返している。
そしてそんなこの場所が──彼女の絶好の狩り場だった。昔から、ずっと。
「……発見……!」
看板から飛び降りる少女。高さは約5メートル程であり、まあまあ危ない程度の高さではあった。だが彼女はまるで痛くも痒くもないかのように着地する。人混みが彼女を見てどよめくが、少女はそんな事も気にせずに駆け抜ける。そして────
「いただきっ!」
「なっ⁉︎ このガキ……ッ!」
小慣れた手つきで、とある交易商の鞄を奪い取る。彼はそれにすぐに気付いたが、それの目を掻い潜り人混みに紛れた少女の方が早かった。彼はどうする事も出来ず、とにかく追い掛けようと人混みを掻き分ける。が、少女は人の流れに逆らう様にその小柄な身体を進ませる。商人はそれを掻き分ける事が出来ず、むしろ押し返される。
「へへっ、ちょろいもんだぜっ」
少女はそのまま広場に出た。多少場所はあるが、それでも人が埋め尽くしているのは変わらなかった。だが今の彼女に必要なのはほんの少しの場所だけ。
少女は懐から扱いやすそうなナイフを取り出す。太陽の光を浴びてキラキラと光る銀色の刃は、見るものを魅了させる何かを秘めている様にも思えた。装飾の少ないそれは、見る人によれば無骨と呼ばれるかもしないが、彼女はこのナイフが気に入っていた。
と、そんなとき、先程の人混みから鞄を奪い取られた商人が飛び出してきた。無理やり人混みを掻き分けてきたようで、着飾った衣服か髪が色々と見るに絶えない風になっていた。
だが、彼女はそんな男に目もくれないで一言、
「御愁傷様、商人さん」
石の地面を、ナイフで斬りつける。
すると────
「出てこい、石の鳥龍」
────地面が割れ、地面の石が形を成し──鳥龍、いわゆる翼を持った、鳥のようなフォルムの龍となった。
「なっ……⁉︎」
商人はその光景を信じられず、彼女を追い掛ける事すら、鞄を取られた事すら一瞬だけ忘れる。
それもそのはずだ。石で構成されているくせに、その鳥龍は荒い息遣いを洩らしているのだ。生き物のように周りを見回し、目玉をギョロギョロと動かす……それすらも石であるのだが。
そしてそれを見たとき、とある商人仲間から聞いた警告を思い出した。
────彼処に行くなら気を付けた方がいい。彼処には窃盗団がいる。その幹部のガキは、見事な手際でひったくりなんかをやってのける。しかもそいつは不思議な力を使う。俺たちには絶対に捕まえる事は出来ねえんだ。いいか、そいつの名はな────
「お前……まさか……!」
「お、あたしの事知ってんの? いやあ、有名になっちまったもんだなあ」
そう言いながら鳥龍に飛び乗った彼女は、コン、と足でそれに命令する。すると鳥龍は大きく高い雄叫びを上げ、その翼を広げる。
それを見やりながら、悔しそうに商人は口に出す。
「────『ドゥーラン盗賊団』の幹部……チルフ・シーロウバー……!」
「御名答〜☆ 豪華商品としてぇ、全財産を没収しまあす! なんつって、あははははははっ!」
ゲラゲラと腹を抱えて笑いながら、彼女と鳥龍は空へと飛び立つ。周囲の物を吹き飛ばしてしまいそうな程の暴風が辺りに吹き荒れ、慌てて駆け寄ろうとした商人もなんとか身体を飛ばされないように留まるしかなかった。
「ま、目を付けられたからには仕方ないって事よ。諦めな、ショーニンサン! ははっ!」
チルフ・シーロウバー……そう呼ばれた彼女は、高らかに笑い、商人を嘲ると、太陽の下の空の彼方へと消えていった。なるほど、あれでは捕まえようがない。なにせ──空を飛んでいくというのだから。
ぽつんと空を見上げる商人は、どうする事も叶わなかった。ただ……絶望しただけだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ふふん、キュリオ! 今日も沢山描けましたよ!」
「すごいねヒミ姉……何でそんなにぽんぽん名前が思い付くのさ?」
ちょうど日暮れ頃だろうか。
ヤマトノムラから旅立ってはや二ヶ月程経ち、二人はもうすっかり旅に小慣れていた。キュリオは以前からだが、ヒミも既に旅の為に必要な動作やら何やらを覚えたようである。
動きにくいからと言って裾が膝より上の短いスカートになっている巫女服を身に纏っている彼女は、沢山思いを詰めた紙束、『名付け帳』片手に、意気揚々とキュリオの後を付いていっていた。もう既に半分は超える程の絵と名前、そして文で埋め尽くされているその『名付け帳』を鞄にしまい、彼女はキュリオの隣に立つ。
「見てください、これ。一昨日の野宿の時に見つけた花なんですけど、夜にしか花が開かないんですよ。珍しいですよね」
「へえー、そんなのもあるんだね。で、名前は?」
「『ヨビラキ』……じゃ安直でしょうか。でも、結構考えて決めたんですよ?」
