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サン・ペトロニオ大聖堂の日時計


挿絵(By みてみん)

マッジョーレ広場に壮大なファサードを構えるサン・ペトロニオ大聖堂。

聖堂内を歩いていていると、床面に走る奇妙な長い線に興味を引かれる。


これはメリディアーナと呼ばれる日時計で、正午になると天井に開いた小窓から差し込む光の輪がこの線を照らす仕組みになっている。


南北に伸びる線上には黄道十二宮が描かれ、春分、秋分、夏至、冬至などの至点も記されて、月や太陽の位置も分かるようになっている。


この日時計の前身となる最初の日時計が聖堂内に作られたのは、16世紀末のことである。

当時、ヨーロッパ最古の大学、アルキジナジオの傍に建つサン・ペトロニオ大聖堂は、始業の鐘を鳴らす大学の教会でもあった。


学問に所縁の深い聖堂に相応しく、当時としては科学の最先端を行く天窓から差し込む光で太陽の動きを観測する日時計の設計を依頼されたのは、天文学者でドメニコ会修道士のイニャツィオ・ダンテだった。

グレゴリオ暦の作成委員にも名を連ねていたダンテは、既にフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会で同じタイプの日時計を設計しており、数学と天文学の教師としてボローニャに赴任するとすぐに、サン・ペトロニオ大聖堂の日時計の設計に取り掛かった。


このタイプの日時計は、グノモンの影を地面に投影させる古代時代から用いられていた旧式の日時計に比べ、遥かに精度が高かった。


残念ながらイニャツィオ・ダンテの日時計は完成から1世紀もたたない内に聖堂の増築工事のために取り壊され、現在では図面だけが残されている。


1655年、サン・ペトロニオ教会財産管理委員から日時計の再建を依頼された天文学者のジャン・ドメニコ・カッサーニは、広くなった身廊に並ぶ柱の列を巧みに利用し、ダンテ版より南北線が2.5倍長い、より精度の高い日時計を完成させた。


挿絵(By みてみん)


1655年と言えば、地動説を唱えたあのガリレオ・ガリレイが異端審問で有罪判決を受けた僅か20年後のことで、大学都市であったボローニャが科学に対して比較的寛大であったことが伺える。


現在も晴れた日には、正午になると聖堂の左側廊に伸びるカッサーニ版の日時計に光の輪が投影される。


6月の夏至には、南北線の夏至(Solstizio)と書かれた床面の楕円印に光がぴったり重なる現象を見るために正午前(正確には12時20分頃だった)から聖堂内に大勢の人が集まる。

厳密には光の輪は床面の楕円より少しずれて投影され、知り合いの数学者が言うには年々少しずつずれているのだそうだ。


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