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13 親の思い


 急に顔色を悪くした優希を女性達が心配してくれたが、平気だと言い張ってお礼を言った後に交差点の前を後にする。

 激しい雨と覚束ない足取り、力の抜けた腕で傘をさしていても家に着く頃にはずぶ濡れ状態になってしまった。

 思い出し始めてしまえばあっという間で、優希は幼いあの日を鮮明に思い出していた。


「優希? ――そんなに濡れて冷たいだろう……!」


 玄関に立ちつくす娘に気づいた父がぎょっとして駆け寄って来る。

 差し出された肌ざわりのよさそうなタオルをぼんやり見た後、優希は彼を見上げた。


「私がお母さんを死なせたの……?」


 震えた小さな声だった。

 それでもその言葉は父の耳に、心に届く。


「思い出したのかい……?」


「――……っ」


 目を見開く大きな体に優希は大声をあげて泣きついた。






「少しは落ち着いた?」


「うん……」


 父親に抱きついてひとしきり泣いた後、優希は浴室に連れて行かれてシャワーを浴びることにした。

 浴び終えてリビングに向かえば、湯気がたつミルクと穏やかな表情が出迎える。


「今は暑い時季だけど、優希は温かい牛乳が好きだったろう?」


「うん」


 ソファに座って飲めばじんわりとした温かさが体に染みていく。

 優希は幼い頃、季節に関係なく母親の作るホットミルクが好きだった。

 甘いほうが好きと言ってからは優希好みの量の砂糖も少し。

 母が亡き後飲むことはめっきり減っていたが、父の作ってくれた強めの甘さが優希には優しさに感じられて嬉しくなる。


「――おいしいよ」


 優希がそう言えば、父は目尻を下げて彼女の隣で微笑むのだった。






「お父さんは私を恨んでないの……?」


 ミルクが冷え始め、カップの底に近づいた頃、優希はぽつりと問う。

 両手でカップを持ちながらゆらゆらと揺れる水面を見つめていれば、くしゃりと前髪を撫でられた。


「恨むわけないだろう?」


 恐る恐る視線を上げれば。


「優希は父さんと母さんの宝物なんだから」


 柔らかく笑う父の姿に視界はまた歪む。


「だって私がお母さんの言うことを聞かずに道路に出たんだよ? 私がちゃんと聞いてればお母さんは事故になんて遭わなかった……!」


「そう自分を責めては駄目だ。母さんが悲しんでしまうよ。……優希はもう高校生だから教えるけれど――母さんはね、もともと心臓の病気を患っていたんだ」


「心臓の病気?」


「生まれつき心臓が弱かったらしくてね、医者には子供は望めないだろうと言われていた」


「でも……っ」


「そうだね。小さいけれど大事な命を授かった母さんは命にかえても産むと決めて、――難産の末に優希と出会えた」


 父は後ろを向き、壁にそって置かれている高さの低い戸棚の上に置かれた写真を見つめる。

 写真の中で優希に似た女性が微笑んでいる。


「母親というのは強いものだね。優希が熱を出した時は父さんに知らせることも忘れて近くの病院に駆けこんで、かかりつけの先生を驚かせたり――後から聞いて肝が冷えたよ。他には優希が言葉を話したとはしゃいだり、近くの花畑に優希を連れてよく出かけたり。それまで少しのことで体調を崩していたのが嘘みたいだったよ」


 自分の知らない母のことを知れた嬉しさと、やはり申し訳なさが生まれて来る。

 眉を下げたままの優希の表情に父もまた眉を下げる。


「まだ納得できない?」


「だって……」


「それならもう一つ話そうか。優希と言う名前はね、優しい子に育つように。どんな時でも希望が持てるように。そう意味をこめて二人でつけたんだ。親としては、子供には自分よりも長く元気でいてほしいと思うよ」


「それなら子供だって親に長生きしてほしいって思う……」


「うん、そう言ってもらえるのはとても嬉しい。――きっと、優希がお母さんになった時に分かるよ。子供は自分以上に大切な存在だってことを」


「そうなのかな……?」


 首を傾げる優希の頭を大きな手が数回撫でた。


「だからね、母さんは優希を守れて誇りに思っていると父さんは思う。悲しんでもらうより、優しくて強い母さんを好きでいてもらえるほうが嬉しいよ、きっとね」


「――うん……っ」


 涙を流し何度も頷く愛しき存在を、今は亡き妻の分まで支えようと父は改めて誓ったのだった――。




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