9話
ボリスとともに村長宅を出た實。そんな實を待ち構えていたのは、村長の手下ではなく、スルツキとアンナだった。スルツキは苦笑いを浮かべていて、アンナはフグのように口を膨らませて怒っていた。その2人の姿を見て實は大体何があったのかを察した。
言葉を選べなかった實は口を噤んだ。アンナと目を合わせられないように少しだけ右を向きながら。すると、實より前に立っていたボリスが2人に尋ねた。
「どうしたんだ2人とも」
アンナは相変わらずの怒り顔で答えた。
「どうしたじゃない。どうして私にも言ってくれなかったの?」
保護者代理であるスルツキも頭を掻きながら答える。
「どうしても、って聞かなくて……さすがに中には入れなかったので外で待ってました……」
保護者も大変だなと、まるで他人事のように思っていた實だったが、アンナが他には見向きもせずに實の前まで来たことで自身が当事者であることを自覚した。
「ヤマ……いなくなっちゃうの……」
「その予定だった」
「どうして言ってくれなかったの?」
「言うまでもないと思ったからじゃ」
「ヤマにこれからもしてほしいことたくさんあるよ。それなのに、なんで黙って出ていくの?」
「悪かった。アンナには心配されたくなかったんじゃ」
「勝手にいなくなる方が心配するよ」
「すまんかった。これからは気をつける」
實は深々と頭を下げた。これで許してもらおうなんてこれっぽっちも思ってないが、せめてもの気持ちを込めてだ。アンナが少しでも納得するまではこのままの姿でいよう。そう心に決めていた。
だが、アンナの様子は違っていた。頭を下げてしまっているため、實はアンナの表情を見ることができていないが、アンナは噛み合っていない話に首を傾げていた。
「うん? ヤマ出ていくんだよね?」
「そのつもりじゃったが、ボリス青年に諭されてここに止まることになった。短い期間にはなるかもしれんがよろしく頼む」
「じゃあ出ていかないの?」
「ああ、そうじゃ」
「なんだ。よかった〜。てっきりヤマが出ていくのかと思っていたよ」
頭を上げた實。その先いたアンナの顔は、さっきまでとは打って変わって満開の花が咲いたように満面の笑みを浮かべていた。
よかった。
胸を撫で下ろし安堵した實。安心しすぎたせいで今まで力の入っていた筋肉が一気に解放されて、まるで恐ろしいものを見て腰が抜けてしまった人のように膝から崩れ落ちた。
「ヤマ! 大丈夫?」
「おいおい爺さん。大丈夫かよ」
アンナもボリスも鳩が豆鉄砲を喰らった時のように驚いた顔を浮かべていた。
「大丈夫じゃ。少しばかり気が抜けてしまっただけじゃ」
本当は大丈夫ではなかった。實自身も驚いているが膝から崩れ落ちたことによって地面の石に膝をぶつけて、叫びたいほど痛かった。しかし、これ以上アンナを心配させるわけにはいかないと痛みを我慢していた。
「本当に? 本当に大丈夫なの?」
「ああ。少し休めば元に戻る。心配かけてすまんかったな」
「うん! 私も怒ったりしてごめんなさい……ヤマがいなくなと思っちゃったら、黙っていられなくて……」
アンナはなんていい子だ。悪いと思った事を素直に謝れるなんて。
昔の實自身と今のアンナを比べて、實がいかに卑劣で意地悪な少年だったのか今更になって恥ずかしさを覚えていた。合わせて、素直すぎるアンナの姿を見て、過去の行いを悔いて目から涙が溢れていた。
「ヤマ、本当に大丈夫なの?」
「ああ。すまん。少し昔のことを思い出してしまっていただけじゃ。それと、アンナがいい子じゃから……」
「気にするなアンナ。行く前もこんなだったから」
「アンナよ。歳をとるとな、涙もろくなってしまうものなのだよ」
「そ、そうなんだ……」
アンナは苦笑いを浮かべながら實の頭を撫でた。これについてはアンナ自身も特に意味があるわけではなくやっている。實も頭を撫でられていることに気がついていない。そんな2人の様子を見てボリスは、大人はどっちなんだろうかとため息を吐いた。
何往復も頭を撫でているアンナを止める意味も持って、ボリスはもう1度ため息を吐いてこう言った。
「それよりも問題はこれからだ。村長に近い連中はもしかしたら嫌がらせにくるかもわからん。その前に手を打ちたいが、誰がどこで何をしているかだなんて監視することは不可能だ。夜中の見回りも増やしていくつもりだが、爺さん、あんた自身も気をつけろよ。1人になると襲ってくるかもわからん、もし、どこか行きたい場所があるのなら俺を呼んでくれ。さあ、アンナも帰るぞ」
「うん! ヤマも行こ!」
「ああ」
手を差し伸ばしているアンナの手を取り、ふんっと踏ん張りながら立ち上がってズボンの砂を振り落とした。
立ち上がった實の前には大きな手が見えていた。視線を上げると手を差し出していたのはスルツキだった。スルツキと握手をすると、スルツキは言った。
「追放なくなってよかったですね。僕もできることはお手伝いしますので、ボリが頼りないと思った時には僕に相談してください」
「ああ、ありがとう」
こうして實は村で暮らすことになった。この時にはこれから先の困難など、何ひとつ頭にはなかった。




