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ケモノミチ  作者: たびくろ@たびしろ
ヤマトノムラ編
10/176

十歩目

「もう〜何が大丈夫です、さ! 怪我してるじゃないか!」


 移動する木の巨人(ウッディン・ゴーレム)の肩に乗りながら、ヒミの挫いた足首を介抱するキュリオ。ポーチからはどうやら刃物類のみを徴収されたらしく、介抱道具は残っていた。白い包帯を少しキツめに巻きながら、溜め息をつく。


「まあ、少し捻っただけだから、帰ってちゃんと冷やせば治ると思うよ……っと、これでよし!」

「あ、ありがとうございます……」


 流石旅人と言ったら良いのか、かなり手際の良い介抱だった。ヒミは申し訳無さげにキュリオをちらりと見ると、彼はホッとしたような表情を浮かべていた。


「それにしてもびっくりしたよ。なんだかよく分かんないけど、頭の中でお姉さんが危ないって何となく分かったんだ。門番のおじさんが居なくなった隙に、牢獄を抜け出してきたのさ」

「やはり捕まっていたのですか……申し訳ありません、私のせいで……」

「ううん、別にお姉さんのせいじゃないよ。だからそんなに落ち込まないで」


 彼はヒミの背中をポンポンと押すが、それでも彼女の表情は明るくならない。どうやらそれだけの事ではないようで、彼女は大きく溜め息を吐く。


「私、どうしても旅に出たくて。キュリオについていきたくて、お母様に相談したんですが……ダメでした。あの夢(・・・)も諦めろと言われ、巫女を継ぐ事を要求してきました」

「ダメ、だったんだ……」

「はい。だから最後にあの月をもう一度見たくて、ここに来てしまったんです。……本当に馬鹿な事をしました。申し訳ありません」

「いやいや、お姉さんが無事ならそれでいいんだよ。にしても、ダメだったんだ……僕も一人は寂しかったし、付いてきてくれるなら嬉しかったんだけどなぁ」


 バツが悪そうに頭を掻くキュリオ。それに、と付け加えると、


「お姉さんの夢も、とても素敵だと思ったんだけどね。図鑑を作るっていう夢。『ヒカリバナ』から始まって、世界の全てを集めた本なんてものが出来たなら、僕も絶対に読んでみたいんだよ」


 その一言が。

 そのヒミの名付けた名が、彼女の心を刺し貫く。


「……それは、違うんです」

「え?」


 苦し紛れな声で、ヒミは呟く。その手は震えていて、変な脂汗が滲んでいる。ぎりっ、と歯軋りをした彼女は、溜め込んでいたものを全部吐き出す様に言った。


「『ヒカリバナ』なんて花はありません! それは……それは、『ツキカガミ』というそうです。ムラで既に名付けられていた花だとか……私は偉ぶって、旅人気取りで目に入るものに勝手な名前を付けていただけだったんです。それがどんなに馬鹿で恥ずかしいか……」

「もう名前が付いてた、って事?」


 こくり、と首を縦に振りながら、そこから無言を貫くヒミ。とても顔を合わせられないとでもいうように、ずっと俯いている。

 だが、そこでキュリオは呟いた。


「……別に、恥ずかしくなんかないと思うよ」


 月が煌めく森を抜け、遥か彼方にムラが見えてくる。


「ムラの人が早かっただけって話さ。知ってるかい? 全国的に分布してる花なんかは、集落毎に呼び方が違うんだよ。それを聞いていくのが楽しいんだ」

「……何の話ですか?」

「だからね、お姉さんなりの呼び方があったって全然おかしくないわけだよ。僕は『ツキカガミ』も良い名前だとは思うけど、お姉さんの『ヒカリバナ』だってそれに負けないくらい素敵だと思うよ! でも、それでもダメだって、自分の名前を標準させたいって言うなら……」


 キュリオは相変わらずの笑顔でヒミの両肩を掴むと、こう言った。



「────お姉さんが図鑑を作って、それを全世界の人に渡せばいいんだよ!」



 一瞬、彼女の中で何かが弾けた気がした。


「つまりお姉さんが有名になって、世界中の人に図鑑の著者だっていうことを知ってもらえれば、みんなお姉さんの付けた名前で呼ぶハズさ! それって凄い事じゃないかな!」


 つまりそれは。

 ────彼女が、全世界の、名前の『基準』となるという事だった。

 彼女が世界的に有名な著者となり、図鑑を創り出し、それを全世界に流通させれば、それが万物の基準となる。彼女が付けた名前が『基準』となり、つまりそれはムラが名付けた『ツキカガミ』でさえも、彼女が名付けた『ヒカリバナ』へと変わっていく事になるのだ。

