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ケモノミチ  作者: たびくろ@たびしろ
セリオニア編
114/176

一一四歩目

 ────それから、数ヶ月の時が流れた。


 キュリオ達の耳に入ったのは、ブレイアが突如として失踪したということ。もちろん、ムラの人々には何かなかったのか聞かれたが、生憎、キュリオとヒミはそれに何も答える事が出来なかった。


 しかし、彼らはチルフやアルフレイドと会話をした途端、大きく目を見開いて質問するのをやめた。すぐに捜索にかかる人々もいたが、結局何も見つからずじまいだった。


 それでも、ムラの人々は怪我が治るまでムラに居させてくれていた。もちろん、最初に来た時に比べて好意は明らかに少なくなっていたが。


 そして、セリオニアを出る日が来た。見送りは誰もいなかったが、このムラで起こした騒動を思い起こすと、それも当たり前だなと割り切ってしまえた。


「……どうしたんでしょう、ブレイアさん」

「そうだね……でも、僕らが悩んでいても仕方がないよ」

「そう、でしょうか……」


 旅の荷物を背負いながら、キュリオとヒミはそんな会話をする。何も知らない彼ら二人は、何もかもが分からないまま、首をかしげるしか出来なかった。


 と、そんな時だった。


「……なあ、ちょっといいか?」


 バツが悪そうに、チルフが二人の間に姿を現す。


「どうしたの、チル?」

「いや……その、なんて言うか……」

「…………」


 なかなか言い出せないチルフ。しきりに頭を掻き、尻尾の動きもどこか落ち着きない。目線はキョロキョロと泳ぎ、何処かそわそわしているようだ。


 しかしそうしているのも埒があかず、チルフは遂にそれを言い出す。




「あたし……その、抜けてえんだけど……駄目、か?」




 一瞬、ぽかんとした空気に包まれる一同。

 何を言いたいのかが分からず、キュリオが更に聞く。


「抜けるって……何から?」

「……この旅から」

「…………うそぉ」


 まだ信じられないというように、キュリオは目を見開いたままチルフの肩をガッと掴む。チルフは気まずいが為に、その赤い瞳を直視する事が出来なかった。


「な、なんで? ぼ、僕……なんかやらかしたかな? それだったら謝るよ。ねえ、チル──」

「……いや、そういうわけじゃねえんだ。何ていうかさあ、あたしが旅する理由が訳分かんなくなっちまって……」

「そ、そんなの……今度こそミネスやスティを倒して、それで……」

「──それで、お前は世界中を自分の獣道にする。ヒミは図鑑を作る。アルは剣を極め……んのかな、よく分かんねえけど。はは、でもよ、あたしは何にもなくてさ」


 ゆっくりと、キュリオの手を肩から外す。彼のその手は全く力無くて、チルフが力を入れずともすぐに離れた。それほどまでに、キュリオはその言葉がショックでならなかったのだろう。


「ドゥーランから出る事だけが目的だった。けど、それを果たした今、あたしに残ったのは──まあ、強いて言えばお前があのスティやミネスから襲われる時、一緒に戦ってやるくらいだったんだよ」

「……そんな」

「でもよ、気付いちまったんだ。あたしにはあいつらをどうこうする事は出来ねえ。あいつらにゴミみたいに蹴散らされて分かったよ。やっぱりあたしは、あのまま処刑されるか、ドゥーランに残るべきだったんだって」


 まるで死んだような目をするチルフ。相変わらずキュリオとは目を合わせる事はせず、うじうじと下を俯きながら呟くのみ。


 そんな彼女に我慢ならず、キュリオは言い放つ。


「処刑なんて、駄目に決まってるよ! それに……それに、チルは頑張って戦ってたじゃないか! フレイドと二人で……レビルテと競り合ったんでしょ?」

「──二人、じゃねえかよ‼︎ それにしたって競り合ったってだけだ、勝ってねえ‼︎ そうだ、そうだよ、いつだってあたしは誰かに頼りっぱなしだ‼︎ あたし一人じゃあ何も出来ねえ‼︎」