「ヒミ姉の好きなように付ければいいさ。ヒミ姉が基準になるんだから、なんだっていいんだよ。自分の名前を付ける人とかもいるらしいしね」
そうなんですね、と納得したように頷くヒミ。ふとその顔が、曇りになってしまう。
「そろそろ紙も半分を切ってしまいました……調達、は出来ないでしょうか? 見た物を書き留めておけずに過ぎ去る、というのは惜しいので……」
「うーん、でもそろそろ次のクニが近い気がするんだよね。だってさっきだってほら……人が通るような道があったでしょ?」
ヒミは少し考え込む──そういえば確かに、人や動物が通る為に作られたような道は、昨日、一昨日と何本か見た気がする。といっても、どれも整備されたものというわけではなく、人が通るのに楽なように、草木が掻き分けられていただけだったのだが。
「ああいうのがあるってことは、ここは人が通る場所って事。つまり、街も後少しで見えてくる……って事だと思うんだけどね」
「ああ、確かにそうかもですね。人が通るなら、商人とかもいるかもしれませんし。うーっ、何だか今からワクワクしてきました!」
ステップをしながら、キュリオの前に躍り出るヒミ。なんだかんだで楽しんでくれてるようで良かった、とキュリオはホッとした。
「僕も楽しみだなあ。どんなところだろう? 服装とか、街並みとか! 気になるーっ!」
ググっ、と右腕を空へと突き上げるキュリオ。まだ見ぬクニやムラに想いを馳せる事は、彼にとってこの上ない至福だった。それはヒミも同じ様で、彼の手を取った彼女は急かすように、
「早く行きましょう、キュリオ! 私もうたまらなくなってきちゃいました! 早く新しい文化が見たいです!」
「よーし、じゃあ急ごっか!」
そう言ってキュリオはヒミを連れて森の中を駆け抜ける。そして周囲の樹々全てに触れていきながら、彼はその手を地面につける。
すると木馬が周囲の樹々を糧として現れ、二人を乗せて駆け始める。樹々をかわし、大地を跳ね、風に乗り──空気に溶けていくような感覚すら味わう程早く、木馬は駆けていく。
この木馬はこの速度を維持できる代わりに、キュリオの中にある、とある『エネルギー』を消費していく。それは彼自身理解しているのだが、その『エネルギー』が何なのかは分からない。木の巨人も同様であり、消費量は巨人の方が多い。そして『エネルギー』が尽きるのを避けるため、彼は旅の間滅多にこれを使わない。一日何十分程度しか持たない割に、使い切れば一日中身体が動かない程の疲弊感に襲われる為、結局は脚で動いた方が速いのだ。
更に言えば、仮に無制限に木馬で速く駆ける事が出来たとしても、ヒミの目的である『図鑑』を作る為の資料集めに反してしまう。資料集め……ようは、道中の草木を描く時間を惜しんで駆けなければならない程忙しい旅でもない、という訳だ。
だがこの瞬間だけは違った──モチベーションというか、心持ちというか。早く次のクニやムラが見たい、という願望が、彼に木馬を使わせた。
そして数分経ったのち、木馬は唐突に脚を止める。
「あれ。どうしたんですか、キュリオ?」
その質問に答えないキュリオ。途端にその場にフワッとした風が吹き、ヒミの髪が舞い上がる。自身の黒髪に塞がれた視界をそっと手で押さえて避けると、そこにはキラキラした笑顔を浮かべるキュリオが。
そして彼の向こう側には────
「……わ、ああ……!」
これまで抜けてきた森の半分程もあろうかという広大なムラ、いや、これだけ広大だと『クニ』と呼ぶべき、そんなものが彼女の視界一杯を塗り潰したのだった。それは一面が石で出来た、まさに石の街。建造物も、地面の舗装も、オブジェでさえも──全て石で埋め尽くされていたのだった。
二人が出たのは、そのクニを遥か上から見下ろす、崖の上だったらしい。通りで木馬が止まったわけだ、とヒミはすぐに納得する。
そして彼女はキュリオを見やる。すると彼はプルプルと震え、弾けたようにはしゃぎだす。
「すっごいよ、ヒミ姉! クニ全部が石で出来てる! それに見て、クニの入り口が幾つかある! それ全部が別の方向に向いてるってことは……このクニは、やっぱり商人とか、他の所との交流が盛んだってことだよ!」
「はい! 確かに、ここからでも少し騒がしいくらいですもの! 人が沢山いるなら、きっと初めて見るものや聞くものだらけのハズです! 早く行きましょう、キュリオ!」
「もちろんさ! 行くよ!」
木の皮を加工して作られた手綱を引き、方向を変えて、再び駆け出す。
ここで彼らは、新しい何かに邂逅する。それが何かは彼らにも、誰にも分からないのだ。
このクニの名は『ドゥーラン』──石によって発展した貿易のクニ。ヤマトノムラを超えた次は、この無機質な、それでいて自然の息吹を感じる石という物質で構成されたこのクニで、彼らの物語が始まる────。