 それは生半可な事ではない。それをするには全世界を回り、全てを記録しなければならないだろうし、その名に反発する人々もいるはずだ。

 ────が、


「……それ、は」


 まるで全く新しいものが彼女の夢に追加されたように、彼女では生み出せなかったものがキュリオと彼女の間で融合し、彼女に宿ったかのように。

 本当に明るい笑みを浮かべるヒミの姿が、そこにあった。


「すごい……事です。本当に……本当に! 私はそれを成し遂げたいです! 世界の全てを一冊の本に収めて、みんなの目に入る様にしてみたいです!」

「そうだよ! そうすれば『ツキカガミ』だって『ヒカリバナ』に変わる。基準はヤマトノムラじゃなくて、お姉さんに変わるんだ!」

「……でも、お母様は許してくれないでしょう。このムラから出る事も許してくれないのですから」


 だが、彼は『大丈夫』と呟く。


「ちょっとセコいけど……僕はお姉さんを助けたから、オキミさんも僕の言うことに耳を傾けてくれるハズ。だから、今度は僕も掛け合ってみるよ! 二人で旅をする為だもん、僕だって頑張るさ!」

「本当ですか⁉ ……いえ、でも、それでもお母様は許してくださらないでしょう。あの人の目的は私を継がせる事。それに異を唱えたところで、お母様の得になる事なんて何一つ無いのですから」


 ヒミは──そう諦めていた。


「……お姉さんは、オキミさんをそんな人だって思ってるの?」


 ふと、キュリオはその言葉に食って掛かる。本当に疑問に思っているような表示で、彼は真っ直ぐな瞳を携えて彼女を見つめる。


「そうに決まっていますし、現にそうなんです。あの人は自分の事しか考えてない。……私なんて、あの人が損をするか得をするかで判断されてるんです」


 ヒミはそっぽを向きながら、遠い森を眺めて呟く。

 そうだ、所詮彼女は損得勘定の為の道具でしかない。オキミがヤマトノムラを展開する為の、扱いやすい道具でしかないのだ。

 ────が。


「……そんな事、無いと思うよ」


 それは明らかな反論(・・)だった。静かにそう言い切ったキュリオは木の巨人の上で立ち上がり、ヒミをジッと見つめる。


「お姉さんがオキミさんの事をどう思ってるかは知らないけど、あの人は損得勘定で動くような人じゃないよ。最初に話してみて分かった、あの人だって……ただの母親(・・)さ」

「……なんでそんな事が分かるんですか」


 ヒミは静かなまま感情を昂らせ、キュリオに突っかかる。だがキュリオも表情を緩めず、そのまま視線をずらさない。その赤き双眼で、ヒミの心を見透かす様に。

 だがヒミもそこでは退けない。あんな人をこんな歳になるまで屋敷に閉じ込めていた人間が、ただの母親だというのだから。だったら、一体ただの(・・・)、というのは、即ち普通(・・)というものはどういう事を言うのか。

 この少年は、あの仕打ちでさえも──普通(・・)と、そう言い切るのか。


「ただの母親なら、私に友達を作らせてほしかった。私を外へ連れ出してほしかった。そうすれば私はこんな馬鹿な発見をする事もなく、馬鹿な夢を抱かずとも、勝手に巫女になっていたに違いありません」


 悲痛な声で、ヒミは呟く。



「……今になってこんな素敵な、こんな広大な世界を知ってしまうくらいなら、それで夢を描いてしまうくらいなら……幼い頃に、このムラのちっぽけな世界で満足させてほしかった。そうすれば、私は馬鹿な夢を持たなくて済んだのに……!」



 涙が、静かに溢れ始める。

 こんなに美しい世界を知ってしまうくらいなら、小さな世界で終わらせとけば良かったのに。そうすれば、世界全てを網羅するような図鑑を創るなんて、壮大すぎる夢を描く事無く終わっただろうに。

 もしそうしていれば、彼女は巫女となれる自分に満足し、当たり前のように巫女を継ぎ、外の世界なんて何も知らないまま、ヤマトノムラだけを統べることで一生を終えることができたのだから。

 でも、もう駄目だ。この広大な世界の素晴らしさを知ってしまったからこそ、もう何を見てもつまらなくしか感じられない。それもこれも、皆自分のために全てを捧げさせようとする母・オキミのせいだ。


「お母様のせいです……! お母様さえいなければ……!」

「────じゃあ、それは僕のせいでもあるね」


 その時、キュリオは静かに答えた。え、と戸惑うヒミに表情を見せずに、静かに呟く。


「僕がお姉さんを連れ出さなければ、こんなことにもならなかったワケだよね。じゃあ、僕がお姉さんを連れ出した事はやっぱり、間違いだったのかな?」

「そ、そんなことありません! キュリオは私に素敵な世界を見せてくれました! なのになんで……それが、間違いだって……!」

「それと同じさ。僕がお姉さんに世界を見せてあげたかったのと同じように、オキミさんもお姉さんを守りたかったんだよ。この森が綺麗なだけでなく、危険なのを知ってね」


 それに、ヒミは言い返すことが出来なかった。それに反論するための材料が、何処にも見当たらなかったからだ。


「……そんな、事……!」

「実際、お姉さんはオキミさんの言いつけを無視して外に出たから、こうやって僕がいなければ危ない状態になってた。……僕は牢獄にいたから詳しい事は知らないけど……違うかい?」


