第十一章 春の翳り
春の陽は柔らかく、王城の高窓から差し込む光は執務室を淡く照らしていた。
そのとき、廊下を急ぐ足音が近づき、控えめな報告が扉越しに告げられた。
西方より、勇者一行が王都へ向かっているとの知らせ。
ルーカスの腕の力がわずかに強まる。
春の穏やかな空気に、冷たい影が差し込む。
彼は使用人を部屋に入れ報告書を受け止る。
書面には、森で奇跡の治癒を行う女性の噂が記されていた。
若き勇者がその真偽を確かめるために動いているという。
胸の奥で、静かな危機感が形を取る。
奪われるかもしれないという想像が、黒い影のように広がる。
王としてではなく、ひとりの男として、それを拒みたいと思う。
東翼の部屋へ向かうと、アリアは灯りの下で研究書を読んでいた。
その姿を見た瞬間、張り詰めていたものが少しだけ緩む。
「ルーカス、なにかあったのですか?」
無意識に固い表情でもしていたのだろう。
一目見ただけで彼女は空気を察した。
そして「勇者が来る」と告げると、彼女の指先がわずかに強張った。
理由はわからないまま、胸がざわつくのだろう。
「私に関係があることですか」
問う声は、かすかに震えている。
「まだ、わからない」
彼は正直に答え、彼女の前に膝をついた。
「だが、たとえ何が来ようと、お前を差し出すことはない」
その言葉は誓いに近い。
アリアは息を呑み、胸の奥に広がる温かさを抱きしめる。
「私は、ここにいたいです」
その素直さに、彼の理性は再び揺れる。
抱き締めたい衝動が込み上げるが、彼はただ彼女の手を包み込む。
「ならば、ここにいろ」
静かに応じる。
窓の外では、森の上に重たい雲が集まり始めていた。
遠くで低い雷鳴が響き、春の終わりを告げるように空気がひやりとする。
それでも部屋の中には、まだ灯りが揺れ、二人の影は寄り添ったまま離れない。
小さな嫉妬と、抑えきれぬ慈しみ、そして近づく不穏がひとつの流れとなり、静かに、そして確実に波を呼び寄せていた。
嵐はまだ遠い。
だが、もうすぐそこまで来ている。




