12 交差点
治臣が家まで知っていたことにさらに驚いた優希。
目を丸くさせて首を傾げる様子に我慢出来ないといったように治臣は声を出して笑い。
「十年前、あなたを送って行く紅夜の後をついて行きましたから。途中であなたを捜していた男性に会って引き渡していましたが、付近の表札から察しがつきます」
と、種明かし。
混乱を残しながらも弱い雨の中、降りた車の前でお礼を言う少女に、体をしっかり休めるように言い聞かせて去って行ったのだった。
家に帰ってしばらくした後、熱が再度出てしまった優希は解熱剤を飲んで体を休めた。
そのおかげか翌日の朝にはいつもの調子を取り戻した。
日曜日ということで家の中には父もいたが、急ぎの仕事が入ったために娘の体の調子を心配しながら外出していった。
家事をすませた優希はソファに座り、何気なくつけたテレビではバラエティー番組が放送されている。
優希は映像をぼんやり見ながらも考えるのはやっぱり治臣が言った言葉で。
(自分で答えを見つけるってどうしたらいいんだろう……)
何を忘れているのか分からないのに自分で見つけなければならない。
うんうん唸って考えてみてもやはり出て来ず、優希はテレビの電源を消して立ち上がった。
(出かけてみよう! もしかしたら外に何か手がかりがあるかもしれないし……)
念のために伝言を書いてテーブルに置き、父の携帯に同じ内容のメールを送る。
それから財布と携帯、折りたたみ傘を小さなカバンに入れ、施錠を忘れずに家を出た。
空は鈍色に覆われていたが、休日ということもあってか午前中の街を歩く人の数は平日よりも多く感じられる。
手がかり探しと気晴らしを兼ね、優希は本屋に入ったりCDショップに入ったり、雑貨屋に寄ったりと時間を使っていった。
(特に手がかりはないな……。ビックリしたことはあったけど……)
店を回った優希の手には音楽情報雑誌が一冊。
時々買っているその雑誌を本屋でパラパラと立ち読みしていると、ある女性の姿に目が留まり思わず購入したのだ。
(凜子さんがモデルをしてて歌手デビューも決まってるすごい人なんて知らなかった)
優希は店が並ぶ道の端の方で立ち止まり、見たページを思い出す。
ページ内で紹介されている、綺麗な衣装に身を包んでポーズをとっているジャケットは目を惹く物だった。
インタビューものっていて、曲のテーマは「許されない想い」と書かれている。
作詞は本人による物で、特にサビに力を入れたと書かれていた。
優希は発売したら買おうかな、と密かに思いながら止めていた足を動かし始める。
「――あ……」
コンビニ前でドアが開き、中から出て来た人物に思わず声をもらす。
コンビニの袋を持った相手もまた優希を見て目を丸くした。
相手は左右に視線をさまよわせた後に再び優希に目線を合わせ、眉を下げた状態で笑みを見せた。
「――数日ぶりだね、篠崎さん」
優希にとってだいぶ見慣れたスーツ姿の紅夜だった。
「お久しぶりです、というのも何だか変ですね……」
「確かにそうだ。――急で悪いけど、この後時間あるかな? よかったら少し話がしたいんだ」
真っ直ぐな視線を受けた優希ははい、と頷く。
ねずみ色の空は、静かに泣き始めていった。
優希はMemories Defense Forceの話を聞いた時と同じ寮の一室へと通される。
最初に話を聞いた時とは違い、面識があるので優希は幾分気を楽にしてソファに腰かけた。
逆に紅夜は居心地が悪そうな様子で座り、テーブルに荷物を置いた後は言葉を発さずにいる。
無言の空間が苦しくなった優希は声をかけようと口を開いた。
「――あの、美原さん達にご迷惑をかけてすみませんでした」
「――……いや、オレのほうこそ力になれなくてすまない……」
顔を横に緩く振った紅夜が言葉を返す。
その答えに優希もまたいいえ、と否定の言葉を返す。
「仮想世界で何も出来ない私を守ってくれました。――十年前に会っていることを北上先生から聞きました。母の事故を覚えているのも美原さんのおかげなんですよね……?」
