8話
全ての作業を終えると、太陽はオレンジ色には輝いていないが低い位置にいた。實がこの村にとどまるまでの時間ももう少なくなっていた。技術の発展に寄与するという目標を何も達成できていない實。やり残したことがあまりにも多すぎて次の手を打てずにいた。
ボリス青年の悩みは一応解決できて、スルツキ青年の問題も多分解決できたし、あとは、他の人の協力を得られれば何かできることがあるかもしれない。が、これ以上の協力は厳しそうだし、時間もあとせいぜい2時間といったところ。
できることなんてないのかもしれないな。
半ば諦めていた實の元に、昨日森を彷徨っているときに初めて出会った青年、サムイルが現れた。サムイルはまた鋭い目つきで實にこう言った。
「村長がお呼びだ。ついてこい」
それだけ言うと、實の意思を確認することなく背中を向けて先に歩き出した。追いかけようとする實だったが、ボリスに肩を掴まれるのだった。
「待て。俺も行く。アンナは先に帰ってろ」
「なんで! アンナもいく!」
「ダメだ。これからは大人の話だ。子供は帰ってろ。クリットも困るから家に帰りな」
「ボリのばか!」
アンナは怒ってどこかへ行ってしまった。その後ろ姿をただ見守ることしか實はできなかった。
「あんな酷いことを言って大丈夫なのか?」
「ああでも言わないとアンナはついてくるだろ。あんたアンナには言えない約束を村長としているだろ。聞かない方がアンナのためになる」
實のボリスを見る目が変わった。
見た目は子供も大人も寄りつかない不穏な空気を醸し出しているのに、本当は全体をよく把握できていて、子供の反感を買うことをわかっていながらも嫌な役目を自ら引き受ける、そんな姿に感銘を受けていた。
だが、そのことを知っていないと人は寄りつかないし、反感を買うどころか、拒否感を抱かせてしまう。農家であろうとそれ以外でも人との付き合いというものは重要だ。ボリスのやっていることは、重要な人付き合いというものを結果的に蔑ろにしてしまうものだ。その結果、必要な情報が入ってこなかったり、村八分のような扱いを受けたり、大変なことしかない。それでもアンナがなついているのは、アンナの底知れぬ明るさとボリスのことをわかってのことだろう。どっちもいい子だ。
年をとると涙もろくなる。こんな些細なことでも、泣きたい気持ちもないのに涙が溢れ出てくるのだった。
「そんなに別れが寂しいのか?」
泣いているところをボリスに見られてしまっていた實。腕で涙を拭いながら答える。
「2ともいい子じゃから」
「何言ってんだ」
引いた感情を持っていたボリスの様子を見て實も冷静さを取り戻しつつあった。
今は泣いている場合じゃない。村長のところに行くのだから、正気でいないと。もう関わりのなくなる人ではあるけど、泣いている見窄らしい姿は見せるべきではない。単純に恥ずかしいから。
これは實のプライドの問題でもあるのだが、舐めてられている相手に涙を見せることは83年も生きてきた實とってはただの恥。それに村からの追放を受け入れ難く、すがっているように思われうのが嫌だったから。
弱みを握られるようにこき使われるのは嫌だし、未練とかもないから追放の措置をすんなり受け入れるつもりでいるし、無駄な会話を減らせば暗い中追放されなくて済む。明るいうちの方が山の中でも野生動物に会う可能性を減らせるし、安全に雲の上に戻ることができる。なんならもう村長に会わずにこのまま村の外に出て行ってもいい。
そう考えていた。村長と話をするまでは。
村長宅に着いた實ら3人は、昨日村長と話をした一角で静かにお茶を飲んでいた。村長は何もできなかっただろうと言いたそうにニヤニヤした顔を浮かべていた。サムイルは相変わらず怖い顔を浮かべながらお茶を飲んでいた。ボリスはお茶を飲むことはせずに村長を睨むように見つめていた。誰も話すことはなくお互いを見つめ合いながらお茶を1杯2杯と口にしていた。ここは實自身から何かを言わないといけないのだろうと思い、話し始めようとした實だったが、それを見計らっていたかのようにボリスが喋り出した。實の声はボリスにかき消され、實は口をつぐんだ。
「村長。この爺さんから詳しい話は聞いてないけど、あんたのことだからこの爺さんをどうしようとしていたのかはだいたい想像がついている。その件なんだが、この人には俺の玉ねぎを大きく育てるという役目があるんだ。勝手に消そうとしないでくれ。この爺さんの世話は俺がみる。だからもう関わるのをよしてくれ」
予想外のボリスの言葉に實は開いた口が塞がらなかった。それと、村長にまでも厳しい言い方、ボリスの今後が心配になる實だった。
「ボリスよ。お前の言っていることもわかるが、これは決定事項なんだよ。決まったことをそう簡単に変えられるわけではない。悪いが今回は諦めてくれ」
村長がそう言うと、ボリスはドンッと机を叩いて勢いよく立ち上がった。椅子を後ろに転かすくらいの勢いで。
その音にも驚いたし、ボリスがそこまで熱い人間だと言うことにも驚いた。何も喋らないでおこう。實はそう思った。
「あんたが何を言ったのか知らんが昨日この村に来たばかりの人間にできることなんて何もないだろ! 何も育てなくなったから1日で芽が出ないことも忘れたのか!」
