表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/24

第十五章 あなたと生きる灯


勇者が去った後の城は、不穏ではなく、どこか落ち着かないぬくもりに包まれていた。


嵐が通り過ぎたあとのように空気は澄んでいるのに、胸の奥にはまだ余熱が残っている。


アリアはその熱の正体を知っていた。


国の問題でも、勇者の想いでもない。


自分が選んだという事実の重みだ。


夜の執務室には柔らかな灯が揺れている。


以前はどこか冷たい光に見えたその部屋が、今は不思議と温かい。


理由を問われれば答えは明白だった。


そこに彼女が出入りするようになってから、空気が変わったのだ。


扉を叩くと、低い声が返る。


「入れ」


アリアは一歩足を踏み入れた。


ルーカスは書類を閉じ、彼女だけを見る。


その視線に、王としての硬さはない。


少しの沈黙のあと、アリアは言葉を選ぶ。



「ルーカス。私がここにいることで、あなたの立場が難しくなるなら……私は森へ戻ります」



覚悟はある。


自分を守るためではなく、彼を守るために離れる覚悟。


けれどそれを口にした瞬間、胸の奥がわずかに軋む。


離れたくないという本音が、胸を刺す。


ルーカスは立ち上がる。


机を回り込み、彼女の前に立つ。


その距離は近いが、威圧ではない。


揺れを止めるための距離だ。


「どうして、そうなる」


低いが、怒りではなく切実さを帯びた声。


「あなたは王です。私は……争いの火種になりたくありません」


自分を軽く扱ったつもりはない。


ただ、最善を選ぼうとしただけだ。


ルーカスは一瞬目を閉じ、息を吐く。


そして、まっすぐに告げる。


「俺はお前を置いているのではない」


「……?」


「いてほしいと、思っている」


その言葉は静かでとても真っ直ぐだった。


アリアの心臓が強く打つ。


ルーカスは続ける。


「城が変わった」


一拍置き、視線が柔らかくなる。


「お前が来てから、ここは温かい。灯りが増えたように明るい。兵も、侍女も、無意識に声が柔らぐ」


それは聖女の力の話ではない。


もっと日常の、ささやかな変化だ。


廊下で立ち止まって花を見つめる姿。

厨房で余った菓子を分け合う笑顔。

怪我人の手を取る時間。


その一つ一つが、この城を冷たい石の塊から、人が生きる場所へ変えていた。


「俺もだ」


低く、しかしはっきりと。


「お前がいると、俺は……温かくいられる」


王である前に、一人の男としての告白だった。


アリアの瞳が揺れる。


勇者の「必要だ」という言葉とは違う。


役割ではなく、存在そのものを求められている。


「それでも、選ぶのはお前だ」


ルーカスの声は穏やかだ。


「だが、願ってもいいなら……王ではなく俺の願いとして」


ほんのわずか、迷いが混じる。


「いてくれ」


呼吸が止まるほど静かな一言。


「離れないでほしい」


それは命令ではない。

王の権威も、聖女制度も関係ない。


ただの願いだった。


アリアの胸の奥で、前世の記憶がかすかに揺れる。


誰かを想う心。

伝えたい気持ち、言葉。

しかし伝えられなかったまま儚く途絶えた後悔。


それらは今はもう、はっきりとは思い出せない。

輪郭は薄れている。


けれど完全に消えたわけではない。


そして今は自分の意思で手を伸ばし掴めるのだということももう知っている。


あの時、ルーカスは"聖女"ではなく"アリア"を尊重してくれた。


もし許されるなら……


彼女はゆっくりと息を吐き、ルーカスを見る。


「私は、命じられてここにいるのではありません」


一歩近づく。


「私も、ここにいたいと願っています」


その言葉が落ちると同時に、二人の間の空気が変わる。


守る守られるではない、選び合う関係へと。


アリアは続ける。


「あなたと……この国で生きていきたい」


はっきりと。


ルーカスの理性が一瞬ほどける。


彼はそっと手を伸ばし、今度は迷わず彼女の頬に触れる。


温度を確かめるように、指先が優しく滑る。


「共に生きる」


低く、確かな声。


「それを望んでいるのは、俺だ」


額が触れそうな距離。呼吸が混ざる。


抱き寄せるほどの強さはない。


ただ、包み込むように腕を回す。


その動きは慎重で、壊れ物に触れるようで、それでいて確かな所有の意思を含んでいる。


アリアは抵抗しない。


むしろ、その胸に額を預けると彼の鼓動が伝わる。


強く、早い。


「……温かいですね」


小さく呟く。


ルーカスは微かに笑う。


「お前のせいだ」


城の灯りが窓に映る。


冷たい石造りのはずの部屋が、まるで家のように感じられる。


前世の二人は、もう鮮明ではない。


だがそれでいい。


あの人生で結べなかった想いが、今こうして選び直されている。


運命に流されるのではなく、自分の足で。


ルーカスは彼女の髪に唇を落とす。触れるだけの、静かな誓い。


「これからも、そばにいてくれ」


アリアは目を閉じ、微笑む。


「はい。あなたのそばにいます」


その答えは義務ではない。


祈りでもない。


未来への意思だった。




城の灯りは、今夜いっそう明るく見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