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蒼藍のラプターズ  作者: しろくろ
第一章
5/5

哨戒飛行

 先頭にリュゼ、殿にフリーダ、その真ん中にアイ。三人は一列になって空を駆けていた。

「何もいませんね」

『その方がいいわ。戦闘なんて面倒なだけだもの』

 気怠げなフリーダの返事はインカムから。接触を防ぐために十メートルほどの間隔を空けているので、直接声は聞こえない。

 アイはもう一度周囲を見回してみた。

 晴天快晴。蒼穹には雲のひと欠片さえない。大小さまざまな浮き島が、まるで青いキャンバスに茶色い絵の具を散らしたように、ぽつぽつと漂っているだけ。それ以外にはニミジスはもちろん、鳥の一羽も魚の一匹も見当たらなかった。

 風を切る音がわずかに耳に入ってくる。今は巡航状態で、飛行速度は時速六十キロほど。本来ならうるさいくらいに風が騒ぐだろうが、どうやらシュトルツの加護というものは風すら遮断するらしい。

(私、ラプターになったんだなぁ)

 改めてそんなことを思う。ついこの間まで学生だったのに、今は背中に翼を生やして空を飛んでいる。不思議な気持ちだった。

 手には銃。いざとなれば、これでニミジスを撃たなければいけない。ずっと憧れていた世界だったが、やはりまだ実感はわかない。先日の訓練では、ついぞ一発も撃たなかった。射撃の練習だけでもしておくべきだったかもしれない。

(ちゃんと撃てるかな……)

 人知れずため息をつく。そのアイの耳に、リュゼの声が流れ込んできた。

『目標空域まであと五キロです。各員、地図の確認を』

「地図……えっと……」

 銃を片手に持ち替え、アイは懐から小型の端末を取り出した。起動させると、画面にいくつかのポインタが表示された。中心に自分を指す白い三角、その前後にリュゼとフリーダを指す青い三角、そしてあとひとつ、アイたち三つのポインタが進む先に、目標座標を指し示す黒い円。

(うん、大丈夫)

 リュゼの言葉と自分の地図に食い違いがないことを確認し、アイは端末を懐にねじこんだ。

「そう言えばこの地図、全員が持っている必要はあるんですか? 一人だけでいいような……」

 アイたち三人が哨戒に出発する際、業務内容の管理も行っているオイレから、いくつかの機材を渡された。今の電子地図もそのひとつである。

 うふふというリュゼの笑い声が、インカムから聞こえた。

『アイさん、あなたの通っていた学校では、代返は行われていましたか?』

「え?」

 どうして急に学校の話になったのだろう。疑問は浮かんだが、アイは素直に答える。

「いえ、出席の確認はきちんとされていましたので、代返はできないようになっていたはずです。……あっ」

 答えつつ、アイはリュゼの質問の意図を理解した。

「この端末は、そのためですか?」

『うふふ、察しがいい子は好きよ。きちんと端末に飛行履歴を記録していないと、いくらでも虚偽の報告ができてしまいますもの』

『私は監視されてるみたいで好きじゃないけどね~』

 そう言いながら、フリーダがアイの隣に並んだ。寝そべるようにして仰向けに飛んでいる。一瞬ぶつからないかとひやりとするが、フリーダは計ったようにアイとの距離を一定に保っている。気を抜いているように見えるが、その飛行技術が並ではないことを如実に表していた。

 殿を任されていることなど忘れている(あるいは気にしていない)らしく、フリーダはアイの隣に居座ったまま愚痴を続ける。

『わざわざ記録を残すなんて、私たちの口頭報告を信用してないって言ってるようなものじゃない? 失礼しちゃうわよね』

 確かにそうだ、とアイはうなずいた。

『あらフリーダ、そんなことを言ってあなた、何度虚偽報告をしたんですの?』

『覚えてないわ』

 アイはうなずいたことを後悔した。やはり形に残る記録は重要だ。

『まったく、あなたが規律を無視すると、しわよせが私に来るんですわよ?』

『反省してるわ』

 まったく反省していない口調だった。


 それから先に進むにつれ、少しずつ空に雲が増え始めた。

『各員、警戒レベルを上げてくださいまし』

 先頭のリュゼが言う。じわり、と銃を持つアイの手に、汗がにじんだ。

 この世界の空において、雲と浮遊島はもっとも警戒すべきファクターだ。その大きさにもよるが、姿を隠せるためである。輸送船が突如雲の中から現れたニミジスに襲われたという報告は、数を上げ始めるときりがない。

 無論ラプターも隠れることができるが、哨戒という点においてはこちらにほとんどメリットなどなかった。

 アイはもう一度端末を取り出す。

(目標空域はまだ先か……)