ボリスの言葉に過剰に反応したのは村長ではなく、隣に座っていたサムイルだった。そのサムイルも椅子を後ろに転かすくらいの勢いで立ち上がった。
「おいお前! 村長に向かって何を言うんだ!」
「サムもボリスも落ち着け。落ち着いていなければ建設的な話はできない。両者とも座れ。話はそれからだ」
村長の言葉を聞いて大人しく椅子に座る2人。完全に蚊帳の外にされていた實だったが、自身のこれからを決める話し合いに参加できるわけもなく、まるで最初からそこに置かれていた置物のようにことの顛末を静かに見守っていた。
再び全員が着席してから最初に話し始めたのは村長だった。険しい顔を浮かべながら、ボリスを見ていた。
「さっきも言ったようにこれは決定事項なのだ。覆すにはそれなりの根拠が必要だ。だから私は課題を出した。だが、どうだ、この村のためになることなんてあったか。努力次第でどうにかできたことをこの男はしなかった。何かすれば追放は免れたんだ。責めるのであれば私の方ではなく、その隣の男を責めるんだな。話はこれでおしまいだ。さっさと帰りたまえ」
無理だとわかっておりながら村長に少しでも反撃をしてくれたボリス。實はもういいとボリスの肩を摘んで首を横に振ったのだが、ボリスは實が言っていることを理解しておきながら、また村長に突っかかったのだった。
「あんたがそんな態度を取るのであれば、こっちはこっちで勝手にやらせてもらう。それで文句ないだろ」
明らかに村長は顔色を変えていたが、強がりか「勝手にしろ」とだけ言って立ち去った。
村長が立ち去ったのを見てサムイルは實を連れて行こうとしたが、その手をボリスが止めた。
「村長が勝手にしろと言ったのが聞こえなかったか? この爺さんは俺の領地で暮らすんだ。お前が入る余地なんてねえよ。さっさとその汚い手を離しあがれ」
ボリスとサムイルは睨み合いながら、お互いの胸ぐらを掴んでいた。その様子を見て慌てて間に入る實。
「よせ。争いはするものじゃない」
だが、相手は實よりも50歳は若い男子。異国の地だから2人の間に入ると實の小ささがより際立って見えた。壁になったつもりの實だったが、ただ隙間に収まったかのように、2人の睨み合いは止まることを知らなかった。お互い眉間に皺を寄せた顔を近づけて實の頭の上でさらに目力を強くして睨み合っていた。
「喧嘩はやめんか! いがみ合っていても仕方がないじゃろ。決まっていることなんじゃ。わしはこのことを受け入れている。ボリス青年の気持ちは嬉しいが村長がああ言うんだったら仕方がないことなんじゃ」
「爺さん。俺の玉ねぎをそのまま放置するつもりか。まだまだやらなければならないことはたくさんあるんだ。中途半端にして逃げるなよ」
「逃げるわけではない。わしはこの村から追い出されるんだ。余所者を嫌う気持ちはわしにもわかる。受け入れられなかったのなら、出ていくのは仕方のないことだ」
「いや逃げている。追放を言い訳にして逃げている。逃げていないと言うのなら、俺の玉ねぎの世話を最後まで責任みろ」
「だから、それはできないのだ。村長が……」
「村長村長って爺さんいつの間に村長の手下になったんだ? 安心しろ。この村の畑のほとんどは俺の地区で行われている。その地区の中だったら、爺さんの自由は保障される。村長は勝手にしろと言ったからな」
「そんなの屁理屈じゃ」
「屁理屈でもなんでもいいんだ。俺は俺の玉ねぎがどう成長するのかを見届けたいだけなんだ。それには爺さんの力が必要なんだ。責任を放棄するな」
この時の實はボリスと言い争っていることに気がついていない。サムイルが蚊帳の外にされていることも。
ボリスも気持ちが昂りすぎているが、それは實も同じだった。普段ならこんなことは言ったりせずに、はいはいとだけ言って心の中では納得してないが、話がこじれてしまう前に終わらせてしまう。おかげで今まで生きてきて口喧嘩というものを数回しかしてこなかった。だが、實も覚悟を決めていたものだから今更それを覆すことができなかった。実は實は不器用な性格だったから。決まったこと決めていることの急な変更に頭がついていかないから。
實は葛藤していた。
それはボリスの言っていることにも納得できる理由があるから。だが、村長には追放され、村にはいられない身で何をどうするべきなのか、悩んでいた。頭を悩ませてもどちらかを選ぶしか道はないというのに。
「わしは外から来た人間じゃぞ。そんな男の言っている事を信頼できるのか。わざと枯らしているのかもしれないんじゃぞ。村長もしれを危惧してわしを追放にしたんじゃ。ボリス青年はそれでも受け入れると言うのか?」
「ああ。もちろんだ。だが、怪しい動きがあったらその時は始末するまでだ。さすがにヨボヨボのあんたには負ける気がしねえから」
「わかった。そういうことなら、わしは玉ねぎの成長を見届けようか。それが終われば解放してくれ。歓迎されていない場所に長居はしたくない」
「それなら安心しろ。これからみっちり働かせてやるから、怪しい者じゃないことも証明できるぞ」
何か面倒なことが起きそうだと實は予感した。その嫌な予感は村長の家を出たその瞬間から起こるのだった。