 途端に、チルフは叫んで反論しだした。その瞳に涙を浮かべ、頬を腫らしながらも、彼女は続ける。


「ドゥーランを出た時だってそうだ、アルに助けてもらわなきゃあたしらは死んでた‼︎ カリバドの時だってあたし一人じゃあ何も出来てねえ‼︎ 結局あたし自体には何の力もねえんだよ‼︎ ヘクジェアの時も、こないだの戦いだって‼︎」


 思い返せ。


 彼女一人で救えたものなんて、彼女一人で手に入れたものなんて、何もない。いつも救われるだけの、あまりにも脆い存在。


 チルフは自らを嘲笑うように、涙と共に笑みを浮かべる。


「はは……分かってたんだよ、最初ハナっから。だってそうだろ? あたしはドゥーランにいた時だって、盗賊団なんかに入ってた。結局、一人じゃ何も出来ねえ。そうさ、あの時からあたしは負けっぱなしさ」

「そんな……そんな事言ったって、僕だって一人じゃ何も────」


 キュリオがそう答えると、チルフはその哀しい笑みを変えぬまま言った。


「────いいや違うね。そうさ……ドゥーランでテメェに負けた時から、既に決まってたってわけだ。お前はこれからも一人で戦える。けどあたしは……もう無理だ。こんな弱っちかったんじゃあよ」


 その言葉を最後に、チルフは彼らとは逆に背を向ける。そして空虚な溜息を吐いた後、その歩を進めてキュリオ達の方を向かずに、乱雑に手を振った。


「じゃあな、お前ら。あたしはこのまま、ドゥーランへの交易人の道を使って帰るよ。ルーシーや元盗賊団のガキ共の面倒見てやんなきゃあな。……ま、殆ど一文無しだから、あたしの方が面倒見られるかもだけどな」


 その背中の鞄には、少ない金と食糧が入っている。だが、セリオニアの人々に聞いたところ、そろそろセリオニアからの交易人の馬車か何かがドゥーランに戻る頃だと聞いた。運が良ければヒッチハイクなんてのも出来るかもしれない。




「────待ってよ‼︎」




 そんな思考を、キュリオの声が搔き消した。悲痛な色に染まったその声は、聞くだけでどこか辛くなるように感じた。


「……一人で戦わなきゃならないなんて誰も決めてないよ。一緒に力を合わせて戦えばいい。だからさ、チル……僕たちと一緒に……」

「キュリオ」


 そんな哀しい声でさえも、チルフは掻き消した。キュリオの表情が、彼女の声だけで恐怖に歪む。


「……この話を始めたあたしが今更言うのも何だけどよ、あたしらってさ」


 そんな、どこか割り切ったような声は、嘲笑うかのような色を帯びていた。もちろんそれは本人の意思ではなく、旅から抜けたという立場がそうさせる。


 そして、物悲しそうにチルフはこう口にする。




「────何かを忘れてるぜ、大切な何かをよ」




 その言葉は、後少し以前のキュリオなら意味が理解できたのかもしれない。


 大切な何か。最初には抱いていたなのに、いつの間にかその手から溢れてしまったもの。彼の持つ、膨らんだ正義感と苛立ちに追い出された、哀れで惨めで、でも光り輝くその何か。


 けれど。


 戦いの渦に既に頭の天辺まで飲み込まれたキュリオには、それが何なのか気付くことが出来なかった。意味深なチルフの言葉に、ただ首をかしげる事しか出来なかった。


 それからキュリオは、チルフが視界から消えるまで、立ち尽くすしか出来なかった。がらんと抜けた心の中のスペースに、何も入れるものがないような、そんな空虚な気分だ。


 がくりと、思わず膝を折るキュリオ。信じられないように目を見開きながら、不意に周りを見回す。


 ヒミがいる。


 アルフレイドもいる。


 なのに、後一人の存在が、すっぽりと消え去ってしまった。


 大切な仲間。戦いを共にしたそれは、四人で一つとなるような、そんな──運命共同体だったはず。


「キュリオ……」

「…………」


 ヒミが心配そうにキュリオの顔を覗き込む。アルフレイドも無言のまま、彼を見やる。


「……ね、え。ヒミ姉は……フレイドは、一緒に付いてきてくれる……よね……? 一緒に……ミネス達と……戦ってくれるよね……?」


 その赤い瞳が、不安げに揺れる。彼の心は、無くなった中に何かを埋め合わせようとするように、現実にリンクしてその手を伸ばそうとする。その指先も何処か震えていて、手袋を履いているのに凍えているよう。


