はじまり
2058年 5月3日 AM3時 病院
外は雨風が強い。台風の予報はないが、やけに強い。それに対し、オギャー、オギャーと元気よく泣く赤ちゃんが居る。
そうこの日新たな生命が誕生した。
体重は3400g
お母さんがお腹を痛めて頑張った結果だ。
父である幸成が涙を流しながら喜んだ。
「美鶴……よかったなぁ……、元気な女の子だな」
「うん……、私……頑張ったんだね」
とその時。
「……伊村幸成さん、……笹間先生がお呼びです」
「はい?」
別室に行くと、白衣を着た医師が座っていた。
この病院では医師のことを先生と呼ぶのだろう……。
幸成が椅子に座ると
「伊村さん……、まずは、ご出産おめでとうございます! 今日までよく頑張りましたね」
「いや……、私が頑張ったというより美鶴のほうが……」
「それもありますが、陰であなたの支えがあってこそ無事に出産が出来たのですよ」
「そうですね……」
ちょっと照れた。
「それで……私を呼んだ理由と言うのは?」
と幸成が聞くと、笹間先生が席を立ち後ろを向いた。
「幸成さんは、……今おいくつですか?」
「今……、28です」
「そうですか……“生命の砂時計制度”が出来て25年になるんですね」
「……早いものです」
「ちなみに、昨日まで充実した……有意義な1日は過ごされましたか?」
「妻の……美鶴の世話以外は、正直なにもないです。仕事もあまりうまくいかなくて」
「そうですか……。失礼なことを聞きました」
「いいえ、大丈夫です。それで……話と言うのは?」
「えぇ、我々人類に訪れる1日というのは2度と帰ってこない……、だから今日1日を精一杯生きよう……と、考えるのが普通だと思います。なにかの目標に向かって努力するなら話は別です。……ですが幸成さん、あなたのように仕事がうまくいかず1日を棒に振ることだってある。振り返っても、その日は帰ってくることは来ない……。そして自殺をする例も少なくありません……。こんなつらい話ってあります?」
「確かに……」
「そこで私を含めた一部の人類は考えたのです。死んだときこそ有意義な時間を過ごそうではないかと」
「はぁ……」
「いろんな研究を重ねて導き出したのが、この“生命の砂時計制度”というものなのです。……もちろん国には許可を出しています」
「先生……ちょうど私も、その制度について詳しく聞きたかったところなんです」
「ならよかった。ちょうど私もそのことについて訊こうと思いましてね。この制度の真の価値を皆さんにわかっていただきたいと思いまして。巷では“ゾンビ制度”と言われているのでね」
「……先生はこの“生命の砂時計制度”の関係者なのですか?」
「えぇ。といっても全国に50人くらいいるのですがね」
「それは、何を基準に選ばれるんですか?」
「JHO(Japan Health Organization)日本保健機関から選ばれた医師だけがなることができるのです」
「はぁ……、つまりエリート中のエリートが選ばれた感じですかね?」
「さぁ、どうでしょう。……それでは話を戻しましょう」
「失礼しました、お願いします」
「……今日生まれた赤ちゃんを含めてすべての日本国民は、この心臓に生命の砂時計を移植します」
笹間先生は、手のひらに収まる砂時計を出した。
これが“生命の砂時計”なのか。
見た目は灰色。無機質……といったほうがよいのかもしれない。
「それによる合併症や副作用的なことは起きないですよね?」
「もちろん。……ちなみに、この砂時計を移植した人間は、最長90歳まで病気なしで生きることが出来ます。ただし……、」
「ただし?」
「外傷の場合は、この限りではないです」
「……外傷?」
「数多くあるのですが、事故死や自殺などと当てはめてください」
「なるほど」
「人間が死を迎える第一歩が“心肺停止”です。心肺停止が確認されると、生命の砂時計は動きます」
「動くと……どうなるのですか?」
「時間になると……灰になります」
「時間ってどのくらいあるのですか……?」
「年齢に応じて生命の砂時計の時間が変わってきますが、これは話すより、あとで渡す資料に目を通したほうがよりいいかと」
「わ、わかりました。あ、あの……、あの心肺停止後から灰になるまでの時間は、なにか意味があるのですか?」
「はい、その時間は、我々はその時間を心肺停止した人たちに、この時間を有効に使っていただきたいと考えている時間です。心臓が停止した状態ならびに痛覚が無くなった状態で蘇ることができます。なので、自分のやり残したことをしてもらう時間となっています。この状態を簡単にいいますと、言葉は悪いですが、人形と同じ状態です」
人形と同じ……。
「……その後は?」
「ご遺族の自由となっております。ビンに入れて自宅で保管しても構いませんし、海や森などに撒いても構いません」
「でも、その移植は強制なんですよね?」
「その通りです。だが、勝手に移植するのは、いくら法律で決まっているといっても私は失礼にあたると思いましてね。一応、話をしようと思いましてね」
「いずれにしても、断る選択肢はないですよね?」
「はい」
幸成はうっすら笑みを浮かべて、
「わかりやすい説明ありがとうございました」
「もし、なにかあったらまた来てくださいね」
「はい」
幸成は資料をもらうと部屋を出て、美鶴のところに戻った。