 先ほど確認したときから、まだ半分ほどしか進んでいない。端末を懐に戻そうとして、危うく落としそうになった。一応ワイヤーでつないでいるとは言え、少し心臓に悪い。

『緊張してるの?』

 また、フリーダがふわりと横に並んだ。気遣うと言うよりは、からかうような口調だ。

『ま、仕方ないわよね。初めての実戦だもの』

「そ、そんなことはありません」

 思わずアイは言い返してしまった。

「私は立派なラプターになりたいんです。怖がってちゃ話にならないじゃないですか」

『あらそう? まあでも大丈夫よ。どうせ出てこないわ』

「そうですか?」

『そうよ。絶対大丈夫。初めての哨戒任務でニミジスに出会うことなんて、めったにあるものじゃないもの』

『あのねえフリーダ、そういうのをフラグっていうんですわよ?』

 呆れかえったリュゼの声。

『そして往々にして、フラグは回収されるものですわ』

 え、とアイがその言葉を理解するより早く、

『総員停止!』

 鋭いリュゼの指示がインカムに響いた。

 アイは慌ててその場に停止する。リュゼとは距離を離していたが、もう少し反応が遅れていれば、その背に激突するところだった。

「いったい何が……あ……」

 目を見開く。

 アイたちの前方、その百数十メートル先。大きな雲の中から、機械の塊がゆっくりと姿を現した。大きさは小型トラックほどあるだろうか。三角錐の先端が、まっすぐにアイたちの方へ向いている。

「向こうもこちらをうかがっているようですわね。他にもいるかも知れません、フリーダは周囲の警戒を」

「りょうか~い」

 隣にいたフリーダが、アイの後ろへと移動する。だが、アイは不気味な三角錐から目を離せない。

「中型ですわね。アイさん、賭は私の勝ちでよろしいかしら」

「あれで、中型……」

 もうすでに、賭のことなど頭になかった。

「見たところ、CL(クラス)ですわね。DD(クラス)の次に大きなニミジスですわ」

 ニミジスは大きく五つに分類され、特殊なひとつをのぞき、あとは大きさで判別される。CL(クラス)は下から二番目だ。そう知識では知っていたものの、それはやはり知識でしかない。

「アイさんは、ニミジスを見るのは初めてですか?」

「い、いえ、幼い頃に一度だけ。ですが、こんなにはっきりと見るのは初めてです」

「そうですか。ならしっかりと目に焼き付けなさい。あれが、私たちラプターの存在理由、そして人類の仇敵です」

 言われるまでもなく、アイはニミジスを注視していた。

 全身を機械で包んだ自律飛行体。いや、内部も機械だろう。時折、各部にあるランプのようなものが明滅している様は、まるで心臓の鼓動を思わせる。

(怖い。怖い怖い怖い……)

 はっきり言って、アイはニミジスの存在感に圧倒されていた。銃を持つ手が震え、歯の根も合わない。

「フリーダ、周囲はどう?」

「雲があるから断言はできないけど、今のところニミジスが現れる気配はないわ」

「了解。少なくとも今は一体だけが相手ですわね」

 冷静に状況を見極めているリュゼとフリーダ。だがそんな会話も、アイの耳には聞こえていなかった。ただただ、自分の心臓の激しい音が聞こえる。

(いや、怖がってちゃダメだ!)

 堅く銃を握りしめた。

(私は立派なラプターになるんだ。大丈夫、大丈夫大丈夫……)

 自分に言い聞かせ、痛いほど歯を食いしばる。

「いつも通り処理しましょう。私は後方から隙をうかがって狙撃します。フリーダは前衛を――」

 リュゼの言葉は、最後まで続かなかった。

「うあああああぁぁぁぁ!!」

 突如、アイは雄叫びを上げ、ニミジスに向かって羽ばたいた。

『馬鹿! 止まりなさい!』

 リュゼの制止がインカムから響いたが、アイはそれすらも無視した。いや、正確に言うと聞こえていなかった。アイの目にはニミジスしか映っていない。だが冷静さを失っていたアイは、そのニミジスすらきちんと見えていなかった(、、、、、、、、)

 百メートルを切るあたりまでニミジスに近づき、アイは銃を構えた。

(これだけ近づけば外さない!)