 すぐさま、その手を掴むヒミ。両手で温かく包み込んで、同じようにしゃがみ込んで頷く。


「もちろんです! ……私が、キュリオを守ります。ミネス達なんかには絶対に、指一本も触れさせません!」

「ヒミ……姉……」


 その言葉に、キュリオの表情が明るくなる。


 その移り変わりがとてつもなく愛おしいと、ヒミは心の中で小さく思った。哀しげな顔も嬉しそうな顔も、どれも彼女の心を打つ。


 安心感が、キュリオの心を包む。目に見えて明るくなった彼の表情は、無くした物を埋め合わせる第一歩のようにも思えた。


 が、そんな表情は、再び曇りだす。




「────悪いが、俺も降りる。済まないな、キュリオ」




 え、と思わず口に出してしまうキュリオ。彼が顔を上げると、いつの間にかチルフと同じ方へと身体を向ける、アルフレイドの姿があった。


「ど、どういう事? フレイド……君が居たら百人力だよ! レビルテと渡り合えるのはフレイドしかいないよ! なのにどうして……フレイド‼︎」

「………。 なあ、キュリオ。俺はチルフの言ったこと、あながち間違ってはいないと思うぞ。君は大切な何かを失っている」

「フレイドさん! キュリオは何も失ってません! いつも通りの彼ですよ! なのにどうして……!」

「……ヒミ……」


 その発言に、アルフレイドは眉を寄せる。何かに気付いたように息を詰まらせると、大きく溜息を吐いて答える。


「君の存在が、キュリオを変えた事に助力しているのかもしれないな。直接の原因というわけではないだろうが」

「…………⁉︎ 何を言って……!」

「まあいい。……俺はチルフを追い掛ける。彼女だけじゃあ、何かと不安だからな」


 チルフと同じように歩を進める。キュリオの中でまた、欠けた穴が広がるような感覚が表れる。ヒミに抱きすくめられるのを抜け出そうとしながらも、その手を彼へと伸ばす。


「待ってよ! 僕に何が足りないの⁉︎ 何が変わったっていうのさ! みんなで一緒にあいつらと戦おうよ‼︎」

「……さあな。俺が君と共に戦うのは、君がそれを思い出した時かもしれんな」


 しかし、その手は何も掴むことなく、彼の何処にも届くことなく、地面へと落ちる。


 一瞬、アルフレイドはキュリオの方を見やる。それは、愚かな者を眺めるような視線だった。少なくとも、仲間に向けるような目では決してなかった。


 そして彼は消えた。残ったのは彼らの意味深な発言と、耳に残る余韻だけ。その手は何も掴めず、挙げ句の果てに土を握る事しか出来なかった。


「……どうして……! なんで……!」

「キュリオ……」


 滴る涙。無力な自分への怒りと、理不尽に裏切られたような喪失感。心はボロボロに欠け、哀しい感情が今の彼を構築していた。


 だが、そんな冷たい彼を、温かい腕が包み込む。


「泣かないでください。私だけは絶対に……絶対に、キュリオの元から居なくなったりはしません」

「ヒミ姉……」

「だって、今の私はあなたが与えてくれたもの。あなたがいなければ、今でも私は何も考えず、ただ月を眺めて居もしない神に祈りを捧げる事しか出来ませんでしたから」


 その指でキュリオの目尻に触れ、その涙を拭う。後ろから抱き付いて、その肩に顎を軽く乗せる。きつすぎず、かつ全てを受け入れるような抱擁は、キュリオの心身を共に安らがせる。


