・宰相と使者
前回とは違う使者に、私は首を傾げた。
私の宰相としての仕事の一つとして、他国との情報のやり取りや交渉がある。
この世界には、大きな二つの大陸と大小様々な島、そして数多くの国が存在する。その中の親交のある国々とのやり取りは、まず私が受けて、必要なものは王や元老院、その他相応な部署へ送り、私の権限内で行えるものは私が処理している。
そのような他国とのやり取りは、たいていは書状や書類を持った使者を遣わしたり、来てもらったりして行われる。
今、私が応接室で対峙しているのは、そんな親交のある国の一つ、軍事大国レニン・マイロヴァ帝国の使者だった。
レニン・マイロヴァ帝国は、我が国のある大陸と大海を挿んだもう一つの大陸の、その半分の土地を支配する大帝国だ。軍事力に力を入れた世界最強を謳われる軍事大国で、それと共に軍事部門から日常生活部門まで、幅広い技術を有する技術大国でもある。
そして我が国は、レニン・マイロヴァ帝国からその技術で作られた機械や道具を輸入する代わりに、主に農作物や畜産物、鉱物などを輸出している。まあ、大お得意様ってことね。
そんなわけで、いつものように取引内容を確認し、互いの国の状況を話していたわけなんだけど、一通りの話が終わり、前回から我が国の担当になったという使者の男――四十代後半くらいかしら――が退出する際に、ちょっとした話を振ってきた。
「そういえば、宰相殿は元は平民のご出身で、ハーヴェルノール侯爵様の養女であられるそうで」
どこか下卑た笑みを小さく浮かべて聞いてくる男に、内心眉を顰めながらも、表面上はゆったりと口の端を上げ。
「ええ。幸いにもご縁がありまして」
「それはそれは。やはり宰相殿ほどの容姿と手腕があれば、経験豊富な侯爵様であろうとも、手玉に取ることは容易いのでしょうなぁ」
まあつまり、私が侯爵を誑し込んで養女にしてもらったと言いたいのだろう。その伝手で宰相の地位に就いていると。
その不躾な物言いに、この使者の小者臭を感じ取り、わざわざ相手にするのも面倒くさいと、私は苦笑いをするだけで返した。
そんな私の態度が気に食わなかったのか、使者はあからさまに不機嫌な顔になり、椅子から立ち上がった。
「女風情が……!」
彼が退室する際にぼそりと呟いた忌々しげな声に、扉が閉まり使者が立ち去る気配を感じてから、私は溜息を吐いた。
我がエイルチューリル国は、日常生活でも職業においても男女が平等に扱われている。だから、女である私でも宰相という地位に就けているのだ。
それに対して、レニン・マイロヴァ帝国では、女性の地位が低く、女性が国の要職に就くということはありえないらしい。まあ、日本でも男女同権が唱えられてはいるが、まだまだ様々なところで男女差はあった。
考え方は国や人それぞれにあるのだから、別にそれに対して一々口出しするつもりはないけれど、使者があれでいいのだろうかと、やはりちょっと呆れてしまう。
それでも仕事上はきっちりと対応しますけどね。
そんなことを考えていたのが約一月前。
そして、今応接室の向かいに腰かけているレニン・マイロヴァ帝国の使者は、この間の男とは違う、五十代くらいの笑顔が穏やかな男性だった。
「ご使者の担当が代わられたんですか?」
そう問いかけた私に、その男性はにっこりと笑い、
「はい。今後は私が使者としてのお役目を担わせて頂きます」
そう答えた。
あまりにも急な使者の交代に、私は「前の方はどうかされたのですか?」と聞いてみた。怪我か病気でもしたのだろうか。
そんな私に、彼は「私は存じません」と言葉を返した。ただその後に、何かを思い出したように笑みを深め。
「ですが、我が皇帝陛下から宰相殿に伝言を承っております」
「私に、ですか?」
「はい。なんでも、『あの男は、君へのお使いとしては相応しくなかったようだ』とのことです」
笑顔のまま告げられた言葉に、私は思わず口の端を引き攣らせてしまった。
私が前の使者の男に会ったのは、一月前とその前の二回。そして、一月前も使者として来ていたことから、問題があったとしたら一月前の面会の時だろう。そして、あの男の私への態度として、思い当たるのは一月前のあの会話の時ぐらいだ。
しかし、交渉の内容についてならまだしも、その後のたわいない会話の内容まで、あの男がレニン・マイロヴァの皇帝に報告したとは考えられない。会話の内容も内容だ。
にもかかわらず、皇帝があの会話の内容を知っていたということは……。
あの腹黒め。堂々とスパイ宣言か。
私は頭の中に、本心の読めない目で、神々しく頬笑む男の顔が浮かんだ。