 そうかもしれない。

 母親面している以上、確かにオキミは彼女の心配をしているかもしれない。だけど、それは彼女の、ヒミの身を案じるためではない──と。


「……違います」


 ────あなたは『巫女』なのだから。


「私を『巫女』として見ているからです。私の、『ヒミ』自身のことは、何一つ案じていないに決まっています。私が『巫女』でなければ、あの人は私のことなんて考えもしないんです!」


 そう、固く目を瞑りながら言うヒミ。

 それに一つ溜め息をつくキュリオは、彼方を見やりながらこう言った。


「お姉さん、実は強情なんだね。……まあ、いいよ、その目で確かめてごらん。オキミさんが、本当にお姉さんの思う人かどうかを」

「え?」


 刹那──木の巨人(ウッディン・ゴーレム)の動きが止まる。彼女は慣性に流され、その肩からふらりと落ちる。上半身から重力に従い地面へと向き、彼女は支えるものの無いふわりとした感覚を味わう。


「ひあっ……⁉」


 だが、キュリオの掌から再びあの加護のような光が照らされ、巨人へと当てられる。途端に巨人の背中から木の滑らかな板が飛び出し、それは滑り台のように彼女の身体をあてがい、ゆっくりと下に下ろした……もちろん、最後には板と地面の僅かな隙間があるため、多少なりとも痛みは生じるが。


「っ痛⁉」


 予想通りというかなんというか、彼女はその小さな段差によって頭をぶつけた。『いつつ……』と言いながら起き上がる彼女は、何処か滑稽だった。


「とうちゃーく。着いたよ、お姉さん」

「き、キュリオ! いくらなんでも、もう少し丁寧に下ろしてくれても────」


 その瞬間だった。

 ヒミの。

 その名を叫ぶ声と共に、彼女に抱擁する影があった。『巫女』ではなく、『ヒミ』と呼んで。思わずそれに驚き、変な声が出てしまう彼女だったが、すぐにその影の正体に気付く。そして信じられないというような表情を浮かべると、ゆっくりと後ろを振り返る────。



「……お母様(・・・)……」



 そこには、その目尻に涙を浮かばせた、ヒミにとてもよく似た黒髪の女性がいた。今の彼女には普段の厳格な雰囲気は少しも無く、ただ我が娘を案ずる──そう、ただの『母親』として、ヒミを抱き締めていたのだ。


「心配……したんだから……!」

「お母様……なんで……」

「勝手に飛び出して……! キュリオ様が連絡をしてくださるまで、眠れもせずにハラハラしていたのですよ⁉」

「連絡って……」


 その時、彼女の背後から、木で出来た小さな小鳥が現れ、キュリオの元へと飛んでいく。それを自身の肩に乗せたキュリオは、小さく笑って、


「ご苦労様」


 と、呟いた。


「でも……お母様は……私が巫女だから……! だから、泣いているんでしょう⁉ 私が巫女じゃなかったら、迎えにも来なかったんでしょう⁉」

「何を言っているの……! あなたは巫女である前に私の娘(・・・)だから、だからこんなに心配したのですよ!」


 それは、とても偽りのようには思えなかった。本気で心配している様子が伺える緊迫した表情に、潤ませた涙、そして何よりも──ヒミの身体を強く抱き締める、この両腕の震え。

 もう絶対に手離したくないという意志がこもっている。

 ────ああ、自分は間違っていたんだ。

 そう、ヒミは気付く。


 彼女は、オキミは、決してヒミを巫女だけの存在だなんて思ってはいなかった。ただ、彼女を案ずるがこそ彼女の自由を奪い、その身を守ろうとした──言ってしまえば、過保護だったわけだ。

 そして彼女は娘と同じように、このヤマトノムラを愛していた。だからこそ、このムラを絶やさないように、彼女に巫女になる事を強いていたのだ。


 そう、彼女はこのムラの、そしてヒミの大切な──『母親』だったのだ。

 それに気付かなかったヒミは、とてつもなく愚かだった。少なくともヒミ自身は、そう考える。だから、この一言を『母親』である彼女に言付けなくてはなるまい。

 ヒミも涙ぐみながら、静かに──伝えた。



「────ごめんなさい、お母様……」



 そんな親子二人を、月が優しく照らした。それはいつもヒミが屋敷から見ていた偽物と扱われた月であったが、この時のそれの輝きは間違いなく──あの森で見た、綺麗で美しい、ヒミが待ち望んでいた光だった。

 親子が絆を取り戻した今。

 キュリオはその光景が……ほんの少しだけ、羨ましかった。

次の投稿は今日の12時です!

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