4 見習い開始 1
「優希ちゃん見つけた!」
紅夜達の話を聞いた後、連絡先を交換して別れた優希は数日間変わらない学校生活を送っていた。
紅夜から一度送られて来たメールに、誰かが訪ねるか連絡するまでは今まで通り過ごしていてほしいとあったからだった。
今日は天気がよく、気分よく帰れると思って放課後の教室にいた優希。
帰り支度をしていると勢いよく教室前方の扉が開かれ、聞き覚えのある声が彼女の名前を言った。
「――春陽先輩?」
息をはずませながらも笑顔で春陽が教室内へと歩みを進めて来る。
「誰もいないみたいだし丁度よかった。今日活動あるからよろしくね」
直接やって来た春陽に目を丸くしながら優希ははいと返す。
小声でキューブはいつも持っているかと聞かれ、頷くと花が咲くように笑った。
「よかった! それじゃあ後でメールするね」
一度優希を抱きしめて春陽は教室を去って行く。
彼女の勢いに圧倒され、少し経った後にハッとした優希は急いで帰り支度をすますのだった。
午後八時前、学校指定のジャージを着て優希は学校の校門前に立っていた。
雲が月を隠し、湿度の高い汗ばむ空気が雨の気配を知らせている。
下校途中に春陽から送られて来たメールには夜八時に校門前集合とだけ書かれており困惑したが、その後に補足するように送られて来た奏太からのメールに優希は感謝した。
奏太から来たメールによると、Memories Defense Forceが活動するのは夜間。
しかし、夜間といっても実際はキューブの力により作られる仮想世界の中で活動するため、現実での経過時間は数分から長くて数十分という。
帰宅時間が深夜になることはないから安心して下さい、という文面を見て優希は息を吐いた。
(お父さんにはコンビニに行って来るとしか言いようがなかったからよかった……)
まだ誰も来ないなとぼんやりしていると、風が吹いて髪が揺れた。
「――篠崎さん」
「……っ!」
予期しない呼び掛けに優希の体がはねる。
一瞬の間に優希の目の前には紅夜をはじめとした四人が立っていた。
紅夜と薫はスーツ、奏太と春陽は制服を身に纏っている。
優希が目を見開き、言葉を失って口を開けたままにしているのを見た紅夜が、驚かせて悪かった、この移動もキューブの力だ。と簡潔に説明した。
「すまないが、説明は仮想世界で追々させてもらいたいがかまわないか?」
「はい、大丈夫です」
頷くと春陽の柔らかな手が優希の手を握る。
暑いはずなのに、他人の温もりを感じた優希は肩の力が少し抜けたのを感じた。
「優希ちゃんは見習いさんだから、春陽が一緒に連れて行ってあげるね!」
「キューブの力が目覚めないと仮想世界への移動はできません。途中で春陽の手を離すとここに戻るので気をつけて下さいね?」
「分かりました……!」
笑顔で告げられた言葉に優希は春陽の手を強く握る。
その様子に奏太は目を細めたままで肩を揺らした。
「最初からそんなに力が入っていたら疲れてしまいますよ?」
「――こら! あんまりからかってやるなって。な?」
彼の言葉に優希は体に力が入ったまま。
近づいて来た薫が彼女の頭をやや荒く撫で、奏太へと視線を向けた。
薫の真っ直ぐな視線に奏太は笑みを消し、眉を下げる。
「すみません。あまりにも緊張していたようなので、つい」
顔を下に向けて視線をそらした奏太は次いで紅夜に視線を向けた。
視線を受けた紅夜は頷いて髪を揺らす。
「そろそろ移動しよう」
彼の言葉に優希を除いた三人が頷き、メモリーズキューブを取り出した。
それぞれチェーンに通しており、見た目はアクセサリーのようにも見える。
それを腕に通し視線を交わし合う。
優希のキューブはチェーンなど通っていないので、小さな巾着袋に入れてジャージのポケットに入れている。
ポケットに触れてキューブを確認した優希は、隣で差し出されていた春陽の手をしっかりと握った。
「これより仮想世界へ移動する」
「――了解」
三つの声が重なった瞬間、キューブが一斉に光を放つ。
光は五人を包みこんでいき、光が消えたその場には夜の静けさだけが息づいていた。
「優希ちゃん、もう目を開けて大丈夫だよ」
エレベーターに乗ったような浮遊感がしばらく続いた後、光の眩しさに目を閉じていた優希に声がかけられる。
離される温もりと足下に確かな感触を覚えながら優希はそっと目を開いた。
(――ここが仮想世界……?)
