7 対立する者 1
平日の午前中、体調をやや崩した優希は学校を休んで病院へと足を運んでいた。
昨晩から少し咳が出て熱っぽいと感じた優希は父が帰って来るまでソファに横になっていようとしたらそのまま寝てしまって、帰って来た父に酷く心配されてしまい。
大丈夫と返すも、説き伏せてくる父に圧される形で翌日病院へ行くことを了承したのだった。
母を亡くしてから父は過保護気味になってしまい、娘の体の具合にはすごく敏感なのである。
別室で検温を終えた後に自分の番号を呼ばれ、診察室へと足を進めて行く。
「今日はどうされました?」
椅子を動かして優希を見る医師は紅夜ほどの年齢で、つり目に眼鏡をかけている。
髪は耳が隠れる位で瞳と同じく黒色。
白衣の胸元のネームプレートには北上と書かれていた。
「風邪気味みたいなんですが……」
椅子に座りながら答えると北上はカルテを見て、熱が少しありますねと返してくる。
「症状はどのような物がありますか?」
「咳が少しと熱っぽさくらいです」
「それでは喉の具合を診ますので口を大きく開けて下さい」
器具を取り出し近づく北上に従って優希は口を開ける。
舌の圧迫感はすぐになくなって北上は距離を戻しカルテに記入していく。
「喉の腫れや炎症もないようですから軽い風邪でしょう。――最近、環境の変化でもありましたか?」
「え……」
優希は聞かれて心臓がドキリとした。
北上は真っ直ぐな眼差しでこちらを見る。
「何か辛い経験をされた、などありませんか?」
優希は彼の瞳が仄暗く見え、背筋が寒く感じられる。
しかし、優希にとっての辛い経験は十年前のことなので最近ではない。
環境の変化は恐らく紅夜達の活動に参加を始めたことだと自覚していた。
そのため、優希はいいえ、と否定を示す。
すると北上の目に光が戻り、何もなかったように口もとに笑みをのせた。
「それは何よりです。それでは咳止めと解熱剤を出しますので、解熱剤は今よりも高い熱が出た場合に使用して下さい」
「はい」
「後でお薬が出ますので、薬の詳細は薬剤師の説明と併せて説明書をお読み下さいね」
北上の言葉に続ける優しい笑顔の看護師に優希は再度はいと頷く。
「お大事に」
「ありがとうございました」
北上の途中の様子を不思議に思いながらも、北上と看護師に頭を下げて優希は診察室を後にした。
その後、診察料を払って薬を受け取り、優希は午前中に自宅へと戻っていた。
咳止めは昼食後から飲むと三日後の朝の分まで処方されており、昼食後に飲むには食事をとらなければならない。
優希は気怠い体を動かし、キッチンへと向かった。
病院へ行った日は活動の見学日だったので、優希は夕方紅夜に連絡をとって休みを願い出た。
紅夜は直ぐに了承し、ゆっくり休むようにと、翌々日の見学日も調子が悪ければ絶対無理をしないようにと優希に告げ、彼女は父親が二人みたいと内心思った。
翌々日の朝にはすっかりよくなり、幸い高熱が出ることもなく活動に参加出来ると優希は一安心した。
娘を心配しながら残業の連絡があった父に書き置きを残し、校門前に午後八時十分前に到着して紅夜達を待つ。
一陣の風の後に現れた紅夜達の姿も見慣れたもので、驚くことなく近づいて行った。
「一昨日はすみませんでした」
「いや。よくなったみたいで安心したよ」
優希の顔色を見ながら紅夜は目を細める。
紅夜の肩を薫がつかんで笑い声を上げた。
「みんな心配してたが、紅夜が一番心配してたぞ!」
「余計なことを言うな……っ」
肩に置かれた手を払いながら、相手を鋭く睨むが、睨まれた方は変わらず笑っている。
「でも途中で具合悪くなったりしたら言ってね?」
「はい。ありがとうございます」
優希は笑顔でみんなを見た。
仮想世界へ移動し、歩き始めて行く。
いつものように優希が最後尾をついて行くと線路前の遮断機で立ち止まった。
遮断機の近くには女性が一人立っており、顔色が青白く体つきはやせ細っているようだ。
その女性は乱れた髪を直すこともせず虚ろな表情で通り過ぎる列車を眺めている。
「今日は彼女か?」
薫が紅夜に問えば、ああ、と短く返事が返って来たきり会話が途切れる。
「春陽先輩? ――っ」
奏太と春陽の声が聞こえないことを不思議に思った優希は二人の横へ行き言葉を失った。
二人は前方に立っている女性に負けないほどに顔色を悪くし、小刻みに体を震わせている。
「美原さん! 春陽先輩達が……!」
慌てて声を張り上げると紅夜が後ろを向いた後にため息を一つ。
薫もこちらを向いて顔を歪ませている。
「やはりキツいか……」
足早に奏太に近づくと、大きな両手で頬を挟むようにして軽く音を立てた。
すると焦点の合わなかった瞳が紅夜の姿をとらえ意識が戻っていく。
「――すみません。また、とんでたみたいですね……」
「ああ。……キツいなら今日は先に帰ってもいいんだぞ?」
紅夜の言葉に奏太は頭を左右に振って提案を拒否する。
そして未だ自分の横で震えている片割れを見て両手を強く握った。
「帰りません。僕達は乗り越えなくちゃいけないんです……!」
奏太はいつもより大きな声で言う。
紅夜も薫も自分達を心配してくれているのはいつも感じている。
けれど、いつまでも守ってもらっていては駄目なのだ。
紅夜と活動を共にすると決めたあの日に自分達は強くなると決めた。
そして今は優希という後輩と言える見習いもいるのだから。
彼女をサポート出来るよう、自分達は踏み出さなければいけない。
「奏太……」
強い眼差しに紅夜は目を見開く。
泣きながら自分の後をついて来た少年が、悲しみを乗り越えようと必死に戦っているのだと感じる。
「わかった。でもあまり無理するなよ?」
瞳を細めた紅夜は奏太の頭をやや乱暴に撫でた。
「はい」
嬉しそうに頷いた奏太は戸惑う優希の方へ向き、次いで春陽を見つめる。
「篠崎さん。春陽をもとに戻してくれませんか?」
「え……?」
「強く抱きしめてやって下さい。それできっと戻りますから」
柔らかい表情で穏やかに言う奏太に戸惑いながら優希は春陽の正面に立つ。
春陽は未だ青白い顔で震えていた。
(いつも明るい春陽先輩がこんな状態になるなんて……)
自分よりも辛い過去があるのだろうと思いながら、優希は息を吸った。
「――春陽先輩……!」
(どうかまた笑って下さい……!)
祈りをこめて優希は同じ位の背丈の春陽を抱きしめた。
腕や体に伝わる震えに、止まれと思いをこめて抱きしめる力を強める。
「あ……」
「春陽先輩……っ」
「――優希、ちゃん……?」
小さく春陽の口から名前がこぼれる。
優希が距離をあけて顔を見ると春陽は数回瞬きをした。
「大丈夫ですか……?」
「もう大丈夫! 優希ちゃんごめんね?」
顔色はまだ冴えないものの、春陽はいつもの笑顔を浮かべてみせた。
「春陽、今日こそ踏ん張るよ。見習いさんにいいとこ見せないとね」
「うん!」
奏太が笑って春陽の手を握る。
握り返しながら春陽も笑う。
二人を近くで見ている優希にはいつもと二人の笑顔が違って見えた。