優希は知りたかった。
現在治臣の力が不完全な形でかかっているのなら、もしも完全にかかっていたら母の事故のことはきっと忘れていただろうと予想出来るから。
紅夜は視線をテーブルに落とし、テーブルの上で両手に拳を作る。
拳は小刻みに揺れ、紅夜の心が揺れていることを示した。
「治臣から聞いたのか……。薄々はあの時の子かと思い始めていたが本当にすまない……っ。オレの力がいたらなかったばかりに中途半端にしてしまって。――それに、もっと早くに十年前の子だと気づければ、君を活動に巻きこんで困らせる結果にならずにすんだのかもしれない。本当に情けない……!」
「――そんなふうに言わないで下さい」
優希は震えている紅夜の片方の拳をそっと両手で触れた。
母の事故死は確かに優希にとって衝撃的な出来事。
しかし、紅夜達が言ったように思い出を忘れることで母への思いが薄れ行くのは寂しいから。
「私はお母さんのことを覚えていられて嬉しいです。――もしも、忘れているのが悲しい思い出なら思い出さないとどう思うかは分かりません。でも、母に繋がることなら思い出したいとは思っています」
「篠崎さん……」
「――だから、美原さんは情けなくなんかありません……!」
励ますべく出来る限りの笑みを浮かべる少女に、男性もまた笑顔になった。
「ありがとう」
目の前の存在が優しくて温かくて。
幼なじみと似ているけれど確かに違う年の離れた少女に紅夜は感謝するのだった。
紅夜と寮の前で別れ、優希は一人で家路を歩く。
雨が強く降り始めたため紅夜は家まで送ろうとしたが、事務所から急ぎの仕事が入り申し訳なさそうに見送った。
お気に入りの折りたたみ傘をさし、優希は人の中を歩いて行く。
(何だろう……? 大きな声がいくつも聞こえるような……)
家に帰る途中にある大きな交差点に近づくと喧騒が聞こえ、気になる気持ちのままで近づいて行く。
交差点のまわりに人だかりが出来ており、大きな声が飛び交っているようだった。
「子供が飛び出していったみたい」
傘をさしエコバッグを持ったやや年配の女性が、隣に立って同じように傘をさした年の近い女性に話す。
「まだ若そうね……可哀相に……」
その二人のそばに立ち止まった優希は前方に目をやり、一瞬呼吸を止めた。
交差点には倒れてぐったりとした年若い女性が赤に濡れ、その体にすがりつく小さな男の子。
近くには乗用車と救急車が停まっていて、呆然と立ちつくす中年男性、救急隊員が処置をしようと動いている。
(あれ……? お母さんが事故に遭った場所って……)
どこだっけ、と考える優希の横で二人の女性は会話を続けている。
「ここって事故が起こりやすいのかしら……」
「だいぶ前にも子供をかばった母親が亡くなっているしねぇ……」
――え。
優希は掠れた声を出して横の女性達に目を向ける。
視線を感じたすぐ横の女性が眉を下げた表情で口を動かす。
「あなたは若いから知らないわよね? 十年位前にも同じような事故があったのよ。その時は血が出ていなくてまるで眠っているみたいだったわ」
「その時助かったのはたしか女の子だったね。泣きながら救急隊員に頑張るって言っていたわ」
「――! その親子の人達は傘を持っていませんでしたか……!」
優希は胸がざわついて噛みつくように問う。
優希の勢いに二人は目を丸くした後、優希がさしている傘に視線を向けた。
「そうそう。ちょうどあなたがさしているような色だったわ」
「大きさが違うお揃いの傘をさしていたから記憶に残っているのよ」
あの子はどうしているかしらね、とまだ会話を続けていたが優希の耳には届かない。
(十年位前、親子で大きさの違うお揃いの傘。子供は女の子、救急隊員に言った言葉……)
一つのこと以外、すべてが優希の記憶と合致する。
(お母さんは私のせいで亡くなったの……?)
――カチリ。
優希の中で何かが外れる音がした。
雨音は勢いを増して喧騒も涙も飲みこんでいく。
しばらくは止みそうにない。