 ぐ、と引き金を引く。だが、弾が発射されるどころか、その引き金さえまったく動かなかった。

「え? な、何で……」

 混乱するアイの脳裏に、フリーダの言葉がよぎった。

(――「安全装置はここね。いつ接敵してもいいように、飛び立つ前に外しておくのよ」――)

 慌てて銃を確認する。安全装置が解除できていない。いやな予感は的中していた。

(そんな……)

 頭の中が真っ白になり、しかしすぐに、絶望という黒で染められた。注意されたことなのに。こんな馬鹿なミスをしてしまう自分が呪わしい。

 だがニミジスは、アイが自分を責める時間すら与えなかった。

「……え?」

 不意に聞こえた何かの音。アイはその音を聞いたことがあった。確か戦争ものの映画だ。戦車の砲塔が動いたときの、重く鈍い金属の音。その音に酷似していた。

(いや、でもこんなところに戦車なんて……)

 アイは顔を上げる。

「砲、塔……?」

 いったん頭の中が真っ白になったことで、少しだけ冷静になれたのかもしれない。改めて視認したニミジスには、まるで航空軍艦エアシップのようにいくつかの砲塔が備え付けられていた。先ほど聞こえた重低音は、この砲が動く音だったのだ。

 ちっぽけな人間に狙いを定めるために。

 アイがそう理解するのと、砲塔が火を噴いたのは同時だった。

「ぁ……」

 音が消える。周囲がスローモーションになった気がした。

 青い空を割り、砲弾が放物線を描いて迫り来る。ニミジスの狙いは正確らしい。まもなく自分に直撃するだろうことは容易に想像がついた。

 シュトルツには加護がある。多少の衝撃なら緩和されるらしい。だが、あの砲弾を食らうとひとたまりもないであろうことは、なぜか確信をもてた。

 普通なら、恐怖に目を瞑るのだろう。あるいは走馬燈でも見るかもしれない。だがアイはそのどちらも忘れ、呆然としていることしかできなかった。

 だからこそ、アイは見ていることができた。迫り来る(砲弾)と――


 ――自分の前に躍り出た影を。


「……え!?」

 アイの世界に音が帰ってくる。聞こえたのは自分の間抜けな声と、砲弾が受け止められた(、、、、、、、)音だった。

「ふ、フリーダさん!?」

 アイの視界に広がる、長いブロンドと巨大な翼。

 アイが死そのものに感じた砲弾を、フリーダは片手で受け止めていた。

「あら、爆発しないの? 接触不良かしら。安物を使ってるのねえ。こんなのじゃあ――」

 砲弾を持つ右手を振りかぶる。そして、

「――私を傷物になんてできないわよ?」

 投げた。

「は?」

 いったいどれだけの怪力だと言うのか。向かってきたとき以上の速度で砲弾が飛んでいき、回避行動の遅れたCLニミジスを貫いた。巨体が少しぐらつく。ダメージこそは与えられたものの、心臓部の破壊には至らなかったらしい。

「ほら見なさい。爆発しない砲弾のダメージなんて、たかが知れてるのよ?」

 そう言って右手をぷらぷらと振りつつ、フリーダは振り返った。

「危ないところだったわね」

「え……あ……」

 言われてようやく、今自分が死にかけていたことを思い出した。全身から汗が噴き出す。爆発しなかったとは言え、食らっていたらただではすまなかっただろう。

「あ、ありがとうございました!」

「うーん、今聞きたいのはその言葉じゃないのよねえ」

「え? あっ!」

 ハッとする。よほど自分を失っていたらしい。そもそも自分が窮地に陥ったのは、命令を聞かずに突出したからだった。

「す、すすす、すいませんでした!」

 光の速さで頭を下げるものの、フリーダに怒っている様子はない。むしろ、成り行きを楽しんでいる風にさえ見える。

「私に謝られても困るわ。ねえ、課長殿?」

『そうですわね』

「ひっ」

 インカムから聞こえてきた声は、まるで氷のようだった。

『初の実戦で命令違反とは、なかなかにワイルドですわね』

「すすすすいません!」

『まったく、とりあえず今はニミジスに対処します。あなたへの処分はその後に考えますわ』

「りょ、了解です……」

 いきなり首はないだろうが、減給くらいは覚悟したほうがいいだろう。自業自得だが、アイはがっくりと肩を落とした。

『さて、では改めて陣形を……あら?』

 リュゼの様子が変わる。その理由はアイとフリーダもわかった。突如、ニミジスがその三角錐の頂点――機首を上空に向けたのだ。初めは墜ちる兆候かとアイは思ったが、どうもそうではないらしい。

 まるで人間が見上げるかのようなその動きに、アイたちもつられて視線を上げる。そして目を疑った。

「え? あれってまさか……」

 アイは確認するように、フリーダを見やる。彼女は珍しくその顔から笑みを消し、眉根を寄せていた。アイはもう一度空に視線を戻す。

(見間違い、じゃないよね?)

 ニミジスの機首の先、はるか上空に小さな影があった。米粒のようなその影が、ゆっくりと落ちてきている。

 まさかとは思うが、こんなところにいるわけがない。そんなアイの思いは、リュゼの一言によって肯定されると同時に否定された。

『人、ですわね』

 そう、はるか上空から真っ逆さまに落ちてきているのは、小さな人影だった。

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