レニン・マイロヴァ帝国皇帝の名は、シグリール・マリ・マイロヴァ。年齢は四十代前半で、大人の色気の漂う美丈夫だ。艶やかな亜麻色の髪に、紅茶色の瞳。気さくな態度で、身分に関係なく誰にでも同じように穏やかに優しく接することから、国内外に絶大的な人気を誇る、まさに理想の皇帝である、と言われている。
しかし、私が見る限り、奴は、にこやかな笑顔で相手を懐柔し、相手が油断したところでがぶりと頭から喰らいつき、骨の髄までしゃぶりつくすような性質の悪い人物だ。しかも、相手があいつの本性に気付いたときはすでに手遅れで、さらに周囲からはあいつの行動こそが正しいと思わせてしまうのだ。
その手口の厭らしさときたらもう、絶っっ対関わり合いたくないと、体の芯から震えあがったほどだ。
エイルチューリル国内で調べられる範囲で、奴が今まで行ってきたことを調べてみたところ、私が宰相に就くだいぶ前に、我が国との貿易を担当していたある貴族が、長年に亘り予算を多めに請求し、それを着服していた事件があったようだ。損害はレニン・マイロヴァ帝国にしか生じてなかったので、その貴族への捜査及び処分は帝国に全て任せたらしい。しかし、その貴族は帝国内で相当な権力を有しており、処罰は難しいのではないかと我が国でも言われていたそうだ。
しかし、しばらくして後、シグリール・マリ・マイロヴァ皇帝の説得と慈悲深いお言葉により、その貴族は自らの過ちを悔い、許しを請うて全財産を国に寄付し、貴族の地位も返上、収めていた領地も国に返還され、当人は田舎へと引っ越して行ったらしい。すべて自分の意思で!
嘘くせええぇぇぇ!! 文献に書いてるだけでも、こんだけ悪どいことの数々を、自らの権力を笠に長年行ってきた、いかにも金にがめつそうなやつが、どう諭されたかは知らんが、そう易々と改心するとは思えない。絶対ここで何かとんでもないやり取りがあったよね! なのに肝心の皇帝による説得の内容なんかは、穏やかにとか、貴族の良心に訴えかけとか、曖昧にしか記されてないし。どんな裏ワザを使って、有力貴族の財産を没収したんだか。
しかも、着服が発覚したのが、奴が皇帝になってからしばらくして……この話が美談風に各国に伝えられていることからしても、奴の人望を国内外に知らしめるためだったりして。そして、国内の貴族達は肝を冷やしたことだろう。どんな権力を持っていたとしても、新たな皇帝には敵わないのだと。
……もしかして、実は着服の事実や証拠はすでに掴んでいたけど、タイミングを見計らってたとか……あはは、考えすぎかしら?
他にも、帝国が手を焼いていた隣国が、虐げられていた農民の反乱によって政権が倒れたとか。どうやったら小国の農民が、国軍に対抗しうるだけの武器を手に入れることが出来るのよ。絶対どっかから支援されてるよね! あああ、しかも最終的には、シグリール・マリ・マイロヴァ皇帝の呼びかけによって、反乱が収まったことになってるし。何この無理矢理な美談! その後さっくりと属国にされてますよ。
私が調べた範囲でも、帝国に関するいくつかの事件が、帝国に本当に都合よく解決されて行ってるのよね。しかも、最終的には、全て皇帝の権威や慈悲深さを示すような形で。
もー、調べれば調べるほど、全身の震えが止まらなくなったわよ! 怖すぎるわ!!
思い浮かべるだけで鳥肌が立ちそうになる男の笑みが頭を過った瞬間、会うたびに奴が私に向ける、紅茶色の瞳の中に混じる奇妙な熱を思い出す。
あの腹黒が私に対しどのような感情を抱いているのかは分からない。単に異世界人という目新しいおもちゃに興味を示しているだけかもしれない。奴は新しいものとか変わったものが大好きだからね。ついでに人のものも好きだ。奴の後宮にいる妃のうち、三分の一がもとは人の恋人や奥さんだったっていうんだから、どんだけ性悪なのよ!
とにかく、どんな感情を持たれているにしても不気味すぎる。嫌われているのなら、それはそれで後々大変そうだし、好意だとしても恐ろしすぎる。あの人の好意って暗くて重くて粘っこそう。
性悪腹黒美中年攻め……悪くは無いんだけど、受けの立場になる人のことを考えると怖すぎるな。ああ、でもそんな攻めに苛められる受けはちょっと萌えるかも。そうして嫌々ながらも相手をしていくうちに、攻めの心の奥に隠されていた傷を知り、やがてそれにほだされて……! うっ、何故か寒気が……!
そんなことを考えつつ、私は何もなかったかのような顔で、新しい使者さんと普段通り交渉と情報交換を行ったのだった。
とりあえず、人事の見直しと、城の警備状況を強化しておかなければ!
ここまで読んで下さってありがとうございました! このお話は、ネタを考えているときに浮かんだ話で、面白そうなんでつい書いてしまいました。完全な自己満足です、すみませんm(__;)m
また話の内容が浮かんだら、更新したいと思います。その時にはまたお付き合い頂けると嬉しいです。