ポルティコの散歩道
ボローニャは散歩がしたくなる街だ。
特に行き先が決まっていなくても、不意にぶらりと歩いてみたくなる。
理由は色々あるけれど、私の場合はポルティコ(柱廊)が大きく影響していると思う。
飾り気のない中世時代のポルティコ、鋭角のアーチを描くゴシック期の赤煉瓦のポルティコ、華麗なルネサンス時代のものや、風格あるバロック時代のポルティコ・・・大きさや様式が違っていても、これらのポルティコ(柱廊)は街中の建物を繋ぎ、通りを結び、下を歩く者の目を楽しませてくれる。また、様々の歴史が紡ぎ上げられたこれらのポルティコは歩行者を夏の日差しや冷たい雨からも守ってくれるのだ。
世界最長の柱廊が最近、ユネスコ世界遺産に登録されたサン・ルーカ聖堂に続くポルティコだ。
サン・ルーカ聖堂には医者と画家の守護聖人であるルカが奉られており、聖堂のある丘の頂まで登っていくこの道は巡礼の道になっている。
サラゴッツァ門から聖堂が聳える丘陵の頂まで延々と上っていくポルティコは、私のお気に入りの散歩道である。
ちなみに、私の家からだと往復で2時間かかるから、毎日と言うわけにはいかないけれど、週末の天気のいい日には、普段の運動不足解消にちょっと登ってみようという気になる。
私は太陽が西に傾きかける頃を見計らって散歩する。この時間になると、観光客は少なく、アーチの下に伸びる階段を上って行くのは、私と同じように散歩や運動を目的としたボローニャの人々だ。
犬を連れた家族連れや、スニーカーに短パン、頭にはヘッドホンの言うスタイルでジョギングする青年、中には手を取り合ってよちよちと登っていく老夫婦の姿もあって微笑ましい。
柱廊の壁には歴代の寄進者の碑文が刻まれ、これが列柱に沿って延々と続いていく。柱の隙間から差し込む陽光がアーチの影を床面に映し、光と影の縞模様を描いている。
ふっと下を振り返ると、先ほどまで目線の高さにあったボローニャの街がずっと下方に遠ざかり、ああ、もうこんなに来たんだと少し嬉しくなる、と情緒を味わいながら登れるのも階段の三分の二くらいまでだろう。上り坂はいよいよ険しく、ハードになってゆき、感慨にふけっている余裕などなくなってしまう。私の前をぺちゃくちゃしゃべりながら登っていた女の子達も急に無口になる。時々、柱の影で一休みしている人達に出会う。歯を食いしばって最後の階段を上りきり、背後を振り返ると、眼下に広がるボローニャの赤い街並みがぱっと視界に飛び込んでくる。この散歩の最も感動的な瞬間である。
聖堂内では一心に祈りを捧げる信者の姿がちらほらと見られる。聖堂の横の小部屋はロザリオやら聖人の絵姿やら、いわゆる聖ルカのグッズを販売する土産屋になっていて、いつも結構繁盛している。
聖堂の反対側に回れば、トスカーナ地方を彷彿させる丘陵の波がどこまでも続いていく雄大な景観に目を奪われる。しかし、秋の午後は短い。うかうかしていると、辺りはすっかり夕闇に包まれてしまう。
帰途のポルティコは行きとは少し様相が違っている。薄暗い柱廊を寂しげな顔した老人達が荷物を持ってゆっくりと上ってくる。
彼等は聖堂に参拝に行くのではない。ここをねぐらにする、いわゆるホームレスの人達だ。
イタリアでホームレスと言うと移民のイメージが強いけれど、彼等の大半はイタリア人、それも年金生活者の老人のようだ。自分達の場所が決まっているらしく、彼等は迷うことなく各々の定位置につき、荷物を下ろす。
ふと、以前にテレビで見たデ・シーカ監督の映画『ウンベルトD.』を思い出した。
舞台は50年代のローマ、ウンベルトD老人は長年勤めた官吏の職を突然解雇され、途方にくれてしまう。国から支給される僅かな恩給では家賃も満足に払えない有様だ。
アパートの意地悪な女家主は家賃の払えない老人を追い出そうと圧力をかける。街角に立って物乞いを試みるもプライドが邪魔してどうしても踏み切れない。貧困と孤独に絶望するウンベルトDを救ったのは愛犬フランクだったと言う物語。
戦後のイタリアを舞台に退官老人の悲惨な現実を描いたネオ・リアリスモの秀作で、淡々としたモノクロの映像と、そこに織り込まれたドラマのリアリティに胸を打たれたものだ。
ここの老人達の姿に、小犬を抱いたウンベルトDの悲しげな表情が重なる。『ウンベルトD.』は決して映画の中の過去の物語ではないのだ。
かつて、巡礼の旅人を雨風から守るために築かれたサン・ルーカの柱廊は今日、現代のウンベルトD達を雨や寒さから守っている。
夜のポルティコは物悲しい。私はせっせと泊まり支度をする老人達を邪魔しないよう、そっと走り去るのだった。