移動したはずの景色は先ほどとまるで瓜二つ。
校門前の道路、息がつまりそうな蒸し暑さ、月を隠す雲の様子も同じように感じられる。
瞬きを繰り返し辺りを見回す彼女に紅夜が静かに笑い声をもらす。
「そっくりだろう? だけど現実と仮想世界には大きな違いがある」
「な……!」
紅夜はそう言って近くを歩いていた人の体に腕を突っこんだ。
言葉を無くす優希を尻目に紅夜はなおも腕を入れ続ける。
やがて歩く人は顔色一つ変えないまま、紅夜の体をすり抜けた。
「え……?」
目を見開く優希の近くに紅夜は戻って来る。
紅夜の体は傷一つなく汚れてもいない。
「キューブに関係していない人は仮想世界では実体がないんだ。人以外の生物も同じく実体がない。でも、オレ達が立っているように――」
紅夜は言葉を切ってつま先を動かして地面を叩くように音を鳴らす。
地面は確かに存在し現実と遜色ない音をたてた。
「地面や建物などは現実と同じで実体がある。ぶつかれば痛みを感じるし、ロックキューブの所持者と争うことになれば建物が壊れたり物に当たって怪我をすることもある」
「そんな……!」
(思い出を守るってそんなに危険なの……?)
優希は体の熱が失われていくのを感じた。
目に見えない不確かな物を守る、ということに未だ現実味を感じられずにいたが、怪我をすると聞いたことで身の危険を感じて一気に現実味を帯びる。
たまらず顔をふせる彼女の頭を春陽が優しくなでた。
なぐさめるような手つきに母を思い出し、優希は目頭が熱くなっていき泣きそうになる。
しかし目を強く閉じることで耐え抜いた。
「怪我をしたら痛いけど、ここにいればキューブが治してくれるから大丈夫だよ!」
「え……?」
顔を上げれば春陽は瞳を細めながら優希を見ていた。
ここにいれば怪我が治ると聞き、優希は信じられない気持ちになった。
「キューブは怪我を治すことも出来るんですか?」
見つめ返す優希に彼女は頷く。
しかしその次には視線を下に向けた。
「でもね、一つだけ気をつけないといけないの」
そこで言葉を切った春陽の後ろで、薫がそうだ、と続ける。
「致命傷を負うとキューブとの共鳴が弱まって完全な回復が困難になる。そうなると怪我を負ったまま現実に戻らきゃならない」
「現実でも同じ怪我のままなんですか?」
顔を上げて問いかけると、薫は首を横に振って右手を左胸に当てた。
つられて優希も自分の左胸に手を当てれば刻まれる鼓動を感じる。
「仮想世界で負った怪我は、現実に戻った瞬間心臓への負担になるんだ」
「心臓……」
優希は震える声でつぶやく。
大怪我や大病の経験がない彼女にとっては未知であるが、決して軽い物ではないことは容易に分かる。
「最悪の場合、心臓麻痺などでそのまま亡くなる人もいます」
「そんな! 私、死ぬわけにはいかないんです……!」
(お母さんの分も生きなきゃいけないのに……!)
声を張り上げて紅夜に視線を向けた。
彼は横目で優希を見て、また視線を動かす。
「――それはオレ達誰もが思っていることだ。それでも、オレ達は人の思い出を守りたいと思っているから」
「……!」
紅夜の言葉に優希は幼い日の夢現を思い出す。
優希の前にいた人物も、それでも、オレ達は人の思い出を守りたいと思っている、と言っていたのだ。
(あの人は美原さん……? ――怖いけど、あの日のことが現実なのか夢なのか知りたい……!)
知るためにはもっと紅夜達を知っていかなければ、と優希は思った。
「しかし、辞めることは篠崎さんの自由だ」
「――いえ、もう少し頑張ってみます……っ」
「そう言ってもらえると助かるよ」
優希の返事に紅夜は目を見開いた後に目尻を下げて。
その笑顔が、優希が見た映像の若い紅夜の笑顔と重なって、思わず笑みがこぼれた。