「私の未来はあなたが創り出してくれたんですよ、キュリオ。だから私は、あなたが好きになったんです」


 このまま、全てを投げ出してしまいたい気分だった。辛い気持ちも全て、彼女の声で溶けていくように思える。


「だからどうか自分を責めないでください。私はあなたが変わっただなんて微塵も思ってはいません。あなたはいつだって、私を照らしてくれますから」

「でも……僕、これからどうしたら……」

「旅を続けるんです。旅を邪魔する者は容赦せず叩きのめして、あなたの夢を叶えましょう。私はその為に、絶対にあなたを守りますから」


 また、ヒミはそうやってキュリオに答えた。物騒な言葉を囁き、けれど最後には彼の事を考えてくれる。


 なのに、どうしてだろうか。今は全く違和感を感じない。それどころか安らぎすら感じる。彼女の身体に全てを預けて、眠ってしまいたいほどだ。


「……僕、もう……ヒミ姉だけしか……」

「良いんですよ、私に甘えても。何も考えなくても。あなたには私がいて、私にはあなたがいます。他の何だって信じなくて良いんです。私だけを見てください」


 温かくて、心地良くて。拠り所の殆どを失った彼に残っていたのは、ヒミという一人の存在のみだった。信じていた仲間は消え、残ったのは彼女だけ。


 力無く地面にへたり込んでいたキュリオから離れるヒミ。その瞬間だけ、彼は小さな、不安げな声を洩らす。しかしヒミは『大丈夫』と囁きながら、彼の手を取り、ゆっくりと彼を立ち上がらせる。


 ふらつくキュリオは何とか起き上がる。精神を蝕む辛い出来事の連続は、彼の身体にも少なからず影響を与えていた。


 だから、最初は分からなかった。何だか頬が温かい、何かが触れている、とだけ。けれど一瞬視界が暗くなって、そして──また、あの甘い感触が、彼を襲った。


「っ……」


 真っ暗な視界の後、頭の中が真っ白になった。視界が晴れ、徐々に遠のいていくヒミの顔。その瞳は閉じていたようでゆっくりと開き、その奥の琥珀色を露わにする。紅が差した彼女の頬。そして軽く開いた彼女の唇が、何か言葉を紡ぐ。


 それは、こうだった。




「────だって私達はもう、恋人ですからね」




 言葉の後に僅かに照れた彼女の表情に、この間はどぎまぎしていた心臓が、何故だか安らぎを覚えていた。心細かった精神が、愛情で埋め尽くされていく。


「……ありがとう、ヒミ姉」

「そんな、何でもないですよ」

「ううん、そんな事ないよ。……ヒミ姉のお陰で、頑張れる気がしてきた。行こう、ヒミ姉」


 目をこすり、真っ直ぐと彼女を見据えるキュリオ。失望で染まっていた瞳は唯一の信頼で灯され、それ一色で支えられていた。他の物は何も立ち入れないように。


「何処に行きますか? ミネスやスティの居場所は分からないままですが……」

「相手はどうせあっちから来る。それより、僕は確かめたい事があるんだ」

「確かめたい事、ですか?」

「うん」


 彼はヒミの手を取り、歩き出した。ヒミはそれに少しだけ眉をひそめると、『もう!』と言った後、その手を離し、そして握り直した。


 今度はお互いの掌を合わせ、その指を絡ませた、特別な間柄を示す形になる。それを見てキュリオも、小さく笑う。


「そうだったね。僕達は──えと、その……」

「『恋人』ですよ、キュリオっ」

「そうそう。いやあ、なんかちょっと気恥ずかしくてさあ……ごめん」

「特別に許してあげます。特別に・・・、ですよ!」


 そう言うヒミの笑顔は、それだけでキュリオを安心させてくれた。キュリオもつられて、同じ様に笑みを浮かべた。


 けれど。




 ────彼らの脚は、今まで来た道とは逆に向かっていた。今まで辿ってきた、その道へと。




 まだキュリオの『獣道』は────終わってもいないのに。

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