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第七章 守ると決めた場所


王城へ向かう馬の足音は、夜の石畳に重く響いていた。


森を出てから一言も交わしていない。


ルーカスはただ、腕の中の体温を確かめ続けている。


意識は戻っている。


それでも、彼女がほんの少し眉を寄せるたび、胸の奥がひどく痛んだ。


城門が開き、灯火が揺れる。


兵も侍従も、その姿を見て息を呑んだ。


紅焔の覇王が、血に濡れた少女を抱えて戻る姿など、誰が想像出来ようか。


「医官を」


声は低く、抑えられていたが、纏う空気に誰も何も声をかけられなかった。


駆け出す門番、すぐに医官がやってくる。


運び込まれたのは王の私室に最も近い東翼の客間――陽当たりが良く、庭を望む部屋だ。


寝台へ横たえられたアリアは、医官の処置の間も静かだった。


額の傷は深くないが、強い衝撃だったのだろうという説明に、ルーカスは無言で頷く。


「命に別状はございません。ただ、しばらくは安静が必要です」


その言葉で、ようやく胸の奥に絡みついていたものが少しだけ緩んだ。


医官たちが退室し、扉が閉まる。


静寂の中で、ルーカスは椅子を引き、寝台の傍に腰を下ろした。


今は眠る彼女の呼吸は規則的だ。


白い頬に、包帯の端がかかる。


その姿を見つめていると、あの瞬間が何度も脳裏に蘇る。


病に痩せていく幼馴染、その姿が重なり足元から力が抜けるような不安。


石に打ちつけられる音。

赤く染まる衣。

掌に滴る生暖かい血。


違う、彼女はアリアなのだと言い聞かせる。


しかし守れなかった未来が、確かにあった。


それらがゾワゾワとせり上がってきて拭うことが出来ない。


「……愚かだ」


小さく呟く。


力で排除することはできた。


だが彼女の前で、覇王の炎を解き放つことを躊躇った。


その一瞬の迷いが、この結果を招いたのではないか。


だが、彼はすぐに理解する。


違う。


守るとは、戦い壊すことではない。


その時寝台の上で、アリアの睫毛が震えた。


ゆっくりと瞼が開き、焦点を結ぶ。


最初に映ったのは、不安げに見つめる紅い瞳。


「……陛下」


掠れた声が、彼の胸を締めつける。


「無理をするな。今は話さなくていい」


反射的に出た言葉に、彼女は小さく笑う。


「ここは……」


「王城だ」


短い説明のあと、沈黙が落ちる。


アリアは視線を巡らせ、豪奢な天蓋と広い部屋を見上げる。


森の小屋とはまるで違う世界。


「……ご迷惑を、おかけしました」


その一言に、ルーカスの表情が変わる。


「なにも迷惑ではない」


即座に否定する。


「守ると決めた」


それは宣言でも、命令でもない。


ただの事実だった。


アリアは目を伏せた。


あの場で拒絶したのは、自分の意志だ。


誰かのためではなく、自分が戻りたくないと思ったから。


「私は……あの国には戻りません」


小さく、だがはっきりと。


ルーカスの瞳に力がこもる。


「戻させない」


重なる言葉。


2人の間に流れる静かな時間。


やがて彼女は、恐る恐る問いかける。


「ここに、いてもよいのですか」


王城に。

彼のそばに。


王の側にいる、それがどれほど重い意味を持つのか、アリアは理解している。


城に留まるということは噂も視線も、すべてを受け入れるということでもある。


ルーカスは、ほんのわずかに息を吸った。


「いてほしい」


ルーカスの返事は低く、迷いのない声だった。


命令ではない。

懇願でもない。

ただ、自分の内側から出た本音。


「森では守りきれない。ここなら、俺の手の届く場所だ」


しばらく沈黙が落ちた。


窓の外で風が枝を揺らし、柔らかな光が揺れる。


やがてアリアは、ゆっくりと頷いた。


「……では、少しの間だけ」


慎重な答えだったけれど拒絶ではない。


ルーカスの瞳が細くなる。


少しの間――そんなものは、彼の中では最初から存在しない。


だがそれを指摘することはしなかった。


「あぁ」


短い言葉とは裏腹に、その声音には微かな安堵が滲んでいる。


彼女は気づかないふりをして、小さく微笑んだ。




その夜、東翼の客間は静まり返っていた。


王が私室に戻らないことに、侍従たちは何も言わない。


ただ、誰も近づかぬよう、自然と人払いがなされている。


ルーカスは寝台の傍らに置かれた椅子に、腰を下ろしていた。


眠りについたアリアの呼吸は穏やかだ。


薄い掛布団の上で、白い指がわずかに動く。


その小さな仕草にすら、彼の視線は吸い寄せられる。


覇王と呼ばれる男が、ただ一人の少女の寝顔を見守っている。


それは滑稽な光景かもしれない。


だが彼にとっては、今この時間だけが現実だった。


夜半、彼女が微かに身じろぎをした。


悪夢でも見たのか、眉が寄る。


反射的に伸びた手が、その手を包み込む。


「……安心しろ、ここにいる」


眠る者には届かないほどの声量で、そう告げる。


その瞬間、彼女の指先がわずかに力を込めた。


無意識の動きだろう、けれどそれだけで十分だ。


胸の奥で強くなる思い。


守る。


それは義務ではない、王としての責務でもない。


失いたくないのだと、改めて自覚する。




夜明け前、東の空が白み始めるころ、ようやく彼は椅子の背にもたれた。


眠ったわけではない。


ただ、緊張が少しだけほどけただけだ。


朝になり、医官が再び訪れる。


「回復は順調です。数日もすれば歩ける様になるでしょう」


その報告に、ルーカスは頷く。


「東翼のこの部屋を整えろ」


静かな命令。


「今後はここを使用する」


医官は一瞬目を見開きすぐに頭を垂れた。


その言葉が意味するものを、誰もが理解する。


城に居場所が与えられる、ということは彼女は“客”ではなくなる。


昼下がり、目を覚ましたアリアは、窓の外の庭を見つめた。


城は想像していたよりも静かだった。


自分が元いた国とは違う。


恐怖も、冷たい視線も、感じない。


代わりにあるのは、廊下を行き交う足音と、遠くの鐘の音。


扉が開き、ルーカスが入ってくる。


「歩けるか」


「少しなら」


差し出された手を、彼女はためらいながら取った。


立ち上がると、世界がわずかに揺れる。


その瞬間、腰に回された腕が支える。


「無理はしなくていい」


近い、鼓動が、すぐそこにある。


「……ありがとうございます」


「礼は不要だ」


そう言いながら、支える手は離れない。


そのまま数歩、窓辺まで歩く。


庭に穏やかな光が落ちている。


春の気配が、わずかに混じっている。


「ここなら」


彼が、低く言う。


「二度と、あんな目には遭わせない」


覚悟のような、誓いのようだった。


覇王の厳しさではない。


ただ一人の男の表情。


「信じています」


その一言が、静かに彼を縛る。


もう、手放せない。


こうして彼女は東翼に留まることになる。


医療顧問という名目が与えられ、部屋は整えられ、城内に静かな変化が生まれる。


だがその中心にあるのは制度でも名目でもない。


ただ一つ。


守ると決めた男と、守られることを受け入れた少女。


王城の石壁の内側に、小さな灯りがともる。


それはまだ弱く、頼りない。


けれど確かに、ここが彼女の居場所になり始めていた。


そしてルーカスにとってもまた、ここに帰る理由が生まれたのだった。



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